第3話 残念王子と私の出会い
「フィリー、僕の友人のラファエル君だ。今日から1ヶ月、ここで一緒に夏休みを過ごすことになった」
そう言って5歳年上のベルナード兄様がラファエル殿下を紹介してきたのは、私が12歳の時だった。
太陽のような金髪に深緑の瞳の、キラキラした美少年。それが彼の第一印象だった。
なんでも、ラファエル君は勉強嫌いで、あまりに女の子や侍女達と遊んでばかりいるので、根性を叩き直すために腹黒宰相の家に投げ込まれたらしい。
「初めまして、ラファエル様。私はフィルシェリー=ブランシェール。12歳です」
「フィリーちゃんて言うの? 可愛いね! 僕と同い年なんだ」
そう言うと、ラファエル君は速攻でベルナード兄様にゲンコツを食らっていた。
「勝手に愛称で呼ばない」
「はい」
「私のことは、フィルシェリー嬢と呼んでくださいませ」
「フィリーちゃんは厳しい」
もう一回ゲンコツを貰うと、流石のラファエル君も、私のことを愛称では呼ばなくなっていた。
ラファエル君は話のとおり、凄く勉強嫌いだった。そして女好きだった。
我が家では、午前中から15時まで勉強時間で、それ以降しか遊びの時間を取ることはできない。しかし、ラファエル君は子供部屋で家庭教師に勉強を教わっている最中も、面倒だの退屈だの遊びに行きたいだの、ずっとうるさかった。そして、合間合間を見て、私や若い侍女達に可愛いだの綺麗だの声をかけまくる。
結局、ラファエル君の周りは侍従で固められてしまったので、私だけが標的として残ってしまった。
私達は6人兄弟で、そのうち女は私だけだから、他に押し付けることもできず、集中砲火を浴びた私はどんどん苛立ちを募らせていく。本当に本当に、うっとうしかった。どこかに消えてほしかった。
「ねえねえ、もう終わった? 外に行って遊ぼうよ」
「ラファエル君、もうおうちに帰ったら」
「あまりに直球な帰れコール! フィリーちゃんは手厳しい」
「フィルシェリー嬢」
「フィルシェリー嬢は手厳しい」
私に頰をつままれて、フガフガと声を出しながら、ラファエル君は拗ねたような顔をする。
今は自習時間とはいえ、あまり声をかけないでほしい。
「勉強より楽しいことがいっぱいあるじゃないか」
「あなたは勉強が必要な立場なのでは?」
「あー、うん。そうかもね。よく分かったね」
「勉強が必要だから、うちに投げ込まれたんでしょう? その右に積み上がってる宿題が終わらないと、今日はここから出られないわよ」
「凄い量だなぁ……こんなに必要? 全く……」
そう言って、さらさらと問題を解いていく彼に、私は目を丸くする。
迷いのない回答の書きっぷりに、みるみるうちに、宿題が減っていき、20分もすると、全て終えてしまった。
「あんなに不真面目に聞いてたのに。覚えてるの?」
「一回聞けば分かるだろう?」
「……」
私は無言で彼の解いた宿題の紙をめくる。
「……合ってる」
「そりゃあね。さっきの授業で聞いたばっかりの話の復習じゃないか。僕、そういうの本当に嫌いなんだよね。つまらないし、意味がない」
退屈そうにペンを回す彼を見て、私は腹のそこから湧いてくる何かを感じた。
「……フィリー?」
私が、沢山勉強して、真剣に授業を聞いて、ノートを取って、何回も書き写して、頑張って覚えている内容を、一回聞いただけで分かるんだ。ふーん?
