第30話 3.死が二人を別つまで(結婚編)

 クッキーを食べて落ち着いた春香を龍己が連れて行ったのは、宝飾店だった。きらきらと光るアクセサリーの置いてある店内に何故連れて来られたのか分からずにひたすら戸惑う春香の手を引いて、龍己は衝立で仕切ってある椅子に春香と腰かけた。ソファは革張りで座り心地がいい。


「いらっしゃいませ、速水様。今回はどのようなものをお求めですか?」


 上品なスーツに白手袋姿の店員に聞かれて、龍己は答えた。


「できるだけいい指輪を」

「指輪?」


 何故龍己が指輪を欲しがっているのか。欲しいのならば一人で買えばいいのに春香も連れてきているのはどうしてなのか。頭の上にたくさんのクエスチョンマークを出している春香に構わず、店員はビロードの張られた箱の上に幾つかのサンプルを持ってきた。

 男性用の指輪のはずなのだが、ピンクゴールドのリングに一回りぐるりとピンクダイヤモンドがはまっているものがあって、春香は挙動不審になってしまう。恭しく春香の手を取って、龍己が春香の指にそれをはめる。


「春香は色が白いからピンクがよく似合うな。悪くない」

「こちらの無色のダイヤモンドもございますが」

「こっちもいいな。ブラックゴールドのリングによく合っている」


 店員と話しながら龍己は春香の手の上に自分の左手を乗せた。どういう意味か分からずに戸惑う春香に、龍己が促す。


「指輪をはめてくれ」

「え? わ、分かったのです」


 まるで結婚式のようだと考えながらも、春香は龍己の左手の薬指にブラックゴールドと無色のダイヤモンドのはまった指輪をつけた。

 春香と龍己の手を見詰めて、龍己は満足そうである。


「悪くないな。これをこのままもらえるか?」

「速水様でしたら、特別にお売りいたしましょう。磨いてくるので、少々お待ちください」

「支払いはこれで」


 ビロードの貼られた箱に龍己がカードを置くと、店員は一礼して一度下がっていく。何が起きているのか分からないままに春香は指輪の入った箱を紙袋に入れてもらった龍己と一緒に宝飾店から出ていた。

 続いて龍己が行ったのは、結婚式場だった。同性が好きと自覚してから、結婚式に招いてくれる友達もいないので、一生こういう場所には縁がないと考えていた春香にとっては、未知の領域できょろきょろと周囲を見回してしまう。

 出てきたプランナーに話を通して、龍己はタキシードや紋付き袴の置いてある衣裳部屋に通してもらった。

 もう何が何だか分からないけれど、小説の取材なのだろうと勝手に決めつけて、春香はこの状況を楽しむことにした。


「春香はタキシードと紋付き袴、どっちがいい?」

「僕が着るのですか? 龍己さんが着るのですか?」


 気分の落ち込んでいる春香のために龍己は取材を兼ねて結婚式体験をさせてくれようとしているのだ。そういう結論に落ち着いた春香は、龍己に問いかけていた。


「俺と春香の着るものが別々だと、おかしいだろう。どうしてもそうしたいなら、いいけどな」

「僕と龍己さんの着るものは同じ方がいいのですね……龍己さんには和装が似合うと思うのです!」


 実際の龍己と会うまでは春香の作家のイメージとは和服で原稿用紙に向き合っているようなものだった。パソコンが主流になっていて、今は原稿用紙に小説を書く作家は少ないのだと分かっていても、ロマンとしてそうあって欲しいというのがあったのだ。

 一緒に住み始めて分かったことだが、龍己は和服など着ないし、楽なカットソーとズボン姿で家で仕事をしている。出版社のパーティーなどにはスーツを着るのだろうが、スーツを着ているところすら春香は見たことがない。


「龍己さんのタキシードと紋付き袴……どっちも魅力的過ぎるのです! どっちも見たいのです。決められません」


 正直に白状すれば龍己は明るく笑っていた。


「それじゃ、お色直しをすればいいな」

「お色直し、なのですか?」


 取材にお色直しがあるのだろうか。

 考えている間に龍己はどこかに電話をかけていた。出版社にこの取材が経費で落ちるか聞いているのかもしれない。

 龍己の家を出なくてはいけなくなるかもしれないし、これは最後の餞別なのだと理解して、春香は思い切り楽しむことにした。

 最初にタキシードを選ぶ。


「春香は白がいいな。色白なのがよく映える」

「龍己さんはグレイのタキシードに濃いグレイのシャツで、ネクタイはワインレッドなのです」

「面白いな。着てみよう」


 それぞれに衣装を選んで試着室に入って龍己と春香は着てみる。

 試着室から出てきた春香に龍己は宝飾店で買った指輪の箱から指輪を取り出してつけてくれて、春香も龍己の指に指輪をつける。

 結婚式場の外が騒がしくなり始めていることに気付いた春香は、結婚式の予約が入っているのかと衣装を脱ごうと試着室に戻りかけた。春香の腕を掴んで龍己が結婚式場のロビーに出る。



 ロビーにはたくさんの雑誌の記者らしきひとたちが来ていた。何事かと身構える春香に、龍己がこれ見よがしに春香の肩を抱く。


「私、速水龍己は彼と同性婚をします。これが印税三冊分の指輪です」

「ふぁー!?」


 取材で結婚式場に来ていたと勘違いしていた春香にとっては寝耳に水の出来事である。悲鳴を上げてしまったのも仕方がない。


「二人の出会いはどんなところで?」

「私が一方的に彼に惚れました」

「交際期間はどれくらいでしょう?」

「三年と少しですね。最初の頃は私が追いかけていた期間があるので」


 一方的に「小説」に惚れたとか、三年と少し「小説を」追いかけていた期間があるとか、隠していることはあるが龍己はインタビューに答えている。


「もしかして、これ、結婚会見?」

「そうだぞ? お義母さんにちゃんとするって言ったのはこれだ」


 ちゃんと金を払うという意味ではなく、龍己は春香との関係を公にすることで春香の母親からの脅しが全くの無意味になるようにしてしまったのだ。


「色んな女性の間を彷徨ったこともありました。それもずっと彼を探していたのだと思います。彼はまだ未成年なのですが、成人したらパートナー制を申し込みに行って、正式なパートナーになりたい。現行の法律が変わって結婚できるようになったら、正式に結婚したいと思っています」


 堂々と宣言する龍己に、春香は泣きそうになっていた。

 最初は春香の片思いだった。それが龍己も春香のことを考えてくれるようになった。

 小説というものを介してだったけれど、身体を繋げるきっかけにもなって、龍己と春香は小説で結ばれた。世間に公表してもいいくらい龍己は春香のことを思ってくれている。


「彼のお義母さんに言われて、ちゃんと公表しようと思ったんです。やはり、隠して付き合っていることは彼のためにもならないし、自分がどれだけ真剣かを試されているのだと思いました」


 母親に対するコメントは、痛烈な皮肉であることは春香も分かっていた。結婚会見が雑誌に載ってニュースになれば、春香の母親ももう龍己を脅したりはできないだろう。

 指輪のはまった手を二人で見せて、龍己と春香は何枚も写真を撮ってもらった。


「彼は一般人なので、名前も出さない、顔も隠してくださるようにお願いします」


 最後に龍己が頭を下げて、取材陣は去っていった。

 二人きりになって、龍己が春香の手を引いて結婚式場のチャペルに連れて行く。客は誰もいなかったが、結婚会見の間に準備をしてくれていたようで、聖歌隊が聖歌を歌い、神父が壇上で待っていた。

 真っ赤な絨毯の上を歩いて行って神父の前に立つと、龍己がまず聞かれる。


「汝、速水龍己は、戸井春香と結婚し、健やかなるときも病めるときも、死が二人を別つまで共に支え合い、愛し合うことを誓いますか?」

「誓います」


 凛と男らしい声で答える龍己に春香は涙が出て来る。

 次は春香の番だった。


「汝、戸井春香は、速水龍己と結婚し、健やかなるときも病めるときも、死が二人を別つまで共に支え合い、愛し合うことを誓いますか?」

「ち、誓うのです」


 洟を啜る春香の背中を龍己の手が優しく撫でる。


「それでは、誓いのキスを」


 神父に促されて、龍己が春香の頬に手を当てた。口付けを待って春香は目を閉じる。口付けられた感触に目を開けると、龍己はもう顔を離していた。

 聖歌隊が高らかに祝福の歌を歌いあげる。


「ここに、二人は神の御前で夫婦となったことを宣言します。新しい二人の門出に祝福がありますように」


 神父と聖歌隊に祝ってもらっての結婚式が終わった。

 タキシードで結婚式をした後には、写真撮影が待っていた。当日なのに龍己は抜け目なく注文してくれていたようだ。

 タキシードで写真を撮った後は、二人で紋付き袴に着替えて写真を撮る。


「せっかく紋付き袴を着られたのですから、庭を散歩して来てはどうですか? ここはガーデンパーティー形式の結婚式もできる綺麗な庭があるんですよ」


 プランナーに言われて、龍己と春香は手を繋いで庭を歩いた。天気も良くて風も心地よい。庭の秋薔薇は見事に咲いていて、薔薇以外の春香が名前を知らない花も、たくさん咲き乱れていた。


「公表してよかったのですか?」

「実は、俺の両親からもちゃんとしろとは言われてたんだ。虎太郎からもな」


 実の両親と思っていいと言ってくれた龍己の両親も、春香との関係をちゃんとするように言ってくれていた。龍己の弟の虎太郎もまた同じことを言ってくれている。


「僕は生まれたときには家族に恵まれなかったけれど、今は暖かな家族に囲まれて幸せなのです」

「俺がちゃんとしたかったのもあるんだからな」

「はい、龍己さん、大好きです」


 指を絡めて繋いだ龍己の手には、春香と色違いの指輪がはまっている。

 それ以降龍己の家に春香の母親が来ることはなく、春香と龍己には平穏が訪れる。


「今日は初夜だからな。覚悟しろよ?」

「それはこっちのセリフなのです」


 耳元で囁かれた龍己の甘い言葉に、春香は期待してにやけるのを止められなかった。

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書籍化作家に推されています 秋月真鳥 @autumn-bird

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