第14話 番外編:侍従のひとりごと(後編)


「おはようオーリ。今日もいい天気だね」

「おはようございます、殿下」



 怪我をした翌日、殿下は何事もなかったかのように私に挨拶をした。


 時間としてはもう昼も過ぎていて全くお早くはないが、私は殿下の顔に血の気が戻っていることが嬉しくて、朝の挨拶を返した。


 輸血を受けて、昼まで寝て、殿下は大分回復したのだろう。

 お腹がすいた、着替えたいという殿下の要望に、私達はニコニコしながら、者によっては涙を浮かべながら、お応えした。


 さすがに今日は風呂に入るのは難しいとのことだったので、お湯で体を拭いて、髪だけ寝たままの状態で洗い、乾かす。

 トイレ等の必要最低限の用事のためならば起き上がってもいいとのことだったので、ちょうど立ち上がって着替えが終わったところに、フィルシェリー嬢がお見舞いにやってきた。


 殿下は、心底驚いているようだった。


「えっ、シェリーが来たの?」

「はい。昨日の今日ですから、お見舞いにくらいくると思いますよ」

「そ、そうだね。そうだよね……。さすがに、死ねばいいとまでは思われてなかったのか」


 殿下はご自分の婚約者様に、どう思われていると思っているのか……。

 

「もっとちゃんとした服に着替えたい」

「だめです」

「もっとちゃんとした……」

「だめです」

「……オーリ」


 縋るようにこちらを見る殿下に、私はキッパリと拒絶の意思を見せる。


「これ以上体にご負担をかけてはいけません。早くベッドに横になってください」

「シェリーが来るから、このまま待つ。ちゃんと平気だって見せておかないと」


 そう言って、壁に寄りかかって彼女を待つ殿下に、私はため息をついた。こうなったら、殿下はてこでも動かないだろう。


「……最後に会うのが寝巻きか。まあ僕は結局、こんなもんだな」


 そう言って呟く殿下に、なんだか嫌な予感がする。

 最後とは一体、どういうことだ。

 私は知っているのだ。朝様子を見に来た時、殿下の枕が少し濡れていたのを。

 殿下はきっと、傷の痛みなんかでは涙をこぼさない。殿下が涙を流すとしたら、その原因は一つしかない。


 これは、二人を会わせてもいいんだろうか。少し、時間をおいた方がいいのでは……。


 そんなことを思っていると、殿下の愛しの婚約者様がやってきてしまった。

 お見舞いのために持ってきていた黄色い花束が、彼女の可憐さを引き立てている。


「……ご機嫌よう、殿下」

「シェリー、いらっしゃい。来てくれて嬉しいよ」

「もう立ち上がって大丈夫なのですか?」

「うん。皆大袈裟なだけなんだ。腐っても第一王子だからね」


 くすくす笑いながら、殿下はフィルシェリー嬢を迎え入れる。立って、笑っている殿下の姿を見て、彼女は心底ほっとしたように微笑んだ。

 私はその笑顔を見て、複雑な気持ちになりつつも、彼女からお見舞いの花束を受け取り、侍女に花を生けるように頼む。


「それよりもシェリー、君は本当に大丈夫?」


 心配そうに彼女に近づく殿下に、彼女は顔を赤くして俯いてしまった。おや? いつもと様子が違うような……。


「シェリー、顔が赤いよ。やっぱり怖かったんだね、僕が抱きしめてあげよう」


 殿下はいつもどおり調子に乗ったのか、彼女をぎゅーっと、優しく抱きしめた。


 私達はぎょっとした。軽いハグとはいえ、お腹を刺された翌日に、殿下は何をやっているのだ。殿下は器用なことに、傷に当たらないように、彼女の頭を抱え込むように抱きしめている。

 いつもの流れなら、ここで彼女に引き剥がされてしまうはずだ。怪我をしていることは彼女も分かっているはずだから、そんなに強い力で押すことはないだろうけれども、軽くでも他人の力でよろめいたら、きっと傷が開いてしまう。しかも彼女は、殿下が思ったより重症なことを知らないのだ。これはまずい。


 真っ青になっている私達の思いを知らないはずの彼女は、奇跡が起こったのだろうか、殿下を引き剥がすような動きはしなかった。


 …………。


 なんだか、抱擁の時間が長い気がする。


 ふと気がつくと彼女は、殿下の服の端をきゅっと握りしめていた。


「シェ、シェリー?」


 殿下の動揺する声が聞こえる。

 それはそうだろう、彼女がこんな反応をするなんて、控えている侍従一同だって、彼女をこの部屋まで連れてきた近衛兵だって、考えていなかった。

 つい、フィルシェリー嬢以外の全員が、息を呑んで彼女の挙動を見守ってしまう。


 そうしたらなんと彼女は、潤んだ目で黙って殿下を見上げて、見つめたのだ!


