元禄時空人(ヒューダルロード・サバイヴァー)(5) 未来への脱出
ハーベルトはその知らせに耳を疑った。迫り来る先頭車両が容赦なく機銃を浴びせてくる。重ガトリング砲は落石を角砂糖のように砕く。
「事もあろうにTWX666Ωが連合に乗っ取られるなんて!」
救援要請を傍受した通信兵は無電が途切れる寸前にジェーン・スーの声を聞いている。では、アブロ・カーから飛び立った異世界逗留者は祥子たちではないというのか。部下たちの報告では確かに双眼鏡でそれらしき人影を確認している。装甲車が軌条を外れ右往左往する側を二十ミリ弾が通過する。
「偵察兵。熱線を捉えているか?」
ハーベルトは逃亡者の発する赤外線を追尾させた。
「いいえ。そのような痕跡はありません」
「貸せ!」
観測結果を聞き終える前にハーベルトは赤外スコープを兵士から奪い取った。アブロ・カーの下面からもうもうと排熱が吹き出ている。それらに遮られていないか、フィルターを人間の体温に同調させて映像を絞り込む。
「やはりダミーか!」 ハーベルトは双眼鏡を投げ捨てた。枢軸特急がぐんぐん間合いを詰める。跳弾が爆ぜるなか、装甲車がタイヤを鳴らして堰堤を登る。枢軸特急は装甲車を線路から追い払うように蹴散らしていった。
岩陰と灌木の間でクルップ プロッツェ兵員輸送車がじっと息を潜めている。列車はハーベルトなど眼中にないらしく無我夢中で走り去った。
「ありえない! 断じてありえない!! トワイライトエクリプスは乗るべき理由の無い者を拒絶する列車。それが、なぜ?」
ハーベルトの狼狽ぶりには理由がある。枢軸特急の鉄道システムは沿線上に生じた並行宇宙からの異物侵入を徹底的に排除する防火壁(ファイアーウォール)が備わっている。具体的には「クラス」という概念があって、例えばハーベルト達の世界に属する物質は固有のクラスを備えている。クラス毎に壁を透過できる権限をファイアーウォールが割り振っているために異世界同士の干渉が制限されている。例外はリンドバーグの壁だ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「あの人達、何をやっているのかしら?」
ジェーン・スーは静止したTWX666の脇にアブロ・カーを停め、高みの見物を決め込んでいた。彼らの周囲に色とりどりの煙が立ち込めている。トマホーク・コモディティアン達が催眠性の極めて高い香を焚いて枢軸兵たちを幻惑しているのだ。傾いた装甲車から望萌が千鳥足で出てきた。彼らはふらつきながら枢軸特急を見送っている。
「列車が戻ってきたぞ!」
ハーベルトが騒ぎ始めた。薬草は敵側に十二分な影響を及ぼした。彼らにグニャグニャした視覚効果を与えて列車が不規則な動きをしているかのように錯覚させた。
「列車はどうするの?」
祥子が列車をいっこうに略取しようとしないジェーン・スーを訝しんだ。
「オンボロ列車を奪った所でスクラップにもなりゃしないわ。さっき見せたでしょう? 連合の東京急行を」
ジェーン・スーは鼻で笑いながら停車中の枢軸特急を見やった。開け放たれた扉から乗務員達の喧々諤々が聞こえる。
「これからどこへ行くんです?」
アブロ・カーの昇降機に乗り込んだジェーン・スーを祥子が呼び止めた。
「台座分水嶺原住民(トマホークコモディティアン)たちを合衆国(ステイツ)に連れていくの。ローズバード大統領閣下は喜ばれることでしょう!」
調子に乗ったジェーン・スーがうっかり口を滑らせた内容によれば、連合国の首魁たるステイツはコモディティアンの薬理学を熱望しているようだ。世間知らずの祥子には薬物使用の恐ろしい事実など知る由もないが、何か途方も無い企てであると感じ取ったのか鳥肌を立てた。
