2-備前吉光、あくる日の休日の出来事
緑色の扉を押せば、からんからんと軽いベルの音が鳴った。いらっしゃいませ、と落ち着いた女性の声で出迎えられる。年若い黒髪の女性で、店名がプリントされたエプロンをつけている。大学生くらい、だろうか。その割には雰囲気が落ち着いている。
「二名様でよろしいですか?」
「はい」
「空いてるお席へどうぞー」
店内をぐるりと見渡せば、懸念していた程は混雑しておらず空席もそこそこにあった。窓際のテーブル席が空いてるの見つけたのでそこに座る。木製のテーブルが並ぶ温かい雰囲気の店だ。窓の出窓部分に小さな動物の置物が置かれていてかわいらしい。ぐるりと店内を見渡してみると、そういった置物や人形、小さな観葉植物などが随所に置かれているようだった。なるほど内装からして女性に人気なのも頷けるデザインである。
机の上には手書きらしいラミネート加工されたメニューが複数枚載っていて、こちらも若い女性が好きそうなデザインだ。それにざっと目を通していると、先程の店員さんが再び現れた。俺と姫宮の前におしぼりが置かれ、続けてメニューがもう一枚、机の上に置かれた。つ、と店員さんの細い指がメニューを指す。釣られて俺と姫宮も一枚のメニューへ視線を落とした。
「こちら平日の十一時から一四時までの限定ランチメニューになっております。当店一番人気はこちらのドリアのプレートです。セットメニューもありますのでよろしければそちらもどうぞ」
店員さんがメニューを指しながらそれぞれ教えてくれる。なるほどドリアは看板メニューであり一番人気でもあったか。写真を見る限りでもすごく美味しそうで新情報に期待値が高まる。
「お水と温かいお茶、どちらがよろしいですか?」
「俺は水で、お前は?」
視線をランチメニューに落としたまま俺も水で、と答える。サラダとバケット、スープのついたプレートらしい。先程店員さんが指していたセットメニューとはどうやらケーキのつくセットで、一緒に頼むと普通に頼むよりも少しだけ安くなる仕様のようだ。選べるケーキはチーズケーキとガトーショコラとミルクレープの三種類から。……うん、今日の気分はチーズケーキだな。
メニューを決めて視線を上げれば、姫宮が真面目な顔でこちらを見ていた。
「なんだ、どうかしたか?」
聞けば、真面目な顔のまま姫宮が言った。
「今の店員さん、めちゃくちゃ可愛くない?」
「知らんわ」
あの店員さんは確かに整った見目をしているが、それはそうとしてお前がそう思ったということは心底どうでもいい。少しばかりうんざりした色を顔に載せて、机上のメニューを指して言う。
「ほら、はよメニュー決めろ。俺はドリアにするわ」
「あードリアいいな、でも今日は肉食いたい気分なんだよなあ」
言いつつ姫宮もメニューへ視線を落とす。確かランチメニューの中にハンバーグが入ったものがあった気がする。肉食いたいって言ってるからには選ぶのはそれだろうか。
ぼんやりと姫宮を眺めながらそんなことを考える。しかしほんと、こいつ外面はいいよな。中身はクソ野郎なのに、女性にはモテるし。……腹立ってきたな。ぶん殴ってやりてえ。ていうか前にもこんなことを考えたことがあった気がする。一回ぐらいぶん殴っても誰にも怒られないのではないだろうか。
などと、些か思考が物騒な方へ傾き始めたところで店員さんが水を持ってやってきた。かたりと音を立てて、グラスがテーブルの上へ置かれる。
「ご注文、お決まりでしたらお伺いします」
「俺は決まってるけど、お前は?」
「俺も決めた、お姉さん、注文お願いします」
うわお姉さんって呼んだよこいつ。内心で思いながら、じゃあ、とメニューを開いて指して注文する。まあこいつが女性に対してこう言った対応をするのは珍しいことじゃないしな。……え、もしかしてこいつがモテるのってこういう対応をするからか?えっ、世の女性たちはこういうのが好きなのか?
