第5話 私、不意に残念王子に庇われる



 今日も今日とて快晴。

 私は殿下と二人で、王都内にある王立図書館にやってきていた。


 私はそもそも、王妃教育が終わった後、一人で王立図書館に来る予定だったのだが、それを聞きつけた殿下がデートと称して勝手にくっついてきたのだ。鬱陶しい……。


 私は図書館の2階に上がり、目当ての本を見つけて、ニコニコとほそく笑む。


「シェリーもそういうのに興味あるんだ?」


 そう言って、私の借りようとしている本を覗き込む殿下。


「見ないでください」

「シェリーの借りる本を見る以外にすることないんだけど」

「蹴ってでも撒いてくればよかった……」

「シェリーはだんだん口が悪くなってきてるよね」


 苦笑する殿下を、私は冷たい目で睨みつける。


 私が抱えているのは、流行の長編恋愛小説の第5巻だ。

 前王の落胤である黒騎士様が、平民のヒロインと恋に落ちるストーリー。ベタベタだけど、それがいい。それがいいのだ。王道って素晴らしい。


「それ、どんな話なの?」

「貴族令息と平民の令嬢のラブストーリーです。令息の婚約者が悪どい嫌がらせをしてきますが、それにめげずに愛を育んでいきます」

「……婚約者の令嬢から見たら浮気なのでは?」

「令嬢の意向と権力で無理矢理結ばされた婚約なのです。騎士でいたい令息の気持ちを無視して、令嬢の家への婿入りを強要してきます。そして、どんなに頼んでも婚約解消してくれない。私が読んだ4巻の最後の部分では、『私のものにならないならー!』と叫びながら彼女は令息にナイフを突き立てました」

「それ面白い!? いや、凄いと思うよ、気になる! け、けどさ、君は貴族令嬢なんだから、平民の成り上がりストーリーでいいの?」

「私はどちらかというと、貴族令息に感情移入しています」


 権力を使って私との婚約をもぎ取った本人を冷たい目で見ると、殿下は苦笑した。


「じゃあ僕は、君が好きになった平民の彼に嫌がらせをしないといけないんだね」

「本を踏襲する必要はありません。素直に婚約を解消してください」

「……そうだな」


 意外な返事に、私は目を丸くする。


「意外です。素直に婚約解消するんですか」

「……うん。考えてみたけど、ちょっとその状況は僕には無理だなって。その貴族令嬢の女の子、本当に凄いよね」

「悪役令嬢に感情移入したんですか?」


 若干引き気味の私に、殿下は眉をハの字に曲げた。


「その子は、貴族令息のことが本当に好きなんだろう? 僕も君が大好きだから。君が恋する目で他の男を追いかけている姿を一番近くで見るなんて、多分耐えられない」


 殿下は悲しそうにこちらを見る。まるで、そんな現実がもうすぐ来てしまいそうな、そんな顔をしていた。


「僕が彼女の立場だったら狂ってしまうかも。……いや、彼女は実際狂ってる状態だから、そんな激しい行動に出ているのかもね」


 そういうと、殿下はその本の1巻を手に取った。


「殿下も読むんですか?」

「うん。君が好きなシチュエーションを研究しておく」

「結構です」

「……そうだろうね」


 不思議と懐かしそうな目をして本を見つめる殿下に、私は首を傾げる。

 どうしたんだろう、今日の殿下はなんだかいつもと違って大人しい。


「……殿下?」

「シェリー。本当に、君が好きなんだ」


 消え入りそうな声だった。なんだか泣きそうな顔に見える。私に向かって投げた言葉のはずなのに、殿下は私とは目を合わせずに、ずっと本だけを見ていた。


「ごめんね。こんなに、人を好きになるなんて、自分でも思ってなかった」

「……どうしたんです」

「忘れてくれ。……いや違うな、聞いてくれてありがとう」


 そういうと、殿下はもう元のへらへらした顔に戻っていた。

 なんだか不思議に思いつつ、図書館の貸し出し受付で、それぞれの本を借りる。


 この間、私たちはほとんど口を利かなかった。珍しく殿下が神妙にしているものだから、私も声をかけるのを躊躇ったのだ。


 貴族の馬車の停留所までついても、私たちは無言だった。

 そろそろなんとかしたいと思いつつ、馬車に乗ろう近づいたその時、私はなんだか急に、背中にぞわりと違和感を感じた。


(……なんだろう)


