知っているのに、知らない味

「夏生ちゃん、今日の帰り空いてる?」


 そう問われたのは、ある冬の日のことだった。放課後すぐに私の元を訪れてきたそいつは、名を姫宮匠と言う。


「空いてるけど、なんで?」


 水筒の中に入れていた暖かいお茶を飲みながら言う。この時期の学校は空気が冷えていて、こうして対策していないと体を冷やしてしまうのだ。


「んじゃさ、ちょっと寄り道して帰ろうよ。もちろん送るから」


 それにこくりと頷く。特別テストが近いわけでも、用事があるわけでもない。本当に今日は帰るだけだから、特別断る理由もなかった。というか、一応恋人関係にあたるわけだから、むしろ頷かない理由の方が少なかった。


「準備できたら教えて、待ってるからさ」


 言って、そいつは私の前の席の子の椅子を勝手に借りて座った。こちらに向けられた顔は、相変わらず女子に人気なのが分かる程度には整っている。それに、なんだか溜息をつきたくなった。ほんと、なんでこんな性格のやつにこんな顔を神様は与えてしまったんだろう。


「ん、どうかした?」

「なんでもない。すぐ準備するね」


 言って、いったん自分の机から離れてロッカーに向かう。必要な教科書を取り出して、また自分の机に戻った。抱えた教科書が冷たい。それらを鞄に詰めていって、最後に机の中に忘れ物がないか確認。そうしてから匠に向かって声をかけた。


「ごめん、お待たせ」

「ん、大丈夫。行こっか」


 声を掛け合って歩き出す。横に居るこいつが視界に映り込むことには、もうすっかり慣れてしまった。更に言うなら、こいつから振られてくる、なんでもないのにどこか楽しいと感じる雑談にも、すっかり違和感を感じなくなってしまった。


 そうして、すっかりいつも通りになった道を歩いて行って、ふと匠が足を止める。


「今日、こっち行きたいんだ」


 そう言って匠が指したのは、普段通ってる道と一本ずれた通りだった。寄り道したいと言っていた、その行き先がそちらなのだろう。頷いて、促されるがままに歩き出す。


「寄り道って、そう言えばどこに行きたかったの?」


 ふと疑問に思って問いかければ、匠は「んー?」となんでもないように聞き返してから口を開いた。


「もうすぐ着くけど……あ、あったあった」


 そう言って匠が指したのは、ただのコンビニだった。それに首を傾げる。


「コンビニ?」

「コンビニ」


 問いかければ、匠は少しいたずらっぽく笑った。手を引かれて、店内に入る。店内の空気は、外よりもずっと暖かかった。


「今さ、キャンペーンやってるらしくて」


 言われるがまま、手を引かれていったのはレジの前の中華まんのコーナーだった。そこには大きく「50円引き!」と書かれた手書きの小さい看板がついている。


「夏生ちゃん、学校帰りに買い食いとか経験ないでしょ?」


 言われて、その通りだったから頷く。そうすれば、匠はまた少し笑って続けた。


「せっかくだし、って思ってさ」


 言いながら、そいつは少しかがんで中華まんを眺めている。どれにしようかな、なんて言って選ぶその目は真剣だ。それに、なんだか少し笑ってしまう。


「俺は肉まんにしよ、腹減ったし。夏生ちゃんは?」

「私は……」


 ケースの中を眺める。少し迷って、甘いものが欲しいな、と思ったから「あんまんにする」と言った。お決まりでしたらどうぞお、と間延びした店員さんの声が耳に入る。


「じゃ、俺先に買っちゃうね」


 こくりと頷く。注文する匠を見ながら、確かに必要に迫られてではなくコンビニにくるのは初めてかもしれない、と改めて思った。私の順番が回ってきて、あんまんください、と言ってお金を払って。店員さんに手渡されたそれは、かじかんだ手には熱すぎるぐらいに暖かい。


「おまたせ」


 お店を出れば、入り口すぐの場所に匠は居た。声をかけて駆けよれば、匠は薄く笑って応えた。


「ちょっとあっち寄ってさ。ここでそのまま食べて、ついでにちょっとおしゃべりしてから帰ろうよ」


 少し迷って、けれど迷ったのは本当に少しだった。このままどこかへ行くなら時間がかかりすぎるから断っていただろうけれど、あんまんを食べて少し話をするだけなら、そんなに時間もかからないだろうと思ったから。こくりと頷いて、促されるまま移動する。コンビニの出入口から少し離れた車止めポールの近くで匠は立ち止まって、そのまま緩く寄りかかった。そうしてから、そいつは肉まんの包装紙のテープを剥がして、中の白い生地を覗かせる。


「うまそ、」


 漏れた声は、心なしか普段より無邪気だ。それを横目で見ながら、同じように手元のあんまんの紙を開いた。

 ふわり、香ったのは中華まん独特の生地の香りと、それから少し遠いあんこの甘さ。寒さのせいか強ばっていた表情が和らぐ自覚があった。


「あつ」


 横で匠が小さく漏らすものだから、少し冷ますようにふうふうと息をかけて、それから恐る恐る口をつける。口の中に最初に広がったのは、生地の素朴な味だ。少し噛めば、それはあんこに上書きされていく。その甘さに、とうとう頬が緩んだ。


「やっぱうまいわ、肉まん」


 横に立つ匠が、同じように呟く。その表情は、やっぱりいつもよりも無邪気で年相応に見えた。ふと、そいつの視線が私を向く。バチリと目が合って、心臓が跳ねた。そんな私を気にせず、匠は少し悪戯っぽく笑って言う。


「でも良かった、正直ちょっと断られるかと思ってたからさ」

「……なんで?」


 言われたそれの意味が、少し考えてもよく分からなくて聞き返す。そうすれば、「だって」と匠は説明するように続けた。


「夏生ちゃん、女の子同士でもカラオケとかゲーセンとか行かないから」

「まあねえ」


 それはその通りだから頷く。そんな私を見てか、匠はわかりやすく口角を上げてから聞いてきた。


「あっ、もしかして俺だからだったりする?」

「いや違うけど」

「えー、冷たいなぁもう」


 ばっさり切り捨てれば、今度はわかりやすく眉を下げる。けれど、そいつのそれが心底傷ついてのそれではないことは、もう知っていた。だから気にせず続ける。


「別に、寄り道ぐらいなら私だって普通にするよ。あんまり帰りが遅くなったら嫌なだけ」


 そう、家に帰る時間が極端に遅くなるわけじゃないなら、別に寄り道だってやぶさかでは無いのだ。


「え、ほんと? 寄り道ってどこ行くの?」

「本屋とかが多いかなあ……時々お使いついでにおやつ買ったりとか?」


 そう答えれば、匠はからからと笑った。それが気に食わなくてじとりと見れば、匠は「ごめんごめん」と笑いながら言う。


「やっぱ真面目だなあ、って思っただけ」


 どうにも、もちろん気に食わないとは思うけれど、その笑顔になんだか毒気が抜かれてしまう。気に食わないとは思えど、そこに嫌悪感はなかった。そんな自分に、思わず苦笑。……本当に、絆されちゃいけないって、分かってるんだけどなあ。


「そうだ、夏生ちゃんそっち一口くれない? 見てたら食べたくなっちゃってさあ」


 なんでもないように投げられたその提案は、正直迷った。だって、それって、間接……になるし。


「だめ?」


 でも、そう首を傾げてこちらを見るそいつが、なぜか可愛らしく思えてしまって。


「……いい、けど」

「やった、じゃあこっちも一口。交換な」


 そう言って、肉まんがこちらに差し出される。……やっぱり少し迷って、思い切って一口。何度か食べたことのある、一般的な肉まんの味が口内に広がった。当たり前だけど甘くはない。


「おいし?」


 もぐもぐと咀嚼する私を見て、そいつが笑う。こくりと頷いた。別に、肉まんに罪はないし。おいしいのは事実だし。言い聞かせながら、己のあんまんを匠の方へ差し出す。

 あんまんを差し出された匠は、自分から提案したくせ少し驚いたように目を丸くしてから「ありがと」と小さく言ってあんまんに口を付けた。はぐ、と私よりは大きい一口があんまんに噛り付いて、そのまま消えていく。もぐもぐとそれを味わって飲み込んだ匠は「やっぱりうまいなぁ」と、また普段よりも幼い顔で笑った。


 少し減ったあんまんを手元に戻して、また少し迷ってから結局口をつける。口内に広がるそれは、変わらず甘いあんこの味だ。


 そうして、中華まんを食べながら時間が過ぎていく。授業のこと、クラスのみんなのこと、先生のこと。そんな、なんでもない雑談は、昔は違和感があったのにすっかり私になじんでしまった。


「んじゃ、帰ろうか」

「うん」


 そうして、私も匠も、気づけば中華まんを食べ終えていた。包装紙をゴミ箱に入れてから、二人並んで歩き出す。すっかり見慣れてしまった、横に匠が居る視界。すっかり違和感を感じなくなってしまった、匠との会話。


 ……絆されちゃいけないって、分かってるんだけどなあ。こぼれそうになった苦笑を、溜息を、笑顔で覆い隠した。

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探索者たちの日常 琴事。 @kotokoto5102

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