第8話 聖女は決意する

 思わず見つめ合ってしまったアンナの目が「クラウディア様、何かしたんですか?」と問うてくる。でも私はぷるぷる首を横に振るしかない。

 実際、治癒以上のことなど何もしていない。

 私はイエスマッチョ、ノータッチ主義だ。必要以上の接触はしない。それはアンナだってわかっているだろうに。


「ちょいちょいちょい! あかんやろブレッド~。そんな言い方したら聖女様びっくりしてまうわ~」


 困惑と驚きで固まったままでいると、唐突に横から見知らぬ声が飛び込んでくる。


「聖女様ごめんなぁ~。こいつ言葉全然足らへん男やから」


 わざとらしい西なまりの言葉の主もまた、騎士のようだった。ふわふわと波打つ茶色の髪が直毛でさらさらした黒髪の騎士とどこか対照的だ。そして、ひょろりと背が高い。

 ……けれど私の目はごまかせない。こやつ、一見細そうに見えて、服の下にはしっかり筋肉が詰まっている。

 なるほど、私脱いだらスゴイんですタイプだ! 見るからにむっちりしてる黒髪の騎士とは違うタイプのマッチョ! 


「では、どういう意味なのでしょう。自ら奴隷にと志願なさる理由をお聞かせ頂けます?」


 アンナの質問に、黒髪の騎士は沈痛な面持ちで目を伏せた。


「……大変お恥ずかしい話ですが、治癒して頂いた料金をお支払いできないのです」


「神殿への寄付は、騎士様がなさるものではないはずですが」


 応じつつもアンナがさりげなく言い換える。はい、一応治癒は商売ではないんでねー、料金じゃなくて寄付と言ってくださいー。


 それはさておき、実質的にはただのギャンブルだけど、建前上、馬上槍試合は戦争の代替行為だ。戦場で負った怪我についての責任は騎士ではなく主が負う。だからあのデブのところに請求がいくはずなのである。じゃなきゃ誰も命張らない。


「まあそうなんやけど、こいつお払い箱になってしもうたのよ」


 言葉を探すように押し黙ってしまった黒髪の騎士に替わり、西なまりの男は首の後ろを手刀で叩くような仕草を交えつつ、笑いながら言う。


「今日負けた上に、怪我元通りにならんかったやろ?『剣が持てない騎士なんぞいらん! これ以上無駄金遣えるか!』って、クビ。だから料金は自分で払えっーってなってな」


「そんな……何かの間違いでは⁉」


 あまりの衝撃にまたアンナと顔を合わせてしまう。

 

 治癒の料金は安くない。少なくとも平民の年収は軽く超える。

 けれど騎士を抱える貴族なら、当然支払わなければならないある意味必要経費だ。経費を惜しんで騎士をクビにするだなんて、まともな主なら絶対にしない。それこそ貴族が命よりも大事にしている名誉にかかわる話だってのに。


 黒髪の騎士を見れば、彼は全てを諦めたような表情で頷きながら、言った。


「……間違いではございません」


 私とアンナは顔を見合わせたまま、小さく頷き合う。

 私はマッチョを大事にしない奴は大嫌いだし、アンナはお金を払わない金持ちが大嫌いだ。


 つまり、ここで神殿はあのデブに今後一切治癒を施さないことが決定しました!! たとえ駆け込んできても門前払いにします。

 せいぜい病気に気をつけるとよいよ☆ まあ、あの身体だから、糖尿病だとか高血圧だとか痛風あたり既に患ってそうだけどね! 効くかどうかわかんないポーション飲んで頑張れ!

 

「……ええと、つまりあなたは借金奴隷になりにいらした、というわけですね」


 アンナが確認すると黒髪の騎士は小さく頷いた。


「はい。私は装備と馬以外に大した財産がございません。これらを売却しても到底今回の料金には足りません。ですから私自身でお支払いに参った次第です。戦う以外に何の取り柄もありませんが、精一杯勤めさせていただきますので……どうか、私を聖女様の奴隷にして下さい」


「ちゅうワケですわー」


 西なまりの男がけらけらと笑いながら黒髪の騎士の話を引き取る。


 なるほど、申し出の理由は、理解した。


 ――でも、納得はできなかった。


「こいつホンマ馬上槍試合はからっきしなんですけど、腕っぷしは悪うない。神殿の用心棒とかいいと思うんですわ。ね、こいつもう主に追い出されて行くとこないんです。だから……」


 なにが、ちゅうワケだ。

 ていうか、横から口挟んでくるこいつこそ、なんやねん!

 ちょっとマッチョだからって、いい気になんなよ⁉


「笑うな!」


 西なまりの男を黙らせたくて、私は叫んでいた。


「私とて今時、騎士と主が真の絆とか忠誠で結ばれているだなんて、夢物語を頭から信じているわけではないわ。主を選べる騎士ばかりではないことも知っています。それでも、騎士が主の名誉のために命を懸けて戦うことは、古今東西変わることのない真実です」


 正直、これまで治癒の料金を踏み倒そうとしてきた人がいないわけではない。むしろたくさんいる。文句言って値切ってくる人と同じくらいいる。

 でも、騎士本人に払わせようとする人は、いなかった。


 あ の デ ブ ゆ る さ ねぇ !!!!


 デブだけじゃなくて一族郎党神殿から締め出しちゃるけぇのう! 覚悟しときや!  

 自分の中に仁義なき戦いを望む部分があるなんて今初めて知ったよ!!


「騎士の献身に報いることができないものなど、主を名乗る資格はない! 忠誠を受けるに値しない! 笑うことではない!」


 クビにされただけでなく、傷の治癒にかかった費用を自分で払えと言われるなんて……どれほどの屈辱か。


 それでも、目の前の騎士は誠実に生きようとしている。騎士の命とも呼べる装備も手放して、お金が払えないと頭を下げて。


 ……どれだけ悲しかっただろう。

 ……どれだけ辛かっただろう。


 治癒の凄まじい痛みに耐えたのに、苦しみを堪えたのに、待っていたのがこんな結末だなんて。


 そこまで想像したらもう、駄目だった。


 気が付いた時には、黒髪の騎士を抱きしめて私は叫んでいた。


「あなたは頑張った! あなたは努力した! それはあなたの身体を見ればわかります!」


 服の上からでも、そのたくましい身体の感触が伝わってくる。背が低いのに、驚くくらい厚みがある。 

 確かに、馬上槍試合で身長が低い、すなわち手足が短いのはかなりのハンデになる。でも目の前の騎士はそれをなんとか覆そうとあがいたはずだ。

 だって筋肉は、自然には身に付かない。プロテインもないこの世界で、ここまでの身体を育てるには、血のにじむような努力をしなければ、この見事な筋肉は生まれない。


 誰も認めてくれないのなら、私が認めよう。

 このマッチョは、人類の宝です!!


「あなたは何も悪くない! あなたは誰かにないがしろにされていい人間ではない! あなたは宝物なのよ!」


 どうにか彼を慰めたくて捲し立てていると、自然と涙が出てきた。誰も彼に言ってあげないなら私が言うしかないじゃない!


 ぎゅうぎゅうと黒髪の騎士を抱きしめながらアンナを見ると、彼女もまた、私と同じように涙ぐんでいる。


 神殿にいる人間は、どこにも行き場のない人間を見るとどうしても助けてあげたくなってしまう。神殿にいるのは……捨てられたり庇護者を失った者ばかりだから。

 神に仕えているからしてるわけではない。そうしなければ、自分が救われないとわかっているのだ。

 まあおかげで私がめちゃくちゃ頑張って稼いでも、全部使われちゃうけどね!

 いいんだよ、神殿にいる子はみんな家族だから!


「アンナ、決めたわ。私相撲で天下を取る。頑張っている人が報われない馬上槍試合なんて、貴族の名誉なんてぶっ潰してやる!」


 黒髪の騎士を抱きしめながら、私は決意する。

 馬上槍試合で勝てないなら、この騎士の勝てる場所を私が作ればいい。

 相撲は無差別級、身体が小さくても、戦い方次第で横綱になれる!


「ええ、クラウディア様、やってやりましょう」

 

 アンナも力強く頷いてくれた。


「えっ、ごめん、なんの話してるん?」


 けれど約一名、西なまりの男だけが事態を把握できていないらしい。


「うん、まあ別にいいよ。協力してくれればそれでさっきの暴言はチャラにしてあげるから。二人違うタイプだからきっと取組も面白いものになるわ」 


「えっ、二人って、俺?」


 相変わらず頭にはてなマークを張り付けた西なまりの男の間抜けな問いかけは無視して、私は拳を思い切り突き上げた。


「やるわよ! 大相撲!!!!」

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