第4話 聖女は過去に罪を犯した?
前世、私は日本という国で暮らす平凡な会社員だった。
ただ、筋肉をとにかくめちゃくちゃ愛していた。
筋肉が好きになった理由は定かではない。でも気づいた時には同級生が騒ぐようなシュッとしたイケメンよりも、むちっとしたマッチョの方の観察に精を出していたし、姉も母もマッチョ好きだったので、遺伝子レベルでマッチョを欲していた可能性は否定できない。
しかし前世の父は中肉中背のごく普通の体系の人だった。
ある時母に「そんなに好きならなぜマッチョと結婚しなかったのか?」と問うたことがある。
母は言った。
「筋肉はね、愛でるものよ。眺めて楽しむものよ。誰のものでもない。所有したいと願うのは傲慢だわ」
母の言葉は前世の私の「推し活」の、いや、生きる指針となった。
どうして寿命が尽きたのかは覚えていない。恐らくあまり長生きはしなかったのだろう。
でも私は、かつての人生に大きな悔いがあったとは考えていない。――だって大好きな筋肉を、マッチョをたっぷり堪能していたのだから。
しかしその一方で、何か神を怒らせるようなことをしでかしてしまったのではないか、とは思っている。
じゃなきゃ今私がめちゃくちゃ飢えてることの説明がつかないんだよ!!!!
一体何をしたの前世の私!!!!
だって新たに生を受けたこの世界には、マッチョがいないんだもん!!!!
……いや、いないというのは正しくない。正確にはちゃんと存在してはいる。
なにしろ憲法で戦争を放棄した日本とは違い、私が暮らしているこの国には文字通り戦う男たちがいる。
――主君のために命を捧げる騎士という存在が。
金属の鎧を纏い、長い槍を携え馬に跨る彼らが逞しくないわけがない。服を着た状態からでも十分わかるくらい彼らの身体は見事に仕上がっている。
ガチの戦うマッチョである。
前世の私も今の私も好きなのは、観賞用に整えた、いわゆるボディビル的な筋肉ではない。
もちろん筋肉はすべて尊いものではある。
けれど、「必要だからこそ発達した」筋肉こそ、私にとって至上の美!
なかでも夢中になったのは、ボクシング、レスラー、柔道、相撲、空手など、格闘技系の肉体だ。
ボクシング選手のしなやかで締まった身体も、総合格闘家の筋肉で武装しているかのような身体も、力士やレスラーのようにあえて脂肪をまとった分厚い身体も、どれも美しく素晴らしい。
本人の努力が作り上げた最高の芸術品である。
前世でたっぷりと戦う男たちの身体を味わってきた私にとって、真の戦う男である騎士の肉体は、まさに理想そのもの!
しかし魅力的過ぎる彼らの肉体を見る機会が、現世は皆無っ!!!!
それというのも、原因はまさかの神殿にあってですね……。
神の導きであるとされる経典には「不用意に肌を晒すと悪魔に付け入られる」という記述がありましてね……。
この国の人々、特に身分が高い者ほど肌を露出させないんですわ……。
まあ前世の知識がある私からすると、経典って神の教えっていうよりも「公衆衛生の手引き」みたいな感じなんだよね。
だって小難しい言い回しだとか悪魔だの魔物だの絡めてあるけど、内容を要約すると「外から帰ってきたら手を洗え」とか「マスクしろ」とか「水は沸かしてから飲め」とかなんだもん。
もしかしたら過去にも私のように別の文化や歴史を持つ世界の記憶を持つ聖女や神官がいたのかもしれないと思ってる。
今日の私も汚れるからと洗濯しやすいドレスとエプロンなんて使用人みたいな恰好してるけど、普段の私もきっちり肌を隠すドレスを着ている。肌が見えるのは手首から先と顔くらいなものだ。
騎士の資格を有している人達は基本的に貴族と同じだから、まあみんなきっちり着込んでいらっしゃる。そうでなくとも、一応神の奇跡の体現者たる聖女の前に服を脱いで現れるような騎士など存在しない。
それただの変態。
目の前にあっても見られなければ存在していないのと同じことなわけですよ。
マジで前世の私、なんの罪を犯したの?
「はぁ……ちょっとでいいから見られたらなぁ。ご飯何杯でもいけちゃうのに」
切ないため息を吐いた私に、アンナが「ひとつよろしいですか?」と挙手してきた。
「常々疑問に思っていたのですが……そこまでお好きなのに、見るだけでよろしいのですか?」
「本当に愛しているものは大切に見守るものよ。これは萌えって言うの。わかる? そして萌えの対象となる尊いもの、それが推しよ」
「全くわかりません。好きなら触れたいとか手に入れたいとか思うものでは?」
「あー、それは萌えではなくてガチ恋ね!」
伝えたいことがあるんだよ!
やっぱりマッチョは素敵だよ!
好き好き大好きやっぱ好き!
やっと見つけたマッチョ様!
私が生まれてきた理由!
それはあなたに出会うため!
私と一緒に人生歩もう!
世界で一番愛してる!
ア・イ・シ・テ・ルーーー!!
「……なんの歌ですかそれ」
「ガチな恋は歌って叫びたくなるものよ。でも私はイエスマッチョ、ノータッチ!」
「イエスマッチョ、ノータッチ」
アンナは無表情で繰り返す。
「そう。愛でたり手を出すのは妄想で十分。現実にしてはいけないの」
「本当に意味わかんないです」
「アンナもマッチョを好きになってくれればわかるわよ! 一緒に萌えよ?」
「いえ、私はマッチョにそこまで愛を感じません」
これまでアンナには自分の好きなマッチョのことを散々語りまくってきた。その流れで前世の記憶があるって白状しちゃったわけです。好きなものは語りすぎる、マニアの悪い癖。
でもアンナの好きなものってあんまり聞いたことないなとふと思う。
「じゃあ何が好きなのよ?」
軽い気持ちで問いかけた途端、アンナの目の奥がきらりと輝いた気がした。
「……私が心惹かれるのは『軽薄そうな線の細い三白眼』です。背が高ければさらに高得点です」
「それはそれでなかなかの特殊性癖よアンナ」
「承知しております」
「自覚あるー!」
「だから私がマッチョを好きになることはありませんし、とにかく戻れない前世にいつまで執着せず、諦めて今を生きてください」
「もう前世になんか執着してないよ! 現世のマッチョにしてるの! だって服を脱げばそこにあるのよ⁉ 諦められるわけないじゃない!」
そう叫んだ瞬間、広場で歓声が弾けた。……決着がついたのだ。
「……そろそろね。アンナ、準備はいい?」
自分の出番が近いことを察し、私は表情と気持ちを引き締める。応じたアンナもちょっと軽薄そうな線の細い三白眼のことなど忘れたかのように「もちろんです」と力強く頷いた。
本来であれば、私たちの出番などない方がいいのだ。
馬上槍試合が終わるまでくだらない雑談してるくらいが、いいのだ。
「今日は暇だったねー、お疲れー」って神殿に帰るくらいがベストなのだ。
でも、現実はいつも残酷で非情なのよね、悲しいことに。
ほどなくして歓声に混じり、鎧を身に着けた者特有の金属音が少しずつ近づいてくるのが聞こえてくる。だから私たちは黙ってドレスの袖をまくり上げた。
この先は、一刻を争う。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます