黒死病鳥の畔(シュワニーシー)(2) 舞戦社会の病理(アトテーゼ)

 

 ■ 異世界 シュワニーシー


 変化が遅々として進まない封建社会において、保守派の牙城を突き崩す役割を担う層が常にいる。


 人種やアイデンティティーに対する社会の態度を変える第一歩は食習慣の改革だと武闘派慈善家(フードテロリスト)のハーモニーは考えている。


 空を丸ごと切り抜いた湖面を急峻な丘が一周している。水鳥たちがのんびりと飛び、羊飼いと家畜の群れが広大な景色に活力を与えている。黄昏に照らされて彼女は憂う。この美しい土地に魅せられた画家や異世界旅行者のうち、何割が血塗られた歴史を顧みるのだろう。シュワニーシーはオレンジ色がかった茶色の岩肌が多く、荒涼とした様相が見る者に不動の影を落とす。それに心を奪われた者は自身のよどみをこの土地特有の不満と無気力に乾燥され、憤懣をより堅固な憎悪へ結晶化させていくのだ。

 《なぜ、戦わぬ?》

 内なる声に突き動かされた人は、やり場のない不満と行先のない目的意識をものの見事に結合され、より一層深い衝撃に打ちのめされる。ゆえに「シュワニーシーは罪作りな土地だ」、とあまたの紀行文は警告している。善人は善人であるほどにその良心と反比例する規模の仮想敵を内外に抱えている。それを増幅する悪魔的な作為が風景に仕組まれている。これも淘汰の摂理を支える妙か。

 バレット湖の生体系は決して人間に厳しい環境ではない。植物相(フローラ)こそ豊かではないが、動物相(フォーナ)がそれを補って余りある。動物性蛋白質は効率的な栄養源だ。食物連鎖に拍車をかけてくれる。そして湖の周りには食うか食われるかの戦いが休むことなく繰り広げられ、進化に弾みがつくのだ。

 戦争のある所に食料事情がつきまとう。じっさい、闘争の歴史には土地争いがつきものだが、元をただせば食い物の奪い合いが絡んでいる。

 バレット湖畔の勢力図はもっかのところ均衡している。沿岸の水鳥を主食にしている狩猟民族レイヴンと漁民のガウチョ族。ステロタイプなレッテルを貼るなら前者は獰猛、後者は温厚。もっとゾロアスター教的な二元論で分類するなら悪と善、といったところ。典型的なレイブンの父親とガウチョ人知識層の母親を持つハーモニーは自分のDNAが既に変革をもたらしていると自負する。

 水と油の二人がどうやって恋に落ちたのか詳細は知らない。彼女はただ、単に両親が彼女を身籠った事、それ自体が胎動の証明だと信じている。

 フードテロリストは食文化をはじめとした様々な情報発信で二大陣営を攪乱し、貧困層にゲリラ的な有形無形の援助を行う。そしてバレット湖じたいが製造する憎悪の連鎖に歯止めをかけたい、とハーモニーたちは願っている。


「ここ数日、フィニストの姿が見えないようだけど」

 彼女は湖畔の偵察から戻ってきたばかりの女子斥候(ガールスカウト)に尋ねた。

「さぁ。どうせまた嫁探しでしょう。彼女は飽きっぽい癖に惚れ込んでしまう性格(たち)ですから」

 鼻筋の通った美少女は肩をすくめて見せた。

「そうだといいんだけど。彼女が長く留守する時に限って……」

 ハーモニーが経験則に基づいた懸念を述べると、それを裏付けるように無電が鳴った。

「やられました! 向こう岸の浅瀬で。レイヴンの奇襲です!!」

 枢軸国緊急援助隊全滅の知らせにハーモニーは耳を疑った。

「だって、ハートレー大総統じまんのSSが護衛していたのでしょう?」

「ええ、部隊556は精鋭中の精鋭だと。あたしも確かに聞いてました。でも、実際にやられちまったんでさ!!」

 ブルドッグのように弛んだ女が声を震わせている。大総統を崇拝するハーモニーは枢軸を妬む卑劣な工作であると断じた。

「レイヴンに決まっているわ。ゲルマニアと連絡は取ったの?」

「はい。大巫女長大総統閣下はすぐさま枢軸特急を差し向けて下さると」

 フードテロリストに肩入れしているドイッチェラントの富国強兵策は敗北の二文字を許さない。迅速な対応にハーモニーは安堵した。「わかったわ。あたしもすぐ行く。それまで頑張れれるわよね? 貴女は強い子だから」

「持ちこたえて見せます」

 小隊長は気丈に答えてみせた。


 ■ 台風クラス


 校内暴力の猛威が全国的に吹き荒れるなか、蜂狩(ばちかり)市教育委員会は厳しい態度で臨んでいた。その中でも鵜匠中学はまだおとなしい方だ。ガラス一枚割れていない。それでも教師がひとたび現場を離れるや否や蜂の巣をつついたような騒ぎになる。一年二桁クラスの職員会議で藤野祥子の校則違反が取りざたされている。生徒手帳の心得には頭髪の長さから下着の色まで事細かに規定されている。特に女子はスカートの丈が長すぎるないこと――何センチ以内とやたらうるさい。

 問題になっているのは祥子のスキンヘッドだ。「女子の髪は肩にかからない程度。パーマネントや脱色着色は禁止」とある。


「……でありますから、女子の剃髪など言語道断でありまして」

 禿散らかした教頭が自分を棚に上げて声を荒げる。

「同感ざます。これは規則の盲点を突いた卑劣な挑戦に他なりません。担任として現状をどうお考えですノ?」

 オールドミスの生活指導員が目を逆三角形にして荒井に詰め寄る。

「でも、定木(さだき)先生。藤野は火傷を負っているんですよ。毛根が完全に死んでいると医師も」

「黙らっしゃい!」

 定木と呼ばれた女教師は天然パーマや地毛と称して頭髪検査を突破する不良どもと祥子を同列に論じた。むちゃくちゃな人権侵害であるが、昭和の管理教育特有のゴリ押しが暴論を容認している。

「では逆にお聞きしますが、藤野にカツラでも被せておけと?」

 目には目を歯には歯を。風吹は極論で応じた。

「そんな特例を許せば丸刈り強制を嫌がる男子に口実を与えかねない」

 体育会系の男性教諭が異議を唱えた。

「でも藤野に倣って女子が頭を丸めたいと言い出したらどうするざます?」

 定木綽子(さだきしゃくこ)が議論を卓袱台返して会議は本日八回目のループに入った。


 昼休みのチャイムが堂々巡りを断ち切った後、風吹は疲れ切った顔で教室の扉を開いた。十三組は予想以上に荒廃していた。机の列は乱れ、男子は短パン一丁。女子は上半身セーラー服にブルマ姿で両足をだらしなく机に投げ出し、無造作に脱いだスカートをボストンバッグに突っ込んである。あまりの惨状に堪忍袋の緒が切れた。風吹が一括すると喧騒が消し飛んだ。恐怖と静寂が支配する教室に怯えた視線が錯綜する。その向かう方向を察して風吹が振り返ると、あろうことか黒板がいたずら書きに蹂躙されていた。藤野祥子と乱暴に名前が書きなぐってある。その下に彼女を模したと思しき落書きがある。禿頭の天使が両足の間に火星を象徴する符号をぶら下げている。号泣の主は被害者本人だ。教壇の傍らで

 男子生徒の制服を着て横たわっている。

「お前ら、藤野にこんなことをやって許されると思っているのかぁ!」

 風吹は激情のあまり、ワンピースドレスを胸元から一気に引き裂いた。淫靡な黒下着がグラマーな肢体を申し訳程度に覆っている。

「藤野はわたしと同じ女子だよ。目ン玉、カッ穿(ぽじ)ってよく見ておけ!」

 祥子の学ランを手早く脱がせて、丸めたまま男子生徒に投げつけた。下着一枚の祥子を連れ立って見せつけるように教室を後にした。パンツ姿の師弟に乱入されて保健室の女医は言葉を失った。風吹は棚から貸し出し用の制服を取り出して、茫然自失した祥子に着せた。自分も袖を通し、足早に立ち去る。

「藤野さん。今日はもうおうちに帰りましょう。わたしが送っていくわ!」

「だって、先生……」

 祥子は担任の立場を心配した。

「いーのよ! あの調子じゃ今日一日、いや、今週いっぱいかかっても結論は出ないでしょう」

 喧々諤々の職員室を素通りして校門を出る。駅に向かう道すがら、荒井の色香に通行人がハッとする。

「先生、さすがにセーラー服は拙いよ」

 祥子が袖を引っ張る。

「あぁら。わたしはこの春まで、花も恥じらう女子大生ぇ〜♪ だったのよ! じゅうぶん現役で通用するわ」

 ノリノリの風吹は改札員の不信感をやり過ごし、連絡通路の突き当りを目指す。常園駅は支線を含め上下三本のホームがある。十三番線はオイルショックの煽りを受けて未成線のままレールが藪の中に消えている。時刻は十六時四十分を回ったところだ。二人の足元にドライアイスの雲が沸き立つ。祥子が先頭に立つと通路の前途が開けた。

 コンクリート打設の壁が取り払われて、今にも消え入りそうな電光掲示板が青白く光っている。


【十三番線 枢軸特急乗換案内】


 プラットフォームは在来線と違って清潔で近未来的なデザインだ。ただ、空調が万全でないらしく、どんよりとした空気を湿った風が混ぜ返している。

「なんだかジメジメして滅入りそうな雰囲気だわ。それに誰かに見られているような」

 風吹が背中にもぞもぞとした視線を感じていると、ピィッと警笛が鳴った。いつの間にかTWX666Ωが入線している。

「うんぎゃあ!」

 彼女は盛大にしりもちをついて、レースの黒パンを披露した。

「そこの貴女!」

 ハーベルトが部外者を連絡通路につまみ出した。風吹は透明な壁に手をついて必死にまさぐっている。彼女からこちら側は見えないようだ。

「いくら何でも担任の先生を! ムチャクチャだよ」

 祥子がハーベルトの強硬措置に抗議すると「命まで取らなかったことに感謝なさい」と諭された。荒井はすぐさま駅員にしょっ引かれた。

「言ったわよね? 障害は力づくで排除するって。今度は貴女が仕事をする番よ」

 ハーベルトは毅然とした態度で祥子に乗務を命じた。発車メロディーが流れドアが閉まった。


『次の停車駅は”黒死病鳥の湖” 到着予定時刻は六時六分。次は黒死病鳥の湖』

 車内アナウンスが流れる中、ハーベルトは祥子を例によって指先いっぽんで全裸に剥いた。翼をスクール水着にねじ込み、レオタードの肩紐を舞台衣装(チュチュ)と一緒に引っ張り上げる。

「嫌だなあ。これじゃあボクはまるで踊り子みたいだ」

「女の子でしょ。わたしも着込んでる。今回の任務に不可欠なの。文句はいわない」

 ハーベルトが自らスカートをまくり上げてアンダースコートからチュチュの裾を垣間見せた。祥子はぶつぶつ言いながら旅人の外套フラショナルスーツを纏った。

 ウイッグを被り、鏡の前でスカーフを結ぶ祥子。いくぶん様になっている。

「今日は不気味なところへ行くんだね。で、なんで踊り子なの?」

 当然のようにハーベルトが答える。

「黒死病鳥湖(シュワニーシー)は集合無意識に突出した孤島よ。連合は枢軸の実効支配を認めていない。堂々と侵犯して不安定化を図ってる。もちろんドイッチェラントも黙っていないわ。相応の支援をしている」

