黒死病鳥の畔(シュワニーシー)(3) 上陸作戦前夜
平凡な日常に鈍麻された危機感を一瞬で研磨する方法がある。炎天下の砂漠は遭難者の寿命を秒読みさせてくれる。過剰な熱量は泥岩から水分を収奪するだけではなくじりじりと融点に近づけている。
その生命を寄せ付けぬ過酷な乾期に絶対零度の人智が不毛な戦いを挑んでいる。電磁石がめざめ、液体ヘリウムが沸騰した。
氷片がきらめいて直射日光を七色に染めた。
『シュワニーシー信号区運転指令所よりTWX666Ω。あと二分で飢餓不可触領域に入る。アンチセプティックの準備を再確認せよ !』
『トワイライトエクリプスのぼりTWX666Ω 諒解。乗務員にアンチセプティックを支給します!』
留萌がバルブを開くとホースを向けられた二人は雪だるまになった。すぐさま空調がフル稼働して粉塵爆発を防いだ。メリケン粉をまぶしたマネキン人形たちが激しく咳き込んだ。
「ゲフンゲフン。これはひどい」
「ズブズブに腐って喪失(ロスト)するほうがマシでしょう」
列車長はブレーズ機関士の背中を連打して喘息を止めさせた。防腐剤が床に散らばった茶髪や長い黒髪を脱色していく。
「うぇ……」
漂白されたダミー人形が苦虫を噛み潰したような顔で毛くずを見やる。
「せっかくの防腐処理が台無しになるわ!」
ハウゼルがとっさにブレーズの目じりをぬぐう。「毛根細胞まで完全に破壊してくれるのよね」 留萌が恨めし気につるりとした頭を触る。
「ウイッグは退職後も会社が支給してくれるし、困ることは何もないわ」
ハウゼルはあきらめた様子で粉にまみれた太腿をショーツに通す。
「そういう問題じゃなくてぇ……」
ブレーズは乙女の将来不安を切々と訴えた。
「別に貰い手は男子だけじゃないわ」
列車長の指には八月の誕生石が輝いている。
■黒死病鳥湖線 終着駅
「梅干しの存在が乗務員たちの想像力を搔き立てたはずだ。この街がどういう状況にあるか」
「とても粗食で満足できそうにない」
祥子が小声で率直な意見を漏らすと、ハーベルトがひそひそと事情説明した。ガウチョたちは減少の一途をたどる漁獲量を補うために養殖で生計を立てている。バレット湖にはレイヴン側の生活排水が流入し水質が富養化した結果、肉食魚の飼育環境が整った。安価で脂肪分たっぷりな魚肉は原住民を一人残らず肥大化させた。
「えらい変わりようね。前は増えすぎた子供を平気で沈めていたのに」
「ハーベルトはここに来たことがあるの?」
述懐する彼女に祥子が尋ねる。役人どもはハーベルト達に目もくれず梅干しとおにぎりをほおばっている。
「枢軸特急は軍用列車よ。それよりもまた赤子たちを……」
ハーベルトは過去を詳しく語らず、顔を曇らせた。ガウチョの養殖業はレイヴンの襲撃にびくともしないほど大規模な事業だったが、損失を無視できないほど激化しているという。
「でもレイヴンは水鳥を主食にしているんでしょう?」
「その餌が不足しているんですよ」
祥子の疑問にバンダオリエンタル市長が憤った。「枢軸特急が来たからには好き放題させませんよ。不足分はじきに来ます」 ハーモニーが割って入る。
「ボロ負けしといてよく言う。しかも精鋭部隊が全滅だと?!」
バンダ市長はあからさまに罵倒した。ハーベルトは援助に関して大総統から委任状を得ており、それを担保に軍事協力を申し出たが、市側に一蹴された。バンダオリエンタルは予備役を総動員して独自防衛にあたるという。
「自分たちで護れるのなら、なんで助けを求めるんだよ!」
祥子が怒るのも無理はない。恰幅のいい歩兵隊は機銃掃射を皮下脂肪で防御できそうだ。
「冗談はさておき。我々の勝算は冗談ではない。切り札がある」
市長は祥子の悪態をサラリとかわし、ハーベルトに自信のほどを示した。
「重水素二量体兵器を使うおつもりなのね。馬鹿な真似はおやめなさい、と言いたいいところだけど、貴方がたには民族自決権というものがおありですものね。行きましょう」
