フラグクラッシャーは悪夢を美味しく召し上がる♪

美袋和仁

第1話 盗み食い令嬢



「.....っし!」


 放課後の学園。


 夕暮れ間近な図書室で、彼女は感涙に咽び泣いていた。

 その華奢な指の中には一本の旗。半透明で幻想的に揺らめくソレは、ふわりと霧散して彼女の中に流れ込んでいく。


 小さな舌をペロリと出して唇を舐める少女。

 頬に朱を走らせ、仄かに息を荒らげる姿は扇情的で、何とも言えぬ色香を放ち、見る人がいれば有らぬ誤解を受けかねない淫らさである。


「.....うっまぁぁぁ、御馳走様ですっ! 殿下っ!!」


 両手をあわせて彼女が拝む先には端整な美貌の男性。

 柔らかな金髪の巻き毛を指で擽り、物憂げに佇む彼の周囲には似たような女性らが隠れ潜んでいた。

 顔を赤らめて、きゃあきゃあとはしゃぐ女生徒達に、灰色がかった青い瞳を向け、軽く手を振る麗人。

 彼はこの国の王子殿下である。


 眉目秀麗、文武両道、性格も穏やかで人当たりも良く、国王夫妻自慢の御子息様らしい。詳しくは知らない。


 彼女は家の事情で社交界デビューしていないため、王家の方々はおろか、主要な貴族らとすら面識がないのだ。


 当然、憧れをこえた複数の情欲が王子には向けられており、その幾つかを少女はこっそり頂いて食べていた。

 旗の形をした何か。とりあえず、フラッグを略してフラグと呼ぶソレが最近の少女の主食である。

 微かに上気した眼差しで王子を見つめる彼女の名前は、リリス・マグタレナ。貧乏男爵家の一人娘。

 上に双子の兄がおり、気楽な末っ子の彼女に、いきなり災難が訪れたのは数ヵ月前。




「御祖母様が亡くなった?」


 青天の霹靂。


 遠方で楽隠居していた祖母が亡くなったと言う。

 元々、体調が思わしくないような話は小耳に挟んでいた。

 父しか子供のいない祖母は、いたくリリスを可愛がってくれていて、少し先の長期休暇には御見舞いに行こうと家族で話していた矢先の訃報である。

 まあ、年齢的にも仕方がないと嘆息するリリスを、やけに神妙な顔で呼び出した父男爵。


 御葬式などの話だろうか? それにしてはお兄様方がいないな。


 父男爵の書斎で静かに座るリリスに、父親は爆弾を投下した。


「リリス、そなたには夢魔の血が流れておる。母上が亡くなった以上、その力は、そなたに継承されるのだ。覚悟しておけ」


「はいっ?!」


 寝耳に水もいいところだ。


 詳しい話を聞けば、その昔、マグタレナ家の先祖は不可思議な力を持っていた。

 近い未来を予見出来る能力、いわく予知の力である。

 ただこれには条件があり、旗の形に見える何かを掴んで引き抜き、己の中に受け入れねばならない。

 そうして初めて、その旗の持つ意味と未来が確認出来るのだ。

 旗には様々な色があり、白なら希望。青なら憂いなど、その人間が秘めておきたい心すらをも暴き、掠めとることが出来る。

 希望を折られた人間は嘆き苦しみ、憂いを折られた人間は吹っ切れ前を向く。


 そういった善くも悪くも使える稀有な能力だったが、それを継ぐのは一代に一人限り。しかも娘にのみで、以前には色々と揉め事を引き起こしたのだとか。


 権力者に利用されたり、時には魔女として迫害されたりと、なかなかに凄絶な歴史を送ってきたマグタレナ家。


 しかしある時、その力を継承した娘が夢魔と出逢った。 

 その夢魔は、夢魔でありながら悪夢を見分けられず、飢えて瀕死状態だったらしい。

 このままでは消えてしまうと嘆く夢魔に、御先祖様は悪夢のフラッグを手渡した。

 長い年月の中、継承者らにより研究されてきたフラッグは、その色にでどんな夢なのか見分けられる。


 悪夢を与えられ、九死に一生を得た夢魔は御先祖様に忠誠を誓い、それに絆された御先祖様が夢魔を夫として迎え、その夢魔の能力も娘に継承されるようになったのだと言う。


 お伽噺のような、ホントの話。


 びっくりしたまま固まるリリスに父親は憐憫の眼差しを向けて、深ぁーい溜め息をついた。


「先代の能力者は母上だった。その母が亡くなった今、能力はお前に発現する。間違いなくな」


 父は一人っ子で、娘はリリスのみ。


 言わずと知れた結果である。


「いらなぁぁーーーいぃぃっ!!」


 貧相な男爵家に、リリスの絶叫が谺した。




「あ~、今日も凌げたわ。ホント助かります殿下」


 夢魔の特性が加わってしまったため、今のリリスは悪夢を主食としていた。

 悪夢を食べなくても通常の食事で生きてはいけるのだが、凄まじい虚脱感と偏頭痛で動くことも出来なくなる。

 能力が発現した当日、その容赦ない激痛に揉んどり打った事を忘れはしない。


 あんなのは二度と御免だわっ!!