 軽い気持ちで、後ろに振り向く。


 斜め上空から眼前にかけて、風が切るような音がした後、ダン! と鈍い音がした。


「な……」

「――シェリー!」


 殿下の声が聞こえた。いつもと違う、緊張した声。

 ぐい、と手を強く引っ張られて、私は思わず体制を崩す。


「痛っ……殿下!?」

「襲撃だ、馬車の影へ!」



 驚いて地面に目をやると、そこには矢がささっていた。


 見ているうちに、追加で二本、矢が打ち込まれる。


 その光景に、周りから悲鳴が上がった。



「襲撃者は14時の方向、屋根上です! 殿下はそこを動かないで!」

「分かってる。――皆、馬車の影に身をふせろ! 流れ矢に当たるな!」


 近衛兵と殿下の声に、周りの馬車に乗ろうとしてた貴族や、主人を待っていた御者達が、悲鳴を上げながら身を伏せた。

 目を凝らすと、屋根の上に中年の男らしき人影が見える。その不審者は、追加で3本程矢をこちらに打ち込むと、身をひるがえして逃げ出した。


「殿下、近衛3名で追いかけます。2名残しますので、安全を確保して帰宅を!」

「分かった、健闘を祈る。念のため増援を呼ぶ、なんとしても捕まえろ」

「はい!」


 殿下は近衛兵の3人を見送ると、人差し指にはめていたエメラルドのリングを外し、魔力を込める。

 すると、そのリングが白い鳩の形に変形し、殿下の腕に止まった。


「――第一王子だ。襲撃を受けた。場所は王立図書館入り口前、貴族用馬車停留所。屋根の上に不審者の影が1名、6本矢を打ち込まれた。近衛3名で追跡中。至急応援を求む」


 そう言い終わると、鳩の目が緑に光る。その白い鳥は、そのまま羽を羽ばたかせて、大空へ飛び立ってしまった。


「……殿下」

「近くの兵の詰所に送った。後10分もすれば増援が来るだろう。心配しないで」


 そう言って、殿下は私の頭を撫でた。


「はい……」

「うん? こういう時は、流石に素直なんだな」

「私をなんだと思ってるんですか」


 つい、憎まれ口を叩く。そうすると、少し落ち着いたような気がした。


「……僕のことが嫌いな、可愛い女の子だよ」


 困ったような顔で私を見る殿下に、私は何も言えずに目を逸らす。


 ふと、馬車の合間を、平民の女の子がふらりと歩いているのが見えた。

 ここは王立図書館だ、平民がいてもおかしくはない。けれど、貴族用の馬車停留所に何故、御者でもない平民の女の子が……。



 きらり、と袖の奥に光るものが見えた。向かう先には殿下。



 あ、と思った時には、体が動いていた。殿下と、彼女の間に、自分の体を割り込ませる。


 これは、きっと、痛い。


 ぎゅっと目を固く瞑る。



 ドン、と体に衝撃が走って、――けれど、痛みはやってこなくて――。




「――殿下!」

「僕はいい! こいつを抑えろ!」

「……なせっ、離せ! ……はは、ざまぁみろ!」


 近衛兵の叫ぶ声と、殿下の命令する声が聞こえる。


 何かしら、どうなったんだろう、私……。


 ゆっくり目を見開くと、至近距離に殿下の背中が見えた。


「シェリー、怪我はない? 大丈夫?」

「わ、私は……殿下、今、あの子が」


 そう言って目を彷徨わせると、先ほどの女の子が、私服近衛兵の一人に取り押さえられていた。


「あの子が、ナイフのようなものを持ってるように、見えて……」

「……そうだろうね。今ここに刺さってるからね」


 なんでもないことのように言われたその言葉にギョッとして、私は殿下を見る。

 ――そのお腹に、ナイフが深々と刺さっていた。


「えっ……や、殿下…………」

「ちょっと失敗したな。思ったより深い」


 そう言って、殿下はその場に座り込む。床にポタポタと血が垂れていた。


「や、やだ、殿下……どうして……っ」


 私は、殿下を庇って身を投げ出したはずなのに。殿下がさらに私を庇ってしまったのか。

 なぜ、どうして私なんて庇ったのか。一公爵令嬢の私なんかより、第一王子の殿下の身の方が絶対に大切なのに。どうして、どうして、どうして! ……私を、好きだから?


「殿下、ど、どうしたら……やだ、死なないで……」

「シェリーは僕のために泣いてくれるんだ。意外だったなぁ」


 こんな時でもへらへら笑っている殿下に、私はボロボロ涙をこぼすことしかできない。

 どうしよう、どうしよう。殿下が危ない。どうしよう……。


「婚約者殿、少し離れてください! 殿下、傷を見せて!」

「――ああ、そっか。ごめんごめん、おおよそ大丈夫だから心配しないで。ほら」


 そう言うと、殿下はスポッとナイフを自分の腹から引き抜いた。


「殿下!? 抜いたらダメです、出血が……!」

「大丈夫大丈夫」


 そう言ってナイフを近衛に渡すと、殿下は服の下からあるものを取り出した。



 先程の、恋愛小説の第1巻だった。



 時が止まったかと思った。


 目を丸くする私と近衛兵に、殿下はへらへらと笑う。


「いやぁ、なんだか嫌な予感がしてね。シャツとジャケットの間に、ちょっと仕込んでみたんだ。こんなふうに役に立つとは」


 あっはっはと笑う声に、私は安心して、やっぱりぼろぼろ涙をこぼしてしまう。


「シェリー、大丈夫だよ。怖かったね、ごめんね」

「……殿下が、死ぬかもって……」

「うん、ごめん」


 そう言って頭を撫でてくれる殿下に、私はぐずぐずと泣きじゃくる。


「――殿下、血が出ています。傷をちゃんと見せてください」

「あー、なんか思ったより深く刺されちゃって、若干えぐられたんだよね。内臓まで届いてる感じはないから、大丈夫だと思う」


 そう言って殿下が服を捲ると、思ったより血がダラダラ流れていた。あの、全然止まる様子がないんですけど……。


「あ、あれ? これ、思ったより重症?」

「殿下! 応急処置をします、すぐに最寄りの詰所へ行きましょう!」



 結局殿下は、近衛兵にナイフの前に身を投げ出したことを叱られながら、詰所まで運ばれていった。

 私は詰所からさらに王宮まで運ばれる殿下に付き添っていたけれど、父様たちが王宮まで私を迎えに来たので、家まで帰ることとなった。


 殿下は血は沢山出ていたけれど、本人の言うとおりナイフは内臓に届いていなかったそうで、1ヶ月もすれば完治するとのことだった。聖女がいれば治癒魔法で治してもらえたらしいけれど、今代の聖女はまだ見つかっていないので、自身の回復力に任せて待つしかないらしい。



 私は、家に帰ってもなかなか寝付けなかった。


 早く、殿下に会いたかった。ちゃんと自分の目で、彼が無事でいることを確かめたい。

 殿下が心配で、胸が締め付けられるみたいに痛い。

 ちゃんとお礼だって言いたいし、私を庇った理由だって……その、ちゃんと聞きたい。



(絶対に、逃げるタイプだと思ってたのに……)



 いつも嫌なことから逃げ出そうとする、おちゃらけた殿下が、襲撃者から私を守ろうとするとは思わなかった。

 庇ってくれた時の背中を思い出すと、今度は胸がドキドキして、耳まで真っ赤になるくらい体が熱くなる。


 私の殿下は、不真面目で、女好きで、へらへらしてて、やる気がない人のはずだったのに。なんだか、近衛兵に対して指示を出す姿は、見間違いでなければ、真面目で凄く格好良かった気がする……。



(格好良いって何!? 何考えてるの、私!?)



 恥ずかしくてベッドの上をゴロゴロ転がり回ってしまった。


 しばらくすると、殿下が大変な時に何をしているんだと、不謹慎な自分に落ち込んでしまう。


 でも、ふと気がつくと殿下のことを考えていて、やっぱりベッドの上で転がり回ってしまった。



 それを何回か繰り返した後、涙目になった私は、心から思った。



(早く、早く殿下に会いたい……!)


 こんなに熱い気持ちを感じたのは初めてだった。


 そして、私が殿下に会いたいと思ったのも、この夜が初めてだったのだ。

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