第10話

「どういうこと?」


 秀一の言葉に首を傾げる美香。ところが秀一はこの場でそれ以上説明しようとはしなかった。


「とりあえず明日の相浦さんの選挙まで待とう」


 ちらりと時計を見る秀一。時間は午後一時。


「正直お腹も空いてるけど、とてもご飯が食べられるゆとりはないしまずは寝床を見に行くか」

「ちょ、ちょっと待って! 明日の相浦さんの選挙まで何もしないってこと?」

「そうだよ! それじゃあ確実に負けるんじゃ……」

「だから勝たなくていいんだよ。さあ、上に上がろう」


 秀一が階段を登っていく。二人は顔を見合わせ、慌てて後に続いた。

 その後は四階の共同部屋を見て回った。五人一部屋で、ベッドはダブルが二つ並んでいるだけ。ユニットバスが付いているものの、置いてあるのは固形石鹸一つ。シャンプーや歯ブラシは置いていなかった。


「さすがにこの状況下で共同部屋はちょっとな……」


 秀一から詳細を聞くのを諦めた健一郎が肩を竦める。


「その割には一泊三万だからなあ……七泊したら二十一万。借金が増えるかつ命が危険にさらされるだけだ」

「とはいえ、この上は個室。もっと値段が跳ね上がるんじゃない?」


 美香も諦めて二人の後に続く。

 案の定五から十階が個室になっていた。部屋の中にはシングルベッドとケトルが置いてあるだけだった。あとは下の共同部屋と同じでユニットバスに石鹸が一つあるだけ。

 これで一泊五万だ。


 残るは十一階。最上階に当たる十二階は「愛傷ルーム」になっている。

 三人は十一階に向かった。

 十一階は所謂スイートルーム扱いのようだった。個室にウォーターサーバー、シャンプー、リンス、ボディソープ、歯ブラシが置いてある。おまけにキングベッド。冷蔵庫も付いている。

 値段は一泊十万。


「確かにここならウォーターサーバーも付いてるし、水とか細かいものには困らないな」

「でも一泊十万だぞ?」


 秀一が眉を顰める。


「売店でちまちま買うのとどっちがトータル的に安いのかしら?」

「いや、売店だろ。七泊確定ならまだしも一泊じゃ元は取れない」

「そしたら五から十階の個室に泊まるのか?」

「いいや、まだ決めるのは早い。ホテルの外に出てみよう」


 彼の提案に健一郎と美香が目を見開いた。


「まさか野宿も検討に入れてるの!?」

「まあ」


 秀一は短く答え、エレベーターの下ボタンを押した。上まで上がってきたエレベーターに乗り込み、三人は一階まで降りる。

 そのままフロントの前を通ってホテルを出た。

 ちなみにフロントの前は既に綺麗になっており、血痕一つ残っていなかった。

 ホテルを出ると、そこは特に手入れもされていない雑草が生えた土地が広がっていた。特に道などができているわけでもなく、だだっ広い土地が続いているようだった。

 秀一はその雑草の中を突き進んでいく。

 美香は一瞬難色を示したが、すぐに後に続いた。健一郎も遅れず続いていく。


「どこまで続いてるんだろうか?」

「確か境界線があるって言ってたわよね?」


 秀一の後ろで二人が顔を見合わせた。


「恐らくあれが境界線だ」


 二人の声を聞いた秀一が前方を指さす。そこにはわずか五十センチ程度の柵が建てられていた。あまりにも簡単に超えることができそうな境界線だ。むしろ超えてくれと言っているように見える。

 だが、越えようにも越えられなかった。何故なら柵の先に広がっていたのは――――


「海だ」


 青く波立つ海だった。


「まさかここって……」

「離島?」


 健一郎は来た道を振り返り、美香は海の方を見つめる。

 その二人を見つつ、秀一は策に沿って歩き始めた。歩いていくとホテルの裏側に回った。しかし景色はずっと変わらず、柵の向こうには海があり足元には雑草が生えている。

 もはやサバイバルに近い状況だった。


「さすがにこの中で野宿はきついぞ?」


 健一郎が顔を顰めた。確かに季節は冬間近の秋。夜はもっと冷えるだろう。だが秀一はあることに気が付いていた。


「なんで部屋にケトルや冷蔵庫があったのか気になってたんだけど……」

「売店で買ったものを沸かしたり保存しておくためじゃないのか?」

「もちろんそれもある。でもあの映像の男は柵を超えるなとは言ったけど、乗り出すな、とは言わなかった。それにさっきから足元も見ていたけどところどころにキノコとか生えてた」

