money or paine
@nia_oosaki
第1話
金の為にどれだけ自分を傷つけられますか?
秀一の日常が変化したのは社会人三年目の秋ごろだった。都会の隙間に吹くビル風が冬の訪れを知らせ、人々は身を竦める。そんな季節。
秀一は仕事を終えアパートに帰った時、そこには非日常の光景が広がっていた。
秀一の住む部屋の前に知らない男が二人立っていたのだ。スーツに身を包んだ男二人はどちらも秀一よりガタイがよく、強面である。玄関先に備え付けられたライトで照らされたその姿はとても親しみやすいとは言い難い。
秀一は見なかったことにした。
「近くのコンビニで時間でもつぶすか」
独り言ちてスマートフォンを見る。時間は八時前。特に連絡はなし。
明日も仕事があるため早く家に入って休みたいところだが致し方がない。
秀一がコンビニに向かって方向転換したその時。
「武井秀一だな?」
男二人が歩み寄ってきた。
秀一は恐る恐る振り返る。すると男二人は秀一の正面に立ち彼を見下ろしていた。男のうち一人は細い銀縁の眼鏡をしており、もう一人は黒髪をオールバックにしている。どちらも迫力があり逃げようものならホールドされそうな威圧感がある。
「えっと……どちら様でしょうか……?」
物腰柔らかく下から尋ねると男は顔を見合わせ頷いた。
「立ち話もなんだ。部屋に入れてもらえると助かるんだが? 近くのカフェ、ファミレスでも構わない」
街頭に照らされた眼鏡男の眼鏡がきらりと光った。
どうやら秀一に拒否権はないらしい。
「分かりました。どうぞ」
秀一は手で部屋の方を指し二人を先導した。二人は頷いて秀一の後に続く。
鍵を開け部屋の電気をつけると、まずはキッチンがある。左手にキッチン、右手にお風呂。その先にリビング。一人暮らしの1Kだ。
そのままリビングに通し、秀一は適当に二人を座らせた。
秀一の部屋は非常にさっぱりしており、机とベッド、本棚くらいしか置いてなかった。
秀一はキッチンに戻りお茶を淹れる。
「どうぞ」
お茶をテーブルに置き、自分も腰を下ろすと沈黙が落ちた。
「で、ご用件は……?」
沈黙に耐え兼ね秀一が口を開くと眼鏡の男が一枚の紙を胸ポケットから取り出した。それをテーブルの上に乗せ、スッと秀一の前に差し出す。
「武井秀一、貴様には今三百万の借金がある」
「は?」
眼鏡の男の言葉に思わず秀一は唖然とする。
「返済期限は来週の火曜日。つまり今日から十日後、十月三十日だ。それまでに返せなければ――」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
淡々と話を続ける眼鏡男の言葉を遮る。
「一体あなた達は何なんですか!? 借金ってどういうことですか? 俺金融機関から借りた記憶ないんですけど!」
まくしたてる秀一だが二人は動じない。男二人はおもむろに名刺を差し出してくる。
「あい、しょうきんゆう?」
眼鏡の男が差し出した名刺には「愛傷金融 金渕正文」と書かれており、オールバックの男の方は「愛傷金融
それから正文という男の方が紙の下の方を指さした。
「ほら、ここにサインしてあるだろう?」
そう言われ秀一は慌てて見つめる。確かにそこには自分の「武井秀一」というサインと共に拇印が押してある。
「こんなの、いつ……」
気が遠くなるのを感じつつも秀一は自分の記憶を探る。
「清水美香。知ってるな?」
正文が眼鏡をくいっと押し上げ尋ねた。秀一は三カ月前のことを思い出す。
それは偶然だった。まだ蝉が今世を謳歌し盛大に啼いていたころのことだ。
秀一の会社は池袋にある。退勤後上司に捕まってしまい、近くの居酒屋で飲むことになった。断れないまま三軒回り終電を逃した秀一は渋々最寄りの高田馬場までタクシーで帰ることになる。
最悪だと内心愚痴をこぼしていたものの、そのタクシーこそ偶然と言う運命を引き寄せたのである。
「……もしかして、武井君?」
タクシーを止めようと手を挙げた時、偶然にも隣で女性も手を挙げていたのだ。
手を挙げた女性の方を見た秀一は一瞬誰だか分からなかった。
それほど女性は当時に比べ綺麗になっていたし、思わず見とれてしまうほどのオーラを纏っていたのだ。
「覚えてない? 清水美香。高校で一緒だったでしょ?」
その名前を聞いて秀一はハッとした。
クラスでも一緒だったが部活もサッカー部とマネージャーという関係でとてもお世話になった存在である。
確かに当時もマドンナ的な立ち位置ではあったが、今は一層綺麗になっていた。女優と間違われてもおかしくなさそうだ。
「清水! 久しぶりだな!」
酔いも吹っ飛び秀一の顔が明るくなる。
「これから帰りなら相乗りしない?」
美香は止まったタクシーを指さし尋ねる。大きな瞳が秀一を見つめた時、秀一の心臓がドキリと飛び跳ねた。そしてよからぬ煩悩が脳裏をかすめる。
「構わないが清水はどこ方面に向かうんだ?」
「私は中野の方まで」
「中野? じゃあ方向も一緒だし近いな」
「本当? 良かった!」
そう言って彼女が笑うと花が咲いたようだった。夏の蒸し暑ささえもどうでもよくなってくる。
美香がタクシーに乗り込み続いて秀一が乗り込んだ。
「最初高田馬場で、その後中野でお願いします」