 天を藪睨みしつつ、リリスは図書館を後にする。


 悪夢をてんこもりに生やしている王子のおかげで飢えることもなく、リリスは学園ライフを満喫していた。

 欲望、欲情、凋落、謀略の垂涎なターゲットな王子には、悲喜こもごもな悪夢が乱立している。

 その中でもヤバめげな悪夢だけを摘み取り、美味しくいただく御令嬢。

 王子と同時期に学園へ入学出来た幸運を、心から神に感謝するリリスだった。


 今日の悪夢はなかなかだったわね。媚薬入りのクッキーに、夜這いですか。伯爵令嬢ったら積極的ね。


 いや、それは積極的の一言で片付けても良いものだろうか。

 誰かが聞けば即座に突っ込むだろうことを脳裏に描き、ふとリリスは足を止めた。


 悪夢はリリスが食べた。つまり未来は圧し折られたはずだ。

 だが、夢の中の御令嬢は昼食時にクッキーを渡している。胡散臭いクッキーを訝り、処分するよう言いつかった侍従が席を外している隙に、それを知らず贈り物かと勘違いしたメイドが王子に出してしまい、媚薬に身悶える王子の元へ内通者によって案内された伯爵令嬢が夜這いして事に至る。

 

 そういう悪夢だった。


 実現してしまえば、確かに悪夢になるだろう。それを圧し折れるリリスがいなくば、現実になった可能性の高い未来。


 リリスが食べてしまったため、伯爵令嬢はクッキーのことも夜這いの予定も忘れているはずだ。そりゃもう、キレイさっぱり。


 だけどクッキーは?


 渡されてしまったクッキーはどうなるのだろう?

 

 ヒヤリとした悪寒に腹の中を撫でまくられ、リリスは図書館に取って返して王子の様子を窺った。




「...............」


 背後をピョコピョコ動き回る黒髪のポニーテール。

 王子は軽く失笑して、護衛の騎士達に視線を振る。護衛騎士らも、分からないとばかりに首を竦めてみせた。


 ここ最近、前からいた取り巻きに混じり、そっと遠くから王子を見つめるポニーテールの御令嬢。

 他の御令嬢らと違って近づくこともなく、ただ見つめているだけなので、危険はないと護衛騎士らからもスルーされている彼女が、何故か今回はつけてくる。


「心境の変化でしょうか?」


「それにしては瞳に温度を感じませんね」


「ただ観察されてるだけでは?」


 王子を観察て.....


 気心の知れた騎士達は、歯に衣を着せることなくズケズケと発言する。


 自室へ戻る途中のロビーに腰掛け、王子は廊下の角に隠れているつもりな御令嬢をそれとなく見つめた。

 御茶を所望し、静かにソファーに背をあずけるが落ち着かない。

 憧憬に溢れた御令嬢方とはベクトルの違う熱視線に、王子はリリスの真意を読めず、はかりかねている。

 そんな王子を珍しそうに見下ろし、護衛騎士達は、ひっそりと口角を上げた。


 ひょっとして興味を持たれたか? あの御令嬢の事は調べてある。王子に関心を向ける者のことは全て。

 貧しい男爵家の一人娘だ。善くも悪くも無害な家系。だが王子の相手としては身分が低すぎではなかろうか。


 護衛らは目配せで、明後日思考な会話をする。


 そうこうするうちに御茶が運ばれ、それに添えられたクッキーを見て、リリスは眼を見開いた。

 悪夢に出てきたクッキーだ。やはり、ここまでは起きてしまうのだ。

 伯爵令嬢は来ないだろうが、アレを口にして王子が症状を発症すれば言い訳は出来ない。

 何も知らない伯爵令嬢に咎がかかり、処罰されてしまうだろう。

 リリスがフラグを圧し折ったがために起こるパラドックス。


 ああああ、どうしようぅぅぅ?! 食べちゃダメぇぇぇっ!!