終末は民族や宗教を問わず普遍的な関心事であり、世界的に重大な論議を呼び起こす。ジェーン・スーの属するクラスでは各地で頻発する超常現象が世界崩壊の序曲と等式で結ばれる人類文明滅亡の前哨であると考えられている。将来不安に駆られた一部民衆は平常心を科学万能主義や既成宗教でなくもっと根源的かつ超越的な「何か」で保とうと躍起になっている。連合世界の盟主たるローズバードは、抜きん出たカリスマ性で市民をまとめてきたが、それも陰りが見えているという。
「小鳩、祥子、貴女たちみたいに帰属クラスから『見放された』存在こそが有望な免疫になるのよ」
ジェーン・スーに言わせれば迫り来る滅亡に三行半を突きつけるダイナミズムすら持つという。特に祥子は別格だ。トラックを実家に招き寄せたことにリンドバーグの壁との親和性を見いだせる。ジェーン・スーは語り終えると連合軍に撤収を命じた。
望萌は枢軸特急の挙動不審に違和感を抱いた。
「ねぇ。さっきから行ったり来たりしてるみたいだけど、列車長たちは何を考えているのかしら?」
薬効が薄らいでハーベルトも正気を取り戻しつつある。
「ATS列車制御システムがおかしな真似はさせない筈よ。やられたわ」
彼女は悔しそうに衛生兵を呼んだ。解毒剤の投与を受けて、ようやく吹っ切れた様子だ。
「ここがシャーマニックな世界だということを忘れていた?」
望萌に痛い点を突かれて顔をしかめる。
「そうよ。異世界に染まりすぎた。不覚をとったわ」
ハーベルトはブツブツと愚痴を零しながら運転台に指示を出す。メサ循環線の全域に渡ってアブロ・カーの痕跡を探る。それが幻惑であることを考慮に入れて、薬理学の観点からノイズを消去(キャンセル)した。
現実と異世界の狭間をTWX666がひた走る。幾何学的な模様や暗黒が渦巻く空間をヘッドライトが照らしだす。
「近接する世界線上に移動物体を発見。連合に属するクラスを検出!」
偵察兵が完成したばかりのノイズキャンセラーを使いこなし、アブロ・カーの行動範囲を絞り込んだ。画面上に見慣れない輝点があらわれた敵味方識別装置に該当しない飛行物体がいくつも随伴している。
「属性は連合のものよ。新兵器かしら?」
望萌が機影を拡大してみると鷲のように大きな翼を広げている。差し渡しは何十メートルもありそうだ。エンジンポッドをいくつも吊り下げている。ドイッチェラントの先進的な空力特性を取り入れた高性能ぶりが見て取れる。
「ジェット爆撃機よ。きっとアラドARD234を独自改良したんだわ。とことん見下げた盗人根性ね」
ハーベルトは唾棄すべき犯罪に毅然と立ち向かう。技師を総動員して、TWX666Ωを敵機にできるだけ近接するよう世界線を算定させる。
「ねぇ。ハーベルト。あれってひょっとしたら異世界間戦略爆撃機?」
「そうよ。枢軸特急と原理的に同一。動かすためには訓練された搭乗員が必要」
「ジェーン・スーがソジャーナー候補を誘拐した理由はそれに尽きる」
望萌が怒りを露わにした。彼女たちの執念が実り、TWX666はジェット戦闘機の真横に踊りでた。手を伸ばせば届きそうな距離にずんぐりむっくりした機体が見え隠れする。大胆不敵にも列車は体当たり攻撃を企てた。
目まぐるしく変化する異空間で機械の白鳥と鋼鉄の大蛇がくんずほぐれつする。何度目かの遭遇離別のあと、遂に客車が接触した。
「突入!」
アサルトライフルを携えたハーベルトと小隊が機内に乗り込んだ。白兵戦は想定外だったらしく抵抗なく後部座席を制圧した。きゃあきゃあと逃げ惑うコモディティアンをなだめすかしながら、工兵が機体の穴を応急処置した。