「待て待て待て。まさか本気でサバイバルキャンプやろうって言うんじゃねえだろうな?」


 健一郎の問いに秀一はにこっと笑った。


「だって、金ないし」

「でもどっちにしてもテントは買わないとだろ?」

「多少の借金は仕方ないな……まあ一応お前は1000万ペインあるんだ。俺の拒否権の300万ペイン、借金の300万ペイン、あとはお前の200万ペインの計800万ペイン。残り200万ペインは自由に使えるんだ。ホテルに泊まってもいいぞ」

「お前はどうすんだよ」

「俺はこれ以上増やせないよ。俺は俺自身も、家族も、友人も傷つけたくないし」

「……」


 健一郎が押し黙った。そして助けを求めるように美香の方を見る。だが美香もどうしていいのか悩んでいるようだった。


「清水は個室に泊まれよ」


 秀一が促す。


「え?」

「女の子が野宿は嫌だろ? それに色々心配もあるだろうし」

「でも私もお金、ないし……」

「大丈夫、清水の宿代は俺が持つよ」

「えっ!?」


 戸惑う美香に秀一は苦笑した。


「さすがにスイートってわけにはいかないけど……」

「どうして……」

「だってさっき、清水の命を買わせて欲しいって言っただろ? だから清水の命は俺のもの。それなら命に関わるものは俺が持つよ」

「でもそれじゃあ武井君の借金が増えるばかりじゃない! どうするの?」

「何とかするよ」


 とても計画性があるとは思えなかった。また秀一の悪い癖が出ている。見栄を張っている。健一郎は少しうんざりしていた。

 大きくため息を零し口を開く。


「わかった。俺も野宿するよ。あと清水のホテル代は俺たちの200万ペインからだそう」

「いいのか?」


 驚いたように秀一が目を見開いた。


「仕方がねえだろ。それでお前が死なれてもこっちは困るんだよ」


 ぐしゃぐしゃと頭を掻く健一郎。


「悪いな」


 照れたように秀一が微笑むと、美香も拳を握りしめ口を開いた。


「それなら私も二人と一緒に野宿するわ」

「え?」


 キョトンとする秀一。美香はそんな彼を睨みつけた。


「馬鹿にしないで」

「馬鹿にしてなんか……」

「おんぶにだっこされなくったって私だって力になれるわ」


 彼女の声は冷静だったが、どこか怒りを含んでいた。


「もっと私のことも頼ってよ」


 そして静かに笑った美香を見て、秀一は昔のことを思い出していた。前にもこんなこと、あったな、と。

 ぼんやりと彼女を見つめる秀一の肩を健一郎は小突いた。


「そんじゃ、とりあえずキャンプの準備でも始めるか」

「だな」


 我に返った秀一が首を縦に振る。


「とりあえず今晩をしのげるよう準備しよう」


 こうして三人は必要最低限の物を調達しに売店に戻った。



 三人はテント7000ペイン、ろ過セット400ペイン、ライター300ペイン、空きペットボトル100ペイン、空き容器100ペインを二つ購入した。そして荷物をそれぞれ引き取り合計9500ペインを消費した。

