第13話 番外編:侍従のひとりごと(前編)
私はオーレリアン=オールストン。オールストン伯爵家の5男坊で、この国の第一王子の侍従をしている。
第一王子であられるラファエル殿下は、それはもう早熟な方でいらっしゃった。
殿下に関わる教師は誰もが、神童だと騒ぎ立てる。習得が早く、理解力があり、私も大変な方に仕えたものだと嬉しいような畏れ多いような気持ちになったものだ。
だがそのうちに、殿下の表情に翳りが見られるようになってきた。
「オーリ、王様にならないためにはどうしたらいいの?」
殿下が困り果てた顔で私にそう聞いてきたのは、なんと殿下が5歳の時だった。
そこにはいつもの笑顔はなく、何かに追い詰められたような、深刻な気配がある。
「殿下は、王になるのはお嫌なのですか?」
「うん。僕は王の器じゃない。小心者だし、皆みたいに役に立たないし……」
私は驚いた。
殿下は、5歳にして、王という存在が楽しいだけのものではないことに気付いていたのだ。
しかも、これだけ毎日教師達に褒めそやされていながら、あまりに自己評価が低かった。一体どうしたことだろう。
「殿下は素晴らしいお方です。先生達も、毎日褒めてくれるでしょう? そんなふうにご自分を卑下するなんて、誰かに何か言われたのですか?」
「ううん。皆、僕のことを褒めてくれるよ」
「では何故」
殿下は、少し考えるようにして、ぽつりと呟いた。
「……期待が重い」
私は何も言えなかった。
私は当時25歳だったが、殿下のような悩みを抱いたことはなかった。褒められて、成績を残して、出世して、嬉しいと思うことはあっても、それを重いと思ったことはなかったのだ。
何か、殿下の不安を取り除く、いい案があるだろうか。
王にならない方法……よほど酷い素行不良で、弟君に王太子を譲るとか? しかし、それを殿下に提案する訳にもいかない。
そもそも、国王の長子、正妃の子として生まれた第一王子がこれだけ優秀なのだ。周りが期待をかけないというのも難しい。
固まってしまった私に対して、殿下はくすりと微笑む。
「ごめんね、オーリ。何でもないよ」
そう言うと殿下は、子供らしい笑顔で侍女の方に駆けていった。そしてその後も、何事もなかったかのように、普段どおりの生活を送っていて、私が答えを求められることはなかった。
5歳の子供に気を使われてしまった。
私は順風満帆だった人生で、初めて無力感を感じたのだった。
********************
それから殿下は、勉強嫌い、女の子好きなど、段々と素行不良な点が目立つようになってきた。
けれども、私達侍従に対してはいつも優しく親切で、そして、どんどん弱音を吐かなくなっていった。
私は殿下が、王になりたくないという気持ちが故に、わざと素行不良な態度をとり続けていることに気がついていた。気がついていたけれども、私如きではどうしようもなかった。
一応、両親である国王夫妻には殿下の悩みが伝わるようにはしておいた。しかし、国王夫妻にも、殿下の悩みを解決することはできないようだった。
一度、国王陛下が殿下に対して直々に、慰めの言葉をかけていたことがある。
「王様なんて、やってみれば何とかなるものだ。お前は父さんより優秀なんだから、心配することはないさ」
普段から殿下を見ている私は、その言葉はまずいんじゃないかなぁと思った。
殿下はどうやら、実の父にも弱音を吐いていないようだ。だから、国王陛下も、うまく殿下の悩みの方向性を把握しきれていないのだろう。
案の定、殿下の素行不良は全く改善されなかった。
いつか、殿下が本音で接することができる人は現れるのだろうか。
でないと、いつか殿下が壊れてしまう気がする。
いつも柔和に笑っていて、でも少し寂しそうな顔をしている殿下に、私は何とか力になりたいと思った。
それで、侍従長に、殿下には優秀な子供達と一緒に遊んだり勉強したりすることが必要ではないかと提案してみた。
殿下には、自分の悩みを共有できる友人が必要だ。
殿下のように優秀すぎて困っているような子供はそんなにはいないと思うけれども、少なくとも、今殿下の周りにいるような、殿下の表面的な態度にあしらわれてしまう単純な子達ではだめだ。もっとこう、頭が良くて……そう、自我の強い子がいいのだと思う。
殿下が興味を持てて、頭が良くて、自我が強くて、殿下にいい影響を及ぼすような品のある子……。
そんな都合のいい子が、現れてくれないだろうか。
思い当たる相手はいなかったが、とにかく働きかけだけはしておいた。
何もしないよりは、きっとマシだろうと信じて。
