リンドバーグの壁

 ■ トワイライトエクリプス666号


『次の停車駅は南怒涛港(みなみどとうこう)。南怒涛港。到着予定時刻は8時8分 本日は枢軸特急トワイライトエクリプスをご利用いただき誠にありがとうございます。乗り換えのご案内です。紀元五億年アメイジア大陸中央へお越しの方は濁流特快ユーべルシュタイン。9時11分、ホーム変わりましてπ番線から……』


 甘ったるいウグイス嬢とは打って変わって、漆黒の闇に凛とした声が響いた。


『【豹変】運転機関区総合指令基地より、枢軸特急のぼりTWX666Ω。速度照査を完了した。点照査・連続照査・パターン照査、すべてグリーン。』


「こちら、TWX666Ω 速度照査オールグリーン。諒解♡」

『まもなく南怒涛機関区に入る。指令業務を委譲するにあたって特記事項は?』


「豹変信号所マイナス50.00、鵜翔駅付近にて下り線に要補正(ゆがみ)を現認」

『南怒涛機関区施設指令、諒解。マルタイを急派する』


 指令基地はレールのゆがみを補正する工事車両を出動させた。僅かなズレでも放置しておくと脱線事故につながりかねない。


「対応終了現認。お疲れ様でした♡」

 ふわふわした声が硬直した緊張感を解きほぐしていく。


「ふぁ♡」

「んーっしょ♡」

「イタタタ。腰が……」


 不特定多数の命運から解放されて女たちはめいめいの安らぎに入った。

 操縦室を彩る原色のきらめきは京浜工業地帯の夜景を連想させる。


「ここから南怒涛港ミ・ド・コまではATSにお任せよ♪ 楽になったもんだわ」


 腰痛を訴えている女はリーダー格のようだ。女性運転士はシートを思いっきりリクライニングさせ、ミニスカートの中からアンダースコートが丸見えになるのも気にせず、うんっとのびをする。


「ねぇねぇ。ハーベルトが可愛い子を乗せたんだって♡」

 機関士が森の小動物を思わせるような声で囁いた。

「こら、乗客のプライベートは禁句よ」

 腰痛女がたしなめる。

「あらぁ。列車長。知らなかったんですか? 鵜翔で新しい異世界逗留者(ソジャーナー)を採用したって」

「そんなの聞いてないわ。ブレーズ! パンセはどこ行っちゃったの?」

 床に足を投げ出してた機関士が眠そうに答えた。


「留萌(るもい)から聞いてなかったんですか? 喪失(ロスト)したって」

「そうですよ。出発前のブリーフィングで報告した通りです。もっと芯の強い娘(こ)だと思ってました」


「報告書漏れは第一級ペナルティよ……――?! いや、ちょっと、待って」

 列車長は腰痛をこらえて棚のファイルをチェックしていたが、何か重大な異変に気付いたようだ。蒼ざめた表情からブレーズが真意を読み取った。


「さっきの要補正(ゆがみ)!」

「ギアをバックに入れましょう!」

 先走る運転手を列車長が静止した。


「待って留萌。運転指令に連絡して!」


 緩んでいた車内の空気が一気に緊迫した。運転士たちはレールの異常とソジャーナーの失踪を関連付けて具申した。それにしても乗員の一人が忽然と消え失せたというのにこの緊張のなさはどういう事だろう。彼女たちと異世界逗留者の待遇に克服しがたい壁があるというのか。しかしハーベルトが補充要員を即決で現地採用する権限を持っていることからそうではないと考えられる。それとも乗務員の損耗は日常茶飯事だというのか。


 ■ 乗務員室


「そもそも君は何者? 誰と戦っているの?」

 女の敵と聞けばまず男が思い浮かぶ。正体不明の相手に敵と戦えと言われて祥子は不信感を募らせた。思い返せば謎だらけだ。藤野家が命を狙われる理由も理不尽だし、ハーベルトが清廉潔白だという証拠もない。そして何より昭和生まれの彼女には戦後教育が行き届いていた。


 じっと押し黙ったままのハーベルトにピシャリと言い返す。


「戦争なんてボクはごめんだ。大人達から嫌というほど聞かされた。それに犯人捜しは自衛隊じゃなくて警察の仕事だよ。降ろして」裸のまま乗車扉を強引にこじ開けようとする祥子。厳重に施錠されている。彼女は血眼で非常ボタンを探した。

