黒死病鳥の畔(シュワニーシー)(4) プリマドンナと暗夜行路

 ■ シドニー芸術劇団(承前)

「まるで物の怪だ!」

 人ならざる雄たけびをあげるニキータを取り押さえようと警備員が殺到した。もともと狂暴化したストーカーから劇団員を守ってきた。だが、相手が内部の人間となると勝手が違う。どうしても手加減してしまう。

「遠慮するな。多少の怪我は構わん」

 青息吐息のシャルルが踊り子の腕の中で息絶える寸前に何とか引きはがした。

「どう? わかった?」

 肩で息をする座長を横目にニキータが殺意のまなざしを投げる。ライバル役はへなへなと腰を抜かし、地面に大きな水たまりを作った。

 ◇ ◇ ◇ ◇

「どう? わかった?」

 割れんばかりの拍手を受けてニキータは笑みを浮かべた。座長と手を取り合って見事な即興(アドリブ)を舞い終えた。

「遠慮するな。多少の怪我は構わん。君にはもっともっと踊れるはずだ」

 シャルルは息を弾ませてニキータを煽った。彼女のダンスは確かに流麗で美しい。だが、観客を魂を揺さぶる迫力に欠けている。座長はこう指摘した。

「君は観衆を暴徒に変えることができるか? こう、思わず君に食欲が湧くような……」

 彼は歯に衣を着せぬ物言いでニキータを動揺させた。

「あたしに色香が足りないと?」

「そうだ。黒死病鳥は華やかさとは真逆の世界に生きている。君には禍々しさが、暗黒が足りない!」

 そういうと彼は浮かぬ顔をしているパメラの腕をグイッとつかんだ。

「この子には花がない。それでも黒曜石の輝きがある。磨き方次第だ。ただ……」

 シャルルはニキータの視線に怯えつつ、言葉をつないだ。

「誰もが心に深い闇を宿している。君も掘り起こせばいい。それにパメラはあくまで万が一の」

「保険ですってぇ?」

 ニキータは雄鶏にも負けない叫びをあげた。「この泥棒猫。あたしの役はあげないからねッ!」

 毒づいて乱暴に部屋を出ていく。鷹の孤影がパメラを遮った。


 ■ バンダオリエンタル軍港


 夜半の出陣に備えてフードテロリスト達は準備(メシタキ)に忙しい。揺れる白熱電球の下でハーモニーに疲労の影を濃くする。

「貴女、根を詰めすぎよ。昼過ぎからぶっ通しじゃない。少し休んだら?」

 装備品を再点検していたハーベルトがたまりかねて声をかけた。

「いえ。徹頭徹尾があたしのモットーです。敗北は気のゆるみに付け入ります」

 耳を貸そうとしないハーモニーの特別な事情をハーベルトは知っていた。

「そこまでして英雄になりたがる理由はなに? ご両親の汚名返上だけじゃないでしょ」

 ハーモニーは身上だけでなく崇高な主義主張に突き動かされているらしく遠い目をした。

「はい。うまく言い表せませんが、真っ白な世界。レイヴンとガウチョの闘争を克服した純粋な平和が欲しいんです」

「内なる声が貴女に伝道師になれと?」

「なんとなく、そういう気がして」

 議論している間もハーモニーは段ボール箱を開け、検品を続けている。

「貴女、役柄(ロール)に殺されてしまうわ」

 ハーベルトはタングステンの照らし出す少女の相貌がどこか白鳩に似ていると感じた。


 偵察兵が持ち帰った最新情報に基づいて奇襲が立案された。バレット湖は断崖に囲まれており陸路での迂回を困難にさせている。国境線に沿ってレイヴン族の要塞が湖を分断している。大口径砲や機銃が配備され正面突破は無謀に思えるがダイマーウェポンの敵ではなかった。

「敵の主力が点と線を結ぶ武器であることに比べ、こちらの利点は面制圧兵器(マップウエポン)です」

 バンダオリエンタル軍の指揮官は、文字通り津波による波状攻撃で出鼻をくじく作戦を立案した。続いて、高波を押し立てて三方向から主力部隊が進軍する。隙間を埋めるように湖に沿って援護部隊が二手に分かれて回り込み、湖岸を掃討していく。各派が要塞の中央部で合流したあと、一点突破を狙う。

 要塞の内側には敵主力部隊の潜伏が予想されるため、先ほどの援護部隊が今度は露払い役を担う。もちろん、ガチでやりあうと各個撃破されてしまう。臨機応変に密集隊形を組織して敵兵力の分断をはかる。