********************
12歳の夏、宰相閣下の家から帰ってきた殿下は、輝いていた。
殿下がこんなにも晴れ晴れとした顔をしているのは、もしかして幼児の時以来ではないだろうか。
「オーリ、父上にお願いがあるんだ」
そう言って殿下は、国王陛下への謁見を希望したため、私達はすぐに手筈を整えた。
「ラフ、おかえり。1ヶ月、楽しかったみたいだね」
国王陛下は嬉しそうだった。それはそうだろう、宰相のブランシェール公爵からは、殿下が宰相の真面目に勉強に取り組みはじめたとの報告が上がっていて、陛下達は大層喜んでいたのだから。
「父上、お願いがあるんです」
「なんだね?」
「私はフィルシェリー=ブランシェール公爵令嬢と婚約したいのです」
おや、という顔で国王陛下が殿下を見る。
「もしかして、ラフが頑張って半月頑張っていたのは、彼女の影響なのかい?」
「そうです。彼女は私に色々なものをくれました。彼女が傍にいてくれるなら、私は何でもします」
国王陛下は、しばし考え込むようにした後、ゆっくりと口を開いた。
「彼女とは仲良くなれたのかな」
「いえ、全く。片想いです。これから両思いにします」
「……ふむ」
あれ? 殿下。1ヶ月一緒にいて、全然仲良くなれてないんですか? それはその、勝手に婚約なんかして、大丈夫なのでしょうか……。
「彼女がいるなら、何でもすると」
「はい」
「……それが、国王になることでも?」
「はい。問題ありません」
陛下の目線を、ラファエル殿下は真っ直ぐに受け止める。
「――分かった。お前がそこまで覚悟しているなら、婚約の話を進めよう」
「ありがとうございます」
えーと、これは、大丈夫なのだろうか。
殿下から見たら、好きな娘との婚約。彼女から見たら、まあその、政略結婚なら、こんなものか?
一抹の不安を覚えながらも、婚約の許可をもらった殿下があまりに幸せそうな顔をしているので、親バカならぬ侍従バカな私は、深く考えることを諦めた。
そして、殿下の恋する彼女が、殿下を優しく受け止めてくれる令嬢であることを祈ったのだった。
********************
殿下の婚約者となった彼女は、非常に難敵であった。
彼女はとにかく、殿下のことを嫌っている。真っ直ぐな言葉で言うなら、大嫌いである。
けれども、彼女は殿下を魅了してやまないらしい。
「彼女が、人の功績を覚えることが大事だって教えてくれたんだ」
殿下は、同じ年頃の令息を集めて、騎士の訓練を受けたいと言い出した。
訓練だけではなく、勉強面でも、科目ごとに、その科目が得意な令息を集めて共に授業を受けられるようにした。
全ての面において殿下を凌ぐ者はいなくても、個別の科目において殿下よりも優秀な者であれば、何人かはいる。
そうして、自分よりも優秀な者を見つけては、殿下はこの上なく嬉しそうにしていた。
「殿下は、嫉妬なさらないんですね」
「嫉妬?」
「今まで、先生達から褒められるのはご自分だけだったでしょう?」
そう尋ねると、殿下は幸せそうに頷いた。
「僕は、僕だけが褒められるのが重くて、嫌だったから。僕よりも優秀な子が沢山いるんだって思うと、もっと頑張れるし、今までよりずっと楽しいよ」
そう言って笑う殿下に、今までの翳りはなかった。
そうか、彼女は、殿下の心の重りを取り去ってくれたのか。それはその、殿下が惚れてしまっても、仕方がないかもしれない。
けれども、殿下は、彼女の心を手に入れる気が、本当にあるのだろうか……。
「シェリー、今日も可愛いね。触りたい」
「シェリー、今日の授業も辛かった。先生も周りの奴らも、体力がありすぎるんだ。この細腕の僕を、あのマッチョ達と同じだけ走らせようとするあの熱気はなんなんだ」
「シェリー、この間、美人侍女のカトリーヌがお勧めしてくれたお菓子店のエクレアなんだ。一緒に食べよう」
殿下はなんというか、彼女を前にすると、女性に対する扱いの地雷をことごとく踏み抜くような態度を取り続けていた。
しかもどうやら、無意識らしい。
彼女目線だときっと殿下は、女好きで、不真面目で、節操のない残念王子なのではないだろうか……。
違う、違うんだ。殿下は、君の前では砕けた態度で、弱みを見せまくっているけれども、他の人の前では決してそんなことはしないんだ。
私の殿下は、多種多様な科目の王太子教育を休むことなく難なくこなし、弱音を吐かず、教師を唸らせ、周りの令息の羨望と尊敬をものにし、令嬢や侍女たちから熱い視線を向けられている、侍従達からの尊敬も厚い、魅惑の王子様なんだ……!