「ジェーン・スーはどこ。 聞こえてるんでしょう。 ハイジャックされる気分はいかが?」
望萌が気勢を上げると、くぐもった声が天井から聞こえてくる。
「貴女に何が出来るというの? もうすぐ此方の勢力圏内よ。例えこの機体を奪ってソジャーナーを奪還したところで生きて帰る手段はない。連合に亡命したところであなた達が生きていく術はない。極刑は免れない……」
「それはどうかしらね!」
ハーベルトは最後まで言わせなかった。窓の外にはTWX666がしっかりと寄り添っている。
「ええい。馬力不足の機関車ごとき!」
ジェットエンジンの咆哮がジェーン・スーの怒号に重なった。群を抜く推力が特急列車の一編成をらくらくと引きずる。世界のあらゆる要素が大回転し、ハーベルトは意識の淵に沈んでいった。
混迷する運転室で留萌は必死で端末を叩く。メサ循環線内を巡航中の全列車をリストアップし救援を求めた。敵機の進路上に線路がいくつも浮かび上がった。前後左右から枢軸特急が囲い込む。
「万事休すね……」
退路が塞がれたと見るや、祥子はうなだれた。
「諦めの早いオトコね。まだ打つ手はあるわ」
ジェーン・スーは分厚い時刻表を取り出した。ページを繰って巻末の路線図を凝視している。そして然るべき退路を見出した。それはいわゆる盲腸線の一種で、メサ循環線から虫垂のように短い支線が飛び出している。その終端に連合との境界線があった。
「これは……?」
「祥子、トルマリンソジャーナーの癖に知らないの? 昭和元禄分岐線。連合が枢軸に打ち勝った時間軸の中で経済復興を謳歌しながらも、枢軸の亡霊に怯えている世界よ。枢軸にとってはスパイを送り込む貴重な接点として活用している」
メサ循環線昭和元禄分岐線、終着駅「異世界・進歩と調和」。ジェーン・スーはありったけの燃料を注ぎ込んで末端世界をめざした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
大阪府北摂部 千里丘陵。もともとは狩猟の山であった場所を土木機械がガッツリと掘削している。緑の山肌が赤茶色のえぐられて環境破壊の爪痕が生々しい。麓では家々の間から明るいテーマソングが聞こえてくる。演歌歌手が訪日客に日本語で挨拶しようと歌いかける。ジェーン・スーの爆撃機は大阪国際空港を大きく迂回して千里丘陵の上空をフライパスした。見おろす万国博覧会場には建設中のパビリオンが並んでいる。その中でもひときわ目立つのが天を仰ぐ奇面像。太陽の塔だ。いくつもの顔が禍々しく光っている。
枢軸特急は北大阪急行電鉄の臨時駅に猛スピードで滑りこんだ。資材が突風に煽られ、島型ホームから作業員が慌てて逃げ出す。車窓から見える前衛的な構造物に望萌は度肝を抜かれた。「何? この建築学ガン無視状態」
「枢軸と連合の折衷的文化よ。ここは国境の町だもの。それより銃をとって」
ハーベルトは気にかける様子もなく改札から万博ゲートへ駆け抜ける。望萌のあとに女子陸戦隊員が続く。ジェーン・スーの機体は日本庭園に覆いかぶさるように不時着しており、すでにパトカーに包囲されている。
「ムダな抵抗はやめておとなしく出てきなさい。君たちのお父さんやお母さんは泣いているぞ!」
拡声器から牧歌的な説得が聞こえてくる。望萌は開いた口がふさがらなかった。初秋の風がハーベルトのスカートを巻き上げる。男性陣はゴクリとつばを飲んだ。幸いなことに旅人の外套効果が彼女たちを原住民に溶け込ましている。
緊急脱出シューターから一行が滑り降りてきた。
「ハーベルト。私の負けよ。女の子たちは開放するわ」