「問題は強襲揚陸した後よ」

 ハーベルトは陸戦経験に乏しいバンダ軍の錬度を懸念している。最終兵器の出番がなければいいが。


 ■ 奇襲、暗夜行路


 魔術という言葉に心惹かれる者なら、水晶級を覗いてこの世ならざる世界を垣間見る占い師に憧れているだろう。この力は秘伝や厳しい修行を積まなくても簡単に手に入る。それは量子コンピュータによる光学補正だ。電子の天邪鬼的振る舞いの一種である「量子」は女性のように気まぐれで曖昧で矛盾した行動をとることで原子物理学者たちを悩ませてきた。コンピューターの分野においてどんな思考も0か1か二種類の論理演算子に還元できる。しかし量子は同時に相反する値を取ったり、否定しつつも肯定に含みを持たせたり実に人間的な態度をとる。この量子を逆手にとって複雑怪奇な現象を爪楊枝のように解きほぐすことが可能だ。

 ハーベルトたちは揺らめくバレット湖に量子オペラグラスを向けている。それは無数の波紋に砕かれた対岸の夜景を箒で掃き集めるように復元してみせた。

「灯火管制でもしているのかしら。バンダオリエンタルは空軍力を持っていないのに」

 保線区武装司令部つきの女子斥候は波長帯域を可視光から赤外領域に切り替えて再スキャンを試みた。向こう岸はレイヴンの中心街アアドバーグ市だ。高層建築はなく、レンガ倉庫や平屋が立ち並ぶ典型的な片田舎だ。それでも電気ガス水道ぐらいは普及している。

「電熱器、ガスコンロ、その他、化石燃料を使用している痕跡はありません。映像を中継します」

 上陸用舟艇(エルエムシー)の操舵パネルに赤外線映像が浮かび上がった。水墨で描かれたメインストリートは夜のとばりに沈んでおり、飲食店の厨房にすら冷え切っている。ハーベルトが屋内に人間の気配は無いかと無理難題を押し付けたが、斥候はきっぱりと断った。

「体温までは検知できませんよ。その代わりに二酸化炭素の排出量を調べてみましょう」

「さすがは理系女子(リケジョ)ね。目の付け所が違うわ」

「閣下、見つけました♪」

 港の倉庫から奥まった場所に商船大学のキャンパスがある。その裏手に体育館やクラブハウスが密集している。人間の呼気と思しきガスが漏出している。

「伏兵が潜んでいるのね? 貴女、アアドバーグに詳しいでしょう?」

 閣下は地元事情に明るいハーモニーに意見を求めた。しかし彼女も陣頭指揮を執っているわけではないので生き字引ではない。

「路地裏が入り組んでいるんですよ。わたしですら知らない袋小路があります。地の利を生かしたゲリラ戦やブービートラップが懸念されますね」

「泥沼だけは避けたいわ。二量体兵器を使わずに街を無力化できないかしら」

 ハーベルトはバンダ軍が決定打に欠けていると判断した。しかし、過剰な戦力投入はアアドバーグ市の壊滅につながりかねない。

「目的はあくまで速やかな首都機能の掌握と新政権の樹立です。肝心の市民がゲリラに転じては元も子もありません」

 市街図の前でハーモニーが攻めあぐねていると祥子がひらめいた。

「裏山があるじゃない。トンネルを掘ればいい。台座分水嶺でやったみたいに。ドイッチェラントの土木工学が世界一なんでしょ?」思いがけぬ提案にハーベルトは考え込んだ。ハンディートーキーで保線区武装司令部と可能性を検討する。

「奇襲に乗じて掘削するなら数時間とかからないそうだわ。でも……」

 鉄道連隊は工事中の安全確保に疑問を呈した。

「山の上から市内へ催眠ガスをまいたらどうかな。枢軸の医学薬学も世界一なんでしょ?」

 祥子が化学兵器による投射制圧を持ち掛ける。

「できます! RT23固体燃料ロケット移動発射台車を使いましょう」

 ハウゼル列車長の発言が作戦を後押しする。ドイッチェラント本国に伝令が飛び、エルフリーデ大総統が二つ返事で承諾した。

 世界首都ゲルマニア郊外の針葉樹林。カーキグリーンの長大編成がゆっくりと動き始めた。一車両全長30メートル。ディーゼル量子機関車が運搬発射装置車、管制室者、運用要員コンパートメントカー、電源車、超長距離量子中継車などを牽引して多世界軌道をひた走る。

 その脇を掘削列車が巨大なドリルを振りかざして追い抜いていく。


 ■ 枢軸特急ノーストリリア中央駅前広場


 シドニー芸術劇団の新作発表会見で座長シャルルロアはニキータのプリマドンナ就任を大々的に喧伝した。ドレスを脱ぎ捨てると深紅のレオタードが閃光の連射を浴びた。ニキータは肢体を飴細工のように曲げて夕刊のトップを飾った。表舞台には裏もある。先代プリマドンナはシャルルに見捨てられたとたん、狂ったように泣き叫んだ。

