第3話 間食令嬢


「は? そんな心配をしていたのか?」


 件の流行り病が落ち着き、褒美をいただいた父親がリリスにも社交界デビューをと話を持ちかける。

 だがリリスから全力で拒否され、それを速攻で断る理由を男爵は聞いた。


 その理由は簡単。上の方々から眼をつけられたくないからだと言う。


 今回の事でもリリスに興味を持った高位貴族らがいる。

 値踏みするかのような眼差しで舐め回され、リリスは身の危険を感じたのだ。


「だって、過去には監禁されて良いように使い潰されたり、魔女の冤罪で投獄されたりしたのでしょう? アタシは絶対に嫌ですっ!」


 社交界にデビューすれば断れない招待も舞い込んでくる。社交をせぬわけにも行かず、何処でボロが出るか分からない。

 全身で嫌々と首を振る娘に嘆息し、男爵はマグタレナ家の歴史を記した本を取り出した。

 リリスに後天的なトラウマを植え付けた、夢魔の愛娘らの記録を記した一冊。


「その通りだ。過去には悲惨な目にあった娘達もいる。しかし、ならば何故、未だにマグタレナ家は健在なのだろうな?」


 リリスは、きょんと眼を見張る。


 確かにそうだ。利用出来る稀有な能力。権力者らが魔女に貶めてまで排除しようとした家系が現存しているのはおかしい。


 はて? と首を傾げる娘に柔らかな眼差しを向け、男爵はとつとつと語った。


「フラグを圧し折れば未来は消える。過去の娘達に賢い者がいてな。御先祖様に関するフラグを全て圧し折ったのだよ」


 話は数百年ほど前。


 リリスが危惧したように、時の権力者らに使い回されていた夢魔の愛娘は、その証拠隠滅とばかりに魔女裁判にかけられ火炙りに処された。

 

 が、それは表向き。実際には関係者全員からフラグを全て圧し折り、あらゆる未来を消し去って難を逃れたという。


「証人も証拠もなく家を取り潰すことは出来ん。多くの疑惑を残しつつもマグタレナ家は続いてきたのだよ。そして記憶とは風化するモノだ。もう我が家の記録にしか残ってはおるまいて」


 フラグを圧し折ると、それに関する記憶も消える。

 伯爵令嬢のフラグを折った事で、彼女が媚薬を購入してクッキーに仕込んだ事を忘れてしまったように。

 しかしフラグを立てた本人が忘れても、それに関係した人々までが忘れるわけではない。

 だから多くの疑惑や遺恨が残る。便利そうで、それなりに不具合のある能力だ。


 父親はリリスの頭を撫でて、優しく顔を覗き込んだ。


「自分が危ないと思ったら容赦なくフラグを圧し折りなさい。特に黄色と黒のフラグをね」


 黄色は好奇心。黒は悪意。


 なるほど。


 リリスは素直に頷き、社交界デビューを了承した。




「良かったよ。これで、お前も貴族と結婚出来るしな。このままでは、嫁に出すしかないかとヒヤヒヤしていたのだ」


 はい?


 思わぬ父親の言葉にリリスは眼を丸くする。


「ああ、言っていなかったか? 能力を継いだ娘はマグタレナ家の後継者だ。つまり、お前は婿を取って我が家を継ぐのだよ」


「はいぃぃぃっ?!」


 青天の霹靂ふたたびだった。




「御兄様達は御存じでしたの?」


「まあ?」


「御祖母様が亡くなったと報せが来て、即座に家族会議になったからね」


「アタシ、呼ばれてない」


 仏頂面でソファーに体育座りをする妹を見て、双子兄は苦笑する。

 マグタレナ家の能力は優性遺伝なのだ。発現した者の血族に継がれていく。

 だからリリスをマグタレナ家から出すわけにはいかない。マグタレナ家が貴族である以上、彼女に社交界デビューをしてもらい、貴族と結婚させねばならないのだ。


「御祖母様が、こんなに早く亡くなるとは思ってなかったしね」


「私達が出仕してお金を稼いで、リリスを社交界デビューさせるくらいまではもつと思ってたんだよね」


 って事は、最初からリリスに選択肢はなかったのではないだろうか?