 心が顔に出て、あわあわと百面相を始めたリリスに、思わず噴き出しかかる王子。

 同じく、肩を揺らして笑いを堪える護衛騎士達。


 もうダメだ、堪らん。


 くっくっくっと忍び笑いを漏らし、王子は騎士に目配せする。

 それに小さく頷き、騎士は廊下の角に隠れるリリスへ向かった。


「主が御茶をどうかとの事です。お越しいただけますか?」


 ゆったりとした所作で丁寧に尋ねられ、オロオロしつつもリリスは小さな声で了承する。

 王族からの誘いを断れるわけはない。それにここはまだ王子宮の外ロビーだ。一般生徒でも入れるエリア。セーフだろう。


 騎士にエスコートされてソファーに座ったリリスに柔らかく微笑み、王子は単刀直入に質問した。


「ずっと追ってこられてましたよね? もしかしたら、私に何かお話でも?」


 バレてた?


 ぷしゅうと赤面するポニーテールの御令嬢に、騎士達が生暖かい眼を向ける。


 わからいでか。


 細められた彼等の眼が辛辣に物語っていた。

 やや刺々しい雰囲気に、リリスは居心地悪く身動ぐ。運ばれてきた御茶にも手をつけていない。


「えっと..... その.....っ」


 しどろもどろに狼狽えるリリスから視線を外さず、王子は添えられたクッキーに手を伸ばした。

 途端、リリスの眼が見開かれる。


「あっ!!」


「え?」


 あまりの動揺ぶりに、思わず手を止める王子。それにホッと安堵するリリス。


 このクッキーに何かある?


 それを察して、おもむろに王子はクッキーを掴んだ。


「ああっ!!」


 そのまま口に運ぼうとする王子を何とかしようと、手足をわちゃわちゃする御令嬢。

 あまりに迫真なその表情だが、今にも泣きそうにしかめられた顔は可愛らしいだけで、抑止力は薄い。


 まあ、王子もわざと食べる振りをして試しただけなので強行する気はなく、すっとクッキーをソーサーに戻した。


 そして剣呑に眼をすがめる。


「コレに何かあるのですか? 何かを御存じなのですね、御令嬢?」


 すうっと細められた眼に浮かぶ冴えざえとした光。抜き身の刀のように研ぎ澄まされた眼光で見据えられ、リリスは全身を粟立たせた。


 なんて説明したら良いの? 媚薬が仕込まれてるとか言えないし。でも何かあるのを知っていると見破られてるし、その何かを調べられたら、すぐにバレるし、悪くすると、濡れ衣がかかるかもしれないしーーーっ! うわあぁぁぁんっっ!!


 心の中で絶叫するリリスを余所に、王子は彼女の想像した最悪を侍従に指示する。

 謀略、凋落、ありとあらゆる搦め手に散々さらされてきた王子は猜疑心が強い。彼女の不審な行動の違和感を見逃さない。


「コレを調べろ。何か仕込まれていたら..... 御令嬢が理由を御存じだろうから」


 ニヤリと上がる辛辣な口角。


 あああぁぁぁーーーっ!! やっぱ、そうなりますよねぇぇーーーっ!!


 リリスの胸に何とも言えぬ切羽詰まった感情が、ぶわりと湧き起こる。


 冤罪にかけられたら、どうしよう? 御父様や御兄様達は、どうなってしまうの? 正直に話したら、また御先祖様らのように監禁されたり、魔女扱いされたりしちゃう?


 溢れた感情が極まり、彼女の心が決壊する。


「..........は?」


「「「えっ?」」」


 するりと表情の抜け落ちる王子と、動揺を隠せずに眉を寄せる騎士や侍従。


 彼等の目の前で、リリスは言葉もなく泣いていた。


 大粒の涙がポロポロと零れ落ち、彼女のなだらかな頬を伝って顎を滴る。

 それが幾筋もドレスに水玉模様を描いた時、初めてリリスは自分が泣いている事に気がついた。


「あれ? やだ、なんで?」


 口元を覆って、必死に涙を止めようと努力するが失敗し、リリスはくしゃりと顔を歪める。


「違うんですぅ、ごめんなさいぃぃ、そうじゃなくて.....っ」


 子供のように、えぐえぐと泣きじゃくるリリス。

 どうしたものかとオロオロと狼狽える王子。


 女の涙はただの武器だ。


 王子はそのように習ってきた。事実、その武器を振りかざし迫ってくる女性らに辟易もさせられていた。

 しかし、今、目の前にいる少女は違う。何が違うのか上手く説明出来ないが、この涙は武器でも偽りでもない。

 

 王子は、そう感じた。


「あっ、あ.....のクッキーには媚薬.....が仕込まれてるんですぅ、知ってるけど、知らなくて.....っ、でも食べたら不味いから、何とか止めたくてぇ、えぅぅ」


 媚薬?