「そうはいかないわ。貴女はトルマリンソジャーナーだもの。あと、そこに探し物はないわよ」

 後からハーベルトが強引に組み伏せる。二人が揉みあっていると列車が大きく揺れた。

『緊急業務連絡。S44。各号待機』

 アナウンスが尋常ならざる事態を告げる。

「S44? いけない!」


 ハーベルトは祥子を放置して乗務員室に舞い戻った。「ちょっと待ってよ。何が起きたの?」 ぐずっていた祥子が後を追いかける。「リンドバーグの壁が動き出したの。いきなり実地研修よ。手伝ってちょうだい」


 乱暴にロッカーを開け放ちパンパンに膨れた紙袋を二つ取り出す。

「オリエンテーションは着替えながらするわ。私の通りにして」

 ペラペラの薄いパンツを両手で広げて、片方の穴に足を通す。腰まで引っ張り上げたあと、祥子の分を投げてよこす。

「え~。こんなエッチなパンツをはくの~~? これじゃコマネチだよ~~」

「死にたいのなら無理に着替えなくていい。未来永劫窒息に苦しみぬいて死にたいのならそれでいい。貴女だけじゃなく、ご両親も、お友達も、いいえ、世界中の女を、これから生まれてくる子を含めて悶絶の渦中に投げ込みたいのなら、そうすれば?!」


 女性特有の二者択一をヒステリックに迫る。祥子は同性の嫌な面を見せつけられた。従順するふりをして黙らせるしかない。


「はいたよ。パンツ☆」


 祥子は腰に手を当てて開き直る。

「最初っからそう言ってよねッ!」

 ハーベルトはすっかり母親気取りで祥子の着替えを手伝う。異世界逗留者は翼を縛り隠す為に特別な下着で補正するという。ストラップレスのブラにビキニのボトム。左右の羽根をワンタッチ傘の要領で折りたたんでワンピース水着の中に託しこむ。そこまで着替えてハーベルトは窓の外を見やった。何かしら気になる様子でしきりに視線を走らせている。


「どうしたの」と祥子が聞くと「いいえ。何でもないの」とかぶりを振り、ロッカーの奥から包みを取り出した。広げるとスーツ上下が二着出てきた。まず、ブラウスに袖を通し、タイトスカートを履く。祥子も見よう見まねでネクタイを結んだ。

「今日は最初だし、軽装委で行くわ。着替える時間がないの。旅人の外套フラッショナルスーツは異世界から身を守ってくれる」


 ハーベルトは片膝を立てて靴ひもを結んだ。指を隠し扉に触れて物騒なアサルトライフルを取り出す。予備弾倉を腰に巻き祥子にも一式を渡す。生まれて初めて見る銃に祥子は恐怖した。だが怯んでいる暇はなかった。ハーベルトは大股の綺麗なストライドで喧騒の中を走り去った。


「待ってよ」 祥子も後を追いかける。

『緊急業務連絡 S73。担当者は十三号車へ』


 アナウンスに従って二人が駆け付けると迷彩色のワンピースを着た女性兵士が整列していた。小麦色の素足にブーツ。ヘルメットから後ろ髪が腰まで垂れている。ゴーグルの奥に真剣な眼差しが垣間見えた。


「この人たちはいったい……」

 祥子の質問を号令がかき消した。

「「「「ハーベルト閣下に敬礼ッ」」」」


「堅苦しい挨拶は抜きだ。諸君の活躍で混乱は最小限に抑えられている。私と藤野が事態収拾に当たる」

 彼女が言い終えると女性兵士達はいっせいに窓を開け放ち、銃を外へ向けた。枢軸特急はトンネルを抜け夜の湖上をひた走る。初春の星座が橋脚の間にきらめいている。 長い長い汽笛が後方から聞こえる。水平線に鉄橋が見える。その上を黒い車両が駆け抜けていく。向こうの路線は急速に接近して本線と合流した。枢軸特急と等速度で並走する。