美香から運転手に行き先を伝えると、車は静かに走り出した。
「それにしても久しぶりね」
車が動き出すと同時に美香が口を開いた。
「ああ。高校以来?」
「そうね。まさか武井君が東京に出ているなんて知らなかったわ」
「俺も。清水がこっちに出てるなんて知らなかった」
「そう言えば連絡先は知ってたけど、大学も別になって全然連絡とってなかったものね」
「そうだな」
大学に入った秀一は彼女ができたので自然と女友達とは連絡を取らなくなったのだ。就職をきっかけに彼女とは別れた秀一としては今ならまんざらでもない。
「今は何をしているの?」
「普通の会社員してるよ。営業系の」
「そうなんだ! あそこでタクシー拾ってたってことは、会社が池袋の近くなの?」
「そうそう。今日はちょっと上司に捕まってさ。飲んでたんだよ」
「相変わらずお人好しなんだね」
クスクスと笑う彼女を見て秀一は昔を思い出した。
高校時代から彼女はこうやって笑う人だった。口元に手を当て、上品に鈴が鳴ったような声で笑うのだ。
「いっつも部活のみんなに誘われて、断れずにカラオケとか行ってたよね。それでお小遣いなくなって、月末みんなにお昼ご飯のおかず恵まれてたっけ」
「よくそんなこと覚えてるな!」
秀一は再び酔いが戻ったように頬が赤くなるのを感じた。久しい過去になんだか恥ずかしさがある。
「優しいなあって思ってみてたよ」
楽しそうに話す美香。秀一は軽く咳ばらいをした。
「清水は今何してるんだ? お前もあそこでタクシー拾ってたってことは職場近いのか?」
恥ずかしい過去から話題を逸らそうと秀一は彼女の話題に持っていった。
「え、あーうん。そう。私は派遣の仕事してて……今日は派遣先が池袋でたまたまいただけなの」
笑顔が薄らぎ、少し気まずそうな口調だった。聞かれたくなかったのかもしれない。秀一は窓の外を眺めた。
それから再び彼女の方を見やり、新しい話題を口にする。
「そうなんだ。それにしてもまさかあんなところで出会うとは思わなかったな~。他の奴とか連絡とってる?」
「ううん、全然。みんな元気にしてるかな?」
元の美香に戻ったのを確認し、秀一はそっと胸を撫でおろした。そこから二人は昔の話を交えつつ、他愛のない会話を続けた。
そして二十分ほど経過したころ、車は高田馬場駅に到着していた。
秀一はその後の彼女の分も含め、大目に運転手にお金を渡した。
「そんな、払ってもらったら悪いよ!」
慌てて美香が自分の分のお金を財布から取り出そうとする。だが秀一はそれを制した。
「いいよ、これくらい」
ただの見栄である。
「そう……?」
申し訳なさそうに見つめてくる。上目遣いが可愛らしいなと思いつつ、秀一はタクシーを降りた。
「それじゃあ……」
そう言ってドアを閉めようとした時。
「武井君!」
美香が彼を呼び止めた。
「何?」
「今度、連絡してもいいかな……?」
どうやら見栄を張った甲斐があったようだ。
「もちろん」
「ありがとう。それじゃあまた……おやすみなさい」
「おやすみなさい」
扉が閉まり、走り去ったタクシーを見送り秀一は夢心地で家路に着いたのだった。
それから少しして彼女は予定通り連絡を秀一によこした。
それは休日、どこかのカフェでお茶でもしないかと言う誘いだった。もちろん返事はオーケー。
そこで口車に乗せられ、恐ろしいものにサインさせられるとも知らずに。
言われてみれば清水に派遣のノルマが、とか言われてサインしたような気がしなくもない。それも見栄で困っている彼女の力になりたいと、特に内容も読まずにサインをしたような気がする。
徐々に記憶が蘇ってきた秀一は顔から血の気が引いていくのが分かった。
「貴様は彼女の借金の連帯保証人。そしてその彼女が失踪した。自動的に彼女の借金三百万は貴様が払う義務がある」
正文が淡々と説明をする。
「ちょ、ちょっと待ってください! 三百万なんかそんなすぐに用意できません!」
「知らねえよ。親にでも縋りついて用意しろ。できなきゃこっちがてめえのママんとこ向かうだけだ」
慌てる秀一に昇陽がどすの利いた声で脅したてた。秀一は思わず震え身を引いた。
「落ち着け佐々木」
正文は昇陽を嗜めた。
「だが実際我々は貴様の実家の所在は既に把握済み。貴様が払えなければ、家族の方に向かわせてもらう」
「それだけは……!」
「なら用意するんだな!」
昇陽が睨みつけると、秀一は蛇に睨まれた蛙の如く固まってしまう。それでも無理な物は無理だ。
「せめてもう少し期限を……!」
「あのなあ?」
昇陽の手が秀一の服の裾を掴んだ。
「でも、せめて、待って、そんな寝言が通じるほど世の中甘くねえんだよ。社会はてめえらのような弱者のママじゃねえ。てめえの言動くらいてめえで責任もて、このクズが」
唾を飛ばしながら吐き捨てると、勢いよく手を離した。
勢いあまった秀一の体が後ろに倒れる。
「行くぞ金渕」
「ああ。では武井秀一、十日後耳を揃えて三百万、用意するように。俺たちは地の果てまで貴様を追いかける」
机の上に置かれた借用書を胸ポケットにしまい、二人はアパートを後にした。
途方もない未来と寒い空気だけが、そこには残された。
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