書籍化作家に推されています

秋月真鳥

書籍化作家に推されています ~僕はただの素人物書きなのに~

第1話 1.始まりは小説から

 ルームシェアをしようと申し出て来たのは、龍己たつきの方だった。


 龍己と春香はるかが出会ったのは、有名な小説の投稿サイトでのことだった。龍己はペンネームで小説を書いていて、春香はその小説を読んでいた。春香も小説を書いていたのだが、あまり読まれることはなく、春香の小説は埋もれていっていた。

 高校生という時間を自由に使えることを強みに大量に書いた物語は特に反応もなく、誰にも読まれていないと思っていたところに、龍己からの感想が来た。


『とても美しい世界です。この優しい世界を完結まで見守りたい』


 春香はその感想が信じられなかった。龍己は書いている小説で賞を取って書籍化した専業作家で、春香は全くの素人である。それなのに、龍己は春香が新作を書くたびに感想をくれて、そのうち龍己と春香はSNSで繋がって、メッセージアプリの連絡先を交換して話すようになった。

 次の小説の構想や、更新した小説の感想を話し合い、盛り上がるのが毎晩の楽しみになった。

 そのうちに春香が大学受験の時期を迎えて、行きたい大学があるけれど県外で遠いという話になったら、龍己が申し出たのだ。


『俺とルームシェアしませんか? 最低限のルールが守れるなら、春香くんと暮らすのは楽しいと思うんだけどな。男同士だから気楽だし』


 春香はそれに飛び付いた。

 春香の両親は大学に行くことには反対していないが、わけあって春香は家に居づらい状態になっていたのだ。


『よろしくお願いします。僕の本名と住所をメッセージで送るのです』


 そのときに、龍己の本名と年齢を春香は知った。


 速水はやみ龍己、28歳。


 こうして迎えた18歳の春、春香は県外の駅に来ていた。

 駅で待っていると、襟のあるシャツにジーンズ姿の背の高い男性が現れる。黒髪に黒い目の一般的な日本人の特徴だが、かなり綺麗な顔立ちをしていることに驚いていると、声をかけられた。


戸井とい春香くん?」

「はい、そうなのです」


 答えると美形がにこりと微笑む。


「速水龍己です。どうぞよろしく」


 駅に停められている車に乗せてもらって、連れて行かれた先は庭付きの一軒家だった。


「両親が海外に移住しちゃって、この広い家を俺一人で使うのはちょっともったいなかったから、春香くんが来てくれて嬉しいよ」

「僕、家事とかほとんどやったことないんですけど、大丈夫ですか?」

「これから覚えていけばいいから大丈夫だよ」


 それよりも、と龍己は春香に手を差し出した。


「新作、書いてるんでしょう? 俺に一番に見せて! お願い」

「完結まで書けていないし、見直しもしていないのです」

「下読みだと思って、俺にご褒美をください」


 全く意味が分からないのだが、素人の春香の書く文章が龍己にはご褒美になっているのだという。

 毎晩続けていた感想交換のメッセージアプリの話題も、春香の方が書いて見せられるものが多かったので、春香の作品の話題にばかりなっていた。専業作家の龍己には、出版社との関係があるので見せられない文章ばかりで、春香が見ていたのは投稿サイトに載っている作品とベストセラーになった出版された本くらいだった。


「先に部屋に荷物を置いて来たいのです」

「そうだったな。悪い悪い」


 龍己が春香を案内してくれたのは、一回の裏庭に面した明るい部屋だった。ベッドも机も置いてあって、新しく買う必要はないとメッセージで言われていた通りだった。


「俺の弟が使ってた部屋なんだけど、今は家を出てるから、気にせずに使っていいよ」

「ありがとうございます」


 両親からの学費以外の援助はもらいたくなかったので、春香は本当に助かった気分でいた。春香の複雑な事情を龍己は知らないし、春香は話していない。あまり愉快な話ではないので、春香は龍己に家を出たいことは話していたが、家庭のことまでは話していなかった。


