第6話 聖女はこれだと閃いた

「このグズが!」


 デブはいきなり騎士の横っ面を張り倒した。


「ちょ……っ!」


 ちょ、待てよ! と反射的に巻き舌で言いかけた私の口をアンナが素早く塞いだ。


 何すんじゃいコラァ⁉ と睨みつけると、「こいつは貴族」と口パクで示され、押し黙るしかなくなる。

 相手が貴族だとこちらも下手なことができない。……権力持ってるやつと喧嘩すると色々面倒なんだよね。

 うう、神殿って全然権力がない! 辛い!

 世俗の権力とズッ友みたいになってる神殿だって嫌だけどさ!

 

 アンナは静かになった私の口からすぐに手を離してくれたものの、その間にデブは勝手にヒートアップしている。

 鼻からピーって音出てんだけど。笛付きのやかんかよ!


「お前がどうしてもというから今日の試合を組んでもらったんだぞ! なのにまた負けやがって! しかも落馬した上に踏まれて怪我するなど、主である俺を笑いものにするつもりか!」


「誠に申し訳ございません」


「お前を一人前にするのにどれだけ時間と金がかかったと思ってるんだ! 少しは自分で稼いで恩を返そうという気概はないのか! お前のせいで俺は払うばかりだ!」


「返す言葉もございません」


 ぶひぶひ捲し立てる主に、騎士は言い訳もせず頭を下げる。


 真面目か! そこは言い返せ! ぶん殴れ! って出来るわけないか。


 ――こんなデブでも、雇い主だもんね。


 馬上槍試合は、元々実技の練習と騎士の勇敢さを示すための演習にすぎなかった。

 それがいつしか戦争の代替行為となり、平和が長く続いている今や完全に貴族のための公営ギャンブルとなり果てている。

 

 それでも、出場者は後を絶たない。

 前の戦争終わり早数十年、騎士が技量を正しく披露する機会などほぼあり得ない。つまり現状、騎士が立身出世を夢見ることができるのは、馬上槍試合しか手段がないのだ。


 ただ、馬上槍試合には騎士であれば誰でも参加することは可能だけど、ひとつだけ条件がある。


 それは「身代金」という名の、掛け金を払うこと。


 昔戦争の代替行為だった頃の名残りで、敗者は勝者に自分の身柄を解放してもらうための「身代金」を払わなければならない。


 支払えない場合は鎧や馬、つまり身ぐるみをはがされちゃうんだけど、それは大変な不名誉とされている。……それこそ、自殺しちゃう人もいるくらい。騎士とは前世でいうところの武士みたいなもんで、名誉が命なのだ。


 財産を持たない騎士は、貴族に仕えることと引き換えに掛け金を出してもらうんである。つまり貴族はスポンサーってわけね。


 たとえ負傷し、一生障害を抱えて生きることになっても、命を失っても、騎士たちは戦う。


 己の力を示すために。

 黄金の夢を掴むために。


 ていうか今更気づいたけど、ぶん殴られてるこの人、今日の試合は負けちゃったんだよね?

 まあ落馬してるから冷静に考えたら負けてるの当たり前なんだけど、あんまりにも身体が見事すぎて、負けている姿が全然想像できない。

 だって目の前の人、これまで私が見てきた中でもベストスリーにはいるナイスバディなんだよ!


 だからそろそろ、そこのデブは殴るのを止めなさい!

 貴族だろうがなんだろうが私の筋肉を傷めつけるな!

 その身体はこの世の宝よ――!


「いい加減にして頂けますか?」


 何度目かわからない拳を振り上げたデブに向かって言い放つ。側でアンナが「アチャー」みたいな顔してたけど、さすがにこれ以上は見過ごせないもん!


「ふんっ、聖女ふぜいが何を言う! そもそもこいつが負けるのが悪いんだ!」


 はー、聖女ふぜいとか言っちゃう? 言っちゃうんだ⁉

 でも私は優しい聖女だからね! 一円にもならない喧嘩は買いませんっ!


「お話し合いならどうぞお戻りになってからなさいませ。ここには他にも負傷者もおりますので!」


 そう、実はこの部屋には他の負傷者がいる。

 もちろん傷は癒してあげたけれど、出血が多かったので休ませてあげてるのだ。ほら、献血行ったら献血した分の水分摂ってちゃんと休んでねって言われるでしょ?

 私がデブに示すように衝立の向こうに視線を向けると、負傷者はわざとらしく「うう……」と苦し気に呻いてくれた。めっちゃ空気読んでる!

 

 他の人間がいることで我に返ったのか、デブは渋々ながらも振り上げた腕を下ろした。でもいきり立っていたせいか息は乱れてるし金髪で色白なもんだから、興奮して肌がピンク色になっててめっちゃ豚っぽい。

 でもデブのことはどうでもいい!


「大丈夫ですか?」


 私は慌てて今しがた治したばかりの騎士の傷を確認する。


「問題ありません」


 確かに殴られた箇所が赤くはなっているけれど、治癒が必要というほどの傷ではなくて、ホッとする。


「お気遣いありがとうございます、聖女様」


 黒髪の騎士は申し訳なさそうに私に頭を下げてくれた。


 かーっ! 主に似てなくて素晴らしい! 筋肉も最高だけど、中身もいいんじゃないのこのひと! マジで主は選ぼうね!


「くそ……っ、ブラッド、さっさと帰るぞ!」


 負け惜しみのように言い放つと、デブはようやく踵を返した。どうやら殴ったのがちょっとした運動になったようで、ひと汗どころか滝のような汗を流している。それをお付きの者がハンカチで拭ってあげているのがめちゃキモい。


 どすどすと足音を響かせて去って行ったデブを追いかけ、騎士も去って行く。

 すっごい好みの筋肉の持ち主だったけれど、もう会えないんだろうな……。

 私は心の中でひっそりとナイスバディとの別れを惜しんだ。

 

 「疲れた……」


 休んでいた空気の読める人も帰り、一息つけた頃には、もう日が暮れていた。ドレスは案の定血や泥だの汗だので汚れ、見る影もない。エプロンに至ってはもう廃棄確定だ。洗ってももう絶対綺麗にはならないもん、これ。

 

 ふたりでぐったりしながらドレスを脱ぎ、手と顔を洗う。本当は全身洗いたいところだけれど、さすがにここでお風呂は借りられない。


 できれば処置は素手でなく手袋してやりたい。でもこちらで手袋って基本皮か布しかないんだよね。錬金術師ギルドは効かないポーションなんかより魔力を通す手袋を開発して欲しいわあ。そっちの方がずっと儲かるし助かる命が増えると思う。少なくとも神殿は滅茶苦茶買うし、他にも欲しい業種の人も多いはず! ほら染色とか皮の加工とか!


 こういう時異世界だとスライムでどうにかなるんじゃないのかしらん。スライム……私は池にふわふわ浮いてるやつしか見たことないけども。


 私、治癒特化型なので攻撃力は皆無なのよね。だから魔物が出るような場所には連れて行ってもらえない。まあ私が怪我しても誰が治すんだってなるから仕方ないけど。

 一応、私の他にも怪我を治癒できる人はいる。でも引退した先輩の元聖女とか、修行中の子自分の我儘のためにわざわざ引っ張ってこようとはさすがに思わない。


「なんか最近極端よね。多い日は今日みたいにやたら運ばれてくるくせに、少ないというか無い日もあるし」


 私の疑問にアンナが少し怒ったように肩をすくめる。


「そりゃ些細な傷はポーションで治してしまいますもの」


「まあ怪我する人が減るならポーションでもなんでもいいけどね」


 私が腕の雫を振りはらいながら言うと、アンナはぷうっと頬を膨らませる。


「クラウディア様がそんな調子だから舐められるんですよ! あのデブみたいに! 絶対他の聖女様にもあいつが病気になっても治癒しないように言っときますからね!」

 

「だってマッチョにはみんな元気でいて欲しいじゃん」


 これまで治癒した人たちを思い出す。あのデブに殴られていた黒髪の騎士を始め、ポーションでは到底治せない重症の人ばかりだった。私がいなかったら、彼らは確実に障害を抱えて生きていくしかなかった。


 今、完全な怪我の治癒ができる聖女は私ひとりしかいない。

 これは、病気よりも怪我を治す方が難しいからだ。

 

 怪我を元通りにするためには、元の形、人体の構造を正しく理解していなければならない。

 そのためにはどうすればいいのか。答えは簡単、死体を解剖するしかない。前世のお医者さんだって勉強のためにやっている。


 戦乱の頃はバンバン人が死んでたから、いくらでも教材は調達できた。だから怪我の治癒ができる癒し手の数はとても多かった。


 しかし平和な今、教材はそうやすやすと手に入らない。

 まあそこらへんは力技で(弔うことが許されない死刑囚とか獄死した囚人とか)どうにかしてるんだけど、やっぱり絶対的に足りてない。

 だから新しい癒し手がなかなか育たないのである。

 今は分業でなんとか頑張ってる感じ。こっちの聖女は腕担当、足担当はあちら、みたいな感じで。


 私は前世の知識のおかげで、解剖する前に人体のおおよその造りが頭の中に入っていたから、あまり苦労せずに治癒の力を使うことができた。

 ……まさか自分が楽しむための筋肉の知識がこんな風に役立つなんて誰も思わないよね。


「……なんとか怪我を減らす方法ってないもんかな」


「なんですか藪から棒に」


「だって馬上槍試合で負けたら、身代金取られるわ怪我をするわ、主からは殴られるわで全然いいことないじゃん!」


「勝てばいいだけの話では?」


「そりゃそうなんだけどさ……やっぱり頑張ったら報われたいでしょ」


 勝負事なのだから勝者が全てと言われればその通りだ。けれど戦争の代替行為だった頃ならいざ知らず、今の馬上槍試合に命や騎士としての名誉、さらにお金をかける程の価値があると私にはどうしても思えない。

 騎士の技量を披露するにしても、もう少し別の方法があるはず。


「武器を持たなければ……あーでも落馬もあるから馬もよくない……」


「それもはや勝負になります? 取っ組み合いの喧嘩じゃないですか」


 私の呟きにアンナが呆れたようにツッコんだ。


「取っ組み合い……」


 何気なく騎士が組み合っている姿が思い浮かんだ瞬間、前世の記憶が蘇った。



「そうだ、武器なんて持っているから駄目なのよ! 裸一貫、身体ひとつで戦えばいいのよ!」

 

 なんで今まで思いつかなかったんだろう⁉

 前世には、まさに男たちが裸で戦うものがあったじゃないか!!!!


「――そう、相撲。相撲をすればいいのよ!」


 

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