これ以上は時間の無駄とばかりにハーベルトは祥子の腕をつかんだまま踵を返した。
◇ ◇ ◇ ◇
「ボクにはますます理解できないよ。物騒な兵器があるんなら最初から使えばいいじゃん!」
列車に戻った祥子は納得がいかないらしく、作戦会議室の机に脚を投げ出して天井を仰いでいる。
「貴女、ずいぶんと変わったわ。まるで核兵器を容認する鶏鳴世代のような物言いをするのね。
ハーベルトが言うには、重水素と酸素が形づくる重水の分子同士が互いの周囲を舞うことで様々な力学作用を生み出すのだという。そういうとセーラー服を脱ぎ捨てて、レオタード姿でクルクルと踊った。車窓からは湖面を蹴立てる水上艦艇が見える。駅前は広場を隔てて桟橋になっており、小型の揚陸艦から降りた内火艇(カッター)がスルスルと喫水を深めている。でっぷりとした水兵が甲板で演武を披露すると、しぶきがあがった。その一つが放物線を描く。水平線がパッと光った。数秒後、水面がおおきく窪んだ。
「津波が来るわ。緊急退避」
ハーベルトが命令するまでもなく揚陸艦がカッターを収容。全速力で海域を離脱した。海岸にそって高さ100メートル超の堤防がせりあがった。TWX666Ωは待避線を経て異世界の外へ退く。
「すごい」 祥子が戦闘指揮車で液晶モニターを眺めているとキノコ雲が沸き上がった。
「バレット湖底にはヘリウム3のガス田があるの。それらとダイマーが核融合したの。放射線を出さないクリーンな反応兵器よ」
「だったらますます枢軸は要らないじゃん」
「最終兵器だといったでしょう。そもそもガウチョは温厚な種族よ。それに副作用が半端ないの。わからない?」
ハーベルトの視線が湖面を滑る。浮き沈みする筏の間に銀鱗が輝いている。祥子は何となく言いたいことを察した。
「あっ、そうか。食料が駄目になっちゃうんだね」
「食べるものは政府が生産年齢人口を中心に配分するの。今日を支えている人が大切」
「そんな! 働けない子供や病人を切り捨てるなんて!」
冷徹な社会政策に反感を覚える祥子。
「ここは異世界よ。可能性がせめぎあう場所で排他されずに生き残るためには、厳しい生存ルールに従うこと。自分の故郷と同じように温く考えていると死ぬわ」
ハーベルトは厳しい現実を突きつけた。
コツコツとガラスを叩く音が二人に水を差した。
「隠れていては要件が聞けないわ」
凛としたハーベルトの声に十歳くらいの少女が答える。同い年の女子を数名引き連れているようだ。ハーベルトがタラップを降ろして迎え入れる。
「闖入者は載せないはずじゃ……。あ、ソジャーナー?」
祥子は女の子たちに異世界逗留者のオーラを見て取った。子供たちは敬礼した。きっちりとセーラー服を着込んでいる。
「ハーベルト閣下。失礼とは存じ上げますが急いでお伝えいたしたく――」
ちいさなイリーナ軍曹はバンダオリエンタルの不穏な動きを報告した。ダイマー兵器の使用は配給削減の弊害を招く。幼子を抱えた母親はたまったものではない。「あたしとミリナも死んじゃうんです」 九歳と七歳の姉妹が交互に訴える。
座して死を待つよりは、と婦人たちは反乱を準備しているようだ。
「喧嘩しなくたって食べ物なんかいくらでも」
祥子がスカートをめくってブルマの内ポケットから携行食料(レーション)を出した。少女たちはブルンブルンとかぶりを振る。
「配給は政府が主管しているの。これは絶対の掟」
ハーベルトが言うには階級闘争を防ぐ目的で援助物資を含めて市が一元管理し平等配分しているという。フードテロリストも市内に限っては当局の管理下で支援活動している。
「みすみす女の子たちを見殺しにするの? ねぇ、ハーベルト」
すがりつく祥子をハーベルトは切り捨てた。
「一から十までしてあげるのは連合の思想よ。枢軸は自立を貴ぶの。あたしたちの支援(ダンス)は最後(トリ)よ」 セーラー服の肩をはだけて