しかし、目の前で繰り広げられる殿下の弱音ラッシュを見ていたら、誰が何を言おうと、彼女の目には殿下は残念王子であるとしか写らないだろう。
確かに彼女は、私が望んだ人物だった。
殿下が興味を持てて、頭が良くて、自我が強くて、殿下にいい影響を及ぼすような品のある子……。
何より、殿下が、自分の悩みを共有できる人物であること。
でも、それが女の子であることで、こんな弊害があるとは思わなかった。
そして、なんでもそつなくこなしてきた殿下が、色恋沙汰にこんなにも不器用だとは、私も思わなかったのだ。
********************
お二人の転機となったのは、学園入学1ヶ月前となった、あの日。
殿下が怪我をした事件の日だった。
殿下が運び込まれた時は、王宮が揺れた。
皆で大切に育ててきた私達の殿下が、何者かに刺されたらしい。
いつもそつなく無表情を通してきた侍従長が、蒼白な顔をしながら、部屋と医者の手配を命じている。
国王夫妻も侍女長も、青い顔をしながら、殿下が運び込まれるのを今か今かと待ち構えていた。
誰だ、こんな酷いことをしたのは。絶対に許せない……。
「――僕は大丈夫だよ。皆、心配をかけてすまない」
運び込まれた殿下は、思ったよりも元気そうな様子だった。
何やら、図書館の本をお腹に仕込んでいたおかげで、ナイフが内臓まで届かなかったらしく、比較的軽傷で済んだらしい。
逆に言うと、殿下が機転を聞かせて本を仕込んでいなかったら、殿下は死んでいたかもしれないということだ。
おそらく犯人は極刑だろう。私も、それでいいと思う。
国王夫妻も、殿下の顔を見て話をして、心配はしているものの、ようやく少し安心したようだった。
逆に、付き添いで来たフィルシェリー嬢は、泣き腫らした目をして、ずっと動転していた。
医者達が診察するからと部屋から出るように促しても、縋るように部屋の扉から離れない。
「嫌です。殿下…………私の、私のせいで……」
「フィリーちゃん、落ち着いて。大丈夫よ、詰所の簡易診察では、そこまでの重症ではなかったんでしょう?」
「王妃様……ごめんなさい。ごめんなさい……」
泣きすがるフィルシェリー嬢を、王妃様が慰めている。
その間に、私はそっと部屋の扉を閉め、医者達に診察を促した。
先ほどまで元気そうな顔をしていた殿下が、青い顔をして息も絶え絶えに横たわっていた。
私は蒼白になる。意外と元気そうだったんじゃない。フィルシェリー嬢がいたから、無理に平気そうな顔をしていたのか……。
「貧血症状が重い。すぐに輸血の準備を」
輸血の用意をしている医者を見て、私は何で詰所でそれができないんだと憤った。
分かってはいるのだ。輸血をするには、相当に用意された道具、殺菌処理された輸血用の血が必要だ。そんなものを、巷の詰所で用意できる訳がない。分かってはいても、青い顔の殿下を見ると、苛立ちを抑えられない。
「刺し傷は既に縫ってあるのか。詰所の医者がやったのか、腕がいいようだ」
「ナイフは内臓ヘ届いていなかったようです。これなら、全治2ヶ月、いや3ヶ月か……」
「……長すぎる」
「殿下、起き上がってはいけません」
殿下は、体を起こして医者に食ってかかっていた。医者達に無理に押さえつけられて、ようやく体をベッドに沈める。
「可能な限り、短くしてくれ」
「そう言われましても……」
「こんな傷、全治2週間で十分だ。臓器に届いていないし、今だって、血が少し足りないだけだ」
そう言う殿下は、その意見を通したいのか、また平気そうな顔をしていた。
「2週間では、傷は治りません」
「それでもいい。シェリーが気にする。診断だけ、短くしてくれ。無理はしない」
そう言い募る殿下に、医者達も困り顔だ。
「……分かりました。その方がお気持ちが楽におなりになるなら、そうしましょう」
「医療長!」
「心安らかな方が、回復力も高まる」
部下に対してそう言うと、医療長と呼ばれた男は、殿下の方に向き直った。
