元禄時空人(ヒューダルロード・サバイヴァー)(6) 鳩が運ぶ明日

 ■ 異世界「進歩と調和」駅舎

 量子機関車DD51がトワイライトエクリプス号の先頭に連結された。傷ついた車体をドイッチェラント本国に移送して分解修理(オーバーホール)する必要がある。

 つやつやした真紅のDD51に比べてTWX666Ωは深緑で落ち着いたデザインだ。三日月を模したヘッドマークには暁の女神アウローラと、アポロンの妹にして月の守護神ディアナが睦まじく腰を掛けている。彼女らの顔は弾痕で潰れていた。その無残な姿に祥子は自分の境遇を重ねた。

反逆罪のかどで彼女は厳しい取り調べを受けた。軍事法廷で極刑が下されたのち、全裸丸坊主のまま首都ゲルマニアの中央広場で三日間逆さづりされた。衆目を浴びて厭世観が高まるなかで祥子は人口比率の歪みを見た。好奇心に満ちた女、女、女、群がる野次馬は老若あれどすべて女だった。


瞬間的に人だかりが途切れ、通り向うを歩く男を垣間見た。しかし、彼らは祥子の裸体に目もくれず足早に去った。いっぽう、女どもといえば血走った視線を祥子の肢体に這わせる。そして、うっとりとした目で何かを口ばしり、ハッと我に返った。奇妙な感情のざわめきがせめぎ合い、やがて一つのうねりとなって祥子を愛撫した。

どうやら彼女たちは祥子を異性と認識しているらしく、砂漠の遭難者が脱水症状に苦しむような渇望と荒い呼吸に似た欲求が顕著に感じ取れた。死刑執行の時間が近づくにつれて人々の感情は統一され、思念の頭突きとなって政権に向けられた。人民のマグマを読み取った大総統はそれが噴火する前に恩赦を決定した。


 かくして、祥子は再び旅人の外套に袖を通す機会を得た。そのことが彼女の心情に及ぼした影響は小さくなく、冤罪者として裁かれる側から然るべき処罰を受ける立場に回ることで、ある種の抽象的な禊が行われたと思われる。

 祥子は異世界逗留者であることについていつの間にか抵抗感を失っていた。それよりも、ゲルマニアの婦女子が祥子を異性として――直接的にいえば生物学的な交配相手とみなしていたことに感銘を受けた。

 ただ、ゲルマニアのためなら、ドイッチェラントの女性たちを守るために闘う価値判断が出来るレベルにまで意識が高まったかといえば、微妙なところだった。揺れ動く中学生の心は複葉機のように理想と現実の狭間をたゆとう。

 ◇ ◇ ◇ ◇

 ハーベルトは地元の警察官たちと事後処理に追われている。祥子は仲嶋望萌に小突かれて現場を後にした。研修中のソジャーナーに手伝える作業は何もない。彼女は例によって客室乗務員室に引っ立てられ、先輩逗留者(ももえ)の着せ替え人形にされる運命(さだめ)にある。


 連合の新型爆撃機は異世界の浸食作用を受けてボーイング社製の旅客機に変貌しつつある。大自然の治癒力と呼んでも支障ないだろう。旅人の外套を纏わない異物は現地世界の合理的解釈に添うよう咀嚼されるのだ。北海道千歳空港から広島に向かう便が過激派にハイジャックされ、日本庭園に不時着したことになっている。焼け焦げた主翼や溶け落ちた車輪の周囲に鑑識課員が集まっている。


 どこで見つけたのだろう。主犯格とされる遺体が担架に載せられた。グズグズに焼け崩れ、ぞんざいな扱いで手足が今にもちぎれそうだ。


「つまり、中核派の単独犯ちゅうことらしいです。それ以上は本官も……」

 瓶底メガネの警察官が新聞記者を装ったハーベルトの取材に応じている。

 爆撃機の不時着事件は日米安保条約に反対する学生運動の示威行動と解釈された。

「行きましょう。あとの顛末はこの世界でなるようになるわ」

 ハーベルトは小鳩とトマホーク・コモディティアンの少女たちを下り線ホームに引率した。ゲルマニア行きのトワイライトエクリプスTWX427∑がエメラルドグリーンのボディを輝かせている。ジェーン・スーに誘われた者たちに戻る場所はない。いずれにせよ殺された身だ。出身世界への帰還は混乱を招く。逗留者として一生を捧げるしかないだろう。

 客車のドアが開いた。

 騒ぎはその時に起きた。

「わたしは村に帰らなきゃ!」

 小鳩が故郷の感染症を根絶すると言い出した。彼女はジェーン・スーからハッキングのノウハウを伝授されていたらしく、スカートのポケットに隠し持っていた工具で車の配電盤をこじ開けた。異変に気付いた女子兵が押さえつけにかかる。だが、小鳩は人間離れした力で四人の兵士を振り払った。

「リンドバーグの壁?」

 ハーベルトの心臓が凍った。信じたくはない。だが、小鳩の怪力はそうでなければ説明できない。

「留萌! 台座分水嶺変電所に連絡」

 ハーベルトがハンディートーキーで運転台に全線送電停止を申請させた。

「了解」

 ハーベルトの指示通り、留萌がTWX427のシャットダウンを確認した。昇降口の扉は固く閉ざされ、小鳩の未来も塞がれた。

 だが、ハーベルトが安堵する間もなく、上り線の信号が青に変わった。トンネルの出口から竜巻が発生し、横倒しになったままホームに近づいてくる。どす黒い煙が渦巻きながら突進する。つられて動けない筈のTWX427がゆっくりと滑り出した。