 買い物を済ませた後はテントを立て、美香は見張り、健一郎は水汲み、秀一は食べられそうなものの調達及び薪拾いに出た。

 すべてのことを終え、三人が腰を付けたのは夕方五時を回ったところだった。

 空がオレンジ色に染まり秋の寒さが身に染みてくる。

 だがその頃には海水もろ過され、塩と水が手に入っていたし、火も無事確保できていた。そのため比較的暖かかったし、最低限の生きる術は確保できていた。

 あとはその日でキノコや草、浅瀬にいた魚などを焼き夜ご飯の完成である。


「やっと飯にありつける」


 本日一日、ほぼ飲まず食わずだった三人はすっかり疲れ切っていた。健一郎は焼き魚を頬張りながら安堵の笑みを浮かべる。


「まさかこの年になってサバイバル生活するなんて思わなかったよ」


 秀一もキノコをかじりながら苦笑する。美香は葉っぱで作ったスープを啜った。


「ほんと、武井君ごめんね……」


 一息ついた彼女が零した。


「どうして謝るんだ?」

「だって、私があなたを騙さなければこんなことには……」

「それはもういいって」


 秀一はゆらゆらと燃える火を見つめながら静かに笑った。


「もしあの時声をかけてくれなかったら、今こうして健一郎と一緒に過ごすことも、清水とこうして話すこともなかったんだ。ショックだったし、あのホテルで行われてることは一生理解できない。でもこうして三人で過ごしてる時間は楽しい。それは紛れもない事実だ」


 火に照らされた秀一の横顔を見て美香は「まただ」と思った。秀一はいつもこうやって笑っていた。昔から変わらない。


「……」

「まあ、ちょっと学生時代に戻ったみたいだよな」


 言葉を探していた美香の代わりに健一郎が答えた。


「そう言えばさ、前に部活の合宿で――――」


 そのまま話は想い出話に花を咲かせた。あんなことがあった、こんなことがあった、そこで誰がどうしたと思い思いに話した。

 そうして夜は更けていき、二十二時を回った。シャワーこそ浴びられないものの、水を沸かしタオルで体を拭うことはできた。

 贅沢を言えば石鹸や歯磨きが欲しい所ではあったが、我慢である。


「念のため夜は見張りを立てよう。俺と健一郎で四時間ずつ。清水は寝てくれ。今が十時だから二時になったら起こす」

「分かった」

「私も見張り手伝うわ」

「いいや、清水はゆっくり休んでくれ。明日から清水には不安な想いをさせると思うから……」


 秀一の言葉の意味が美香は分からなかった。だが深く追求しても応えてくれないのだろうとも思った。だからこそ美香は「分かったわ」と頷いた。

 だが秀一がテントの外で見張りをしていると、美香は隣にやってきた。


「寝なきゃ」


 小さい子を𠮟りつけるように秀一は美香を嗜めた。だが美香はクスリと笑った。


「普段はもっと寝るのが遅いからこんなに早く寝れないわ。中本君はすぐ寝たみたいだけれど」

「疲れてたからな」


 美香の言う通り眠れない気持ちも分かるし、逆に横になってすぐ眠ってしまった健一郎の気持ちも分かる。秀一は無理に彼女を追い返すのを諦めた。

 代わりに空を見上げる。

 離島と言うこともあって明かりは少なく、澄んだ空には星が広がっていた。


「昔さ」


 秀一が唐突に口を開く。だが美香は驚く様子もなく、「うん」と小さく相槌を打った。


「サッカーの地区大会前合宿で学校に泊まりこんでた時、清水が神崎に『馬鹿にしないで』って怒った時あったじゃん?」

「あれは、神崎君が私に『お前、洗濯とかできんのかよ』って馬鹿にしてきたから……」


 なぜ今そんな話を、と思いつつも美香は答えた。


「でもあの時神崎だけじゃなくて健一郎とか、俺も。みんな清水に遠慮してたんだよな」

「そんなに私頼りなかった?」

「いや、そうじゃなくてさ。あの時から清水はみんなのマドンナみたいな感じだったから、汗臭いユニフォームとか渡すの嫌だったんだよ。嫌われたくなかったし」


 照れくさそうに笑う秀一。


「けど清水は『馬鹿にしないで。私はみんなのマネージャー。いいプレイができるようサポートするのが役目。だからもっと頼って。私、みんなが試合に集中できるよう頑張るから』って。それを聞いた時、俺は頼りになるマネージャーだなって思ったんだ」


