後日談 御挨拶編

第25話 1.龍己の弟(ご挨拶編)

 龍己が弟の虎太郎こたろうに合わせてくれると言ったのは、春香の夏休みが終わった後だった。家族に挨拶をさせてくれるなど考えていなかったが、家族の住んでいた家でルームシェアをしているのだからいつかはこんな日が来るのかもしれないとは春香も覚悟していた。


「両親にはネットの動画付きのアプリで話をしよう。弟は国内にいるから、久しぶりに帰ってきてもらおう」


 てきぱきと決まっていく中で春香はこれでいいのかと緊張していた。春香にとって普通の家族とはよく分からないものだ。自分と関係を持っていることを知られて仲のいい普通の家族である龍己が、両親や弟から嫌な目で見られるようにならないかは春香の心配するところであった。

 春香の心配をよそに龍己は日程を決めてしまった。

 大学の始まった十月の日に、春香は大学から帰ってリビングのソファでそわそわと虎太郎が来るのを待っていた。普段は大学から帰ると洗濯物を取り込んで、畳んで片付け、お風呂の用意をして、部屋に閉じこもって小説を書いているのだが、今日は小説も手につかない。

 小説の続きを書けていない日は龍己がとてもがっかりするのでできる限りは書いていたが、今日はどうしても無理そうだった。

 タブレット端末を使ってプロットの手直しはしているが、頭の中は上の空で自分が何を書いているかも分からない。

 龍己はいつも通りの時間にリビングに降りて来てキッチンで料理を作っていた。

 夕食が出来上がる時間になって、インターフォンが鳴った。春香が出ると龍己よりも背が高くて髪を短く刈った男性がスーツ姿で立っていた。


「初めまして、速水虎太郎です」

「あ、あの、戸井春香なのです」


 答えたものの何を喋っていいか分からずに立ち竦む春香を優しく室内に入れて、虎太郎も玄関で靴を脱いで上がってきた。スーツも持っていない春香だが、真面目そうに見えるように襟のあるシャツとスラックスを身に纏っていたが、それもどこか場違いに感じられる。

 完全に委縮している春香に、勝手知ったる我が家と遠慮なく虎太郎は廊下を歩いて春香の部屋まで来た。


「開けてもいい?」

「あ、どうぞ」


 春香が使っている部屋は元々虎太郎の使っていた部屋だと聞いていたので、どう変わったか気になるのだろう。ドアを示されて春香はこくりと頷いた。

 ドアを開けた虎太郎が部屋に入らずにドアの位置から室内をじっくり見渡す。


「机の位置もベッドの位置も変えてないんだ。自由にしていいのに」

「これで慣れちゃったので、このままにしています」


 机の位置もベッドの位置も春香が来たときと同じだったが、特に拘りのない春香はそのまま使っていた。模様替えをする必要性をそれほど感じていなかったのだ。

 部屋は春香にとっては家族から離れるための場所というだけで、特に深い意味を持っていない。拘っているのは龍己と過ごす寝室の方なのだが、そっちは虎太郎には見て欲しくない気持ちがあった。


「俺の帰ってくる場所はなくなっちゃったなぁ」

「すみません」

「いや、春香くんが気にすることじゃないよ」


 龍己より背は高くて髪も短く刈っているが、どこか龍己に似ている虎太郎がにかっと笑う。その表情に龍己との類似点を見つけて、春香は息をつく。これから明かすことについて、虎太郎から春香はどれだけ責められてもおかしくはない。大事な兄を男性同士の恋愛の道に堕としたと罵られても、春香は言いわけなどできなかった。


「秋刀魚と豚汁とご飯だぞ」

「お! 秋刀魚! 今年の初秋刀魚だ」


 キッチンから声をかける龍己に、春香は料理を運んでテーブルに並べる。豚汁はお代わりもあるということでいつもならば飛び上がって喜ぶのだが、今日は心配でまだあまり食欲がない。


「龍己さん、僕たちのこと……」

「大丈夫だよ、春香」


 食事を食べ終わるまでは龍己は話しをしないつもりのようだ。いつもよりも少ない量しか食べられない春香を、龍己は「大丈夫か?」と気遣ってくれていた。

 食後に虎太郎が持ってきたお菓子を開ける。綺麗な箔押しの箱に入ったマカロンで、それを出して龍己がコーヒーを淹れた。

 紅茶もコーヒーも縁のない生活をしていたけれど、龍己の淹れた挽きたての豆のコーヒーを美味しいと感じるのだから、春香の舌も贅沢になったものだ。コーヒーにミルクを入れて飲みながらマカロンをいただいていると、龍己が切り出した。


「メッセージで話してた通り、春香と付き合ってるんだ。将来はパートナー制を申し込むつもりで、もう公証役場にも行って公正証書を作っている」


 現行の法律では同性の結婚は許されていないので、実質の結婚と同じようなことを既にしてしまったことを虎太郎に告げると、虎太郎はじっと龍己と同じ黒い目で春香を見詰めていた。



 薄茶色の髪と緑がかった目の春香にとっては、家族と同じ黒い目と黒い髪はずっと憧れていたものだった。龍己も虎太郎も日本人らしいすっきりとした顔立ちで、髪も目もしっかりと黒い。肌の色は外にあまり出ないので龍己は白いが、虎太郎は少し日に焼けていた。


「兄さんが身を固めるなんて思わなかったな。高校と大学の頃に彼女じゃない女性と遊んでたのが」

「それを今言うか?」

「何人もの相手の間で彷徨うよりも、一人の相手に落ち着いた方が安心だよ。春香くん、兄さんをよろしくお願いします」


 頭を下げられてしまって、春香はカップを置いて慌てて立ち上がって頭を下げる。


「こちらこそ、よろしくお願いします」

「俺に紹介するくらいなんだから、大事にしてるんだろう。兄さん、捨てられないように頑張れよ」

「うるさい!」


 豪快に笑っている虎太郎に春香は驚いて目を丸くしていた。

 受け入れられるとは思っていなかった。軽蔑されてこの家から出て行けと言われるのを、どうにか謝って許してもらうことしか考えていなかった春香にとっては、虎太郎の大らかさはあまりにも衝撃的だった。

 頭を下げたものの驚いて突っ立ってしまっている春香を龍己が座らせる。もう一度コーヒーのカップを持って飲み始めたときに、虎太郎が真剣な口調で告げた。


「こんなに細い子なんだから、兄さん、無理させるなよ?」

「げほっ!? かはっ!?」

「ぶふぉ!」


 コーヒーを吹いてしまったのは春香と龍己でほぼ同時だった。虎太郎は「真面目な話なんだからな」と言っているが春香も龍己も挙動不審にならざるを得なかった。

 真面目な表情の虎太郎だが、完全に龍己と春香の攻め受けを間違っている。周囲から見たら龍己の方が体格が立派でかっこいい顔立ちで、春香が細身で可愛い顔立ちなので、春香の方が受けと思われるらしい。

 苦笑する龍己の表情の意味を完全に虎太郎は取り違えていた。


「愛し合ってるから平気とか思うなよ? 相手への労わりは絶対に大事だからな! 相手のことを愛してるなら、ちゃんと傷付けないようにするんだぞ?」


 この物言いだけで春香は虎太郎に心底好意を持った。家族として虎太郎は最高の相手なのではないだろうか。


「大丈夫なのですよ、龍己さんはとても優しいのです」

「お、おう」


 勘違いさせておいたままの方が龍己のプライドを守れるのではないかと考えて、春香は虎太郎に話を合わせた。龍己にとっては大事な可愛い弟に自分が抱かれていると思われるのも微妙だろう。

 龍己に腕を絡ませて仲がいいアピールをすると、虎太郎は気持ち悪がるどころか、にこにこして言ってくれる。


「本当に春香くんがいい子でよかった。兄さん、大事にするんだぞ?」

「分かってるよ。毎日美味しいもの食べさせて、可愛がってるよ」


 弟の前では龍己はこんな顔をするのかと新鮮に思いながら、春香はほっと安堵していた。どれだけ罵られても龍己のことは諦めきれないと考えていたが、あっさりと虎太郎は春香と龍己の仲を認めてくれたどころか、応援までしてくれている。

 家族というものに何の期待も抱かずにやってきた龍己の家で、春香は龍己の家族に受け入れられている自分を実感していた。


「父さんと母さんにもちゃんと紹介しろよ?」

「分かってる」


 帰り際に虎太郎の言った台詞に、春香はまだハードルは残っているが、虎太郎があのような態度だったので少しは緊張が解けていた。


「龍己さん、大好きなのです」

「あぁ、分かってる」


 飛び付いて抱き締めても「大好き」に「俺も」が帰って来ないことには不満があるが春香は虎太郎に認められてとても幸せだった。

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