 ぎょっとする騎士達が獰猛に眼を剥いた。

 それを挙げた右手で押し止め、王子は優しい声でリリスに質問する。


「何処でそれを知ったの?」


「.....言えないんです」


「なぜ?」


「..........言ったら、我が家が」


「誰かに脅されてるの?」


 ぶんぶんと首を横に振るリリス。


 そこにメイドと侍従を連れた騎士が戻ってきた。


「このクッキーは、どうやら昼に伯爵令嬢から頂いた物のようです」


「申し訳ございませんっ! 処分を後回しにして、他の仕事をしていたところ、メイドが誤って出してしまいました」


「申し訳ございませんっ!」


 平謝りな侍従とメイド。


 それを冷たく一瞥し、王子はリリスを見つめる。


「知ってたんだ? それで私が食べるの止めようと?」


 小さく頷くリリス。


「伯爵家に苦情を入れないとな。処分も考えねば.....」


 ふつふつとした怒りを漂わせる王子の声に、リリスはバッと顔を上げた。


「知らないんですっ!」


「知らない?」


「えと.....っ、そのっ」


 そう。仕込んだのは伯爵令嬢だが、リリスがフラグを圧し折ったため、今の彼女はそれを覚えていない。


 どう説明したものか。


 う~~っっと、への字口で悩むリリスの言葉を、王子は辛抱強く待つ。


「クッキーに..... 媚薬が仕込まれたと..... 伯爵令嬢は知らないんです」


「自分が用意した贈り物なのに? 仕込んだのは伯爵令嬢ではないと言うことかい?」


「あ~.....、そう? なる?」


 仕込んだのは伯爵令嬢だ。

 それを彼女が覚えていないのはリリスのせいだ。


「つまり? このクッキーに媚薬が仕込まれている事を伯爵令嬢は知らないという事かな?」


「そうっ! そうなんですっ!」


 ぱあっと顔を輝かせるリリス。


「なるほど。それで伯爵家に苦情や処罰をしてほしくはないと? 君はそう言いたいんだね?」


「はいっ!」


 成り行き任せで王子が正解に辿り着いた。なんたる幸運。

 察しの良い王子を、キラキラとした羨望の眼差して見つめるリリス。

 その熱い視線に身動ぎ、王子は軽く咳払いをすると侍従やメイドを下がらせた。


「まあ、未遂であった事だしね。君のおかげで。君が望むなら大事にはすまい」


 チラリとリリスへ目配せする王子の視線に含まれる意味深な光。

 それに気づかず、リリスはきょんっと顔を呆ける。


「そう言うことになるんですか?」


「なるでしょ。知らなかったら、きっと私は口に運んでいただろうし」


 ざーっとリリスの全身から血の気が下がった。

 言われてみれば、その通りだ。そう思ったからこそリリスも王子の後をつけてきてたのではないか。

 ひぇーっと両頬を押さえる彼女を興味深げに見据え、王子は騎士にリリスを家まで送らせた。




「悪いお顔をなさっていますよ?」


「そうかい?」


 湯あみを終えて寛ぐ王子に、幼馴染みの側仕えが呆れ顔で肩を竦める。

 それにしれっとした返事を返して、王子はしばし前の少女を思い出していた。


 護衛らに聞けば、二つ下学年の生徒。王子が今十七歳なので、彼女は十五歳ということだ。

 とりたてて目立つ容貌ではないが、ここ最近、人気急上昇中の御令嬢なのだとか。その理由はわからないが。


 王子はにんまりと口角を上げ、用意されていた御茶に口をつけた。

 いつもならば、この時間に嗜む紅茶。王子の習慣を知る者が仕込んだ媚薬だろう。

 と言うことは、今時分に誰かの訪れがあってもおかしくはないはずだが誰も来ない。

 失敗を知り、計画を断念したのかもしれない。

 たまたま件の御令嬢が追ってきていて、予定外にロビーで御茶を支度させたため、薬の事が発覚したのだから。


 面白い娘だ。私に興味があるようで無さげ。何かを知るものの話せないジレンマが、あの短い会話の中でもビシバシと王子に伝わってきた。


 いったい何を隠しているのか。


 周囲にはいないタイプの御令嬢に、王子こそが興味津々である。


 こうして平々凡々に暮らしていたリリスは、立て続けに数奇な運命に見舞われることになる。


 稀有な能力と王子の興味をひき、それでも彼女の頭を占めるのは明日のご飯。


 美味しい悪夢を求めて、フラグクラッシャーは我が道を征く♪


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