元禄時空人(ヒューダルロード・サヴァイバー)(1) 小鳩の虚(うつ)ろ船

 ■ 教化三年(1803年) 垣春(つねはる)の国 百里浜(ひゃくりはま)

 小鳩は空を見ていた。どんよりと曇った水平線をくっきりと彩る朝日は希望の光だった。まるで神様が小鳩だけにあつらえた脱出口に思えた。閉塞した寒村を抜け出して東夷・西戎・南蛮・北秋どれかの国で蝦夷(えみし)の医術を学びたい。

彼女は謎の流行り病で身中を搔きむしる姉妹や遊び仲間たちを苦しみから解放したかった。唐黍の収穫に勤しむ両親は字を習いたいという小鳩を鍬の柄で殴りつけ厳しくお灸をすえた。百姓の娘が商人(あきんど)の読み書きを学ぶなど遊び事だ。

しかし、彼女は折檻される度に納屋や祠の陰で「もっと学べ」というお告げを聞いた。不思議な声は小鳩を山に導いた。両親の目を盗んで足蹴く通い、言われるままに小石を拾い集めた。

小鳩が勝手に「お狐様」と命名した声の主は積み上げた石に天から光を降らせた。彼女は言われるままに山を降りた。

 その夜、隣村の女が山崩れで死んだという話を伝え聞いた。小鳩が現場に出入りしていたという噂が立ち、目撃者が現れた。怒りの矛先は自然と彼女に向いた。もちろん小鳩は冤罪を主張したが監視カメラ映像もない時代だ。彼女は追われるようにして原宿りの湊(みなと)に来た。


「「「いたぞ!」」」 「「「あそこだ!!」」」


 地引き網漁師たちが小鳩の佇む浅瀬に押し寄せる。絶体絶命のピンチ。一瞬、身を投げることも考えた。しかし底引き網でたちまち捉えられ、裸のまま焙られるか、浜で慰み物にされるだろう。彼女は岩場で後むきに転んで頭を砕く事を思いついた。潰れた死体に欲情する人間はいない。仮に居ても仏(ほとけ)を汚したとして裁かれるだろう。それが小鳩に出来る復讐だった。


「自殺行為なんてバカバカしいよ」


 白波砕ける磯の上にお狐様が浮かんでいた。それは油揚げの色をした髪と短い衣を纏った女神だった。


「「「「こん糞餓鬼ゃあ!」」」


 屈強な男どもが櫂を振り上げて八方から襲い掛かった時、小鳩と女神は空飛ぶ茶釜で飛び去ってしまった。原宿りの郡奉行(こおりぶぎょう)射干玉守貞六(ぬばたまのかみさだろく)は吟味筋(ぎんみすじ)と談判のうえ、この事案を異国船による人攫いであると決着した。


 房総半島上空高度二万メートル。グラマン SR-73B オーロラ極超音速偵察機が目にもとまらぬ速さで蒼穹を駆け抜ける。


『こちら”オオガラス23” 最高司令官総司令部(ヘッドクォーター)へ。異世界逗留者候補を確保した』

『HQ諒解。思考停止した未開人たちは”キョセン”の仕業だと書き記している。現地潜入捜査官が確認』

『正体不明の異国船か。こりゃ傑作だ!』


 VZ-9AVアブロカー――トチ狂った連合軍が冷戦下で発明したジェット円盤が雲海を舞い踊る。その姿は教化人(きょうかびと)の遠目には空飛ぶ御釜と映った。


 浜辺で地団駄を踏む留萌の無線機から勝ち誇った声が漏れ聞こえる。ブレーズは列車長が超音速地対空ミサイルの準備を怠った事を悔やんだ。


「オーロラは超音速ミサイルデコイを持っている。それに偵察機を墜とすために出向く馬鹿はいないわ」

 ハウゼル列車長は部下の見識不足をやんわりとたしなめた。


 ■ 摂津県蜂狩市鵜翔区立鵜翔中学校


「……という訳で藤野は九死に一生を得た。ご両親は今も集中治療中だそうだ」

 一年十三組の担任こと荒井風吹(あらいふぶき)がいきさつを説明し終えるとどよめきが広がった。女教諭の隣にはゆでだこのように真っ赤になった祥子がいる。下を向いたままずっと押し黙っている。ただでさえ露出の高いブルマ姿に加えてスキンヘッドというあられもない格好だ。祥子としては穴があったら入りたい気分だ。それが叶わないなら一目散に帰宅したい。


「何か質問は?」

「はい」


 荒井が言い終える間もなく女生徒が手を挙げた。


「よし、化野(あだしの)」

 教師は富士額(ふじびたい)の少女を起立させた。

「先生、藤野さんの家は火事で焼けたんですよね?」

「そうだ。トラックの爆発に巻き込まれて藤野はこの通り頭のてっぺんまでひどいやけどを負った。髪は女の命という。可哀想な藤野を皆でいたわってやってくれ」


 厳しい指導で生徒に畏怖されている体育教師は珍しく優しい声で祥子に同情を集めた。何人かの生徒がイラッと来たらしく顔をしかめた。


「確かに気の毒だと思います。だからと言って人の服を盗むのはよくないことだと思いませんか?」

 そんなの関係ないと言いたげに化野は質問を続けた。


「どういうこと? 祥子ちゃん。お洋服持ってないの?」

 隣の席の生徒が教壇の祥子に問いかけた。「待て! 藤野は、だな……」 荒井が静止する間もなく大ブーイングが巻き起こった。


「「「「どーろーぼう! どーーろーーぼう!!」」」」


 男子が面白がって囃し立てると、最初は様子見だった女子も勢いに押されて便乗した。クラス全員を敵に回した祥子は針の筵に耐え切れず絶叫した。


「ボクは泥棒なんかじゃない!」


 しかし、誰一人聞き入れず、担任がようやく大声で制止した。


「先生! こいつったら、あたしのユニフォームを」


 なおも食い下がる化野は今朝の出来事を洗いざらいぶちまけた。「もう嫌だ」 祥子の我慢が限界に達した。教壇を蹴って最前列の机に駆け上がり、そのまま窓から身を投げた。ガラスが割れる音は聞こえなかった。かわりに警笛と突風が祥子の鼓膜を震わせた。


 ■ 枢軸特急鉄道事業本部 枢軸特急総合指令所


 真の暗闇の中では自分が観念的な存在に見えてくる。その孤立した寂寞は同じ境遇という連帯感が勇気づけてくれる。照明を落とした階段状のホールには濃紺の制服セーラーに身を包んだ百余名の異世界逗留者が直立している。その視線は一人の女に向けられている。まばゆいスクリーン画面で訓令を発しているのはエルフリーダ・ハートレー大巫女長大総裁だ。


日独伊芬基幹同盟の大総裁にして偉大なる巫女長。彼女はぽっと出の美大生から神がかり的な求心力で神聖ドイッチェラントの大総裁にまで登りつめた。そればかりか、列強の支配をことごとく跳ね返し、ブリテン島とイベリア半島全域に版図拡張を成し遂げた。彼女を蛇蝎のごとく嫌っている連合からたった一つだけ認められている点がある。


枢軸特急の建設だ。倫敦(ロンドン)から大東京に至る大陸横断鉄道は人類文明の爛熟期を招いた。彼女は七つの大陸をレールで結びつけ連合国の骨髄にまで支線を伸ばした。おかげさまで小競り合いはあるものの、大動脈を破壊するような軍事衝突は瀬戸際で回避されている。


『枢軸特急の運行管理者ならびに乗務員は出発四十八時間前までに自己申告書を提出せよ。体調不良を理由に欠勤する際は承認を受けること。期限後の変更は如何なる場合も認められない。命を賭しても万難を排して搭乗せよ』


 厳しい戒めが切れ目ない糸のように続く。そしてとくに注目すべき個人個人の勤務態度についてお言葉を頂戴した。ソジャーナー達は縮こまった。逆に言えばお眼鏡にかなっているという行幸でもある。ハーベルトは他人にどこか甘い部分がある故に任務遂行に支障をきたす恐れがある。


それは相手の痛み共有する際に過去の痛恨を重ねてしまうからだ。ゆめゆめ注意せよ。業務が辛い時は遠慮なく交代を申し出るように。そう言われてハーベルトは反発した。気丈に胸を張ってみせる。


「そうか。枢軸特急の運行は時空の幾何学だ。妨害する者は生かしてはならん。たとえ親族であろうと」


 大総統は鉄の規律を引用して朝礼を締めくくった。

 異世界逗留者待機所。めいめいが動きやすいブルマ姿でレポートを作成したり機材の点検を行っている。


「あんた、あんまりため息をつくと窒息死するわよ」


 心配した同僚がハーベルトに声をかけた。


「だって、パンセに続いて小鳩よ。補充要員の補充を失えば人事部も愛想をつかすわ」


 この先、祥子と二人だけでTWX666Ωを切り盛りするのかと思うとゾッとする。


「何なら、あたしが乗ってあげようか?」

 同僚は栗毛色の髪をかき上げてハーベルトを誘惑する。

「だって望萌(ももえ)は往生特急の……」

「さっき、御祈りの通知が届いたわ。あーあ。輸送部にどの面下げりゃいいのか……」


 ハーベルトは物欲しげな望萌の視線を読み取った。


「人事部にダメ元で推薦状を送ってみるわ」

 彼女がおもむろにライトペンを執った瞬間、着信履歴ウインドウが開いた。

「えっ?!」

 ハーベルトは真っ赤な件名を見るなりマイクロフォンに命じた。「列車長に電話」



 ◇ ◇ ◇ 

 常園駅午後4時13分。のぼりTWX666Ωは研修員を欠いたまま13番ホームを出発した。

 息せき切ってハーベルトが乗り込んできた。挨拶もそこそこにハイヒールを座席に脱ぎ捨てる。春らしい若草色のワンピースが風に吹かれている。


「校門はパトカーで塞がれてて入れなかったわ。荒井先生に扮して駅前や商店街を聞き込みしたけど手がかりナシ」


「じゃあ、祥子はやはり……」

 望萌が顔をしかめる。


「まだ喪失(ロスト)したと決まったわけじゃないわ。中学校周辺と百里浜を結びつける路線を探しましょう」


 ハーベルトは連合が枢軸特急に類似した路線を敷設したと考えて徹底的な捜索を提案した。それに対し望萌はソジャーナーの増員を上申すべきだと述べた。ここ最近は連合が適格者に食指を伸ばし始めていることから焦りが見える。ならば先手を打とうというのだ。


「大量ヘッドハンティングって、どれだけ異世界があると思ってるの?」

 あきれ返るハーベルト。望萌はどうやら本気のようだ。一歩も引かない。


「水掛け論している間に着くわ。今日の目的地は?」

 ハーベルトは両論併記した意見書を提出することにして任務に取り掛かった。


「台座分水嶺のスーパーステーション山頂駅よ。集団自殺の名所。何が何でも助け出さなきゃ」

 手元の名簿には若いヒッピーたちが顔を並べている。どれもあどけなさが残る年齢だ。望萌はパンセや小鳩を思いおこした。そこに重なろうとする祥子の顔を懸命に振り払う。


『次の停車駅はスーパーステーション山頂、スーパーステーション山頂。十九時四十九分の到着です。台座分水嶺方面へお越しの方はメサ中央線快速にお乗り換えください。四十九番ホーム 二十時二十分の発車です』


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