怒涛の国のエリス(2) 偉大なるスケジュールの覇者、ジャストミニット
異世界逗留者一行を乗せた車は小人の国を訪れたガリバーよろしく頑丈なワイヤーで固定されていた。車のタイヤはガッチリとコンクリートで地面に固定されている。窓には手榴弾が張り付いており、そこから見える景色には戦車の列があった。時どきカーキグリーンや迷彩色の斑点がチラつく。おそらくは陸軍兵が何世代にも渡って警戒しているのだろう。
ハーベルトは気づくべきだった。どんなに清く正しい組織もやがては腐敗する。サイレンスの静穏レジスタンスが市当局の犬に堕落することも、離反者が密告することも考慮しなければならなかった。
「犯行勢力の形骸化が予想以上に早かったのね。時計台に辿りつけなかった……」
彼女は悔しそうに臍を噛む。閉じ込められたまま座して死を待つしかないのか。祥子の胸中に閉所恐怖が沸き上がる。思わず窓ガラスを叩こうとして思いとどまった。
手榴弾が風に揺れている。喘ぎ声に振り返るとサイレンスは虫の息だ。長くはもつまい。
「ナンセンスだよ!」
祥子はやり場のない怒りをハーベルトにぶつけた。背もたれをバンバンと蹴りまくる。
「間抜けすぎるよ! 飛ぶように時間が過ぎ去る世界でどうやって反対勢力を組織するつもりだったの?」
ハーベルトは口を真一文字に結んで携帯ドクターと向き合っている。ありとあらゆる余命延長措置が提案されるがあいにく薬剤不足で実現性に乏しい。何とか手持ちの薬品と携帯ドクターが空中元素から合成できる成分を加えて書記長に終末期医療を施した。
「憎しみよ。怨恨の連鎖は時の輪を引きちぎって憎悪の輪廻を巡るわ。ジャストミニッツ・クロノリスト・スーパーステディに虐げられている市民は大勢いるの! 悪感情に囚われる人々は停止した時間の中で昨日のことのように苦痛を味わうわ。何度も何度も!!」
「静穏レジスタンスは花のように短い人生をスーパーステディ市長から奪い返そうと……」
書記長が息も絶え絶えにハーベルトの言葉を継いだ。残りわずかな命を振り絞って祥子に惨状を語った。
南怒涛港市は元々は世界有数の貿易港だった。ありとあらゆる人が集まって港にはコンテナが山積みになっていた。見たこともない珍しい品々や美味しい食べ物が市場に満ちあふれて街はこの世の春を謳歌していた。そればかりでなく、さまざまな文化が組み合わさって新しいファッションや娯楽を情報発信していた。南怒涛港の人々は飽きやすい。次から次へと新しいものを貪った。
しかし、人間の発想と寿命には限界がある。やがて、アイデアが枯渇する。それを救ってくれるのが老化だ。世代の新陳代謝によっていったん滅びた文化が息を吹き返す。若者たちにとっては古臭いすべてが目新しい。それで世界は回っていた。
何度目かのリバイバルを経て陳腐化するものもあれば、一過性のブームが定着する場合もある。問題は文化の閉塞したループに新しい遺伝子が供給されなかったことだ。
とうとう発想の貧困がこの街に停滞の氷河期をもたらしたのだ。
「人々は新鮮な刺激を求めて殺しあうようになったわ」
ハーベルトが息切れした書記長を眠らせたあと、憎々しげに言った。
「わたしが見た限りでは港の人たちは生き生きとしていたけど。書記長の親族はちゃんと結婚もして幸せそうだった」
祥子が乳母車を押す妊婦を思い浮かべた。
「ジャストミニッツ・クロノリスト・スーパーステディが平和を取り戻したのよ!」
「さっき言ってた市長? でも、そいつは市民の敵じゃ?」
ハーベルトの説明に祥子は大いなる矛盾を感じた。
「し、市長は……時計塔を建て……その弱点は鐘楼の……」
命を振り絞って書記長が遺言を残した。老いさらばえた体から僅かばかりの肉が削げ落ち、骨と皮だけになった。骸は塵となって隙間風に運ばれていった。
「書記長は死んだわ」
「わかってるわよう!!」
ハーベルトに言われるまでもなく祥子は大粒の涙を流した。
「ねぇ! ハ〜ベルト〜〜。あんた世界中のオンナの為に戦ってると言ったよね。どうして書記長さん一族を助けられなかったの? ねぇ。どうして? ハ〜ベルトぉ!!」
「しっ!」
ぐずる祥子をハーベルトが制した。車外の様子を横目で伺いながら小声で話しかける。
「どこの為政者も判で押したように振る舞いたがるものね。こっちから仕掛ける手間が省けたわ」
銃を手品のように折りたたんでスカートのポケットに隠す。
「いいこと? これから何が起ころうと貴女は自分で自分を守りなさい。わたしは力添えしたり見守ることしか出来ない」
ハーベルトが祥子の不安を余計にあおった。
「そんな! ボク……あたしは」
「オトコノコでしょうが。少なくとも心は。だったら、男らしく戦いなさい。もう。男を気取るくせに銃も満足に扱えないの?」
祥子は見よう見まねで銃をブルマの後ポケットに収納した。
「ハーベルト。来るの? 市長が?」
「お出ましになったわ」
言い終えるやいなや、エアバッグがハーベルトを包んだ。昭和生まれの祥子は安全装置を知らない。際限なく膨らむ風船の下で泳いでいる。突然、すべてのドアが開いて二人はエアバッグごと投げ出された。
ハーベルトが放物線を描いて雲の上に消える。
「ハーベルト!」
祥子が連呼していると、車に御者のいない馬車が横付けした。扉が開いて羽根飾りをつけた侯爵夫人風の女が降りてきた。影ができそうなほど長いまつ毛。切れ長の目が値踏みするように祥子を睨んでいる。ゆったりしたドレスと祥子のセーラー服を見比べてケラケラと露骨に嘲笑した。
「事大主義者の頭目というのはお前かい?」
どうして彼女はわかりきった質問を投げるのだろうと祥子は腹の中で笑い返した。
「わたしは……ひゃん☆!」
言いかけて、一瞬で彼女は全裸に剥かれた。ウイッグも消え失せた。体中を迷彩色が駆けまわり、彼女は真っ逆さまに吊るされた。
下着で隠すべき部分にむずがゆい視線を感じた。身に着けていたものはちゃんと市長の足元に畳んであり、ときどき風に吹かれたように開いたり閉じたりする。祥子のアンダーショーツがヒラヒラと舞い、ピンと張り詰めたかと思うと、丁寧に畳まれた。
「ひああああ」
彼女は出来事の背景を察して、尖った耳を赤らめた。
「老衰したければ答えずともよい。もう一度だけ問う。お前が謀反の指導者か?」
「い、いいえ。ちがいます。ボク……わたしはハーベルトの見習いで」
祥子は病室のミイラを思い出して必死で洗いざらい喋った。
「列車から降りたのはお前ひとりだった。まぁいい。連行しろ」
市長が整列したカーキ色に命じると、祥子は逆さづりのまま空中を滑った。
■ 南怒涛港市中心部 時計台庁舎
市庁舎は天を突きさす
「どうしよう。ハーベルトから帰りの発車時刻は聞いてないし、パンツは奪われちゃったし」
親からはぐれた子羊みたいに震える祥子。女の気持ちは移り変わるものだ。恥じらっているうちに興奮が徐々におさまっていく。代わりに不安が広がって気持ちが沈んでいく。
やがて絶望感が支配的になり、抵抗しなければ命だけは助かるだろうと思い始めた。しかし、祥子は男子の心を持ち合わせている。自分を運搬している輸送手段に興味を持った。
じっと進行方向の一角を見据えていると動体視力が残像をとらえた。何か模型飛行機のような物体が彼女を懸垂しているようだ。変化の激しい環境の中で機体のシルエットは安定している。安全と信頼性は実績を積み重ねて築き上げるものだ。彼女はそこに社会の脆弱性を垣間見た。
「この街にだってステディ市長に譲れない部分があるのか」
道中の残りを模型飛行機の観察に費やそうと心に決めた瞬間、したたかヒップを打ち付けた。あまりの激痛に祥子は意識を失った。
ジャストミニッツ・クロノリスト・スーパーステディの部屋は時計という時計に支配されていた。床は置時計がぎっしりと並んで足の踏み場もない。壁にはモミジのような世界地図。主要都市に懐中時計が埋め込んである。砂時計の柱。天井は文字盤。針の形をした三本の灯が時を刻んでおり、取っ手やドアにはデジタル表示が浮かんでいる。祥子は裸のまま両手両足にロープを巻かれて逆さ磔にされた。
「お前は何という動物だ? こんな獣はこの世界にはいない。こんな下等な生き物にわが街が脅かされるとはな!」
市長は祥子の翼を摘み上げたりスキンヘッドにペタペタと手垢をつけたあげくデリケートな部分を一瞥してメスか、と呟いた。祥子は恥ずかしさのあまり声をうわずらせた。「摂津県蜂狩市常園区です」
