第11話 責任を取るならそれでいい



「僕達の婚約を解消しよう」



 予想どおりの言葉だった。

 けれども、受け入れるのを、頭が、心が拒否していた。

 耳では聞こえているはずなのに、私は殿下が何を言っているのか分からなくて、呆然として固まってしまう。


「シェリー」


 ぴくりとも動かない私を見て、殿下は苦笑して私の頭を撫でようとした。そして、私の頭に触れるか触れないか、と言うところで、手をぴたりと止めて、そのまま引っ込めてしまう。


「この1週間、お見舞いに来てくれてありがとう。もう、僕は大丈夫だから。君は好きにしていい」

「好きに……」

「僕から解放しよう。理由は、そうだな。お互いの顔を見ると事件のことを思い出して震えてしまうとか、そんな理由にしておけば、変な噂も立ちにくいんじゃないかな。恐怖に震えながらも1週間頑張ってお見舞いに来てくれたんだって吹聴しておくし、何なら僕の女好きの悪評も誇張して撒くよ。可能な限り君に悪評がいかないようにする」

「ま、待ってください……」

「僕にどこまで力があるか分からないけど、可能な限り権力を使って、次の婚約者を見つけよう。来月学園に入った後、気に入った相手ができたなら、その人と結ばれるように協力してもいい。君の父上に伝えてくれれば大丈夫だから」

「やめてください」

「フィルシェリー嬢、婚約を解消するなら、学園に入学する前の方が……」

「――やめて!」


 殿下の言葉が、私に突き刺さる。全部自分で招いたことなのに、辛くて胸が苦しくて、今にも泣きそうな顔をしながら頑張って微笑んでいる殿下を見ると悲しくて、目に涙がじんわりと浮かぶ。


「殿下は、私のことが嫌いになったのですか……」

「好きだよ。……ごめんね。こんなことを言ってしまうと、僕の話に頷きにくくなると分かってるんだけどさ。この気持ちだけは偽れない」

「殿下……」

「君が好きだ。2年間ずっと好きで、手放すことができなかった。だけど、君が僕のせいで危険な目に遭うところを目の当たりにして……今ならようやく君を解放してあげられそうなんだ。きっとこの機会を逃すと、僕は君がどんなに嫌がっても、君を僕に縛り付けてしまう。それこそ、この間の恋愛小説の悪役令嬢みたいに」


 そう言いながら、殿下はもう、私の方を見なかった。


「だから、もうここには来なくていい。今までありがとう」


 はらはらと涙がこぼれた。


「嫌です」

「フィルシェリー嬢」

「私は婚約を解消したりしません」


 私は殿下の手を握る。ようやくこちらを見た殿下を、縋るように見つめた。


「また明日って、言ってください。来なくていいなんて、言わないで……」


 殿下は顔を赤くして動揺しているようだったけれども、最後には困ったような顔をして、俯いてしまった。


「フィルシェリー嬢。こんなことを言うのは、僕としては辛いんだけど。君のその気持ちは、きっと勘違いだよ」

「えっ……」

「人間の生態上の話なんだけどね。危ない橋を渡る時とか、緊張した状況下で異性と会うと、脳がその心臓の高鳴りをその異性へのときめきだと勘違いして、一時的に恋に落ちることが多いらしいんだ」


 吊り橋効果って言うんだけどね、と殿下が捕捉する。


「君は元々、僕のことが大嫌いだっただろう? それが君の本来の、本当の気持ちだ。今の気持ちは、襲撃に遭った影響による脳の勘違いでしかない」


 そんなの知らない。今の私の気持ちがまやかしだなんて、そんな理屈、理解できない。


「だから、頭を冷やした方がいい。しばらく会わなかったら、きっとその症状も治ると思うよ。君はもう、ここには来ない方がいい」


 殿下が侍従に、冷やしタオルを持ってくるよう指示を出している。いつもだったら、これ幸いと自分の手で私の涙を拭って、ベタベタ触ってくるのに。勝手に触ったって、全然構わないのに……。


「このクッキーはこのまま貰ってもいいかな。君からの贈り物だ、大事に食べるよ」


 ずっと涙をこぼしながら何も言えない私に、殿下は困ったように苦笑する。


「やっぱり返した方がいい?」

「……」

「……ごめんね」


 何が、とは言わなかった。何も言わずに、私が泣き止むのを待っていた。


 ――この人はもう完全に、私と別れる気でいる。


 それを認識した私は、じわじわと胸の奥から熱い気持ちが湧き上がってくるのを感じた。この思いを伝えずに帰るなんて、そんなことができるだろうか。いやできない。

 侍従が冷やしタオルを持ってきたので、私はそれを受け取る。受け取って、そして私はそれを、気持ちの赴くまま――――殿下の顔に投げつけた。


「ぶッ!? シェリ……フィルシェリー嬢?」

「殿下の意気地なし!」


 ぼろぼろ泣きながら叫ぶ私に、殿下は目を丸くした。私にタオル武器を渡してしまった可哀想な侍従も、目を白黒させている。


「なんで、どうして、私のことを好きなくせに、手放すなんて言うんですか!」

「それは……だからその、危ないし、君は僕のことなんて……」

「好きです!」


 心の底からの叫びだった。殿下が好き。殿下とずっと一緒にいたい。勝手に離れようとするなんて、許せない。――腹立たしい!

 私の心からの叫びを否定することもできなかったのだろう、殿下は困った顔をして私を見ていた。


「私は殿下が好きです! 殿下の言う吊り橋なんとかなんて、知らない! 関係ない!」

「フィルシェリー嬢……」

「ちゃんとシェリーって呼んでください! 皆と違う愛称で呼ぶって、そう……っ、殿下が言ったくせに……!」

「……シェリー、落ち着いて」


 駄々っ子状態の私を見て、殿下は諦めたように私を愛称で呼ぶ。それでも私の涙は止まらなかった。


「……いつも……私達二人のことなのに、いつもいつも勝手に一人で決めて!」

「……ごめん」

「勝手に婚約して、勝手に解消しようとするなんて、卑怯です!」

「ごめん」

「婚約者だからって、いつも勝手に抱きしめてきて。勝手に、色んなものを贈ってきて、勝手に好きだ好きだって……」

「……うん」

「だからちゃんと今回も、いつもどおり勝手に調子に乗っていてください!」


 私の言葉に、殿下が目を瞬く。


「吊り橋なんとかが本当かどうかは知らないですけど、もし本当のことで、私の気持ちが勘違いだったとして――殿下はいつもどおり、ちゃんと私の勘違いに付け込んで、美味しい思いをしてください! ちゃんと私と仲良くなって! 殿下の売りは、身勝手で最低なところです」

「……えぇ」

「殿下の売りは、身勝手で最低なところです!」


 2回も言わなくても、みたいな顔をする殿下に、私は言い募る。


「私、ちゃんと分かってます。殿下は全然紳士じゃないし、だらしないし、妙に自己評価が低くて自信がなくて、色んなことに不真面目で」


 だから、私は殿下が大嫌いだった。


「でも今回、最後はちゃんと、逃げずに頑張ってくれる人なんだなって、思って……」

「シェリー」

「全部分かった上で、殿下のことが好きになりました! でも、そんなに疑うなら――私をこのまま、落として」


 私の言葉に、殿下は聞き入っている。


「私の一時的な気持ちに付け込んで、私を籠絡してください。私が夢から覚めないように、私をちゃんと絡めとって。あなたを選んだことを後悔する暇がないくらい、大事にして!」


 沢山愛して。私だけを見て。いつもどおりの身勝手さで、私の心を奪っていって。


「責任をとってくれればいいんです。逃げるなんて許さない。――私と一生戦うって、言ったんだから!」



 視界が暗くなって、ふわりと殿下の香りがした。


 殿下がベッドから降りて、私をきつく抱きしめていた。この1週間を含め、今まで散々されてきた軽いハグとは違って、本気の抱擁。こんな強い抱きしめ方をしたら、お腹の傷が開いてしまう。


「殿下、だめです。傷が……!」

「愛してる」


 急に降ってきたその言葉に、私はまた涙がこぼれ落ちるのを感じた。


「シェリー、愛してる。もうだめだ、君が好きだ。ごめん……」

「謝らないでください。謝る暇があったら、私をもっと好きになって。ちゃんと守って。幸せにして……」

「シェリー」


 殿下が私の頰にキスを落とした。私はそれを、受け入れる。

 そして、殿下の唇が、私の唇に近づいてきて――。


「だめです」

「……シェリー」


 ぎりぎりでストップをかけた私を、殿下が恨みがましい目で見てきた。

 わ、私だって、その、それの続きをしたくない訳では、ないけれども……。


「人が見てるところではだめです」


 そう言って後ろを振り返ると、同じ室内に控えている侍従達は、3人とも壁の方を向いていた。

 ――え!? そういう気を利かせちゃうの? むしろ3人とも、抑止力となるべくそこにいるのでは!?


「……誰も見てない」

「殿下」

「愛しのシェリー曰く、僕の売りは、身勝手で最低なところらしいから」


 そう言って、殿下は悪い顔をする。


「勝手に調子に乗らせてもらうね」



 ようやくいつもどおりの残念王子に戻った殿下は、勝手に、私のファーストキスを奪っていった。


 そして、ファーストキスを奪われた私は、デコピンをせずに、殿下からセカンドキスを奪ったのだった。


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