怒涛の国のエリス(3) 砂上の楼閣とワルキューレ

 ■怒涛の国のエリス


 目まぐるしく上下が入れ替わる。祥子は回る世界の中に不動の沢を見出した。太陽だ。眩い光芒が瞼に降り注ぎ、まばたきをする度にほうき星が流れる。流転する混乱の片隅に不気味な花が咲いた。それに祥子は見覚えがあった。小学校の修学旅行先で衝撃的な体験をさせられた。惨劇の記録を学習した祥子は死神の昇竜を反射的に忌避する。もう一組の後ろ手がセーラー服の背中を突き破る。天使の羽根がオレンジ色に染まる。祥子は力強く空気を押し下げ、ブルマ―やレオタードの破片をまき散らしながら高みを目指した。


 旅人の外套は遅滞なく効果を発揮した。致死量の放射線や熱波をさえぎるだけでなく、異世界逗留者を排除しようとする有害な諸要因から護ってくれる。それだけではない。空気を読めと人はいうが、ただその方向に流される恐れがある。水を差すという言葉があるように迎合する流れを変えるブレーキが必要だ。旅人の外套は核爆発という非日常をせき止め、祥子を異世界の浸潤から解き放った。チューブトップとビキニパンティがはらりと破れ落ちて役目を終えた。


「ひあ?☆」


 祥子は青と白の縞々模様ボーダーがらパンティ一枚のまま、ふよふよと虚空をさまよう。

 果てしない砂漠にぽっかりと奈落が開いた。餌に群がる働き蟻のように穴の周囲に車や人が集まっている。その中の一人が祥子に気づいたらしく双眼鏡を向けている。たちまち、人だかりが出来て、騒ぎになった。


「ちょっとやめてくれよ。ボクみたいな鳩胸(はとむね)のハゲ女なんか撮ったって一円にもならないよ!」


 祥子が胸を押さえてホバリングしていると、人々は大砲のような物を持ち出した。あっという間に視界が網の目で覆われた。


 ベッドの上で意識を取り戻した時、祥子は背中にリズミカルな振動を感じた。部屋は10畳ほどの広さで一方の壁と窓に鉄格子がはまっている。部屋の隅に便座がある。シーツを跳ねのけると下には何も纏ってなかった。廊下の両側に扉はない。


窓から見える空はどんよりと曇り、砂が高速で飛び去っていく。護送列車でどこまで運ばれていくのだろう。祥子は膝を身体につけて薄暗い窓を見やった。格子の間から投げ込まれたチューブを八回すする間に夜と昼が三度入れ替わった。重武装した兵士に列車から引きずり降ろされた。


裸のままホームの端に連行される。そこにポニーテールの少女が仁王立ちしていた。カーキ色のジャケットとモスグリーンのミニスカートから褐色の肌がのぞいている。あちこちから目線を浴びて祥子は身じろぎした。祥子を兵士が取り巻いている。


「ボクをジロジロ見ないでよ。君だって覗かれたら恥ずかしいだろう」

 祥子は臆せず抗議した。少女の顔が引きつった。人垣をつくる兵士は相変わらず銃を構えている。

「覗きに来たのはあなたの方でしょ。おまけにそんな格好で他所様(よそさま)んちに入り込んで、恥ずかしくないの?」


「ボクは異世界逗留者だ。ハーベルトに連れられて来たんだ。この街を解放するってさ」

 祥子は枢軸特急を降りてから時計台庁舎でステディ市長に追放されるまでの顛末を語った。事情を知った少女は警戒態勢を解いた。


「市長の失脚に協力するなら素性は問わない。だが少しでも妙な真似をしたら殺す」

 少女はエリスと名乗った。静穏レジスタンスを率いる彼女は市郊外の砂漠で反政府運動を繰り返している。南怒涛港市の混乱期に市外へ逃れた勢力がいた。彼らは本来のサイクルを取り戻すために力を蓄え機会をうかがっていた。


「市長は争いを無くすための政策だと言ってたよ。喧嘩する暇もないほど忙しくしていれば世の中が平和だって!」


 祥子はようやく人々がつかんだ安定をどうして手放すのかと率直な疑問をぶつけた。エリスは何かを振りほどくように腕を回して答えた。「お前は子供だから目の回るような人生を変えたい気持ちを理解できないだろう。ときにお前は本が好きか?」


「本? そんなの暗〜い女の趣味だよ。瓶底みたいな眼鏡をかけた女がいたよ。そいつって、晴れた日でも教室にこもって辞書を読んでるんだぜ。ボクは男子たちと校庭で三角ベースやってた」


 祥子があからさまにバカにして見せるとエリスはヘソを曲げた。


「読書家に性別は関係ないよ。まぁ、いい。わたしは一生に何冊の本が読めるか計算して愕然としたんだ。それであのバカ母と喧嘩したのさ」


 彼女とステディ市長の対立は根深いものだった。残り少ない人生を読書で実り豊かにしようと望む娘と無駄な知識は後継者育成の妨げになると考える母親との間に歩み寄る余地はなかった。工程管理の修行をかまけて貪り読む長女から本を取り上げた。


「読書量で人間の優劣や価値は決まらないよ。それに君は何のために本を読むの。読書を口実におおぜいの市民を戦争に巻き込むの?わけがわからないよ!」


「じゃあ、聞くけど。人はどこで本を読む?」

「図書館とか書斎とか静かな場所に決まってるでしょ」


「そう。読書の時間は誰にも邪魔されたくない。自分だけのペース、自分だけの空間(スペース)、個人は自分の時空を支配する権利があるんだ。それがあの女から街を取り戻すきっかけになる」


 エリスはもっともらしい大義を掲げているが、祥子は承服しかねた。戦争は戦争だ。


「君のやり方で南怒涛港市に平和が戻るとは思えない。戦争犠牲者の遺族がきっと復讐に走る。憎悪の連鎖が再開するよ」


 戦後昭和生まれの祥子が正論を唱えるとエリスは態度を硬化させた。兵士が彼女に耳打ちした。


「協力を拒めば殺すと言っただろ。それにお前はハーベルトと軍事介入しに来たんだろう。我々と枢軸特急が目指す所は同じはずだ。とっくに調べはついている」


 祥子が取引を持ち掛けた。「ハーベルトはもっと賢い解決方法を用意していると思う。彼女を探してくれるなら手伝うよ」


 相手は難しい表情で一枚の資料を取り出した。静穏レジスタンスの斥候が先ほど港から生還した。偵察写真によれば枢軸特急の駅は完全に水没しており、史跡になっているという。それも飽きっぽい市民たちは忘れつつある。


「あのバカ母を始末しない限り、未来永劫ここから生きて出られないだろう」


 きっぱりとエリスは切り捨てた。祥子は絶望感に打ちのめされた。だが、ハーベルトの言葉がよぎった。『自衛しろ』


「わかったよ。見習い異世界逗留者(ソジャーナー)のボクに出来ることがあれば」

 エリスは協力を申し出た祥子に哨戒任務を任せた。レジスタンスの拠点上空を定時パトロールするのだ。


 ■ 南怒涛港市郊外 新桑港砂漠


 静穏レジスタンスは身の毛もよだつ作戦を準備していた。

 エリスは祥子を爆心地に連れていった。焼けただれたクレーターは大掛かりな検査機器を積んだトラックや測定器を抱えた人々で賑わっている。


「まったく気でも狂ったの? 南怒涛港市を原爆で吹き飛ばしても何の解決にもならないと思うけど? 犠牲が大きすぎる。君たちが企んでいることは現市長がやっている」


 祥子は目まぐるしく入れ替わる街並みを思い出しながら指摘した。反体制派の主観時間で半日も立たないうちに街は復興するだろう。それに核兵器で時間の流れを妨げることはできない。放射性降下物(フォールアウト)の被害も甚大だ。


「半減期が極端に長い放射性物質が残留すれば何万年も向き合わねばならない。それでなくても原発の廃炉に膨大な年月を要する。我々は市内に原子炉を設置するつもりだ。そのために我々は核開発を続けている」

 スーパーコンピューターを持たないレジスタンスは簡素な計算機で気の遠くなるようなシミュレーションを繰り返していた。その一部を市内の工作員に担わせている。計算結果の束を抱えた老若男女が市と砂漠のレジスタンス拠点との間を往来している。


 何があっても核を使わせてはならない。祥子は知恵を絞ってレジスタンスが思いとどまる方策を考えていた。

 レジスタンスの技術陣は思うような成果をあげていない。ただでさえ多忙な時間をわざわざ計算作業に割いてくれる市民も少ないうえ、計算ミスが頻発し、幾度もプロジェクトの抜本改革を迫られた。

 エリスは日に日に憔悴し、些細なことで当たり散らすようになった。


 ある日の午後、ついに天啓がひらめいた。祥子が宿泊している場所は書庫の一角で計算済みのノートが堆積している。十五時の巡回を終えた祥子がほてった体を横たえていると古びたノートが目に入った。それは五重塔を連想させる。


「歴史的建造物、遺跡……そうか!」

 彼女はベッドから飛び起きると、一目散にエリスの執務室を目指した。

「馬鹿も休み休みに言え!」

 最初のうちはエリスも聞く耳を持たなかった。しかし、その戦略的な効果を手空きの技師に試算させてみると無視できない結果が出た。


「南怒涛市民に最も必要なものは歴史だと思う。博物館や史跡は忙しい人々を立ち止まらせたり、ゆっくりと考える時間を与えてくれる。それに本を紐解くより簡単だよ」


 祥子の熱弁に半信半疑ながら耳を傾けるうち、エリスの心は変わりつつあった。


「核開発よりも市街戦の歴史そのものが持つ重みが時間を停滞させる……か。お前の言う通りかもね」

 祥子はオトコノコらしく内戦で活躍した兵器に関心を持った。工作員を介して市内からこっそりと資料や証言が採取され、レジスタンスの兵器技術者をブレーンに加えて青写真が完成した。祥子とエリスは毎日夜遅くまで兵器談議に花を咲かせた。


「出入りの激しい港町には街自体をつなぎとめる錨が欠けていたんだ」

「気づかせてくれてありがとう。祥子。君の世界にも戦争の歴史はあるのかな?」


 好奇心旺盛なエリスは地球の歴史を知りたがった。祥子は教科書の内容をうろ覚えながら教えた。


「ボクたちの歴史も戦争の連続だよ。でも人間は反省を積み重ねて成長するのさ」

「歴史は疾風怒濤の時間の中に踏みとどまる勇気を与えてくれる。ありがとう。祥子」


 壁一面に連なった青写真を見渡してエリスは満面の笑みを浮かべた。明日からレジスタンスは武闘路線を捨て、市内に博物館を建立すべく暗躍する。ほどなく多忙な人々の時間が停まるだろう。祥子とエリスには来館者の心を釘付けに出来る勝算があった。


「悪い知らせを持ってきたわ。リンドバーグの壁が動き始めた」

 静穏レジスタンス各派を集めた決起集会のあと、ハーベルトが展示予定品の陰からひょっこりあらわれた。

「ハーベルト! どこへ行ってたの?」

 祥子が声を潜めるが再会の喜びは隠せない。

「市民を枢軸特急に乗せる水面工作よ。貴女が余計なことをしてくれたおかげで計画が台無しになった。急いで着替えて」

 ハーベルトは紙袋から旅人の外套一式を取り出した。しかし、祥子はハゲ頭にボーダー柄のアンダーショーツ一枚という軽装で猛暑を乗り切ってきた。いまさら、セーラー服には戻れない。


「トルマリンソジャーナーの鉄則、ボクに教えてくれたのは貴女だよ。前を向けって」

「それは屁理屈というのよ。貴女はここに長居をし過ぎた。異世界に毒されている。旅人の外套を着ないと手遅れになる」

「あんたこそ暑苦しいセーラーを脱ぎなよ。すっきりするって!」

 祥子がハーベルトの襟元に手をかけて胸当てを引き裂く。

「うにゃン☆」


 ハーベルトも祥子のショーツを履き替えさせようとする。二人の逗留者がくんずほぐれつの脱がしあいをしていると警報が鳴った。

『空襲警報 新桑港砂漠上空に敵機襲来、敵機襲来。総員戦闘配置』


「連合が来たわ。ノースアメリカンXB70 ワルキューレ×1 、コンベアXB58 ハスラー×138。超音速戦略爆撃機よ」

 ハーベルトはいまいましげに祥子を睨んだ。


「またボクのせいにする気?」

「わからない娘(こ)ね。後ろを向くなと何度言えば分かるの。貴女の計画が呼び寄せたのよ!!」

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