市長は昆布のように破れた祥子のスカートから定期券を取り出した。記名欄に捕虜の住所を見出した。カーキ色のシミがふわりと定期券を受け取って何処かへ消えた。ほどなく市長の耳が迷彩色に染まる。
「ふむ。そうか。南贍部洲(みなみせんぶしゅう)に該当する住宅表記はないそうだ。やはりお前はあの列車で来た部外者か。 なぜここにいる?」
「何故って。ボクは日本人だよ。日本人ならどこへ旅行しようと勝手だろ」
祥子は市長の視線を逸らせようと体をくねらせた。ロープが四肢に食い込む。「あんまりボクをジロジロ見ないで! あなただって……」
言いかけて祥子は口ごもった。自分は男だ。男たるもの嫌なことは嫌とはっきり言ってやるべきだ。
「あなただって女でしょう。いくらオンナ同士だからって恥ずかしいよ」
きっぱりと断言した。市長の表情が一瞬だけ変わった。「ニッポンという国など知らぬ。まぁどうでもいい。解いてやれ」 彼女が短く命令するとロープが霧消した。祥子は歌留多にお手つきするようにベージュ色のアンダーショーツを拾いあげ、その上からビキニのボトムを履く。
そそくさと身支度を整える祥子を市長は感慨深げに見守った。彼女の目線を追うと、入り口から向かって正面に家族の肖像が掲げてある。
若いころの市長らしき美少女と臨月の女性。二人の指にダイアモンドが輝いていることから母娘関係ではない。
「早いものね。マキシンが逝ってから五千四百年になるわ」
失われたみずみずしさを悔やむように市長は振り返る。
「お子さんがいらっしゃるんですね。 娘さん?」
祥子はレオタードの裾をブルマに押し込みながら壁の妊婦を見やる。この世界では当たり前のように同性同士が結婚して女の子を身ごもるらしい。
市長はハッと我に返り、ますます険しい顔でツカツカと歩み寄る。どうか殺されませんように、と祥子は祈りをささげた。
「エリスは時間にルーズな子よ。ほんっとうに腹が立つ。誰に似たのかしら」
娘の存在は市長にとって恥部であるらしく、殺意をあらわにしている。祥子はエリスの姿が飾られていない理由を子供ながらに理解した。
「ここでは遅刻魔は死刑になる法律でもあるんですか?」
祥子は市長の真意をくみ取った。
「わが街では『注意一秒怪我一生』と言う。一瞬だけ他の事に意識を注いだばかりに自分だけでなく組織が怪しまれるという格言だ。この街に遅滞は許されない」
市長は虚空に光の帯を投影した。そうめん流しのように絡み合った紐が流れ去る。それは複雑に入り組んだ工程表だという。
「私がループを管理しているのだ。
勝ち誇ったように馬鹿笑いする市長。貴女が混乱収拾したんですね、と祥子が念を押すと市長はうれしそうに首を縦に振った。
「でも、貴女のやり方に迷惑している人たちがいる」
祥子が滅亡したサイレンス一族のことを口にすると市長は難しそうな顔をした。
「改革には痛みが伴う。駆け抜けるような人生に憎しみあう暇はない。寿命という逆らえない運命の前には誰もがひれ伏す。競争が競争を呼ぶ。景気の好循環を生み健全な経済が機会の平等を与えるのだ」
「ボクにはよく分からない。けど、ついていけない人もいるんじゃないかしら。それに貴女だって寿命があるじゃない。それとも貴女は……」
祥子は市長が最も触れてほしくない点に言及した。逆上した市長は銃殺を命じた。まだら色の残像が祥子の前に寄り集まり、パッパッと輝く。祥子は身構える。手や足やうなじに硝煙が立ちのぼる。
「ひゃん☆」
プリーツスカートがずたずたに裂けた。セーラー服に紺色の二重白線入りブルマというスタイルになる祥子。
「おのれ! バケモノめ!!」
市長がサッと手を振ると祥子の周囲を透明のチューブが覆った。突き上げるような衝撃。次の瞬間、彼女は砂漠地帯の上空を舞っていた。ぐんぐんと白い地面が接近する。真下で何かが光った。それはムクムクと広がる。沸き上がる入道雲。
いや、火球が雲を突き破ってゆっくりと巻き上がる。それはキノコのような傘を形作っていく。
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