 今度は美香が照れくさそうに笑った。


「それをさ、今日の清水を見て思い出した」


 吹き出すように笑う秀一を美香は頬を膨らませて見つめた。


「そんなどうでもいいこと忘れてよ」

「どうでもよくないよ。だってそれが清水じゃん。一見お淑やかでみんなのマドンナ、お姫様って感じなのに実は芯が強くて負けず嫌い。誰かの為に一生懸命になれる。学生の時から変わってなくて安心したよ」


 秀一の視線が美香に向けられた。この時美香は曖昧な表情を浮かべてしまった。

 嬉しい様な、照れくさい様な、だがどこか嫌悪も含んでいる様な。これ以上見られてはいけない、美香の中でアラートが鳴った。

 慌てて顔を背け、美香は俯いた。


「変わっていないのは武井君の方だよ」

「え?」


 美香は体育座りをし、膝の上に顎を乗せた。


「武井君はいつでも誰にでも優しい。クラスの修学旅行費が行方不明になった事件、覚えてる?」


 彼女に問われ、秀一は記憶を遡った。それは確か高校二年の時だ。当時美香は学級委員もやっていた。成績優秀、容姿端麗、面倒見がいい、そんなイメージだった彼女は先生と周りの推薦でそうなったのだ。だがそんな彼女が回収した修学旅行費がちょっと目を離した隙に行方不明になった。


「あの時真っ先に私が疑われたでしょう? ほら、あの時から私お金がなかったから」


 美香は恥ずかしそうに、悲しそうに、そしてどこか憎々し気に笑った。

 そう言えば、と秀一はまた過去の記憶を引っ張り出す。

 実際のところは知らないが、美香の家は父子家庭で貧乏というのは結構知られた話だった。だからこそ部活のマネージャーや学級委員という役目を果たしつつ、アルバイトもしているという話は聞いていた。それでも何一つ彼女は欠落したことがなかった。部活も、学級委員も、成績も。全てをこなしていたからこそ才色兼備とさえ言われていた。貧しいは噂の域でしかなかった。

 でもその事件が起きた時、初めてそれは噂から現実味を帯びたものになった。


「だけどあれは清水じゃなかったよな?」

「そう。最終的には疑いも晴れたし、本当の犯人も見つかった。でもあの時のみんなの視線、怖かった。どんなに繕っても所詮は金がない、心貧しい貧乏女、そう言われた時すごく傷ついた」


 悲しそうな美香の瞳に焚火が映る。


「私だってお金持ちの家に生まれたかった。あんな父親の元に生まれたくなんかなかった。子どもは親を選べない。しょうがないじゃない、そう叫んでやりたかった。だけど私が叫ぶ前に、武井君が言ってくれたんだよね」


 美香の視線が秀一の方を向いた。

 夜空の下で潤む瞳を見て秀一はドキリと胸が高鳴るのを感じた。


「そうだっけ……?」


 思わずとぼけて視線を逸らしてしまう。


「そうだよ」


 美香はクスクスと笑った。


「みんなが私を疑う中で武井君だけが、お前らは清水の何を見てきたんだ、他人が他人を語るなって怒鳴ってくれたんだよ」


 その時のことを秀一もよく覚えていた。「繕っているか」「心が貧しいか」「どんな生活をしているか」「それが幸せなのか不幸なのか」。それはどれも人によって感じ方が違う。

 どう感じるかは本人の価値観だ。それをあたかも自分のモノであるかのように、もしくは自分は知っているとでも言うように人は他人を語る。

 それが秀一は嫌だった。


「私嬉しかった。その後ちゃんと犯人まで見つけて……結局私へ嫉妬した女の子の嫌がらせだったけど……今度はその女の子が責められて。正直私もちょっとくらい罵倒してやろうかなって思った。でもやっぱり武井君が止めたよね」


 その時秀一は美香と同じことをみんなに言った。「嫉妬でそんなことするとか醜い」「清水さん可哀そう」「土下座して謝りなよ」そんな罵倒が飛んだ。だけど秀一はそんな言葉を吐く一同に「彼女の何を見てそんな言葉を吐いているのか」「人は誰でも間違いを犯すもの」「それをどう生かして学んでいくかはその人次第」「他人が口出しすることじゃない」と言い放った。


