第10話 私、残念王子を労わる


 殿下が怪我をしてから1週間、私は毎日殿下のお見舞いに通った。


 襲撃に遭ったばかりの私達を気遣って、学園入学までの1ヶ月、王太子教育や王妃教育は休止されることになっていた。

 だから、私は王宮に特に用事はなかったけれども、殿下のところに通い詰めた。

 私が殿下に会いたかったからだ。


 結局、何日経っても、この気持ちは消えなかったのだ。


「ねえ、今日はこの服にしようかしら。それとも、こっちの方がいい?」

「どちらもよくお似合いですよ」

「殿下は何色が好きなのかしら。……どうして2年も婚約者なのに、好きな色も知らないの? 私のばか……」

「殿下はお嬢様の目の色であるアイスブルーが一番好きとおっしゃっていましたよ」

「なんでマリアが知ってるの!?」


 嫉妬が顔をもたげてくる。

 頰を赤くしてぷりぷり怒る私に、侍女のマリアンヌがくすくす笑った。


「殿下がこの家に遊びにこられて、お嬢様が席を外された際に、お嬢様が好きだ、お嬢様の目の色が好きだとお惚気になっていらっしゃいましたので」

「……マリアばっかり、ずるい」


 殿下が私を好きだと言っていたと聞いて、悪い気はしない。けれども、私の知らない殿下のことを、マリアが知っているのは、釈然としない。

 スカートを掴んで床を見つめる私に、マリアンヌは嬉しそうな顔をした。


「お嬢様は本当に、殿下がお好きなんですねぇ」

「ちが…………わ、ない、のかしら……」


 顔に熱がたまる。

 私はやっぱり、……殿下のことが好きなんだろうか。


「そんなお顔をしておいて、何をおっしゃっているのですか」

「う……」

「お嬢様は2年間、お辛そうでしたからね。お気持ちが変わられたようで、本当にようございました」


 本当に嬉しそうなマリアンヌに、私はうぐ、と良心が咎めるのを感じる。


 分かっている。この2年間嫌がっていたのはなんだったのか、と思うくらい、自分でもはしゃいでいる。

 殿下がいつもへらへら笑っているのがあんなに嫌だったのに、今は、大変な時でも平常心でいてくれて凄い! とか思っているのだ。いつも色んなことを嫌がって愚痴愚痴言ってはいたけれども、よく考えると、勉強を実際にサボったと言う話は2年間聞かなかったなとか、粗探しをするように殿下のいいところを思い浮かべては胸を高鳴らせている。


 まさに手のひらを返すとはこのことだ。


 あれ? 私って……私って……。


「私って、もしかして、最低……?」

「お嬢様、思考が歪み始めています。別のことを考えてくださいまし。今日はそちらのブルーのお洋服にされてはいかがですか」


 そう言ってブルーのグラデーションのドレスを勧めてくれるマリアンヌに、私は素直に従うことにした。

 こっそり、殿下から贈られたネックレスも身につけてみる。普段使いしやすそうな、可愛いデザインのネックレスだった。何より、私の心情的にも使いやすいようにと配慮したのであろう、殿下の色ではなく、私の目の色の小ぶりな宝石がいくつかついている。今まで一度もつけたことはなかったけど。


「……私って、凄く大切にされてたのね」

「そうですよ。嬉しくお思いなのでしたら、殿下のことも今後は大切にしてあげてくださいませ」


 そう言って髪を結ってくれるマリアンヌに、私は何も言えなかった。


 婚約解消してもらうためにわざとやっていたとはいえ、私の殿下に対する態度は酷いものだった。殿下の私への態度は、婚約者としてもどうかと思うけれども、私の殿下に対する態度も、とても婚約者に対するものではなかった。

 そして私は、なんだか、今までのような態度をするのは嫌なのだ。私は……。


「婚約解消、したくない……」

「ふふ。お嬢様、その意気です。素直になってくださいまし」


 耳まで赤くなった私を、マリアンヌは快く送り出してくれた。この2年間、私から耳にタコができるほど婚約に関する愚痴を聞かされていたのに、嫌味のひとつも言わずに、手のひらを返した私を心から応援してくれるなんて、マリアンヌはできた侍女だ……。