「藤野!」

 顔なじみに呼びかけられてドキッとする。窓辺から卒業生が手を振っている。その中に乗り合わせるはずのない顔ぶれがいた。

「昭島君、澤口さん? どうしてそこにいr――あぐわ!」


 とつぜん、ハーベルトに銃把で殴り倒された。

「構うな、問うな、関わるな! 死にたくないならずっと前を見てろ!」


 彼女はものすごい剣幕で祥子を諭す。そして一度限りの射撃訓練を行った。無理難題が同時多発して立眩みした。それでもハーベルトに気おされて銃を構えた。

「一瞬でも迷ったら世界が水没する。未来永劫、お前のせいだ! いいな?」


 閣下と呼ばれた女は祥子に全責任を負わせるつもりだ。祥子は固唾をのんでスコープをのぞき込んだ。


「撃たないでくれ」

「そうだ。僕たちは生きているんだ」

「また一緒に遊ぼうっていったじゃない」


 昭島、安田、澤口。一年前に通学路でタンクローリーに潰された三人が懸命に命乞いする。


 乾いた音が三つの頭を血しぶきに変えた。


 振り返るとハーベルトの銃口から白煙があがっている。

「やめてあげて。あの子たちはまだ生きているんです」


 祥子は一緒に卒業した友人たちから照準を逸らそうとハーベルトを妨害した。


「どのみち死ぬ運命だ。この年の夏、A香港型が猛威を振るう」

 ハーベルトは意に介していない。一発ずつ風船を割るように標的を撃ち砕く。


「だからと言って殺すことないじゃないか。一日でも多く……」

 祥子がきれいごとを唱えるとハーベルトの怒りに火を注いだ。


「うるさい! 連合みたいな夢物語をほざくんじゃない。結局のところ、枢軸が正しかった。結果論として、枢軸でなきゃ生き残れないんだ」


 ハーベルトは機械的に虐殺を重ねた。すると黒い車両の窓という窓が吹き飛ぶ。


「やっつけたの?」

「違う。余計に悪化した。こじらせたのはお前のせいだ。お前のせいだ」

「そんな」 名指し批判されて祥子は呆然とする。


「お前を信じた私がバカだった。だが収拾しなくてはならない。もう一度だけチャンスをやる。女になれ! しっかりと前を向け」


 祥子の手首をギュッと握りしめ、走り出す。


 二人はバタバタと客車の最後尾に来た。並走する車両の車掌室から小学校の担任が身を乗り出した。

「松山先生!」

 祥子がしまったと小声で反省した時には、紅蓮の炎が迫っていた。

「関わるなと言っただろう!」


 ハーベルトが誘導放射迫撃砲を祥子に担がせる。案の定、火球は松山千賀子の双眸をかたどった。

「行けーーーッ」


 祥子の指にハーベルトが力添えした。鉄砲魚のようにビームが直進した。ファイアボールを貫通して向こうの最後尾車両を粉砕。一編成が煙に覆われる。列車は横転し、ゆっくりと湖に転落した。水しぶきがオレンジ色に染まる。


 枢軸特急トワイライトエクリプスは爆発炎上する残骸を置き去りにして地下に潜った。ぷっつりと緊張の糸が切れた。祥子は尻もちをついたまま、わあわあと泣き出してしまう。

「リンドバーグの壁はこんなもんじゃないわ。南怒涛港の荒波は後ろ向きな女に容赦ないもの!」


 ハーベルトは祥子の瞳の奥をキッと睨みつけた。


「わああああああ。だって、だって、わたし、わけがわからないまま戦いにかりだされて」

「葛藤を涙で洗い流せるほど成長したのね。少しはしおらしくなったじゃない。貴女は勝ったのよ。訣別したの。誇りに思いなさい」


 ハーベルトは祥子が落ち着きを取り戻したところで必要最低限の説明責任を果たした。彼女は西暦2047年の関西州万博会場でリクルートされた。枢軸特急は逢魔が時を駆ける臨時列車だ。その時代は対馬海峡トンネルを通じてロンドンまでリニア幹線が通じており、その超電導体に誘引される形で弾丸列車の亡霊がよみがえった。その集合無意識的なストレスが人類の制度疲労に拍車をかけている。いろいろな不条理が実体化している。その正体や原因はわからない。ただ、自分は、己の信念に基づいて戦う勢力に参加を余儀なくされている。それ以上は語らなかった。


彼女はガラス板にポツポツと涙を落としながら文章を浮かびあがらせた。サーフェスという道具だという。祥子の理解を超えた魔法に思えた。ただ、報告書の内容はなんとなく把握した。鵜翔小学校付近に生じた不可解に祥子という因子が干渉した結果だと結論づけられていた。



『まもなく南怒涛港です。お降りのお客様はお忘れ物にお気を付けください。次は南怒涛港』


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