「君は劇団の英雄だ。長年の功労を讃えてふさわしい花道を用意しよう」

 座長が鼻先に引退公演をぶら下げるも、彼女の混乱はおさまらない。「どうしなのよ〜。わだじ、じにだい〜〜」

 四十路間際の彼女はこれまで演劇を恋人にしてきた。彼女の芸一筋に惚れこんだシャルルは敢えて手控えてきたのだ。

「おめでと★」

 フィニストはニキータの耳元で祝福した。彼女の邪気にあてられたニキータは大先輩の没落など彼岸の出来事だ。

「フン。無様な散り際ね」

「ニキータ。その調子よ♪ だんだんと黒ずんできたじゃない」

 魔女はプリマドンナの二の腕をみやった。黒鷹の羽毛がちょろちょろと生えている。

「貴女が来てわたしは未熟さを思い知ったわ。黒死病鳥の役を得てこそ、わたしは完璧に輝けるのよ」

 ニキータは泣き虫につかつかと歩み寄ると、思いっきり引っぱたいた。

「いつまで座長を困らせる気? 分別のない女は嫌いよ! 行きましょう」

 シャルルの腕を取って記者団の中に消えた。

 翌朝の一面に黒い見出しが躍った。元プリマドンナの転落。第一発見者はホテルのメイドで、本人は浴槽で心肺停止状態だったという。


 ■ バンダオリエンタル港引き込み線貨物駅


「螺旋は漢(おとこ)の浪漫だと言うけど、男に独占させるわけには勿体ないわ♪」

 黒光りする円錐の下でハーベルトが相好を崩した。

「ハーベルトって、意外と悪趣味なんだね」

 祥子が興味なさそうに呟くと、ハーベルトは肘鉄をくらわした。「男の癖に」

「ボクは女子だよ?」

「ほぉんと、あんたっていけ好かない子。都合の悪い時だけ女になるなんて」

 二人がじゃれあっている所へ留萌が飛んできた。

「大変よ。マリアンヌが!」

 ◇ ◇ ◇ ◇

 ベテラン二量体兵器技師の自殺未遂は枢軸に大きな損失と衝撃をもたらした。予定通りなら勇退は三年も先だ。悠々自適で後進の育成にあたるはずだった。何が目算を狂わせたのか。

「シャルルの変心は想定外よ。どんな恋の魔法が彼を狂わせたの?!」

「フィニストです! 彼女はある物を手に入れようと躍起になっているから」

 困惑するハーベルトにフードテロリストの長が答えた。

「彼女のお話を聞かせて」

 ハーベルトは敵を知ろうとハーモニーから洗いざらい聞き出した。

 鷹のフィニストはレイヴンを独裁する魔女だ。その出自や経歴は定かでない。彼女の食糧政策は一定の支持を得ており、賢帝の誉れも高い。大衆が彼女に望むものはすべて平等配分され、見返りに隷属している。それ自身は安定した原始共産制の理想形といえるが、問題もないわけではない。住民は美食を求めるあまり健康を害している。それでも飢える者は一人としておらず、曲りなりも社会は安定している。ただ、盤石とはいえない。体制の強化を唱える保守層がガウチョの一掃を唱えている。生存競争に勝つためには必要不可欠な要素がある。

 熱力学第二法則の克服だ。バレット湖畔の無秩序エントロピーが増大の一途を辿る原因はガウチョの存在にあるという。その声を受けてフィニストは連合に活路を求めた。彼女が異世界クラスの壁を越えてノーストリリアに渡れるのは連合の技術支援があるからだとハーモニーたちは見ている。

「連合と彼女の利害は一致しました。二量体兵器の熟練者は物理測を歪曲します。ただ、まだまだ錬成が必要です。それでフィニストはマリアンヌより若いニキータに一目惚れしたんです」

 ハーモニーはそう締めくくった。

「鷹の御婦人は具体的に彼女のなにがお望みなの?」

 長話に聞き飽きたハーベルトは単純明快な答えを欲しがった。

「相補性ですよ。彼女は白鳥になりたい。可愛い子が持つ、ピュアで純粋な部分。それを手に入れようと大勢の女子を私物化しました」

「過去形。ということは、道半ばなのね?」

「はい。彼女と関わった女性は判で押したように奇怪な死を迎えるのです。遅かれ早かれ」

 ハーモニーは被害者の残酷な末路を語った。「黒死病というか。同名の病に比べて伝染性は極めて低いものの、体がどす黒く壊死するんです」

 ゾッとする話だ。祥子が身震いしていると、どこかから遠吠えが聞こえて来た。

 遠雷が急速に接近して、貨物列車が赤々と燃え上がった。

『バンダオリエンタル上空に大規模な熱力学偏差感知! 敵襲です!!』

 手すきのソジャーナーが服を破いて翼を広げる。すうっと夜の闇を滑って対空砲艦にとりついた。高射砲が屹立し、青白い曳光弾が弾道を点描する。

 バン、と腹に響く衝撃。駅舎が爆散し、肋財がホームに突き刺さる。オレンジ色の火球がくっきりと鷹を彩った。


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