黒い日記帳

澤田慎梧

黒い日記帳

 祖父が亡くなった。

 足繁く通っていた碁会所で友人と対局中に倒れ、そのまま帰らぬ人となったらしい。

 八十八歳。まずまず以上の大往生と言えた。


 祖父は自分がいつ死んでもいいように、相続に必要なものは生前にまとめてくれていた。そのお陰で、父や叔母たちは骨肉の争いをするでもなく、平和裏に相続の手続きを終えることができた。

 私にはまだ、子供どころか結婚相手さえいないけれども、祖父のように終活をサボらない老人になりたいと思った。


 相続の手続きが終わった後、いよいよ祖父の私物を片付けることになった。四畳半の書斎にこれでもかと押し込められた、祖父の愛読書やお洒落着、碁石、碁盤。その他、財産ともみなされなかったよく分からない蒐集品の数々。

 子と孫らが集まって、形見分けという名の大掃除が始まった。


 ――その日記帳の存在に気付いたのは、祖父の愛用のライティングデスクを拭き掃除していた時だった。

 デスクの天板の裏側に隠し収納があって、そこに古ぼけた黒革表紙の日記帳が仕舞ってあったのだ。


「……勝手に読んでもいいのかな?」

「いいんじゃない? 今更本人に許可の取りようもないし。お祖母ちゃんに教えられないようなことが書いてあったら、私達の胸に仕舞っておけばいいんだし」

「それもそうだね」


 近くにいた叔母に一応の了解を取ってから、日記帳を開く。

 長いこと開かれていなかったのか、ページ同士が一部くっつき、装丁の黒革がミシミシと音を立てた。


 どれどれと、最初の数ページをペラペラめくってみて、いきなり違和感に襲われた。


『昭和●●年五月十日

 美紗子みさこ、自転車で転倒。足を骨折。

 

 昭和●●年八月三十一日

 正俊まさとし、幼稚園でケンカ。鼻血を出す。


 昭和●●年十二月二十四日

 俊絵としえ、風邪が悪化し肺炎に。入院治療へ』


 一ページに一日分。それぞれ、ほんの一行程度の内容しか書かれていない。

 しかも、揃って怪我をしただの入院しただの、不幸に見舞われたものばかりだ。「日記」というか、「今日起きた悪い出来事」みたいな内容だった。

 ちなみに、「美紗子」は祖母の名前。「正俊」は父で、「俊絵」は今隣にいる叔母の名前だ。


「ねぇ、叔母さん。これって……?」

「ん~? 母さんと兄さんの怪我の件は知らないけど、私が入院したのは覚えてるわね。確か、小学校二年くらいの時だから、ちょうどその辺りよ。父さん、こんなこと書き残してたのね」


 叔母にも見せてみたが、その程度の反応しか返ってこなかった。

 ……私が変な意味を見出そうとしているだけ、なのだろうか?

 釈然としない気持ちを抱きながらも、私は魅入られるように次々とページをめくっていった。


『昭和●●年一月十三日

 父、癌治療の末、逝去。


 昭和●●年十二月三十一日

 母、大掃除中に倒れ救急搬送。そのまま心不全で逝去。


 平成●●年八月十六日

 初孫、生まれてこれず。死産。


 平成●●年四月一日

 今日子の友人・倉持朝子ちゃんが近所のため池で溺死』


 ――ひいおじいちゃんとひいおばあちゃんの死が書いてあるのは分かる。「初孫」というのは、生まれてこなかった私の姉のことだろう。これも分かる。

 けれども、その後に私の幼馴染の朝子が溺死した件が書いてあることに違和感を覚えた。

 祖父とは離れて暮らしていた。朝子の件を祖父に話した覚えはないのだけれど。


 ページをめくる手は止まらない。


『平成●●年八月二十一日

 美紗子の実家が洪水で流され全壊。


 平成●●年六月二十一日

 友人の加藤正太郎氏、オレオレ詐欺に遭い百数十万円をだまし取られる。


 平成●●年七月一日

 お隣の福山医師。違法な治療が判明しバッシングを受け廃業』


 私も知っている不幸、私が知らない不幸が続いていく。

 そして、最後の記述を開いたところで、私は心臓を鷲掴みにされたような気持ちに襲われた。


『令和三年七月二日

 拙、碁会所にて倒れ急逝。享年八十八歳』


「うそ……」

「どうしたの今日子ちゃん? 顔色酷いわよ」

「だって叔母さん、これ……」


 そのページを見せた途端、叔母の顔色が真っ青を通り越して真っ白になった。

 それはそうだろう。何故、祖父が隠していた日記に、祖父自身の死亡日と場所までが書かれているのだろう?


「ええと、流石に誰かのいたずら、よねぇ?」

「ですよね?」


 叔母と二人、ぎこちない笑顔で笑い合う。

 それはそうだ。祖父が自分の死ぬ日と場所を書き残していただなんて、ナンセンスすぎる。

 ――だって、そんなことを言ったら他の記述だって全部、ように見えてしまうじゃないか、と。


「あはは。まさか、私達が死ぬ日のことも書いてたりして」

「もう、やめてよ叔母さん。縁起でもない。それにほら、書いてあるのはここまでだし――」


 言いながら、祖父の死亡日のページからパラパラとめくっていく。

 白紙だ。色あせたページには何も書いていない。当たり前のことだ。

 が――。


『あっ』


 最後の一ページまで開いたところで、私と叔母の口から同時に声が漏れた。

 何故か最後のページにだけ、何やら書いてあったのだ。

 そこにあったのは、今日の日付。その内容は――。


『令和四年三月二十八日

 首都直下型大地震が発生。我が家が半壊し――』


 そこまで読んだ直後、私と叔母のスマホが同時にけたたましい警告音を響かせた。



(了)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

黒い日記帳 澤田慎梧 @sumigoro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