「俺はこのドリアのランチで。あとセットでチーズケーキと、それから飲み物で温かいカフェオレ。お願いします」
「俺はこっちのハンバーグのやつと、あと飲み物にアイスコーヒーお願いします」
「かしこまりました、お飲み物とデザートは食後にお持ちしますか?」
「食後でお願いします」
言って、姫宮がお前は?と促してくる。俺も食後で、と答えれば、少々お待ちくださいと言って店員さんは去っていった。
店員さんが去っていったのを見送ってから、水で喉を潤す。ぐるりと改めて店内を見渡せば、俺と姫宮の他に、若い女性の四人グループが一組と、落ち着いたご婦人が一人といった客層だった。病院で話を聞いたのも若い女の子たちだし、やはり女性客のほうが多いのだろうか。
「満席で入れない、なんてことがなくてよかったな」
「だな、のんびりできそうでよかった」
「やっぱり平日の午前中だからかな」
言われて気付く。そうか、今日は平日か。もしかしたら土日や夕方は学生さんが多く訪れるのかもしれない。ならば今日この時間帯に来れてよかった。
「せっかくなら文庫本でも持ってこればよかったな、そうすれば食後にゆっくり読めたのに」
「おいおい、俺がいるだろ?」
「うるせ、お前と文庫本だったら文庫本のほうが価値高いに決まってるだろうが」
言ってやれば、うわひっでえなあ、なんて姫宮が笑う。軽口を叩き合うこの感覚を妙に久しく感じて、はてと首を捻った。
「どうかしたか?」
目敏くそれに気づいたらしい姫宮が問いかけてくる。いや、と返して少し考えて、その原因に思い当たった。
「最近、こういう人間らしいことあんまりしてなかったなと思って」
なんせ休日は二ヶ月ぶりである。仕事で忙しく、食事も休憩時間に適当に詰め込むことが多かった。そんな様だから当然、誰かと笑い合いながら飯を食いに来る、なんてことも長らくご無沙汰だったのでないだろうか。
しかし、よく働いたものだ。最近見ていないが通帳にはそこそこの金額が入ってるのではないだろうか。帰りに記帳していこう。この近所のスーパーにATMがあったはずだ。店を出たらそこへ向かって、ついでに食品を適当に買って帰るか。冷蔵庫の中はほぼ空だったはずだから、そこそこの量になってしまうかもしれない。
今日このあとの予定を脳内で組み立てて、視線を姫宮に戻すと酷い顔で見返されていた。音をつけるとしたらうげえだろうか。
「お前……なにもそんな顔で見なくてもいいだろ」
「いやお前それはないわ。人間らしいことしてなかったから、って完全にブラックのそれじゃねえか」
あんまりな言い分にむっとしてうるせえと言い返す。というか。
「黒いのはお前だろ、うちは真っ当だってえの」
続けて反論すれば、勤務時間に関しては完全にホワイトですしー?と憎たらしく姫宮が言う。語尾を伸ばすな語尾を。
「ちなみにお前、今日の休みいつぶりよ」
「あー……?」
言われて考える。そう言えば前の休みはいつだっただろうか。まだ暑い時分だった気がする。ひい、ふうと月を数えて、多分と口を開いた。
「だいたい二ヶ月ぶり」
心底嫌そうな顔をした姫宮がうっわと言った。
「うっわってお前な……基本的に医者っていうのは忙しい職業なんだ、お前が例外なだけで。しょうがねえだろうが」
「いやそれにしたって二ヶ月休み無しは無えわ。俺だったら3週間休み無しの時点で辞めてるね」
「お前と違って堅実に生きてるからな、俺は」
「は、面白みのねえ生き方だな」
「そんなん知ったこっちゃねえな。俺は穏やかに死にてえんだ、普通が一番よ」
少し険を帯びた応酬の途中、先程の女性店員がやってきたため会話は中断された。まずは俺のドリア、続けて姫宮の頼んだハンバーグのプレートがテーブルの上に置かれる。おお、美味しそう。最後に伝票を机に伏せて置いて、ごゆっくりどうぞ、と店員さんは去っていった。
さっそく手をつけようとするも、待って写真撮らせてと姫宮に止められる。お前は女子高生か。言いつつ皿の向きを変えて写真を撮りやすくしてやる。
姫宮がスマホを取り出し、角度や設定を変えつつ何枚か写真を撮る、その最中ぼんやりと考えた。
俺と姫宮は長年の腐れ縁で、お互い良い面よりも悪い面の方を多く知っているような関係だ。それ故か俺たちにとってはさっきのような少し険悪な、聞く人によっては怖がれそうな会話だって日常会話の一部である。
他の友人や過去の知り合いでここまで気が置けないやつは他には居ないので、その点についてはこいつは得難い友人ではあるのかもしれない。……納得したくはないが。なんてったってこいつはクソ野郎だ。
「さんきゅ、綺麗に撮れたから転送してやろうか?」
「いや要らんわ」
言いつつ皿の向きを戻してスプーンを手に取る。ほんと、クソ野郎なんだけどなあこいつ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます