探索者たちの日常

琴事。

1-備前吉光、あくる日の休日の出来事

 遮光カーテンの隙間から差す陽の光で目が覚めた。ベッドに転がったまま、シャッと音を立てて目に刺さるそれを遮る。寝る前には閉めておいたはずなんだが。寝てる途中に足でひっけかけでもしたんだろうか。寝起きのぼんやりした頭でそんなことを考えながら、ほぼ無意識のままスマートフォンに手を伸ばす。手に慣れたそれを起動して、ロック画面に移ったアナログ時計の差す時間は──午前一〇時一八分。


「やっべえ仕事、」


 想定外のそれに叫びかけて、慌てて布団から身を起こした。まずは顔を洗って髭剃って歯磨いてそれから着替えて、とこれからやることを脳内に上げつつ洗面所へ向かう、その道中でゴミ箱をひっくり返した。くそ、と小さく悪態をついてしゃがみ込み、いやこんなことしてる場合じゃないだろうと立ち上がる。

 生産性ゼロの行動をしてしまった自分に対しての呆れ、そして現状に対する動揺、焦り、困惑、様々な感情によって正常な判断が下せないまま、特に意味も無く部屋の中に視線を彷徨わせる。と、視界に赤が引っかかった。一度は過ぎた視線をそこへ戻せば、あったのはカレンダーだ。今日の日付であるなんでもない平日を、赤い丸が囲っている。その意味が理解できず一瞬固まって、そして直後脱力した。


「今日、休みじゃねえか……」


 そう、総合病院の内科医として日々働く俺──備前吉光が、約二ヶ月ぶりにもぎ取った休日である。


 とりあえず、と足元に散乱したゴミを片付ける。今日一日何をして過ごそうか。のんびりしようとしか考えていなかったから、具体的なプランが何も無いのである。足元を片付け終えて立ち上がり、ぐう、と伸びをする。


「飯、食いに行くかあ」


 ポツリと独りごちた。空腹感はあるものの作るのは面倒だ。適当に外で食べてこよう。顔を洗って、髭剃って、歯磨いて着替えて……って、やること結局変わらねえじゃねえか。誰がいる訳でもないのに苦笑して、改めて洗面所へ向かった。



 所変わって、近所の商店街。どうにも最近、この商店街の外れに新しいカフェが出来たらしい。入院している女の子とお見舞いに来た女性が話題に上げていたのだ。このまま順調に行けば来週にでも退院できるであろう彼女は、退院後に行くのが楽しみだと笑っていた。


 家を出る時には適当にチェーン店にでも入るか、と思っていたのだが、歩いている途中にふとそのことを思い出して行き先を変更した次第だ。何でも、カフェとは言いながらもがっつり目に食事が取れるタイプの店らしく、それでいておいしくておしゃれ、なんだとか。看板メニューはドリアらしい。

 商店街を進みながらまだ見ぬドリアへ思いを馳せる。少しずつ人が少ない通りに向かうことに少しの不安はあるが、つい先程スマホアプリで店の場所は確認済みだ。間違いなくこの先に件の店がある。何気なく腕時計へ視線を移せば、現在時刻は十一時前。事前に確認した情報からして、ここから歩いてあと一〇分と少し、といったところだろうか。少し混んでくる頃合だろうか。急いだ方がいいかもしれないな、と早足で歩き出したところで、後方から声を掛けられた。


「備前?なにしてんだこんな所で」


 ……出鼻を挫かれた。

 振り返れば、悲しいことに数少ない友人の一人である姫宮である。高校からの知り合いで今も縁がある独り身の男はこいつだけだ。そのせいで最近友人とどこかに行くか、と考えると予定が合うのはこいつだけである。


「これから飯食いに行くんだよ。そこそこ急いでるからまた今度な」


 そう言って再び歩きだそうとすれば、まあ待てよ、と半笑いで姫宮が俺を引き止めた。肩がけ鞄の紐を掴まれる。

 腕力で言えば俺の方が上、というかこいつは一般的な女の子に腕相撲で負けるひ弱さのため振り払おうと思えば振り払える。振り払えるが……こいつの性格上振り払った場合あとが面倒だ。はぁと一つため息をついて、諦めて振り返る。