 殿下は想定外の攻撃に、あたふたと慄きながら、耳まで真っ赤になっている。

 二人の目線が合うと、二人は慌てて目を逸らして、今度は床を見つめてしまった。


「……あの、心配したんです」

「……うん」

「ありがとうございました……」

「……うん」


 なんだ、なんなのだ。この甘い空気は!


「……あの! 今日は帰ります!」

「そ、そうだね! 昨日の今日だ、体を休めるといい!」

「はい! それでは失礼します!」

「うん! シェリー、また明日!」

「はい!」


 そういうと、彼女は大慌てで部屋を出ていってしまった。


 殿下は、惚けた顔で、その扉をずっと見つめていた。

 ついでに、私達も惚けた顔で、扉を見つめていた。


「……ようございましたね」


 侍女の一人がかけた声に、殿下は耳まで真っ赤になって俯く。


「別に、……よくなんて、ない」


 意外な言葉を口にして、殿下はベッドに戻っていった。


 無表情でいなければいけないのに、部屋にいる侍従も侍女も皆、一様に顔がにやけている。

 いつも多弁な殿下が、今日は物思いに耽った顔であまり言葉を口にしなかったのは、きっと体の具合が悪いからではなかったはずだ。




********************



 それから毎日、フィルシェリー嬢は殿下のお見舞いにやってきた。


 初日に彼女を立って出迎えたことについては、国王陛下にも医者にも侍従侍女一同にもこてんぱんに叱られていたので、殿下は諦めてベッドに入って、半分体を起こした状態で彼女を出迎えていた。


 殿下が微笑むと、彼女も微笑む。目が合うと、慌てて目を逸らして床を見る。

 殿下がいつもの調子でハグしたいとせがむと、彼女は真っ赤な顔で目を彷徨わせながら、殿下の肩にそっと頭を預けて殿下を待っている。当の殿下本人は、自分で頼んだことなのに、同じく顔を赤くして困り果てた顔でこちらを見てくる。いや、私を見ないでくれないだろうか!?


 あまりに桃色な空間に、私たち侍従侍女一同の表情筋は、この1週間で鉄のように鍛えられてしまった。


 それでも、ようやく幸せを手に入れただろう殿下の様子を間近で見たいと、フィルシェリー嬢が来るであろう時間帯の殿下の側仕えの競争率は凄まじかった。この時ばかりは、昔からの第一王子付きの侍従としての古株権限を最大限に発揮させてもらった。役得である。


 ただ、気になることが一つだけあった。

 彼女が帰った後の殿下の顔が、あまりにも暗い。


 その思いつめた様子に、私は何度か理由を尋ねたが、殿下は曖昧に濁すばかりで、その訳を教えてくれなかった。


 不甲斐ない気持ちになると共に、やはり、殿下の心を解きほぐすには、彼女の力が必要なんだろうとも思う。




********************




「僕達の婚約を解消しよう」



 殿下がこの問題発言をしたのは、殿下が怪我をしてから1週間が経とうとしていた日だった。


 今日もいつも通り、フィルシェリー嬢は殿下のお見舞いに来ていた。

 ブルーのグラデーションのドレスとアイスブルーのネックレスは彼女にこよなく似合っていて、部屋の中に花が咲いたように華やかだった。

 何より、彼女が身に着けているそのネックレスは殿下がプレゼントしたものだったのだ! 私達は奇跡が起こったと、内心涙して喜んでいた。


 その喜びの最中に、この問題発言である。


 殿下は急に何を言い出すのだろうか。

 これだけ毎日甘やかな空間を築き上げた上での別れ話、フィルシェリー嬢が喜ぶとでも思っているのだろうか。


 そうしたら、殿下が、吊り橋効果とやらの説明を始めた。


「君は元々、僕のことが大嫌いだっただろう? それが君の本来の、本当の気持ちだ。今の気持ちは、襲撃に遭った影響による脳の勘違いでしかない」


 誰だ、殿下にそんな余計な知恵をつけたのは。せっかく、せっかく両思いになったのに、なんでそれを捨てようとするんだ。殿下には、彼女が必要だ。きっかけなんて、原因なんて、殿下が幸せになるなら、なんだっていいじゃないか……。


 殿下は私に、冷やしタオルを持ってくるように指示を出した。私は後ろ髪を引かれる思いで、タオルを用意しに部屋から出る。


 この1週間、殿下が暗い顔をして悩んでいたのはこのことだったのだろう。やはり私は、殿下がいつかフィルシェリー嬢に相談するだろうなんて悠長なことを思わずに、誰かにこのことを相談すべきだったのだ。

 だけど、一体誰に何を言えば良かったのか。殿下の決意を止められる人なんて、果たしているのだろうか。


 殿下の決意を覆せるとしたら、私が知る限り、一人しかいない。


 けれども、たった一人のその人物は、殿下の結論に対してどう対応するのだろうか。あの可憐な14歳の少女は、早熟な殿下に言いくるめられて、そのまま婚約を解消してしまうのではないだろうか。


 頼むから、なんとかしてほしい。私は、祈るような思いで、殿下の寝室へと再び入った。


 室内は、重い沈黙に支配されていた。

 私は、気まずいながらも、彼女に冷やしタオルを差し出す。


 彼女は何も言わずに、それを受け取った。受け取って――そのタオルを、殿下の顔に投げつけたものだから、私は度肝を抜かれた。


「――ぶッ!? シェリ……フィルシェリー嬢?」

「殿下の意気地なし!」


 彼女は、ぼろぼろと泣きながらそう叫んだ。私は、武器を渡してしまったことに動揺して目を白黒させてしまう。


「なんで、どうして、私のことを好きなくせに、手放すなんて言うんですか!」

「それは……だからその、危ないし、君は僕のことなんて……」

「好きです! 私は殿下が好きです! 殿下の言う吊り橋なんとかなんて、知らない! 関係ない!」


 彼女の言葉に、私は胸が熱くなるのを感じた。


 殿下の恋する彼女が、殿下のことを好きだと言ってくれている。まやかしじゃないと、ちゃんと好きなんだと、殿下に抗議している。


 それだけで、私は救われたような気がしたのだ。


 14歳の少女の癇癪のような告白では、殿下はきっと、納得しないだろう。婚約の時と同じように、無理矢理婚約を解消に持ち込んでしまうのだと思う。

 けれども、きっと彼女の想いは、殿下の中に残り続けるはずだ。無理矢理結ばされた婚約だったのに、彼女は十分に頑張ってくれた……。


「……いつも……私達二人のことなのに、いつもいつも勝手に一人で決めて!」

「……ごめん」

「勝手に婚約して、勝手に解消しようとするなんて、卑怯です!」

「ごめん」

「婚約者だからって、いつも勝手に抱きしめてきて。勝手に、色んなものを贈ってきて、勝手に好きだ好きだって……」

「……うん」

「だからちゃんと今回も、いつもどおり勝手に調子に乗っていてください!」


 私は、目を丸くした。彼女は何を言い出すのだろう。


 驚く私達を横に、彼女は殿下に言い募った。

 彼女の気持ちをまやかしだと言うなら、それに乗じて手に入れろと。欲しいものを諦めるなと。

 彼女は、泣きながら叫んでいる。きっと彼女は必死なのだろう。一所懸命に、殿下の気持ちを繋ぎ止めようと頑張っているだけ。


 けれども、その言葉から、意識を逸らすことができなかった。これは――。


「責任をとってくれればいいんです。逃げるなんて許さない。――私と一生戦うって、言ったんだから!」


 気がつくと、殿下がベッドから降りて、彼女をきつく抱きしめていた。

 けれども、部屋にいる侍従達は、誰も止めなかった。今ここで殿下に、彼女を抱きしめるなと言える従者などいるだろうか。


「殿下、だめです。傷が……!」

「愛してる」


 彼女の目から、また涙がこぼれ落ちる。


「シェリー、愛してる。もうだめだ、君が好きだ。ごめん……」


 ――私達の殿下が、彼女に惚れ込む理由が分かった気がする。


 殿下は、何かを求めていた。いつも困った顔で、不安そうに寂しそうに微笑んでいた。私達は今まで、殿下に手を差し伸べたいと思ってきたけれども、それが殿下に届くことはなかった。


 きっとこんなふうに、彼女の言葉だけが、殿下に届いたのだ。


 自我が強い、ではすまない。カリスマとも違う。この心惹かれる力は、一体なんなのだろうか。


「人が見てるところではだめです」


 そう言って、殿下の口づけを拒否する彼女。

 そう言われてしまっては、もう、人が見ていない状況を作るしかないではないか。


 お互いに合図を送った訳ではないのに、室内にいる侍従は私を含めて三人とも、当然のように壁の方を向いた。彼女はそのことに驚いているようだったけれども、殿下はこれ幸いと彼女に手を出したようだ。


「愛しのシェリー曰く、僕の売りは、身勝手で最低なところらしいから。勝手に調子に乗らせてもらうね」


 その言葉が聞こえた瞬間、私はふと気がついた。


 ――私はずっと、こんなふうに、自信に満ちて楽しそうな彼を見たかったのだ。


 どうやら私は、5歳の彼を失望させてしまってからずっと、彼の幸せそうな姿を見ることを望んでいたらしい。


 そして、9年越しに念願が叶った私は、侍従として、この上ない幸せを感じていたのだった。



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悪役令嬢は大嫌いな残念王子に籠絡される 黒猫かりん@「訳あり伯爵様」コミカライズ @kuroneko-rinrin

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