第12話 騎士は立ち合いを覚える

 土俵の上で向かい合った両者は、相手を睨みつけたまま、静かに腰を落としていく。身体に満ちる今にも暴発しそうな力を抑え込むように、ゆっくりと。


 ――ふぅ。と、どちらともなく息が吐き出される。


 吐息が聞こえるくらいの静寂の中、互いに動きをシンクロさせるように手がじりじりと土俵に向かって降りていく。


 手が土俵に付くかつかぬか、その瞬間。


 両者の目が鋭い光を放つ。同時に、十分に引き絞られ放たれた矢の如く、両者は相手に向かって大きく踏み込んだ。


 ゴッ、とまるで岩がぶつかり合うような鈍い音と共に男たちの戦いが始まる。

 

「いい……いいよふたりとも!」


 激しく躍動する筋肉、上気する肌、滴る汗……ああ、これだよこれ!

 やっぱり戦う男は最高!!!!


「……で、これが相撲なんですか?」


 手に汗握って見守っている私の隣で、アンナが若干疲れたように呟いた。


「んー、まあ形にはなってきたかな? ってとこ」


 いやー、練習を初めて数時間、ここまで来るのマジ大変だったんだよ~!


 相撲と他の競技とで全く違う部分がある。それが、開始の合図である「立ち合い」だ。


「立ち合い」は審判の掛け声に合わせて始まるのではなく、力士同士が呼吸を合わせ、合意にいたって初めて開始される。

 審判や第三者の合図ではなく両者の合意によって開始されるというこの方法は、対戦形式の格闘技だけでなく、スポーツ全般を見てもかなり珍しい始まり方だろう。少なくとも、私は他に知らない。

 アマチュア相撲の場合は「立ち合い」ではなく審判の合図で始まるんだけど、私はここにこだわりたかったんだよね。

 やるならやっぱりなるべく改変しないでやりたいじゃん?


 ただ、経験もない私が身振り手振りを交えつつ説明し、さらに見たことも聞いたこともないふたりが実践するわけだから、すんなりうまくいくわけがない。

 最初は組み合いにすらならず、ただにらみ合って終わってしまったくらいだ。

 

 そこからなんとかぶつかり合い、組み合いができるようになると、ちょっと相撲っぽくなってきた。

 元々戦うのがお仕事のふたりだから、飲み込みが早いんだと思う。


「なんだか馬上槍試合とは違った意味で痛そうで見てられないです」


「そう? 血が出たりはしてないじゃん」


「さっき鼻血出してたでしょう」


「そんなの怪我のうちに入らないよ!」


「クラウディア様、彼らに怪我させたいのかさせたくないのか、どっちなんですか?」


「私が治してあげられる怪我は怪我じゃない」


 言い切った私にアンナは「もう何も言うまい」という顔で黙って戦い続けているふたりに視線を戻した。


 まあ骨と骨がぶつかり合うあの音って人を絶妙に不安にさせるからアンナが嫌がるのもわかる。……でもそういうのが大事なんだよね。


 人にお金を払わせようと思ったら、やはりジェットコースターのようにハラハラドキドキする要素は欠かせない。


 馬上槍試合が人を熱狂させるのは、お金よりも、そこに命のやり取りがあるからだと私は思っている。処刑が人々の娯楽だった時代だってあるしね。


 でも今この国は長い平和の真っただ中。

 周辺国との関係も安定しており、大規模な戦争が始まる気配はない。もちろん私が知る限り、ではあるけれど。

 戦いの兆しに最も敏感なのは、実は国ではなく神殿だったりする。なぜなら癒し手わたしたちは必ず戦いに巻き込まれる運命だから。今のところ、国中に散っている神殿出身者のネットワークは静かなままだ。


 平和な時代こそ命を尊ばねば、誰が尊ぶのか。

 私が目指しているのは、命をやり取りなんてしなくても、ハラハラドキドキして盛り上がり楽しめるだ。


 相撲であれば実現できるはず!

 でなきゃ江戸の人々が相撲に熱狂するわけないしね!


 まあ、個人的には筋肉が見られれば別にいいんだけど☆ 残念なことにまだこの世界は筋肉だけでお金取れるほど成熟してないからな~。


 ……なんて私が考えているうちに、がっぷり四つに組みあったふたりは、息を切らしながら互いの出方を探っていた。


「ああ~またこの形になっちゃったか」


「何かまずいんですか?」


「まずいって言うか……これ、見ててアンナは面白い?」


「面白くはないですね。クラウディア様と違って、私は男性の裸にそこまで萌えとやらがありませんので」


 ……だよねぇ。


 しばらくまわしを引いたり左右に身体を振ったりと小さな動きがあったものの、大きく体勢が変わることはなく、最後はブレッドが右手を引くようにして投げを決めて勝敗は決した。


「はーい、一端止め!」


「……今度は、いかがでしたか?」


 私が声をかけると、息を弾ませたブレッドが尋ねてくる。ベーグルは精魂尽き果てたとばかりに土俵上に転がったままだ。

 相撲は全身を使って取るものだから、見た目よりもずっと体力を消耗する。


「うーん、立ち合いはよくなってきたし、組み合い自体はいいんだけど……ふたりともそこからの展開がないよね」


「展開、とは……?」


「攻防がないってこと。それだと見ててつまんないんだよ」


 互いにまわしを引き合い胸を合わせてしまうと、どうしてもそこで膠着状態に陥ってしまいがちなのだ。相撲の技などなにひとつ知らないのだから、展開がないのは当然といえば当然である。


 前世では水入りになるような長い取組……いわゆる大相撲は滅多に起きることではなく、逆に盛り上がったりもしていた。けれど知識が無い状態で見ていたら、ただ裸の男が組み合ってじたばたしているだけで何も面白くない。

 それこそアンナの反応がいい例だ。


「そりゃそうやろ。裸の男がむちゃむちゃしてる姿なんて何にも面白い事あらへんわぁ」


 身体中にべっとりと砂をまとったベーグルが独り言ちる。背が高いのはベーグルの方だけど、がっぷり組んでしまうと、技術に差が無いふたりではパワーや体力がある方が有利になるようで、今のところ八二の割合でブレッドが勝利していた。

 投げられたり潰されてばかりの彼は特に面白くないだろう。


「ベーグル、ちょっと」


 呼ばれてのそのそと近づいてきたベーグルに私はあることを耳打ちする。


「えっ、そんなんしてええの?」


「次、試してみて」


 組み合いと立ち合いには慣れてきたのだから、次の段階にいってもいいだろう。

 何もぶつかり合うだけが相撲ではないのだ!

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