 振り返った先で、俺が諦めたことを察したのか姫宮が悪い顔で笑った。


「飯、食いに行くんだって?俺も付き合うぜ」

「……お前、たかるつもりだろ」

「いいだろ?男ひとりで寂しく飯食いにいくのを賑やかしてやるんだからさ、感謝しろよな」


 そう、姫宮匠という男はなにかと俺にたかってくる年中金欠のクソ野郎である。しかも、しかもだ。女好きである。更に質が悪いことに、そこそこ顔がいいため割と女性からモテる。挙句それで大学時代に問題を起こして中退し、現在は普通の病院にかかれない訳あり患者たちを相手に商売をする闇医者だ。なんで俺はこんなやつと友人なんだろうと常々自問するが、何かと縁があり気付けば一〇年来の友人である。挙句友人と言って一番に頭に浮かぶ相手がこいつなのだからまったく腹立たしい限りだ。


「まあ、いいけどさあ」


 渋々、渋々だ。了承すれば、姫宮がやったと声を上げた。こいつは時折妙に子供っぽい言動をする。こういう所が世の女性たちに受けていたりするのだろうか。理解できない。


「で?どこ行くんだ」

「この先に最近新しい店ができたんだと」


 続けて、見舞客と入院患者の話題に上がって居たのだと話せば、ふんふんと姫宮が相槌を打つ。


「その店、この先なのか?だいぶ人気無い方だけど」

「確かにちょっと不安になるよな。でも事前にちゃんと場所は確認したぜ?」


 まあなら大丈夫か、と姫宮が呟く。これは俺に対して、というより独り言だろう。何が大丈夫なんだろうか。疑問に思って問い掛ける前に、姫宮が口を開いた。


「しかし、よくこの先に飲食店作ったよな」

「だよなあ、俺も思った。でもちゃんと実在するし、病院で女性陣の話題に上がるくらいには繁盛してるんだろ」

「え、さっきの患者と見舞客って両方女性なの?」

「ああ、患者のほうは今……確か大学の、二回生だったかな。未成年だったはず。見舞いに来てた女性はいくつだろうな。大人っぽく見えたけど、親しげだったから同い年かもしれないな」


 そこまで話してふと気づく。もしやこいつ……と横目でじとりと姫宮を見た。その視線に気づいた姫宮が不思議そうにこちらを見返して、そして俺が考えていることに予想がついたのか慌てて否定した。


「いや、ちげえから。流石に入院してる未成年の女の子に手出したりしねえから」

「本当だな?」

「本当だって!しかも口調的にお前の患者だろそれ。余計に手出すかよ」


 余りにも慌てて否定するものだから逆に怪しい。引き続き訝し気な視線を姫宮に送っていると、それより、と慌てて話題を変えた。


「お前最近全然連絡取れなかったけど、忙しかったのか?」

「……まあな、同僚が一人産休に入ったんだよ。代わりに入ってきたやつがまだまだ若くてなあ」


 少し可哀想になってきたため、強引に変えた話題に乗ってやった。同時に仕事を思い出して少し憂鬱になる。例年通りならそろそろインフルエンザが流行り出す今日この頃、休むことに少しの罪悪感こそあったがそれはそれだ。今日は仕事のことは考えないようにしよう。今日一日はのんびりするのだ。

 それはそうと、彼女、有能だったんだけどなあ……。めでたいことではあるものの、有能な同僚が抜けるのは普通に痛い。


「なるほど、それでお前の負担が増えたわけか。大変だなあ」

「まあ、数年後に戻ってきます、って本人は言ってたから、それを期待しておくさ。

 ……お、あれか?」


 前方、ざっと一〇〇m程先だろうか。先程ネットで調べた通りの外観の店を見つけた。柔らかいクリーム色の壁に、屋根は落ち着いた紺色。そして、入口にドアは一等目を引く深い緑色だ。そこに〈OPEN〉と書かれた木札がかかっている。

 ……そういえば定休日の確認をしていなかったな。今日が営業日で良かった。

 店の入口には背の低い黒板の立看板が立っていて、あれは……メニューだろうか。遠目で見たところ、写真が複数枚と文字がいくつか、洒落たデザインで配置されている。


「ほら、早く行こうぜ」


 そう姫宮を急かして少し急ぎ足になる。先行する形になって、おまえなあ、と呆れたような声が後方から聞こえた。うるせえ、こちとら空腹なんだよ。

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