3-備前吉光、あくる日の休日の出来事

 基本的に外食で飯を食っている間に会話はらしい会話は無い。美味いものを食っている時は小難しい言葉など消えるものだ。


「うまい」

「美味いなこれ」

「これパンがガーリックのやつだ」

「最高じゃねえか」

「見てこれ、チーズ」

「うわすげえ伸びてる」

「うめえ」

「うまいな……ハンバーグうめえ……」

「どんな感じよ」

「割とあっさりしてる、けど食いごたえは充分」

「いいな」

「最高」


 以上、三五歳男性二名の食事中の会話である。知性とは。

 一通り食い終わって、幸せに浸りながらぼんやりして少し。


「ケーキ頼むか」

「俺もコーヒー飲も」


 すいませーん、と姫宮が店員さんを呼んだ。



 少しして湯気の立つカフェオレと、チーズケーキが運ばれてきた。姫宮の前にはアイスコーヒーが置かれる。

 店員さんが伝票をテーブルに伏せて置いて、その後またごゆっくりどうぞ、と言って去っていった。


 暖かいカフェオレを慎重に口元に運ぶ。猫舌気味なので暖かいものには少しだけ警戒心を抱くものなのだ。じゃあ暖かいの頼むなって話だが、しょうがないだろう、少しだけ冷え込んでくる今日この頃、暖かいものが欲しかったんだ。誰に言うでもなく脳内で独り言ちて、一口。思っていたよりは甘くない、そしてミルクがたっぷり入ってるタイプのカフェオレだ。身に染みる。ほう、と一つ息をついてテーブルへカップを戻した。


 さて、と視線をチーズケーキへ移し、フォークを手に取る。見た目もいいな、きらきらしていて綺麗だ。いざ、とフォークをきらきらひかるそれに刺そうとしたところで、ぴろんと聞き慣れた通知音が鳴った。メッセージトークアプリがメッセージを受信したことを知らせるそれである。

 ……またも出鼻を挫かれた。少しばかり恨みのこもった視線をテーブルの上へ置いてあったスマホへ移せば、画面がポップアップメッセージで光っていた。妹の名前と、”次の休みいつ?”と端的なメッセージが表示されている。なんだお前か、残念だったな、今日が久しぶりの休みで次の休みがいつになるかは分かんねえんだわ。心の中でそう答えて、メッセージに返信しようとスマホを手に取る。


「ひか……?女の子の名前じゃん。なんだ、お前そういう相手居たの?」


 言われて思わず吹き出す。ていうか姫宮お前画面見えてたのかよ。視線をスマホから姫宮へ移せば、ぎょっとした顔で俺を見ていた。どうしたお前今日表情豊かだな。


「ちげえよ、妹」


 顔の前で手を振って否定する。いや驚いた。妹であるあいつがそんな相手だと勘違いされることは今まで無かったから、いっそ愉快ですらある。


「つか勝手に画面見んなよな、気にしねえけどさ」

「すまん、目に入ったから」


 言いつつ姫宮がコーヒーを一口飲む。何かを考えるように目を伏せて、直後こちらへ視線を戻してていうか、と口を開いた。やっぱり顔はいいんだよなあ、こいつ。同性の俺から見ても顔がいいと思うのだから、恐らく女性からしたらもっと魅力的に映っているのだろな、などと考えながら、ん?と相槌を打つ。


「妹?高校でも大学でもそんな子見たことねえぞ」

「そりゃそうだ、歳結構離れてるからな」

「へえ、今いくつよ」


 問われて、ええと、と年を数える。今年三五になった俺の一〇個下だから、今は二五か。


「今二五だな」

「若いなー。ていうことは俺らが二三の時まだ十三歳か、そりゃ中々会わんわな」


 十三と言えば、ちょうど姫宮と一番交流があった時期である。俺が医学部に入って五年目、姫宮はあちこちぶらぶらしていため、当時頻繁に宿をたかられていた。


「それに、俺ちょうどその頃妹に避けられてたしなあ」

「え、何なんかやらかしたのお前」


 言われてほぼ反射でばっかちげえよと返す。俺がそんなことするわけないだろ。


「お前と違ってそういう失敗しねえから俺」

「随分なこと言うじゃねえか」


 必要以上に傷ついたふりをみせる姫宮を無視して、話を進める。


「普通に思春期だったんじゃないか?中学生から見たら二〇超えてたらうざい大人に分類されてたんだろ」

「そんなもんか?」

「そんなもんじゃねえの?」


 一度そこで会話を区切って、手元に置いていたカフェオレを一口。ああ、少しぬるくなっていい具合だ。


「まあそのあとは普通に交流あったしな。あいつの高校受験の勉強見てたりしたし」

「へえ、備前にそんなお兄ちゃんしてる一面があったなんてなあ」

「お兄ちゃんとか言うな、気色わりい」


 そこで一度会話を区切って、またカフェオレを一口。ふうと一息ついて、まあ、と話を再開した。


「俺、言う程兄貴っぽいことはしてやれてねえしな。お前も知っての通り、大学からは一人暮らししてたから、そこまで交流も無いし」

「その割にはそんなメッセージ飛んでくるんだな」

「あれがいい子なんだよ。利発で元気なかわいらしい妹でさ、お互い忙しい職なのに暇見ては俺の様子見に来てくれんだ」


 親にそう言われて来てるだけかもしれねえけどな、と最後に締めくくって、ずっと手を付けていなかったケーキにフォークを刺した。どうにも下の方はタルト生地になっているようで、割るのに少しだけ苦労する。だがそう、タルト生地である。これは期待値が高い。少しばかり上がったテンションのまま、チーズケーキを口に運ぶ。


「うめえ……」


 特に意識したわけでもなく口からそう滑り落ちた。じっくりと舌の上で味わって、飲み込む。


「上品な感じの味がする……」


 続けてひとり呟けば、姫宮にうっわお前、と嫌そうな顔をされる。なんだよ。


「この野郎飯テロは卑怯だぞ。くそ俺も頼めばよかった」

「どっちにしろ俺の金だろうが」


 ほぼ反射でそう突っ込む。すると姫宮がいやそうだけどさ、と持論を語り出した。


「最初からそれにしようと思って頼むのとあとから頼むのはちげえじゃん?なんか敗北感がある」

「なんのだよ」


 切り返せば、さあ……?と姫宮が首を傾げる。少し間をおいて、自分への……?と続いた。いや俺に聞かれても分かるわけねえだろ。

 再びチーズケーキを口に運ぶ。上品な感じがするのに飽きない味だ、もったりしすぎていないというか。生憎俺は食べ物のおいしさを表現する言葉をあまり知らないから十分に伝えられない気がする。

 俺が一人幸せに浸っていると、そう言えば、と姫宮が新しい話題を振ってきた。


「忙しい職ってなに、妹ちゃんも医者なわけ?」


 新しい話題ではなくさっきの続きだった。口の中のそれらを味わって飲み込んで、カフェオレを一口。ああ、合うな、これ。


「いや?けーさつ」

「おあ」


 短く答えて、再びケーキをぱくつく。いやほんとうめえなあこれ。また来ようかな、なんて俺が考えている最中、とても人の発するそれとはかけ離れた鳴き声を上げた姫宮は、そうか……と言って項垂れた。


「警察学校出て、交番勤務初めて今二年目だったかな。高校の時は空手やっててなあ。またこれが強いんだ、あいつ。物理で喧嘩になったら多分俺勝てねえしな」

「うそだろ。え、めちゃくちゃガタイいいとか?」

「いや、そういうわけでは無いんだが……上背は平均ぐらいだぞ、普段からよく動いてるからしゅっとしてる方だし」

「ええ……?その見た目でお前に勝てないってどういうことよ」


 言われて考える。そう言えばどうしてだろうか。でも昔から体を動かすのが好きな活発な子だったし、言ってしまえば天賦の才というやつなのかもしれない。いや、本人が努力していたのを知っている以上天賦の才という言葉で片付けてしまうのは妹に失礼だろうか。


「まあ、元々の適正とあとは普通に本人の努力じゃねえかな」


 考えついた末にそうまとめれば、ふうんと姫宮が相槌を打った。


「まあ、目指したきっかけとかは知らんけど、本人も体動かすの好きな方だし、忙しい忙しいとは言うものの仕事自体は気に入ってるみたいだからまあ合ってるんだろ。俺としては、危険な職だしちょっと心配だけどな」

「へえ……」


 続けてそう言えば、しかし警察か……と姫宮が呟く。その弱々しさに少しだけ笑った。


「安心しろ、妹にお前を突き出しゃしねえよ」

「いやそれは心配してねえけどさ、警察じゃなけりゃ一度お目にかかりたかったなあ、と……」


 そこまで言われてはっと思い出した。だからこいつには妹のことを伝えまいと半ば意識的に妹の情報を渡さずにいたのだった。くそ、失敗したな。

 俺が苦い顔をしたのに目敏く気づいたのか、姫宮が不思議そうに俺を見る。


「どうかしたか?」

「いや、お前に妹のことは伝えるまいと思ってたんだけど……うん……」

「いやお前の妹には手出さねえよ!」


 本当だろうか。いやきっと嘘だ。女性関係におけるこいつの信頼性はゼロである。


「今決めた。俺はこれ以上お前に妹の情報を渡さない」

「ほんと信頼ねえな。俺がそんなやつに見えるか?」

「うるせえ経験則だ」

「ひっでえなあ」


 姫宮が笑いつつ言って、またコーヒーのグラスへ口を付ける。その中身がもう随分と減っていて、そんなに話し込んでいたのかと少し驚いた。自分の手元を確認すれば、ケーキが残り三分の一程度。カフェオレは残り僅かとなっていた。あっもうこれしかないのか……悲しいな……いや量が少ないとか言うつもりは無いんだが、おいしいものが目の前からなくなってしまうとどうしても少し悲しくなってしまう。当然それを食べたことによる満足感だって同じくらいあるけども。

 一人悶々と考えていると、再び姫宮から話しかけられた。視線を皿の上から姫宮へ移す。


「そういやお前、今日休みって言ってたけど明日は?」


 そう聞いてきた姫宮に、明日が休みであること、明後日は仕事だが夜勤であることを伝える。すると、会社勤めは大変だねえなんて返答が帰ってきた。なんだこいつ喧嘩売ってんのか。


「それなら今日か明日飲みに行かねえ?場所はお前に任せるからさ」


 普段よりも活気のある表情で、テーブルから少しだけ身を乗り出した姫宮が言う。はあとため息を一つ。


「どうせ俺の奢りで、だろ?」


 言えば、分かってんじゃねえかと姫宮が笑った。


「お前が酒飲みたいだけだろ」

「あ、バレた?」


 交わされる軽口にくつくつと笑って、残りのケーキを口に運ぶ。ああ、やっぱりうまい。次の休みの時も、できればここで過ごしたいな、なんて考えるくらいだ。それこそ、小説か何かを持ってきてのんびり過ごすのだっていいかもしれないし、さっき話題に上がった中々休みの合わない妹を連れてくるのだっていいかもしれない。と、そこで気付いた。


「あ」

「ん、どうした?」

「妹にLINE返信して無ぇ」

「まじか、早く返信してやれよ。今の子って既読スルーとかすると嫌われるんじゃねえの?」


 あんまりな偏見に思わず笑う。


「それで嫌われるなら俺はとうに妹に見捨てられてるよ」


 言いつつトーク画面を開いて、少し悩んで文面を考えて、送信。

 ”すまん、今日と明日が休みで次はいつ休みになるか分からん”


 作った文面が画面に表示されたのを確認して、端末をスリープ状態にする。画面を伏せて机に置いて、最後の一口となってしまったケーキをぱくり、口に運んだ。咀嚼して、味わって、口の中に残る後味を楽しんで、最後にすっかりぬるくなったカフェオレで喉を潤す。


「ごちそうさまでした」


 手を合わせて小さく呟いた。


「もう出るか」

「そうだな」


 言いあって、机に伏せてあった伝票を手に取る。店内の内装と同じく小洒落た意匠のレジへ向かった。支払いを済ませて、店外で待っていた姫宮と合流する。


「飲みに行くのは今日でも明日でもいいけどよ、その前に買い物付き合え」

「なんだ、荷物持ちか?俺はアテになんねぇぞ」

「知ってる」


 そんなこと知っている。驚きの非力さはこの男の特徴の一つと言っても過言ではないのだ。それに、俺が姫宮にやらせようとしていることの比重に荷物持ちは少ない。こいつに持たせるより俺が持って歩いたほうが早いわ。


「でも居ないよりはましだろ、こんぐらい付き合え」

「へーへー、仰せのままに」


 姫宮がふざけてあんまりにも似合わない台詞を言うので、街道の中だが小さく吹き出した。からからと笑って、実はな、と姫宮に来てほしい理由を説明する。


「ここ最近すっかり自分で飯作って無くてな、作る余裕がなかった、っつったほうが適切なんだが」

「みたいだな」

「そんなわけで、今冷蔵庫がほぼ空なんだわ。適当に食材見繕ってくれ、そういうのお前の方が得意だろ」

「まあそりゃあな。分かったよ、それくらいするさ」


 言いつつ来るときも歩いた道を、活気のある方へと歩いて行く。目指す先は俺の自宅近くのスーパーだ。

 主に隣を歩く男のせいで予想外、想定外の多い日だったが、朝は普段よりもたっぷり寝れたし、おいしいお店を知ることもできた。のんびりする、という当初の目的はクリアである。強いて言えばこいつにまた色々と奢ることになったのが少しだけ業腹だが、いつものことだ。


 たまにはこんな休日だって、まあ悪くはないだろう。そう自分の中で考えをまとめて、ふ、と小さく笑った。

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