「フィリー。えぇ……?」
ぷぅと頬を膨らませて涙目になった私を、ラファエル君は困ったように見ていた。しかし、そのうちに段々とニヤニヤしだして、私の頬を突つく。
「何するんですか!」
「フィリーが可愛い。もの凄く可愛い」
「ばか! どうせ一回じゃ分からないもの! ずるい!」
ぷいっとそっぽを向いて、図書室に向かう私に、ラファエル君が付き纏ってくる。
「フィリー、どこにいくの」
「もう終わったから図書室に行きます」
「えー、僕と外で遊んでよ」
「ラファエル様とは絶対に遊びません!」
「フィリーは可愛いなぁ」
「嫌い!」
私は、言い合いながら図書室に向かう私達を、下の弟達3人がぽかんとしながら見ていることに気がつかなかった。
「お、どうだい、勉強は進んでいるかい? ……おや、ラファエル君とフィリーは?」
「父様だぁ」
「姉様なら、ラファエル君といちゃいちゃしながら図書室に行ったよ」
「仲良しだったねー」
「うんうん」
父様は目を丸くしながら、9歳児と7歳児と5歳児に問いかける。
「本当に? フィリーはラファエル君みたいなタイプは苦手そうだったけどなぁ」
「姉様がぷぅーってしてたもん。ぷぅーって」
「ラファエル君もニコニコ喜んでたよ」
「あれは喧嘩するほどなんとかって奴だと思う」
父様は、顎に手を当てて考えるようにしながら、眉をハの字に曲げた。
「父さんはまだお嫁に出す気はないんだけどなぁ。これは想定外だ」
父様は困ったように首を傾げた。父様は、私にとって不名誉な誤解をしてしまったのだ。
***************
それから、ラファエル君は、ほんの少しだけ真面目に勉強をするようになった。
習ったこと、言われた宿題をきちんとこなして、それを私に見せつけてから、遊びに誘うようになったのだ。
「ほら、終わったよ。外に行こう、可愛いフィリー」
「絶対に嫌です」
「僕はこうして、フィリーを眺めているだけでも楽しいけどね」
「私は不真面目な人は嫌いです」
「だからこうして、宿題も終わらせたのに」
そう言って、宿題の紙束をペロペロ持ち上げるラファエル君。
私はその宿題、まだあと5分の1ほど残っている。は、腹立つ……。
「本当に、嫌い……」
「ごめん。そろそろやめる。悪かったよ」
本気で負のオーラを出し始めた私に、ラファエル君が両手のひらを見せて降参の姿勢をとった。
私はなんだか疲れてきて、肩を落としてため息をついた。
「ラファエル君は、物覚えがいいんだから、もっと先の勉強に進んで、学者でも目指したらどうですか?」
「それは絶対に無理だね。僕は物覚えがいいだけだから」
「……? それって十分凄いことなのでは?」
「凄くない。物を覚えているだけなら、機械と変わらないよ。本を見ながら読み上げることと、暗記したものを読み上げることは、何も変わらない。生み出した結果は同じだ」
そう言って冷めた目をするラファエル君に、私は目を丸くした。
「フィリーはさ、音楽の授業とか、絵画の授業とか受けてるだろう?」
「……まあ、嗜む程度には」
「僕はさ、ああいうのがさっぱりだめなんだ」
「この間、バイオリンで流行の難曲を引きこなしてたくせに」
拗ねたようにそう言うと、ラファエル君は困ったように笑う。
「誰かの作った曲を、機械みたいに弾くことはできるよ。耳コピもある程度は得意だ。だけどさ、僕は何も、僕だけのものを生み出せないんだよ。だから、作曲はできない。オリジナリティに溢れる絵画を書くことはできない。何も思いつかないんだ。凄い人たちの、コピーしかできない」
そういうと、ラファエル君は寂しそうに宿題を眺めた。
「こういうドリル……練習帳みたいなのは、昔からずっと得意でさ。でも、僕に必要とされているのは、本当はそういうことじゃない。その場の時勢を呼んで、臨機応変に対応することが求められている。優秀な脳を使って、新しい何かを作り出すことを期待されている。……僕には荷が重い」
絞り出すような声で言われたその言葉に、私はなるほどねと思いながら、横に置いてある紅茶を一口飲んだ。
ラファエル君は神妙な顔をしていたが、紅茶に手をつける私を見て、なんだか諦めたように自分も紅茶を飲む。
「ラファエル君は、王様向きなんですね」
ラファエル君が、紅茶を吹き出した。
「ちょっと、汚い」
「ゲホゲホ、……いきなり、何を言い出すんだ」
涙目でむせるラファエル君に、少しばかり同情した私は、背中をさすってあげる。
「ラファエル君は王様向きだって言ったんです。それを自分で分かってないのが残念ですけど」
「……残念な僕に、教えてくれる? その心は?」
「心?」
「いや、その。ええと、その理由は?」
珍しく真剣な目で問いかけられて、私は怪訝な顔をしながら答える。
「ラファエル君は、物覚えがいい。だから、周りの人の意見や功績、主張を、しっかり覚えていられるでしょう?」
「それは、そうだ」
「そして、それを大して凄いことだと思っていない」
「うん」
「何かを生み出したり、発想力や工夫で勝負しようという気が、はなからない」
「……まあ、そうだ」
「だから、何かを生み出す人達を、凄い人だと思ってくれる。張り合おうとすることもない。それでいて、工夫して頑張った功績を、ちゃんと覚えて、理解してくれる。ついでにそれを、必要な時に思い出してくれたら、完璧。――ね、兵隊には向かないけど、王様には向いてそうでしょう?」
ぽかんとして私を見るラファエル君に、私は続ける。
「まあだから、ラファエル君がどこの貴族かは知らないですけど、領地経営とか、人の上に立つ仕事は向いてるんじゃないですか? 自分で全部やろうとする人より、できないから助けてって皆の力を頼ってくれる人の方が、私はいい領主だなって思いますよ」
最後のは父様からの受け売りなんですけどね、と付け加えて、私は自分の宿題に視線を戻した。
そう、すぐに視線を宿題に向けた。だから、私は気がつかなかったのだ。
ラファエル君が、顔を赤くしながら、蕩けるような顔で私をじっと見つめていたことに……。
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