第6話

 会場は緊張感に包まれていた。目の前に映し出されるモニターの先ではこれからどんなことが起きるのか。


「さあ、今回ショーを執り行うのは石上成之氏」


 男が紹介をすると映像が変わった。先ほどまでの黒い部屋ではなく、もっと個室的な狭い部屋だった。イメージとしてはインターネットカフェの一室と言ったところだろうか。

 そこでは成之が液晶モニターを前に座っている。


「それでは成之さん、自分か他人か、選択をお願いします」


 男の声が成之にも直接届いているようだった。成之は迷わず他人と言う方を押す。するとピロンという電子音が鳴り、次の選択画面にうつった。


「あいつ、さっきの……」


 健一郎が苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべる。


「他人を選んだ成之氏。その相手はいかに――――」


 モニターには「父親」「母親」「木島泰平」「長嶋優子」「谷圭吾」の五人の選択肢が映し出されていた。

 両親を除く三人は成之の友人だろうか。

 だがそこでも成之に迷いはなかった。真っ先に「父親」というアイコンを押す。

 再びピロンという電子音がなり、次の選択肢が出て来た。その選択肢を見て秀一は背筋に虫唾が走るのを感じた。

 「殺すか」「傷つけるか」の二択。成之は、笑顔で押した。


「死ねぇぇぇぇぇぇぇぇ!」


 殺意に満ちた言葉を発しながら。


「成之氏は『殺す』を選択致しました。では最後の質問です。こちらは口頭でお願いします」


 男が間を開けてから尋ねる。


「どのように殺しますか? 楽に、一瞬で? それとも残酷に、じわじわと?」


 この時男の表情はモニターには映し出されていなかった。だが間違いなくニヤついている。嫌な笑みを浮かべてこの状況を楽しんでいる。

 それが手に取るように分かる。秀一は吐き気がした。


「とうぜん、残酷に、無残に、とことん痛めつけて殺せ! 容赦はするな! 時間をかけて殺せ!」


 成之もまた常軌を逸していた。まるでフィクションでも見ているような気分だった。別世界の、自分とは関係ないものを。しかしそんな感覚を嘲笑うように映像が切り替わる。

 それは秀一も知っている、ごく普通のオフィスだった。そのオフィスの中でも立派な社長室と言ったところだろうか。


 大きなデスクの前にはふかふかな回転イスが置いてあり、イスにはふくよかな男が座っている。資料に目を通し、パソコンに何かを打ち込んでいるようだった。

 コンコンとノックする音がする。一瞬それがモニターから聞こえてくるのか、自分の近くで鳴っているのか、秀一は分からなかった。

 だがすぐにモニターの方だったことに気が付く。社長室に綺麗な秘書のような女性が入ってきた。スカートスーツから伸びた足は白く長くモデルのようだった。また結い上げた髪により露わになったうなじもひどく色っぽい。