「緊急予備電源が運行管理者権限で作動しています。アカウントを乗っ取られたもよう」

 留萌が蜂の巣をつついたような運転台の状況を報告してきた。

「小鳩、貴女の考えていることは判っているわ。馬鹿な真似はやめてちょうだい」

 ハーベルトの説得もむなしくTWX427がホームを離れた。連結器が爆散する。彼女は断腸の思いで撃ち続けた。客車がはずれ、先頭車が小さくなっていく。装甲トラックが線路にバリケードを築く。しかし砲撃で破壊された。竜巻の中から榴弾が飛んでくる。

「蒸気機関車! 動態保存区の展示車じゃない。まさか、連合が?」

 ハーベルトは上り線をバックしてくる前時代的な列車を確認した。貨車から砲身が覗いている。もうもうたる煙に混じって黒っぽい小石が飛んでくる。

 石炭の燃え殻だ。ガシャンとポイントが強引に切り替わり、機関車が客車に連結を試みた。

「させないから!」

 カールグスタフを構えた瞬間、ハーベルトの足元が爆散した。彼女は翼を広げて砲撃をかわし、客車の屋根に舞い降りた。ビキニのパンティに挟んだハンドガンを連射。天板に穴をあけ、突入する。小鳩と目が合った。表情が強ばっている。

「動かないで! 小鳩、いい子だから!!」

 眉間に狙うハーベルトの手が震える。

「赤斑瘡(あかもがさ)に効く薬があるって聞いたわ。それを持って帰らなきゃ! 出しなさいよ!! ソジャーナーは不条理と戦うんでしょ?」

 小鳩は臆せず故郷を苦しめている伝染病の特効薬を要求した。

「お願いだからやめてちょうだい。どうにもならないのよ。貴女の村は、もう……」

 ハーベルトは涙を浮かべ言葉を濁した。

「そうだよ。どうにもならないことがあるんだ!」

 彼女の言葉を祥子が継いだ。望萌に無理やり着せられたのだろう。純白のテニスウェアからひらひらしたパンツが見え隠れする。


 小鳩は祥子の銃口を掌でゆっくりと押し返した。「どうにでもなるわ。枢軸特急は時間を遡る列車でしょ。ハーベルトは嘘をついてる」

「勘違いも甚だしいわ。TWXは便利なタイムマシンじゃない。選択可能な路線を走るの」

 ハーベルトが本質を語る間に小鳩は祥子の背後を取った。素早い蹴りを繰り出して銃を奪い、祥子の右耳に突きつける。

「枢軸特急は必ず常園駅に停まるんでしょう? わたしもそこで降りるわ。祥子さんは『選択可能な路線』をたくさんお持ちのようだから」

 人質もろとも射殺してやろうか。ハーベルトは心底愛想をつかした。だが、考えを改めた。後ろ手でスカートのポケットを探る。躊躇なく送信機のボタンを押した。それが悲劇の幕を下してくれる。

 ◇ ◇ ◇ ◇

『TWX427∑、ダイヤ変更します。分水嶺分岐点からヒューダルロード連絡線を遡行します』

 留萌は新しい客車を一編成、操車場で受け取った。TWX427を日本の「とある時代」によく似た世界へ走らせる。


「見て! トワイライトエクリプスよ!!」

 ハーベルトが窓の外を指さす。TWX427がぴったりと並走している。その車窓をみるやいなや小鳩の表情が変わった。

「お母さん!」

 信じられないことに小鳩の親族や村の顔見知りが顔をそろえている。窓を開ければ楽に飛び移れる。

「前を向きなさい。貴女のふるさとは全滅したわけじゃないわ。その子孫が」

 ハーベルトが窓際に立ちはだかる。

「わたしはお母さんたちを救いたいの!」

 小鳩は耳を貸さず、銃でガラス窓を狙撃した。そして、身を乗り出した。そして――。


 小鳥が囀り始める頃、常園駅に時刻表に載ってない便が到着した。

「小鳩は行ってしまったわ。けっして逆転することのない熱力学第二法則の向うへ」

 ハーベルトは忸怩たる想いで祥子を見送る。

「熱力学第二法則の向うのって?」

「貴女の住んでいる場所とは真逆の世界よ」

 ハーベルトにいわれて祥子はぞっとする答えに行き当たった。いや、今は深く考えないでおこう。トイレに行けなくなる。彼女は話題を変えた。

「この服だけど、今度は大丈夫だろうね」

 セーラー服の胸当てからテニスウェアとクールネックシャツの襟が覗いている。

「陽の光に当たっても平気な繊維でできているわ」

 ハーベルトはにっこりと微笑んで祥子のスカートをめくった。

「きゃあ♡ 何をするのよう」

「いま、『よう』って言ったわね。すっかりオンナノコが板についているじゃない。その調子で来週も乗務してね。じゃね♡」

 先輩ソジャーナーは満足そうに手を振った。

「「「「見つけたわよ! パンツ泥棒!!」

 入れ替わりに祥子は黄色い非難を浴びた。

「そうよ。着る物に困っているからってたくさん持ってきてあげたのに」

 クラスメイトの一人が祥子にテニスウェアを押し付けた。それを皮切りに玉入れのごとくパンツやスカートが飛んできた。差し入れの山に埋もれながら祥子は朝焼けを見やった。小鳩が最後に見せた満面を思い出しながら考える。彼女が選んだ世界線は間違っていたのだろうか。

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