第7話

 行き場を失った秀一は四階に向かう途中の階段で足を止めた。それから二人を振り返り、コップを突き出しながら頭を下げた。


「悪い! 勝手なことした。この水は二人で飲んでくれ」


 そんな秀一を見つめ、健一郎もまりあも瞬きを繰り返した。それからクスリと笑いその腕を押し返す。


「正直スカッとしたぜ」

「はい! か、カッコよかったです!」


 思いもよらない反応に秀一は戸惑ったような表情を浮かべ、顔を上げた。


「まあまさかお前があんなキレ方するとは思わなかったけど。けど気持ちは同じだったからさ」


 彼がにかっと笑うと、白い歯が光って見えた。日に焼けた肌が一層その白さを際立たせている。


「わ、私も同じ意見です。あ、あんな人が買った水なんて、の、飲みたくないです!」

「二人とも……ありがとう」


 ようやく緊張の糸がほどけ、秀一は安堵の笑みをこぼす。そして少しだけ水を飲んだ。

 そのまま三人はその場に座り込む。


「そ、それにしても、こ、困りましたね……」


 唐突にまりあが顎を擦り眉間に皴を寄せた。


「何が?」


 健一郎が問うと、まりあは視線を彷徨わせながら続けた。


「お、恐らくですが、えっと、今ので石上さんは武井さんに何らかの仕返しをしてやりたいと思っているはずです」

「だろうな」


 冷静さを取り戻した秀一はまりあが何を言いたいのか容易に想像ができた。


「そ、そうなれば石上さんは、武井さんに『選挙』を申し込むのではないかと……」

「だから?」


 健一郎はまだ理解できていないようだった。秀一はコップの中の水を見つめながらまりあの言葉を引き継いだ。


「要するに『選挙』で俺を負かして殺そうってこと」

「いやあいつが勝つかなんて分かんねえじゃん。俺たち参加者と客の投票だろ? 秀一が勝つ可能性だってあるだろ?」

「いや、無理だ。あいつのことだ。まずここにいる奴らは金で買収される」

「そうか……!」


 ようやく事を理解した健一郎の顔が引き締まった。

 成之は既に1億以上のペインを手にしている。さらに他の選択肢にいた友人を殺すことさえも厭わない様子だった。

 つまりまだ金は手に入るという打算ができる。ならばここで一人に数万、数百万ペインばらまいても痛くもかゆくもないはず。

 そして現状秀一たちと同じように傷つけたくはない、だが金がなくて困っているという人間は多いはずだ。

 そう言った人間が買収されれば簡単に票など持っていかれる。


「当然だが客側にも期待はできない。投票する客とさっきあいつにチップを投げた客は同じはずだ。そうなれば一度『ショー』を行っているあいつの方が圧倒的に票が集まりやすい」

「だな。人の死に様を見て楽しむような奴らだ。『ショー』を行ってない俺らでは分が悪い」

「ああ。つまりあいつがここにいる人間を買収するより先に俺の『選挙権』を使う必要がある」


 ここでは敵を作らない方がいい、そう言った秀一が真っ先に敵を作ってしまった。秀一はコップを階段に置き、頭を抱えた。


「あ、それについてなんだけど、俺いい方法思いついたわ」


 健一郎があっけらかんとした声で言う。驚いた顔で彼を見つめる秀一。まりあも「なんでしょう?」と首を傾げる。


「確か秀一は元の借金が300万。そして俺が200万。ちなみに相浦さんは借金あったりする?」


 健一郎が問いかけると、まりあは伏し目がちに頷いた。


「ひゃ、100万ほど……母が病気で……」


 儚げに語る彼女は今にも消え入りそうだった。

 ある意味見た目通りの印象だなと秀一は思った。ギャンブルや騙されたなどではなく、母の病気を治すためにかかっているお金。それだけで彼女の透明感、彼女の儚さ、過去が語られているようだった。


「なるほど……。そうすると俺たちの合計借金は600万。ならどうにかなるな」

「なんだよ。焦らさずに言えよ」


 少し苛立った様子の秀一に健一郎はにこっと微笑みかけた。そしてコップの水を少しだけ飲むと彼は続けた。


「俺とお前で選挙をすればいいんだよ」

「は?」


 思いがけない言葉に面食らう秀一。だが健一郎は止まらない。


「そしてお前は俺に負けろ」


 一体何を言い出すのか。


「お前、俺に死ねっていうのか!?」


 思わず前のめりになる。健一郎は人差し指を立て、チッチッチと舌を鳴らした。


「そうじゃねえよ、拒否権を使うんだ」

「な、なるほどです……!」


 まりあが頷いた。


「『拒否権』を使えば俺は1000万ペイン、お前はマイナス300万ペイン。その300万ペインは俺の1000万ペインの内から払えばいい。残りは700万ペイン――――」

「そして俺たちの元の借金は600万」

「ああ。100万ペインの余裕がある。100万ペインあれば切り詰めて一週間、三人で暮らせるんじゃないか?」


 秀一の顔が明るくなった。


「確かに! お前のこと、ただのムードメーカーとか思っててごめんな」


 まるで高校時代に戻ったかのような軽いジョークだった。健一郎は笑いながら秀一の肩を小突いた。


「さらっと失礼なこと言うなよ」


 場が一気に和んだ。だがふと盲点に気が付く。


「相浦さんの選挙権はどうする?」


 秀一が尋ねると健一郎は瞬きを繰り返した。


「別に無理に使う必要はないんじゃねえか?」

「それはそうだけど……。でも俺たちと一緒にいれば火の粉が降りかからないとは限らない。彼女も変に巻き込まれるより先に使い切った方がいい」

「で、でも……私、勝つ自信ないです……」


 申し訳なさそうに俯くまりあ。


「もう一人探そう」

「え?」


 秀一の提案にまりあは弾かれたように顔を上げた。


「もう一人同じ考えをしていて信用できる人を探すんだ。そして俺と健一郎がやるのと同じ作戦で相浦さんともう一人も選挙をする。そうすれば選挙権も使い切れるし、かつ資金も増える」

「だがなあ~そう都合良く見つかるかな? それも石上の息が吹きかかってない奴なんて……」

「私じゃ、だめかしら……?」


 唐突に凛とした声が頭上から降ってきた。風鈴がなったのかと思うような、澄んだ声。

 秀一はその声をつい最近、聞いた気がした。

 揃って三人が顔を上げると――――


「清水……」


 清水美香が階段を下りてきたのだった。

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