「じゃあ、死人が出るのを見過ごすの?」
ピーピーと着信音が鳴った。
「待って!」
彼女は祥子を遮って、ハンディートーキーに耳を傾けた。
「シドニーで銃撃戦が? ええ……わかった」
そして険しい表情で答えた。
「リンドバーグの壁が活発化してるの。連合が攻勢を強めている。レイヴン側に潜入するわよ」
ハーベルトはハーモニーを交えて次善策を練った。二人の話を総合するとレイヴン族は連合国の支援を受けて後方撹乱戦術を活発化させている。シドニー芸術劇団の踊り子たちは
「フィニストはレイヴンの守護神で定期的に婚約者を求めるんです」
ハーモニーはドイチェラントSSが壊滅した件とシドニー襲撃を結び付けた。枢軸特急の路線はここからノーストリリアまで伸びている。
「TWX666Ωが来る前にフィニストは邪魔者を排除したかったのね」
ハーベルトが死んでいったソジャーナーたちを思い起こした。
「フィニストが出払っている今が好機です。レイヴンに新政権を樹立しましょう」
ハーモニーが意気込むが祥子は半信半疑だ。「革命なんて起きないよ。レイヴンの人々はガウチョから得た物資で満足しているんでしょ?」
壁のキャビネットからハーベルトが黙って写真集を取り出した。痩せこけて目が落ちくぼんだ子供たちがカメラを睨んでいる。
「食料は足りているはずじゃ?」
祥子が食い入るようにレイヴン児童に見入る。
「違います。この子たちは病気なんです」
ハーモニーは深刻な生活習慣病が全年齢層に蔓延していると述べた。彼らの膚は黒い痣や斑紋で汚れている。祥子はここが黒死病鳥の湖と呼ばれる理由が何となく理解できた。社会病理が市民を守るべき機構に機能不全をもたらしている。
「鷹の居ぬ間に汚物の洗濯よ。大型発動艇を降ろしてちょうだい」
TWX666Ωの兵士たちはハーベルトの指揮下で貨物車から上陸用舟艇(エルエムシー)を進水させた。重戦車を搭載できる頑丈な船だ。
「夜陰に乗じて湖を突っ切るわよ」 ハーモニーが揚陸部隊を岩陰に隠した。
■ シドニー芸術劇団控室
「今度の舞台が一人二役だなんて聞いてません!」
取り乱すニキータをシャルル座長は懸命になだめていた。
「経営陣が僕の反対を押し切ったんだ。人件費のスリム化ができなきゃ興行から撤退する、と」
「冗談じゃないわ。シュワニーシーは恋姫が鴉に横恋慕する話でしょう? あたしに男役を演れっていうの?」
シャルルの板挟みは重々承知の上だ。だが、それを押し付けられる現場の困惑もわかってほしいとニキータは思う。
「了承を得て脚本を変更する。恋姫である君が『雌』の鴉に浮気するんだ。王子には死んでもらおう!」
「名作がぶち壊しだわ! まるでストリップ小屋の出し物じゃない!! 観客は男子限定にするつもり?」
ニキータは繊細でしなやかな踊りを売り物にしてきた。私生活では鬱病気質であり、暗黒面を演じろと言われればできなくもない。ただ、それを前面に押し出しつつ善悪を演じ分けるなど曲芸の極みだ。
「それで、この子を抜擢しようってわけね?! キィィィーーっ!」
彼女は狂ったように競争相手の首を絞めた。
「落ち着けニキータ! 君をお払い箱にする気はない。パメラは……おい、ちゃんと最後まで話を聞け!」
シャルルが荒ぶる踊り子を引っぺがそうとパメラに縋りつく。そこへフィニストが姿を現した。
もっともニキータ本人の視野限定であるが。鷹はくちばしでニキータのドレスを背中から裂いた。スーッとドレープスカートがパニエごと床に落ち、ツンを突き破って黒々とした尾羽が生えた。
「クェーッ!!」
人ならざる声をあげて半狂乱の女がシャルルに襲い掛かる。その背後では大きな影が男の頭をついばんでいた。
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