 私は、お見舞いのために焼いたクッキーを持って、いそいそと馬車に乗る。馬車に乗っている時から、既にそわそわしてしまう。


 今日も、笑って出迎えてくれるだろうか。傷は少しでも、よくなっているかな。


『また明日、シェリー』


 毎回最後に言ってくれる言葉を思うと、自然と頰が緩んでしまう。

 今日こそ、今までのことを謝って、仲直りしよう。

 実は、ここ1週間毎日会ってはいたけれど、なんだか顔を合わせると妙に甘い空気になってしまって、私達はろくに会話ができていなかったのだ。


 王宮に着き、護衛に案内してもらう。殿下の部屋の前までたどり着いたので、侍従に先ぶれをお願いした。


「シェリー、いらっしゃい」

「殿下」


 今日も殿下は私を笑顔で迎えてくれた。相変わらずベッドの上にいて心配は募るが、その笑顔を見ると胸がほんのり温かくなる。

 思わず頰を緩めると、殿下が赤くなって目を逸らした。


「殿下、お加減はいかがですか」

「うん、大分いいよ。それよりシェリー、今日も来てくれて嬉しい」

「……私も、お会いできて嬉しいです」


 消え入るようにそう言った後、つい床を見つめてしまう。部屋に入るまではあんなに顔が見たいと思っていたのに、本人を目の前にすると、床ばかり見つめてしまうのだ。自分でも何をしているんだろうと思う。


「僕はもう死ぬんだろうか」

「!? 殿下!?」

「だって、シェリーがそんなことを言ってくれるなんて……あのナイフには毒でも塗ってあったの? 余命は後何日……」

「毒なんて聞いてません! やめてください、殿下が死んだら嫌です……」


 思わず涙目で手を握ると、殿下があわあわしながら手を握り返してくれた。


「シェリーごめん、君があんまり可愛いから、つい不安になってしまって」

「……か、可愛くなんて」

「シェリーはいつだって世界一綺麗だし可愛いよ。それに、その……」

「?」

「そのネックレス、つけてくれたんだ。似合ってよかった。いつも魅力的なシェリーが一段と素敵に見える」

「……ありがとうございます……」


 殿下が嬉しそうに頬を緩めて、ネックレスを着けた私を見ている。私は、褒めてくれたことも、殿下が喜んでくれたことも嬉しくて、うっとりと殿下を見つめた。

 目線が合うと、手を握りあって見つめあっている自分達を自覚してしまって、慌てて手を離してお互いにあらぬ方向を見る。顔が熱い……!


「あの、殿下。これ、よかったら……」

「甘い匂いがする。見ていいかな?」

「はい」


 カゴを渡すと、殿下が嬉しそうに中を見る。今回作ったのは、プレーンクッキーと、ココアクッキーだ。確か、殿下は甘いものが好きだったはずだ。


「クッキーだ。僕好きなんだ、ありがとう!」

「お口に合うといいのですが。僭越ながら私が作ってみたんです」

「シェリーが!? ショーケースに入れて一生部屋に飾ろう」

「食べてくださいね!? 防腐処理してないですからね!?」


 慌てる私に、けらけら笑いながら殿下はクッキーを食べる。その笑顔にドキドキしながら、つい無遠慮だと思いつつも、食べる姿をまじまじと見つめてしまった。

 そうしたら、殿下がなんだか懐かしそうな、ちょっと寂しそうな顔をして呟いた。


「美味しい。シンプルで懐かしい味がする」

「……? シンプルなのが懐かしいのですか?」

「あぁ、うん。そうだね……言ってみただけ。凄く美味しい、ありがとう」


 よく分からないけれども、喜んでもらえてみたいで、殿下はなんともいえない幸せそうな顔でこちらを見てくれた。私も嬉しくて、つい笑顔になる。

 ふと、好機に気がついた。今だ。謝るなら、きっと今。私は、息を吸い込んで、心を落ち着けようとする。


「シェリー」


 私が話をする前に、殿下に呼ばれてしまった。いつもと違う落ち着いた声音に、私は目を瞬いて殿下を見つめる。


「話があるんだ」


 そう言うと、殿下は私の作ったクッキーを愛しそうに見て、それからまた私に視線を戻した。

 いつになく真剣な顔に、何だか嫌な予感がする。こんな顔をした殿下は、初めて見る気がする……。


「ここ暫く、ずっと言わなきゃいけないと思ってた。こんなことになるまで、決心できなかったんだ。待たせてごめん」


 なんとなく、その先の言葉が分かった気がして、私はぎゅっと手を握りしめる。

 嫌だ、聞きたくない……。


「僕達の婚約を解消しよう」


 そう言った殿下は、とても穏やかに微笑んでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る