「どうして?」

「え?」

「どうして武井君は誰にでも優しく真っすぐでいられるの? 本来私は武井君に憎まれててもおかしくないし、正直相浦さんのことだって……」


 美香は言い淀んだ。彼女が何を続けようとしてるのか、秀一は容易に理解できた。だが秀一はその言葉を否定しようとは思わない。

 まりあのことを憎んだり殺したいと思うかどうかはそれぞれの自由。そう思う美香を否定する権利は秀一にはないし、諭せるほど聖人でもない。

 秀一はただ静かに笑って空を見上げた。


「俺はさ、自分の居場所も、自分がどういう人間なのかも、そして自分自身が何者なのかも、全部全部自分で決めたいんだ」

「……」

「だから時には騙される。でも騙される自分を選んだのも自分だし、それを生かすのも自分だから。他人に道筋決められて、どんな人間か、どういう存在か、どこが居場所か、そんなレッテル貼られて生きていくなんて窮屈じゃん?」


 無邪気に微笑んだ秀一を見て、美香は心が締め付けられるような感覚になった。

 どこまでも眩しくて、どこまでも純粋で。真っ白い。


「まあ社会人になってそう甘くはないって分かったけどね」


 続けて苦笑をする。


「だから会社に所属して社会に溶け込むためにはたまにはそのレッテルを演じてやるんだ。でも、プライベートだけは絶対誰にもレッテルを貼らせない。俺は、俺だけの道を行くんだ」


 だから「怒って当然だろう」「切り捨てて当然だろう」「信じてはいけない」という周りの「そう言う人である」というレッテルを無視して彼は彼の道を進む。

 それが、武井秀一と言う男だった。


「なんて、ちょっと臭かったかな」


 今度は照れ笑いをした。


「全部反面教師なんだけどさ」

「そう、なの?」

「うちさ、両親が仲悪くて。小さい頃からずっと喧嘩見てきたんだ。喧嘩するたびに父さんも母さんも『結婚するんじゃなかった』『あんたは自由に生きなさい』『俺たちみたいになるな』って言われてたんだ」


 美香は一瞬いい両親ではないかと思った。自分の父親に比べればはるかにマシだ。

 だが秀一は首を横に振った。


「正直知らねえって思ってたよ。結婚を選んだのは自分たちで決して誰かに指図されたわけじゃない。結婚するかしないかは自由な選択だったはずだ。それなのにあたかも自分たちは自由がない、みたいなことを言うからさ。だから言葉通り俺は『あんたたちみたいに環境に言い訳して自分の言動に責任を持てない人間にはならない』って決めたんだ」


 だから自分が選んだ道には後悔もしないし、自分が信じるものは自分で選ぶ。それで過ちを犯せば自己責任。つまりはそう言うことか。

 美香は下唇を強く噛み締めた。


「そういうところ昔から――――」

「え?」


 彼女の小さな呟きを秀一は聞き零した。しかし彼女は繰り返さない。


「何でもない。話しを聞いてくれてありがとう。私そろそろ寝るね」


 スッと立ち上がり、テントに戻ろうとする美香。そんな彼女の背中に秀一は口を開いた。


「もう一つ」

「何?」


 美香は肩越しに振り返った。


「あの時庇ったのも、今回清水を信じようって思ったのも、実は初恋の相手だったからなんだ」

「……」

「あ、だからどうってわけじゃないんだけど……」

「……ありがとう。その言葉、もっと早く聞きたかったな」


 寂しそうに笑った美香は、そのままテントの中に入って行った。

 一人残された秀一は焚火を見つめ、そっと息を吐いた。


「俺は君の王子だからね……」


 闇は深くなり夜は更けていく。


「……なんて、格好つけたけど見栄を張って『こう思われたい』って、自分からレッテル貼ってくださいって言ってるようなもんだよなあ……」


 矛盾を嘆く独り言はそっと空に吸い込まれていった。

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