「そんなちっぽけな場所がどうして大切なの? 南怒涛港市みたいな交通要衝だとか、希少資源が埋蔵しているとか?」

「物だけじゃなくて人が重要なの。そこの住民達は仲良く喧嘩している」

 ハーベルトは湖畔の絶妙な軍事バランスを解いた。戦争は害悪ばかりではない。経済効果や技術革新に寄与する。互いの破局を上手に回避している彼らから学んだ事を枢軸は「壁」との戦いに役立てているという。

「その『技術』と踊りが関係あるの?」

「大あり。今回は特別にダンススタジオが連結してあるわ。戦局を左右できるまでみっちり稽古してあげる」

「ええ〜?」

 ハーベルトは嬉々として祥子の手を取った。古臭いラジカセが奏でるクラブミュージックに合わせて嫌々ステップを踏んでいる内に祥子は心が弾んだ。

「あれっ、ハーベルト?」

 祥子が急にストップボタンを押した。カセットテープが絡まってキュルキュルと囀りはじめたからだ。

「おかしいわね? ひゃっ!」

 ハーベルトが取り出しボタンを押すと、カセットの代わりにウズラの卵が飛び出した。ポンと彼女の額で割れて黄身が広がった。

「鳥が車内に?」

「しっかりなさい。祥子。仮に紛れ込んだとしても、こんなところに巣を作るはずがないでしょう!」

 ハーベルトに咎められて祥子はハタと思い当たった。二人は顔を見合わせる。

「「リンドバーグの壁!」」


 ■ 黒死病鳥バレット湖畔。


 べっとりとした油が日の光で虹色に輝いている。破裂したタイヤや焦げたコンテナが死魚のはらわたのように浮き沈みしている。


「こっぴどくやられたわね」

 ハーモニーは損害を目の当たりにしてガックリとうなだれた。

「弾痕や硝煙反応は全く検出できません」

 実況見分していた技師が残骸のサンプルを提出した。パーツはどれも引きちぎれたりねじ曲がっている。

「ご覧の通り、破壊は物理的作用によるものです。が、力の掛かり方が不自然です。外圧というより自壊したというか……」

「兵器の仕業じゃないというのね!」

 ハーモニーは決めつけた後、虚空に犯人を捜した。

「私もそう結論付けます。フィニストの仕業でしょう」

 技師は忌々し気に空を仰いだ。


 ◇ ◇ 

 オペラハウス前。ニキータはフラッシュの艦砲射撃を浴びている。

 白後家蜘蛛の初演は大成功に終わった。シャッター音と記者の質問が機関銃のように飛んでくる。せわしなく白濁する世界にときおり、血の色が混じる。

 ニキータは見当識を失った。自分は劇場と戦場、どちらにいるのだろう。

『怖がることはないわ。あたしと契約したんだもの。あんたを立派な黒鳥に育ててあげる』

 フィニストが耳元でささやく。ニキータが肩を震わせているとシャルルが駆け寄ってきた。

「ああ、わが君(きみ)よ。随分探した」

 甘い声がニキータの緊張を優しく解きほぐしていく。

「ああ、座長。オーディションのことなんですけど来週のいつ頃」

 彼女の質問を見たこともない小娘が遮った。

「ええっと、ニキータさん?」

 シャルルが若い女を紹介する。

「ああ、言ってなかったっけ? 脚本を変更することにした。ダブルキャストじゃなくて一人二役だ」

 ニキータの背筋がさあっと凍った。

「そんな! じゃあ、あたしの役は……」

 《ブッコロシテヤル。コノ小娘ヲブッコロシテヤル》

 異議を申し立てる声に鷹の罵声が重なった。


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