ジェーン・スーはあっさりと両手を上げて意思表示をした。
「どういう風の吹き回しかしらね?」
ハーベルトは威圧的な口調で睨みつける。ジェーン・スーの眉間から照準を外さない。爆撃機にも大小さまざまな火器が向けられている。
「この状況を見ればわかるでしょう。冤罪を宣告された私があの子たちに理不尽な死を与えようとしている。こんな不条理はないわ」彼女は声高らかに自嘲した。
「そうね。確かに貴女の敗けだわね。この世界は安保という概念があるわ。旧敵に反感を抱きながら庇護されている。その状況を良しとしない勢力がちっぽけな破壊活動を繰り広げつつも、繁栄と調和が保たれている。不信感だけでひた走る貴女とは月とスッポンよね」
「そういう事よ」
ジェーン・スーはハーベルトのまとめに大筋合意したらしく、素直に両腕を差し出した。お縄になる覚悟は出来ている。
「ごめんよ。ジェーン・スー」
祥子に続いて小鳩がゆっくりと横に並ぶ。
「容疑者全員の身柄を拘束して!」
ハーベルトは容赦なく憲兵に反乱者の逮捕を命じた。まず、ジェーン・スーに手錠がかけられた。
その刹那――。機体が爆散した。灼熱と暴風が包囲網を突き崩す。警官が燃えながら地面を転がる。異世界逗留者たちは咄嗟に衣服を裂いてビキニ姿で空へ逃れた。
「ジェーン・スー、ジェーン・スーはどこ?」
ハーベルトは部下を率いて燃え盛る日本庭園を旋回した。大きくえぐれたクレーターの淵に円形の物体が埋もれている。その裏手に翼を広げたジェーン・スーが舞い降りた。満面の笑みを浮かべ、白い歯を輝かせている。
「なっ――?!」
二の句を継げないハーベルトに彼女は答えた。
「引っかかったわね。私は未来へ向けて脱出するわ」
ジェーン・スーはそういうとカプセルのドアを閉じた。どこからともなくクレーン車が現れてカプセルを吊るしあげた。
ハーベルトがカールグスタフ無反動砲を向けようとすると望萌に腕を掴まれた。
「何をするの?」
「あれはリンドバーグの壁よ。混乱に拍車をかけたいの?」
「クッ――。女の子たちの回収を急いで!」
ハーベルトは振り上げた拳を部下たちに降ろした。哀れな女子隊員たちは涙目で事態収拾に奔走させられた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
鉄筋コンクリート造りの城は周囲の高層建築物を横目に睨み、威風堂々と聳え立つ。構造的にさほど違いはないというのにこの差はどこから生じるのだろう。望萌は大阪城公園本丸のモニュメントをじっと見据えた。
「ジェーン・スーがこの中に隠れているって確かなの?」
生身の人間がタイムカプセルに篭ったまま六千年も生きながらえるとは常識的に考えづらい。
「西暦六千九百七十年に開封される規定よ。それまで確かめようがない」
大阪万博を記念して大阪城に埋設されたタイムカプセルには二種類あり、一つは六千年間封印され、もう片方は百年ごとに開封される。ジェーン・スーがコモディティアン由来の秘術を用いて潜んでいることは枢軸の学者たちの間では定説化されているのだが、強硬手段を以って開封することはこの世界の崩壊に繋がるらしく、迂闊に手を出せない。
「彼女は最終的に自分の信念に基づいて『出て』いったわ。祥子。貴女はどうなの?」
ハーベルトが促すとセーラー服姿の少女が歩み出た。彼女は慈悲深きエルフリーデ大総統の恩赦を得たのだ。
「ボクは……信念をどうやって……」
口ごもる祥子に望萌が一喝した。
「身の振り方ぐらい自分でシャンと決めなさい。オトコでしょ?」
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