 街中で歩いていれば誰もが振り返ってしまうような美人だった。

 秘書は社長の手元にコーヒーを差し出す。


「どうぞ」


 声までも美しかった。鈴が鳴ったような凛とした声である。


「おお、ありがとう」


 男は鼻の下を伸ばしつつ、そのコーヒーを口にした。


「……っ!」


 そして次の瞬間、そのコーヒーをカップ事床に落とした。絨毯の上に茶色いシミができる。


「な、なんだ……」


 戸惑う男は秘書を見上げた。しかし秘書は、助けようとする素振りなど一切なかった。それどころかゆっくりとしゃがみ込み、男の顔を覗き込む。

 それからスーツの内ポケットから小さなナイフを取り出した。

 男の顔が青ざめる。


「き、貴様、何者だ!」


 男は慌てて逃げようとするが体が思うように動かない。陸に打ち上げられた魚のように無様に床を這いずり回るだけだ。

 そんな男に秘書はじりじりとにじり寄り、やんわりとふくらはぎをナイフで抉った。


「うわあああああああ!」


 絶叫が室内に響く。男の顔は苦痛に歪み冷や汗をかいていた。一方秘書は一切顔色を変えず男の手を掴んだ。


「やめてくれ! やめるんだ!」


 男の叫びもむなしく、右手の小指がそぎ落とされた。


「があああああああああああぁぁぁあああ!」


 喉が潰れるのではないかと言う叫びに会場の空気は凍っていた。中にはうずくまる者、吐瀉物ぶちまける者もいた。

 しかし秀一はモニターから一切目を離さずに見つめる。

 秘書、いや、殺し屋である彼女は次に腹を抉った。深く突き刺すでもなく、ただ肉をそぎ落としていくだけ。

 男は痛みと恐怖で発狂はするが、気を失うことはなかった。それが女の狙いなのだ。限界まで気を失うことなく痛みを味わわせる。


 そこで画面が二分割になった。左側にはこれまでの映像を。右側には成之が映っていた。モニターで自分の父親が傷め付けられる姿を煌々とした表情で見つめている。

 こんな地獄絵図があっていいのか。秀一は胃がむかむかしてくるものを感じた。まりあは大丈夫だろうかと横を盗み見る。


「……っ」


 案の定まりあは顔を背け、目をぎゅっと瞑っていた。


「出よう」


 見かねた秀一はまりあの手を引いた。


「……えっ?」

「だな。こんな悪趣味なモノ、最後まで見る必要ねえよ」


 二人の動きに気が付いた健一郎が賛同する。


「す、すみません」

「相浦さんが謝ることじゃないよ」


 秀一は強く言い放つと、そのまま歩き出した。強く腕を引かれたまりあは驚いたような表情を浮かべ、後に続く。

 そのまま三人は会場に出ると、吹き抜けになっているところまで真っすぐ突き進んだ。そして一階のフロントを背にガラスに寄りかかる。


「ごめん、強かった?」


 秀一ははっと我に返りまりあの手を離した。

 彼女の腕にはほんのりと赤い痕が付いている。まりあはその手を擦りながら首を横に振った。


「い、いえ、連れ出してくださって良かったです……。あのままでは私、どうにかなってしまいそう、でしたので……」

「あんなもの見て正常でいられる方がおかしいよ」


 健一郎が天井を仰いだ。秀一も同感するように天井を仰ぐ。


「こんなもんが、あと七日も続くのか……」


 怒り、疲弊、困惑、動揺、理解不能、恐怖、色々な感情が秀一を襲う。


「一旦食堂にでも行って水でも飲もう」


 秀一を先頭に三人は再び上へと向かった。



 食堂はちらほら人がいるものの、それほど多くなかった。最初から「ショー」に参加しなかった者もいるのかもしれない。

 秀一はまりあを端の席に座らせた。そして水を貰いにカウンターに向かう。


「すみません、水を三ついただけますか?」


 割烹着に身を包んだ女性に声をかける。すると女性はカウンター越しに食券機を顎で指示した。


「水も食券あるから買ってきな」


 冷たくあしらわれたことにも衝撃だが、水にもペインがかかるのかと秀一は目を見開いた。これは想像以上にペインがかかる。

 しかしここで揉めてもフロントで殺された少女と同じ末路を辿るだけだろう。あの遺体はもう片付けられたのだろうか。

 秀一は大人しくその場を引く。その足で食券機に向かった。

 コップ一杯300ペインと記載されている。冗談だろと思いつつ秀一は売店に向かった。

 売店では500mlの水が600ペインで売られていた。秀一はため息を零し、食券機に戻る。しぶしぶ自分の時計を食券機に取り付けられたリーダーにかざしコップ一杯の水を購入した。

 カウンターでそれを受け取ると、まりあと健一郎の元に戻る。


「悪いがこの水を飲みまわそう」


 秀一が肩を竦めて言うと、まりあと健一郎は全てを察したようだった。俯き気味に頷く。

 まず始めに口を付けたのはまりあだった。ほんの一口程度飲むと健一郎に渡した。

 健一郎がその水を口に含もうとした、その時。


「惨めなものだなあ?」


 憐れむ声がした。三人は揃って声の方を振り返る。

 そこにいたのは、石上成之だった。


「お前、さっきの……!」


 健一郎が今にも噛みつく勢いで立ち上がる。秀一はそれを制した。そして成之の前に立つ。


「何の用だ」

「ほれ」


 睨みつける秀一に成之は三本のペットボトルを差し出した。それは先ほど秀一が売店で見た500ml600ペインの水だ。


「可哀そうだなと思って。そんなコップ一杯の水を三人でちびちび飲みまわすなんてさ。だから優しい俺が買ってきてやったぜ。ほら、俺金には困ってないから」


 成之は自分の時計を秀一に見せつけた。そこには1億299万9200ペインと記載されていた。


「いやあ~いい世界だよな。あの憎くて頭の固い分からず屋な父親を殺してくれた上に、1億ペイン、更には俺の反応を見て喜んだ客がチップとして300万ペイン上乗せしてくれるんだぜ? こんなに簡単に稼げるなんて、案外世界ってのはチョロいのかもしれないなあ?」


 ヘラヘラと語る成之に秀一は怒りを隠そうともしなかった。


「ついでに友人も殺してもいいかもなあ~そうすりゃあと3億ペインは確実だからな」


 歯をむき出しにして笑う成之は獣じみていた。血に飢えた獣。もはや人間ではない。


「まあ? 俺の犬として働くって言うんならもっといい待遇を――――」


 言い終わる前に秀一はペットボトルの封を切り、その場でひっくり返した。

 透明な水がぼとぼとと床に零れていく。


「は……?」


 何が起きているのか理解できない成之。しかし秀一の手は止まらない。一本空になると、そのペットボトルさえも床に捨て、二本目の封も切る。そのまま三本目も封を切り、一滴残らず床に捨てる。

 ようやく事態を把握した成之の顔が怒りに染まり、血管が浮かび上がる。一方健一郎とまりあは目を見開いた。


「てめぇ何すんだよ!」


 怒鳴りつける彼に詰め寄り、秀一は告げる。


「そんな汚い金で買った水なんか飲めるか」

「なっ!」

「お前こそドブネズミらしく汚い水啜って勝手にほざいてろ。俺は絶対誰も傷つけたりしない」


 秀一の低い声に辺りが静まり返った。


「これじゃあ新鮮な水も不味くなる」


 しかし周りの雰囲気など気にせず秀一はコップを掴み、食堂を出ていく。


「あ、待てよ! 秀一!」

「武井さん!」


 二人も慌てて秀一を追いかけた。食堂にはただ屈辱に塗れた、孤独な獣が残された。

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