第11話

翌日まりあの選挙が始まった。とはいえ特に演説することはない。ただ彼女は男性をメインに買収していた。挙句成之とも手を組んでいるようだった。

 翌日の夕方頃、結果が出た。


「さあ、お集りの皆々様。今宵は清水美香氏と相浦まりあ氏の選挙投票開封日。これより会場票とお客様票を開封いたします」


 相変わらず男が映像の中でふざけた演出をしていた。彼の映像がスワイプになり、全体に大きな棒グラフが表示される。


「それではまずは会場票から」


 そう言って男が手元のスイッチを押すと、棒グラフは上に向かってぐんぐんと伸びて行った。

 その差は歴然だった。数表美香にも入っていたが、ほとんどはまりあに流れていた。


「続いてお客様票です」


 一体秀一たちの生活映像をどれだけの客が見ているのかは分からなかったが、明らかに美香の伸びは悪かった。

 実際まりあの裏切りを見て好感を持った客は多かったはずだ。

 圧倒的な差で美香の敗北が決まる。


「これは何という大差でしょう! 相浦氏の圧勝! 見事です!」


 男がわざとらしく拍手をした。


「それでは相浦氏には一億を。清水氏には死を」


 にたりと笑う男。


「清水氏にはどんな死がいいかな?」


 獲物をいたぶるような笑みが美香を見つめる。スポットライトが当たった美香は肩を震わせ、秀一を見つめた。助けを求めるような視線。一方で周りは死にざまに対する期待の視線を向ける。

 ただ秀一だけはモニターの方を見つめていた。


「なあ、運営さん?」


 そして誰もが美香に注目する中で秀一は声を上げた。美香から秀一に視線が集まる。


「何かな?」


 男は煩わしそうに彼を見つめた。この最も盛り上がる瞬間、人が死ぬ瞬間に茶々を入れられたのが不服なようだった。


「彼女を殺す前にさ、彼女の命を俺に買わせてよ」

「は……?」


 会場がざわつき男の顔が怪訝そうに歪んだ。


「相手に一億渡すってことは、あんたら運営にとって人の命の価値は一億。ならここにいる誰かが誰かの命を一億で買ってもいいってことだよな?」

「そんなルールはないが?」


 男は苛立った様子で応えた。


「逆に言えば買ってはいけないというルールもなかったはず。理には叶ってる」

「……」


 言葉を詰まらせる。それを見た秀一はさらに追い打ちをかけるように口を開いた。


「当然期限付きで良い。この施設にいる残り五日の間に一億を返済する。それ以外の借金は別途外に出てから払うとしても、清水の命分、一億は必ず返す」

「……もし返せなければ?」

「彼女を殺して俺も殺せばいい」

「待って……!」


 美香が驚いたように割って入った。


「私の為に命を張るなんてダメよ!」


 しかし秀一は聞く耳を持たない。

 男はしばし沈黙を保った。それからちらりと視線を逸らし、何かを見ているようだった。沈黙の先に男は静かに口を開く。


「いいだろう。ただし、二人が死ぬときはあっさり殺してはやらんぞ」

「もちろん。指一本ずつそぎ落として内臓を抉り出して満足するまで傷めつければいい」

「ふんっ」


 男がつまらなそうに鼻を鳴らした。


「ではこれにてへいま――――」

「で、もう一つ提案があるんだが?」


 選挙を閉めようとした時秀一はさらに続けた。

 これ以上何を言い出すのか、美香も健一郎も唾を飲み込む。男だけが面倒だと言うように目を細めた。


「なんだ?」

「俺と勝負をしてくれないか?」

「……勝負?」


 男の眉間に皴が寄った。会場のざわめきは大きくなり、「ズルくないか?」「あいつ何考えてるんだ?」という声が聴こえてくる。

 しかし秀一はまるで聞いていない。


「勝負の内容はそちらで考えてもらっていい。ただ俺が勝ったら一億、負けたらあんたらが望むものを何でも渡す」

「例えばその女と友人とか?」

「ああ。構わない二人を殺した上で俺に一億の借金を背負わせる、とかでも構わない」

「ほう?」

「ただし――――」


 秀一の鋭い視線が男を睨みつけた。


「こちらにそれだけのリスクを負わせるということは、お前もそれ相応のモノを賭けろよ?」


 秀一の言葉に男は眉毛をぴくぴくと動かし、怒りを露わにした。


「クズが。調子に乗るな。貴様にそれだけの発言力はない。ここれは我々がルールで貴様らは我々に飼われた子羊。逆らうことも主張することも許されない」

「ふぅん?」


 男の苛立ちに対し、秀一はただ余裕そうに頷いた。


「俺に負けるのが怖いのか?」

「は?」

「そうだよな。お前らはつまり弱者から搾取するライオン。子羊の逆襲に負けて何かを失った、なんて言った日には恥ずかしくて外も歩けないか」


 クスクスと笑う秀一は少し狂気に満ちていた。やや周りも引いた様子で見守る。


「俺たちにさんざん怠けてきただとか、自愛が強いとか言って、自分たちとは生きる世界が違う、みたいなこと言ってたけど……所詮は一緒なんだ?」


 あはは、と声を出して笑う。


「そうかそうか。結局お前も何かを失うのが怖いんだ? それは地位か? 名誉か? それとも金かな? それなら仕方がない」


 笑うのを辞めた秀一はスッと真面目な顔になって言い放つ。


「ならお前もまた、自愛に満ちた俺らと一緒の人間ってわけだ。でもたまたまお前はうまく金を手に入れちゃったから、そちら側の人間のフリをした、所謂黒羊ってわけだ! なら仕方ないよなあ。じゃあいいや。そのまま皮を被ってライオンのフリしてろよ、クズが」


 言い切った時には男の手が震えていた。拳を強く握りしめ、怒りに満ち溢れている。

 そして男は色んなものを飲み込むように下唇を噛み締めた。


「いいだろう」


 何とか飲み切った男が冷静さを装って言う。


「明日、改めてこちらで勝負を用意しよう。当然ながらどんな内容であっても拒否は許されない。また敗北した時、もう一切の猶予は残されていないと思え」

「当然」


 秀一が笑うと、男は小さく舌打ちをした。


「ではこれにて閉幕」


 男は乱暴に映像を切った。会場が明るくなりざわつく。


「あんた、とんだ馬鹿ね」


 真っ先に声をかけてきたのはまりあだった。隣には成之も携えている。


「運営に勝負を挑むって、死にに行くようなもんだぜ?」


 成之は「ざまあ」とでも言いたげに笑う。だが秀一は一切動じない。それどころか成之を見つめ、彼は宣言する。


「俺は自分や自分の大切な人を貶めてまで金を手に入れたいとは思わない。だからこの勝負には絶対負けない」

「……運営がこちらに有利な勝負を用意してくれるわけがないじゃない」


 まりあが割って入る。


「だとしても俺は負けない。必ず美香と健一郎とここから生きて出る」

「……」


 強い意志に二人は言葉を詰まらせる。


「ふんっ。せいぜい粋がってれば? 明日には生きるか死ぬか分かるんだから」


 まりあは吐き捨ててその場を後にする。成之も慌ててその後を追った。

 会場にはちらほら数人の人と、秀一、健一郎、美香の三人が残った。

 美香は秀一を強く睨みつけた。


「どういうつもり?」

「どうって?」

「どうしてあんなことしたの? 下手したら私だけじゃなくてあなたや中本君まで命の危険に晒されることになるかもしれないのよ?」

「分かってるよ」

「分かってない!」


 美香が声を張り上げた。会場内にその声が響き渡る。何人かの視線が二人に集まった。


「清水、落ち着いて」


 健一郎がなだめるように割って入る。しかし秀一もまた引く気はなかった。


「元々死ぬか傷つけるか、何かしらのアクションをしなければ打開はできなかったんだ。なら少しでも勝ち目のある方に賭けるべきだ」

「勝ち目?」


 それはヒステリックな声だった。美香は髪をかき上げる。


「武井君何も分かってない……」

「分かってないって?」

「愛傷の奴らはそんなに優しくないよ……」

「……清水、もしかして何か知ってるのか?」

「……知らない。今日は一人にして」


 そう言うと美香は駆け出して行った。

 その背中は拒絶を語っていた。秀一は止めることもできずただ見つめる。健一郎はその隣で肩を竦めた。


「どうするんだ?」

「どうするも何も明日の勝負の内容を待つ」

「……俺はさ、お前のこと信じてるけど……」

「ごめんな。勝手にお前の命まで賭けるようなことをして」

「……いや、良いよ」


 健一郎の言わんとしていることを秀一は分かっていた。そして秀一が言わんとしていることを健一郎も分かっていた。

 だからこれ以上二人は言葉を交わさない。


「今日の寝床を決めよう」

「だな」


 健一郎が歩き出すと秀一も後に続いた。



 ホテルについて三日目の朝、午前七時。館内放送が鳴り響いた。放送を聞いた美香が二人を呼びに来る。

 二人も急いでホテルに戻ると、いつもの会場ではモニターが映っていた。


「おはよう、武井君?」


 男が嫌らしく笑う。


「君のお望み通り勝負を用意した」

「ああ、待ってたよ。で、その勝負内容は?」

「通称、密告ゲーム」

「密告、ゲーム……」


 思わず復唱する秀一を男はにやりとした笑みで見つめた。

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