第11話 盗み聞き令嬢
「マグダレナ男爵が娘、リリスにございます。両陛下。御尊顔、拝し賜り、恐悦至極に存じます」
しっとりと挨拶するリリスを好好爺な顔で見つめ、国王は朗らかに笑った。
「堅苦しい挨拶じゃが、しきたりだでの。よくぞ参ったリリス嬢よ。.....先だっては国の危機を救ってくださり、感謝にたえぬ。よくやってくれた」
潜められた後半部分を耳にして、リリスはうんざりと眼を据わらせる。
もういい。もうお腹一杯なので、忘れてください。
口の端に上らせられない愚痴を心の中だけで呟き、彼女は当たり障りない笑顔を浮かべた。
「婚約をしたそうだな、カゼル殿。昔と違って、すっかり大人しくなってしまった貴殿を心配していたのだが。良かったことだ。幸せにな?」
どうやら幼いころのカゼルを国王陛下は御存知のようだ。珍しくはにかむ彼に眼を見張りつつ、話題がズレたことに安堵したリリスだが、つと、誰かに見られている気がして辺りを見渡した。
するとそこには王妃様。不可思議なブルーの瞳が、吸い込まれそうなほど淡く揺れている。
眼が合った瞬間、にこりと微笑まれ、条件反射で微笑み返してしまうリリス。
「よくお似合いだわ。わたくしが用意させましたのよ? そのドレス」
そういえば、そうだったぁぁぁーっ!!
王太子が、そんなことを言っていたのを思いだし、リリスは慌てて頭を下げた。
「お礼が遅れて申し訳ございませんっ!! こんな素晴らしいお衣装を、ありがとう存じますっ!!」
「.....お衣装」
「「..........」」
呆気にとられる王妃と、同じく呆けた顔でリリスを見つめる男性陣。
「古い言い回しね。わたくしは好きだわ」
コロコロ笑う王妃の前で、かぁーっと茹で蛸になるリリスに、思わず失笑を漏らすカゼルと国王。
あああ、もーっ! 早くに御母様が亡くなってるから、アタシの知識って、ほぼお祖母様から習ったモノなのよねーっ!!
そう。学院に通うようになって、初めてソレを自覚したリリス。
『おきゅうきん? 金子のこと? え? なに?』
『たもと.....って、諺の? 袖のことよね? あら、違う?』
などなど。今時の御令嬢らより、かなり古い言い回しを笑われた黒歴史。
穴があったら埋まりたい心境で両陛下らの御前を辞し、二人は広間へとやってきた。
「私も好きですよ、リリス嬢の言葉使い。粗野だったり、やけに丁寧だったり」
「ありがとう存じます、カゼル様」
苦笑いしながら飲み物を受け取り、リリスは呑むふりをしてグラスに嘆息を溶かした。
場違いなのだろうなぁと外を眺め、ふうっと傾げたうなじが艶かしく伸びる。
真っ白で柔らかな首を惜しげもなくさらし、デコルテの開いた胸元が絶妙に見え隠れするドレス。その鎖骨から曲線を描く慎ましやかな膨らみも異性の本能をそそる。
成人したばかりな少女の未発達な危うさが、周囲の男性らの眼を異様に惹き付けていた。
しかも身にまとっているのは、初々しい白のドレス。彼女を自分の色に染めたいという邪な劣情を、これでもかと誘う色っぽい装い。
.....そんなわけはないのに、そう勝手に感じる男の性よ。
しかも先ほどリリスは、超上質な悪夢を食べたばかりである。ほんのり高揚した彼女の頬や唇が、男性らの胯間を直撃し煽りまくった。
さすがは妖馬の血族である。望まぬとも漏れ滴り、夜半(よわ)に香る危険な色香。
.....あれが素なんだから堪らないよな。
遠目にリリスを眺めつつ、呆れ顔な第二王子ハウゼル。
着々と男らを惹き付けているリリスの姿に、溜め息しか出てこない。
自覚があるのか、無いのか。.....無いに愛馬を賭けても良いハウゼルは、何の気なしな風を装い彼女に近づいていった。
だが、そこに轟く大音響。
何事かと振り返ったハウゼルの眼に、空から降り下りる人影が見える。その数、百はいようか。
バラバラと下りてきた人影は、王宮の天窓すらブチ破り、次々と広間で暴れだした。
『狙うは王族のみっ! 散れっ!!』
誰かが声高に叫ぶが、言葉が違うようで誰にも意味が分からない。そうこうするうち、散開し、縦横無尽に駆け巡った彼等は、それぞれ目標を定めて襲いかかった。
「国王陛下っ!!」
駆けつけた近衛達が逃げ惑う人々を押し退けて両陛下のいる壇上へ向かう。
そこでは、夜会に参加していた騎士団長と王太子が奮闘していた。
「遅いっ!! 早う陛下らをっ!」
ほとんどの招待客が逃げ出し、怪しげな一団も王族以外に興味がないのか、逃げる者を追いはしない。
あっという間に広間は数十人の黒づくめらと王族だけになった。
通路を封鎖する黒づくめの仲間達に阻まれ、強者な近衛ら以外は、広間に辿り着けていない。
壇上にあったことが禍し、両陛下と王太子は少数の護衛と近衛に守られつつも四面楚歌。完全に囲まれてしまった。
そして、黒づくめの包囲網を掻き分けて連行されたのは第二王子ハウゼル。
彼は広間二階から階段を下りている所で襲われ、あれよあれよと護衛が倒されてしまったため、黒づくめの仲間に捕まり、ここに連れてこられた。
「貴様らっ! どこの者だっ!」
狂暴に眼を剥き、唸るように恫喝するハウゼルを嘲るように嗤い、一人の男性がフードを外す。
その下から現れたのは、黒髪黒目で端整な美丈夫。だが、その眼に燃える焔は、憤怒一色で彩られていた。
『私を忘れたとでもいうのか? お前に唆されて、罹患患者を譲った、この私を?』
患者?
