~彼の書く文章は俺に新しい扉を開かせる~
第24話 12.春香の報告
夏休みの前に春香は計画していたことを実行に移していた。
龍己にも内緒でこっそりと書いていたボーイズラブ作品を小説の賞に送っておいたのだ。
その結果が夏休みの終わり、九月の下旬に出た。
「龍己さん、一次選考は通ったけど、二次選考で落ちたのです」
「え!? 一次選考に通ってたのか!?」
一次選考は八月中に分かっていたが春香は龍己に特に教えていなかった。最終選考まで行ったら教えようと考えていたが、二次選考も通らなかったことが悔しくて落胆する春香に、龍己は喜んでいる。
「そうか、春香の作品が一次選考を通ったのか」
「二次選考は落ちたのですよ?」
「一次選考を通る時点で、最低限の文章の作法はできているってことなんだよ。後は選ぶ出版社の趣味になってくる。春香の文章はその最低ラインを越してるってことだ。やっぱり俺が推すだけはあるよな」
落胆している春香と対照的に嬉しそうな龍己を見て、春香も何となく気分が浮き上がってくる。
「一次選考に通ったときに伝えれば良かったのです」
「お祝いしよう! 何がいい?」
まだまだ賞への道は遠いのに、一次選考を通っただけでこれだけ龍己は喜んでくれる。そのことが春香にとっては嬉しかった。
「ミートローフがいいのです! 切ったらじゅわっと肉汁が出る肉厚の!」
「分かった。ミートローフと焼き野菜とスープにしようかな。春香、ケーキ買ってきてくれるか?」
「え!? ケーキまで買うのですか!? 大袈裟じゃないのですか?」
「俺は今最高に気分がいいんだ。ケーキでお祝いしよう」
ケーキを買って来ることをお願いされた春香は、デパートの近くのケーキ屋さんに行った。世間の夏休みは終わっている平日だったので、特に混むことはなく、ショーケースをじっくり見てケーキを選ぶことができた。
果物は桃や葡萄が多かったが、それより目を引いたのはモンブランケーキだった。モンブランと言えば栗のクリームが特徴的なケーキである。龍己の家に来るまで春香はケーキ自体食べたことがほとんどなかったけれど、コンビニで買ったモンブランは美味しかったような記憶がある。
モンブランケーキの小さなホールを買って帰ると、オーブンからミートローフの焼けるいい匂いがして、炊飯器からは蒸気が上がっていた。
春香にとっては惨敗のイメージしかないのに、龍己は春香の小説が一次選考を通ったことをこれだけ喜んでくれている。
「次は二次選考を通ることを目標にするのです」
「そうだな。でも……」
「でも、何なのです?」
龍己の表情が曇った気がして春香は首を傾げる。言いにくそうにしている龍己の顔が赤くなってきて、春香は目を瞬かせた。龍己は結構恥ずかしいと赤くなる。
「春香の小説が俺のものだけじゃない気がしてきて嫌だな……」
小さく呟いた龍己に春香は抱き付いていた。
「僕は龍己さんのために小説を書いているのですよ?」
――今後、春香の小説が読めなくなる未来なんて想像したくもない。俺にとっては春香の小説が一番の癒しで回復薬なんだ。俺のために一生小説を書いてくれ。
龍己にとっては精一杯の告白を春香は夏休み中に受け取っている。焦らして抱いて無理やりに引き出したような形になってしまっているが、あれ以降も春香と龍己との関係は良好だった。今まで以上に濃厚に睦み合って眠ることが多い。
キングサイズのベッドのシーツも毎日洗っているので替えはあるがけば立ってきていて、そろそろ新しいものを買い足さなければいけない。それくらいに龍己と春香はキングサイズのベッドで激しく抱き合っていた。
「春香が有名になったら、俺のことなんて捨てるんじゃないかと」
「そんなわけないじゃないですか! 龍己さんと僕は、パートナー制を申し込みに行くのですよ」
春香が成人したらパートナー制を申し込みに行く。一生一緒にいる約束であり、互いの持っているものを相続できる権利であり、急病でどちらかが倒れたときには一番に連絡の行く手段でもあった。
同性の恋人同士に関しては、現行の法律では結婚が認められていなくて何も保障されない。それを補えるのがパートナー制だった。とはいえ、結婚制度にはまだまだ及ばないところが多い。
「公正証書も作りに行こうな」
「龍己さん?」
「俺に何かあったときに、俺の財産は全部春香に譲るって公正証書に書くつもりだ」
龍己の言葉に春香は龍己にしがみ付く手に力を入れた。龍己もしっかりと春香のことを抱き締めてくれている。
二人の想いは永遠なのだと春香は幸せを噛み締めていた。
厚切りのミートローフをフォークとナイフで切って食べながら、春香は山盛りのご飯を掻き込む。もぐもぐと咀嚼していると、龍己がちらちらとタブレット端末を気にしているのが分かった。
二作目のボーイズラブ小説を書き終わってから、三作目を書いているのだが、その中で主人公と恋人のカップルの親友が女性同士のカップルなのだ。女性同士のカップルに主人公が相談する場面などもある。そこで主人公と女性同士のカップルは、お互いに受けと攻めを勘違いしているのだが、特に訂正は入らずに勘違いしたまま話が進む、ちょっとコミカルな作りになっている。
エッチなシーンの多いシリアスな話を二本続けて書いたので、今回はライトな感じで書いてみたのだが、龍己はそれもとても気に入っていて、毎日続きを楽しみにしてくれていた。
「龍己さんに追い付きたくて、賞に応募したのです」
ぽつりと春香が呟くと、龍己が驚いた顔をしている。食が細い龍己は春香の四分の一くらいの量しか食べない。それは食が細いのではなくて春香の食べる量が多すぎるのだということに、春香は気付いてもいなかった。
「俺に追い付きたくて?」
「龍己さんは専業作家として暮らしていける能力があるのです。僕には何もないから、せめて一冊でも商業で本が出せたら、龍己さんの恋人として堂々と振舞えるのではないかと思ったのです」
内緒で賞に応募したいきさつを話せば、龍己は苦笑していた。
「春香は学生業もあって、小説も書いている。兼業作家じゃないか。毎日書けてるだけでもすごいと思うよ」
「認めてくれるのは龍己さんだけじゃなくて、もっとたくさんのひとに認めて欲しかったのです」
胸の内を明かせば、龍己が真剣な表情になる。
「春香が有名になったら、俺は嫌だな」
「嫌なのですか!?」
「編集部の規定とかで俺に一番に作品を見せてくれなくなったら、俺が干からびる」
真剣に言うことがそれなのだから、春香は笑ってしまった。
龍己にとって春香の文章がないだけで干上がってしまうと言われると悪い気はしない。龍己にとって春香が必要だと言われているのと同じなのだから。
「そんなに上手くいかないのですよ」
「分からないぞ。春香は俺が見つけた最高の作家だから、俺以外の誰かがその才能に気付いてしまうかもしれない。そうなったら、俺はそいつと春香を取り合わなきゃいけないのか?」
どこまでも真剣な表情の龍己に春香は声を出して笑ってしまう。龍己の方も真剣なのは演技だったようで、春香の顔を見て笑っていた。
「半分本気で半分冗談だけど、妬けるのは確かだよ」
春香が龍己の心を奪う自分の小説に嫉妬したように、龍己は春香が有名になってしまうと近寄って来るファンに嫉妬すると言っている。そんな未来が来るはずもないのに、ただの杞憂だと春香が言っても龍己は納得しない。
「春香の成功が嬉しくないわけじゃないんだ。春香の小説が認められるのは嬉しい。でも、春香が遠い存在になるのは嫌だな」
「僕はどこにも行きませんよ」
龍己の方が専業作家という遠い存在のはずなのに、春香が遠い存在になるのが嫌だと言ってくれている。
例え有名になることが万が一あったとしても、春香の小説は龍己のものだし、龍己のためだけに書いていると龍己は分かっていないのだろうか。
「僕は龍己さんのためだけに書いているのですよ?」
「そうだけど……」
早く20歳になりたい。
今、春香は強く思っていた。
成人すれば誰の許可もなく龍己とパートナーになることができる。公正証書も作りに行くことができる。
「春香、明日、公証役場に行くぞ!」
「え? 明日ですか?」
「明日まで夏休みで休みだろう?」
龍己の突然の提案に春香は驚いていた。
「春香が成人しなくても公証役場に行って書類は作れるからな」
春香のために龍己は成人を待たずに公証役場に行って書類を作ろうと考えてくれている。龍己に何かあった場合には一番に春香に連絡が行くように、龍己の財産は全て春香が受け取れるように。
「なんだか、龍己さんに何かあったときのことを考えてしまうのです」
「逆も同じだよ。春香の財産は俺が受け取る。春香に何かあったときには俺に一番に連絡をもらう」
春香の小説は全部俺が相続する。
そう宣言する龍己に、最初からそれが目的だったのではないかと春香は思っていた。
翌日、二人は公証役場に行って、お互いに書類を作った。
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