「今日からよろしくお願いするのです!」


 頭を下げて春香は龍己に言えないことは飲み込んでしまった。



 新生活は問題なくスタートしたかのように見えた。

 春香の絶対的な家事能力の欠如が発覚するまでは。

 料理を作ろうとしてもなぜか炭になる。洗濯をしようとすればやり方が分からずに立ち尽くす。お風呂にお湯を入れればお湯を出しっぱなしにする。スーパーに買い物に行っても、何を買って来ればいいのか分からない。

 ルームシェアを始めた日の夜までに発覚した出来事に、龍己は「仕方がないな」と苦笑しながら付き合ってくれていた。

 洗濯機の使い方を教え、雨の日は屋根のあるテラスか室内に、晴れの日には裏庭に干すことを教えてくれる。

 一週間の献立を何となく考えてからスーパーに行って、安売りのものを中心に買って来ることを教えてくれる。

 料理に関してはすぐには習得できないようなので、龍己が作ってくれた。

 ハンバーグと卵スープと焼き野菜。ご飯をお茶碗一杯に盛って、春香はもりもりとそれを食べた。


「美味しいのです! 龍己さんはいいお嫁さんになるのです!」

「いやいや、俺は男だ」

「男のひとがお嫁さんでもいいのですよ」


 主張してから、春香は新作の件について龍己に言わなければいけないことがあったのだと、口を開いた。


「実は新作はボーイズラブなのです」

「ボーイズラブ?」


 聞いたことのない単語だったのだろう、龍己が聞き返す。春香は言葉を選んで一生懸命説明する。


「男性同士の同性の恋愛のことです。僕は、男性同士の恋愛や女性同士の恋愛が普通にある物語を書きたいのです」


 春香が家を出たかった理由がそれだった。幼い頃から気付いていたけれど、春香は女性を愛することができない。恋をしたのはこれまでずっと男性ばかりだった。そのことを龍己に話していないのはフェアではないと分かっているが、せっかく家を出られる機会を逃したくなかったのだ。

 次回作の話をしていると、龍己が手を差し出した。


「読ませてくれるか?」

「苦手なジャンルかもしれないのですよ?」

「苦手だったらちゃんとそう言うから」


 真剣な龍己の表情に気圧されて、春香は作品のデータを龍己のメッセージに送ってしまった。これで春香の性嗜好がバレるようなことになって、ルームシェアを解消されるかもしれない。

 それは避けたい事態ではあった。

 高校生のときからずっと話してきていた龍己に実際に会うことができて、春香はその美形さに驚いていたし、世話焼きなところにも惹かれていた。

 最初に作品があってそれに惹かれたのだから、人間性自体に惹かれることがあっても何もおかしくはない。

 龍己は春香にとって、既に狙うべき獲物になっていた。


「なんだこれ……」

「やっぱり、ダメでしたか? 別に書いたものもあるのです。そっちなら……」

「萌える!」

「へ?」


 タブレット端末でデータに目を通した龍己がじりっと春香に近寄って来る。


「この主人公が相手に惚れるところ、すごくいい。幼馴染設定もものすごく萌える。これから二人はどうなるんだ?」

「僕はハッピーエンド至上主義なので結ばれますよ」

「完結まで読みたい。続きを書いてくれ」


 熱っぽい瞳で請われるのは作品のこと。専業作家で自分の好きなものは自由に書けそうな龍己は、なぜか春香の書く物語に執着する。


「仕事になると好きな物語が書けないんだ。それに、自分の書いた物語には正直萌えない。春香くんの物語は萌えるんだ。春香くんの物語なら、俺はボーイズラブでもガールズラブでも行ける気がする」


 続きをと請う龍己の表情は、春香にはどこか色っぽくも感じられる。

 素人物書きで学生の春香を何故こんなに龍己が推してくれるのか。それは分からなかったけれど、ルームシェアは順調に進みそうな気配がしていた。

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