「殿下。刺し傷自体は、1週間弱で塞がるでしょう。しかし、傷口が閉じた後、新しい細胞を増やして、閉じた傷口をさらに埋めていく必要があり、これに1ヶ月前後の時間が必要になります。その後、傷が落ち着くまでに数週間から、場合によっては1年。これを踏まえると、完全回復までに、やはり最低でも1ヶ月半は見ておきたい、と言うのが私達の気持ちです。……今回、ご両親には、婚約者様の前でだけ、全治1ヶ月とお伝えします。それ以上は短くできません」
「……分かった。ありがとう」
そう言うと、殿下はようやくおだやかな顔をした。
医師達は診察終えて輸血を開始すると、少しなら面会しても大丈夫と言い、国王夫妻とフィルシェリー嬢に入室許可を出した。
「ラフ! 聞いたぞ、なんて無茶をするんだ」
「ナイフの前に飛び出したなんて、馬鹿なことを……!」
国王夫妻が泣きながら殿下を叱っていた。
フィルシェリー嬢が事情を話したのだのだろう。彼女は、泣きながら謝っていた。
殿下は、彼女を庇って刺されたのか。それは殿下としてはいいかもしれないけれども、国としてはあまり良くないのでは……。
そんなことを思っていると、殿下はフィルシェリー嬢をジト目で見ながら言う。
「……君はそう話すだろうと思った。違うだろう、シェリー。相手は僕を狙っていた。僕を庇って刺されそうになったのは、君じゃないか」
「で、でも。結局殿下を守りきれなくて」
「ちゃんと事実を話さないとだめだよ。それに、君が罪悪感に苛まれる必要はない。君は巻き込まれただけだ。――だから、父上、彼女を責めないでください」
そう言って釘を刺す殿下に、国王陛下はため息をつく。
「……彼女を責めることはしない、分かっているよ。経緯はどうあれ、二人とも、命に別状がなかったのが何よりだ。だが、ラフ。お前は少し反省もしておきなさい」
「仮に私を庇って彼女が死んだら、私も後を追います。今回は私だけが刺された。これでいいのです」
フィルシェリー嬢も国王夫妻も、絶句した。
殿下のフィルシェリー嬢への入れ込み具合を間近でずっと見てきた私ですら、うわぁそこまで言うんだ……と思ったので、三人は当然驚いているだろう。
そして多分、国王陛下は続けて、第一王子の身の大切さを理解しろとか、色々言おうとしていたのだろう。もしかしたら、息子を庇おうとしたフィルシェリー嬢にお礼を言おうとしていたかもしれない。けれども、それを言うと息子の機嫌を損ねることを瞬時に理解したのか、その場では地雷を踏むようなことは何も言わなかった。
「……とにかく、安静にして回復に努めなさい」
「そうね。フィリーちゃんも、ここまで付き添ってくれてありがとう」
「いえ、当然のことですから……」
彼女は赤い顔をして俯く。
殿下は、彼女と両親の様子を見て、彼女が責められないだろうことに安心したのか、急にうとうととまどろみだした。
「ちょっと眠いから、寝るね。多分血が足りてない」
殿下が自分に気を遣って意識を保っていたことが分かったのだろう。フィルシェリー嬢がさらに涙をこぼす。
「シェリーは意外と泣き虫だったんだなぁ」
そう言って、彼女の涙を拭う手を、彼女はしっかりと握りしめた。
「殿下、ごめんなさい」
「お礼の方がいい」
「……ありがとう、ございます」
泣きながらお礼を言う彼女に、殿下はうん、と頷いて、そのまま眠りに落ちた。
そのままずっと殿下を見守る彼女を見て、国王夫妻はそっと部屋を後にした。
私は侍従として壁際に立ち、殿下を見つめる彼女の後ろ姿を見ていた。
殿下はずっと、フィルシェリー嬢だけを愛してきた。今だって、自分の身を呈して守るほど、彼女を慈しんでいる。
けれども、殿下はその真摯な姿を、あまりフィルシェリー嬢に見せない。先程の医者達とのやりとりも、きっと彼女に知られることはないのだろう。そして、一侍従である私が、そのことを伝える訳にもいかない。
私はそのことを、とても、歯痒く感じた。
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