意味が分からず首を傾げる王族とその仲間達。だが、そのワードで気づいた者がいる。
逃げ回る人々に撥ね飛ばされて逃げ遅れ、テーブルクロスの下に隠れていたリリスだ。
本人は長く韜晦していたが、実は優秀なカゼル。彼は数ヵ国語に堪能で、国王らすら知らなかった黒づくめの連中の言葉を理解する。そしてリリスに通訳していた。
さーっっと顔を青ざめ、少女は頭を抱えて床に突っ伏する。
例の疫病だぁぁーーーっ!!
そう。ハウゼルが兄王子を陥れるため、流行らせようとした遠国の風土病。
リリスがフラグを圧し折ったがため実現はしなかったが、流行る直前まで計画は進行していたのだ。
つまり下準備をし、それらに深く関わっていた者らが存在する。あれで終わった気になっていた自分を殴り倒したい。
えーと、えーとっ? ってことは、彼等はその遠国の? 唆されたって.....? あーっ、もーっ、意味が分かんないようぅぅっ!!
えぐえぐと声もなく泣きじゃくるリリスをカゼルが支えた。
「大丈夫ですか? 彼等の目的が何かは分かりませんが、貴女は私が守ります。御安心を」
バチっと雷を腕にまとわせ、カゼルはテーブルの下でリリスを庇うように外の様子を窺う。
そこでは未だに喧々囂々な言い争いが続いていた。
カゼルと同じく、こちらの言葉を理解出来る者が遠国側にもいるらしく、その人の通訳で声を荒らげまくる二人。
「知らぬわ、そんなものっ!! 貴様の言うとおりであれば、とうに我が国の民の半数近くが死んでおろうがっ!!」
『白々しい.....っ!! 患者を融通する対価に麦を約束しただろうっ! 大飢饉に喘ぐ我が国を見捨てるつもりかっ! その麦を得るために、本来してはならぬことを私はやってしまった。なのに麦も届かず、問い合わせても知らん顔。もはや私は父王らに逢わせる顔もないっ!!』
彼は遠国シャネルド王国の王子。彼の小さな島国は、現在未曾有の大飢饉に陥っており、こうしてる間にもバタバタと民が死んでいた。
それを見かねた王子に、ハウゼルは取り引きを持ちかけたのだ。風土病の患者を譲って欲しいと。
対価として持ち込まれた大量の小麦。まだ脱穀前で、種籾にもなる貴重な食糧。固唾を呑んで積み上げらた麦袋を凝視する彼に、ハウゼルはさらに囁く。
自分の目論見が達成されたならば、この倍の食糧を送るし、後の支援も惜しまないと。
悪魔の囁きだった。
彼の国の風土病は伝染病だ。これにかかった者は海の外に出してはならないと決まっていた。
だがハウゼルは伝染病の研究のために、患者が治るまでを観察したいという。長くかかるため、自国で行いたいと。
だが父王らは許すまい。
以前に交易していた国の船乗りが、この風土病に罹患し、大変なことになったのだ。どうやら外の国には、これに類似した病がないとみえる。
結果、この病にかかった者は外に出してはならないという決まりが出来た。
.....しかし。
この麦だけで多くの民が救える。さらに貰えるなら..... 後の支援も約束してくれたのだ。.....話にのるしかない。
そう決断し、彼はハウゼルの望みをかなえた。
丁度、病を得ていた騎士を彼に同行させたのだ。
その騎士は完治して戻ってきたのに、ハウゼルからは音沙汰がない。
挙動不審な彼を訝った国王が、帰国した騎士を詰問し、大国へ遠征させた理由がバレてしまう。当然、父王は激怒した。
だが、その理由を知り、国王は憤りつつも黙認してくれる。国の現状を憂いているのは、国王も同じだったからだ。
しかし蓋を開けてみれば、このていたらく。
いくら問い合わせても、うんともすんとも言わぬハウゼルの心無い態度に、彼は怒り心頭。
自分の私兵を率いて、事のしだいを質しに来たのである。
そこまで説明されても、ハウゼルには何のことか分からない。
「知らぬ..... 私は貴殿と会ったことがあるのか?」
話の端々で気づいたのだろう。目の前の男性が身分ある者だということに。
国王、父王。このワードを聞いて気づかぬ者などいない。
『.....お初に御目もじというなら名乗るべきかな? 私はシャネルド王国、国王が一子、ナージャルだ。お見知りおきを』
カゼルの通訳した内容に戦き、リリスは心の中で絶叫する。
んっのおおぉぉぉーーーっ!!、御父様ぁぁぁーーーっ!!
事の元凶が我が娘とも知らず、人波に圧されて王宮から流されてしまったマグダレナ家の者達。
夜会の悪夢は、まだ始まったばかりである。
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