 そう呟く妹に、兄らは複雑な顔をする。


「そこらが微妙だったんだよ」


 苦虫を噛み潰す兄らの説明によると、能力を継承するのは一番若い娘。

 もし兄らが結婚して子をなし、その子供が娘であれば、リリスをすっ飛ばして兄の子供に能力が継承される。

 そうなるとリリスが跡継ぎになる必要もない。だから確定するまで黙っていたらしい。


 そういう..... あああ。


 頭を抱えるリリス。


「.....恨みますわ、御祖母様」


「まあまあ。それを見越して、私達がお前の側につくよう学んできたし?」


「そうそう。領地経営や家の事は全て俺らがやるから。お前は今まで通りで良い」


 にこやかに笑う兄達に頭を撫でまくられ、リリスは不満顔なれど、仕方無いと現状を呑み込んだ。




 そうこうするうちに季節が変わり、リリスは落ち着かない面持ちで教室の椅子に座る。

 最近、男子生徒らの眼がおかしいのだ。なんというか、迂遠で絡み付くように執拗な眼差し。

 新年舞踏会でリリスが社交界デビューするとの噂が広がったあたりから、この不躾な視線が増えてきた。

 この視線をリリスは知っている。前回の流行り病事件のあと、高位貴族らから向けられた値踏みするような嫌な眼差しと似ていた。


 なんで? どうしてアタシみたいな貧乏貴族に興味を持つの?


 彼等に乱立する黄色いフラグ。父親に言われたとおり、全部叩き折るが、翌日には復活するしぶとさ。そしてその理由に、リリスは頭を抱えた。


 だがなんの事はない。彼等のフラグを解析すれば、リリスが図書館で悪夢を食べているシーンがあるだけ。

 上機嫌で悪夢をむしゃむしゃしている自分の何処に興味を持たれたのか、全く分からない御子様なリリスである。


 悪夢意外では愉悦を覚えない夢魔の愛娘は、今日も必死に男子生徒らから黄色いフラグを圧し折っていた。


 これも食べられはするけど美味しくないのよね。


 それでもまあ腹には溜まる。


 こういう食事も有りかと、リリスは王子らの悪夢を食べる回数が減っていった。




「彼女は?」


 事も無げな風を装い、王子は護衛騎士らに声をかける。


「まだおみえになってません」


「以前は毎日いらしていたのに。何かあったのでしょうか?」


「殿下に飽きられたのでは?」


 相も変わらず歯に衣を着せぬ護衛騎士達。

 

 着せろよっ! 衣と言わず鎧甲冑を着せてやれっ!!


 不遜な護衛達をジロリと一瞥し、王子は嘆息する。


 何故にこうも彼女が気になるのか。


 前回、王子が視察に訪れた街で流行り病は猛威を奮っていた。

 王子自身も罹患してしまい、王宮で隔離される中、特効薬の報せが、病に冒され夢現な王子の耳に届いたのだ。

 何でも遠い異国の風土病で他の国での発症例はなく、こうして流行ること事態が不自然な病気。

 ただ、伝染病ではあるらしいので、罹患患者が何も知らずに持ち込んだ可能性もあり、あわや大惨事寸前だった。

 事態を重く見た国王は、それが偶然か意図的なものかを調べさせている。


 そこに射した一条の光。


 マグタレナ男爵によってもたらされた報は、これの特効薬が簡単に作れると言うこと。

 娘御が読んだ本に似たような病気の記述があったのだという。

 王宮は訝りつつも、その題名の本を探して確認し、男爵の言葉に偽りがないと判断した研究者らが、すぐに薬の作成に取りかかった。

 男爵自身も薬を作成していて、それらは直ぐ様、病の蔓延る領地へと送られている。


 こうして難を逃れたデカダン国王は、マグタレナ男爵に褒美を与えて黙らせた。


 今回の不手際を隠すために。この功績を王家のモノとし、多額の褒美で男爵の口を封じたのだ。


 我が親ながら情けない。


 歯噛みする王子だが、男爵本人は何処に吹く風。

 これで娘を社交界デビューさせてやれると、ホクホク顔で褒美を受け取っていた。


 社交界デビューをしていないのか。どうりで見ない顔なはずだ。


 王子は黒眼黒髪なリリスを脳裏に描く。


 通常の貴族なら、十三歳あたりに は社交界デビューしているはずだ。それも叶わないほど貧相な家ならば、爵位を上げて俸禄を増やしてやった方が良いのではなかろうか。


 そう進言する王子に国王は眉を寄せ、昔話を始めた。


 その昔、マグタレナ家は多くの問題を引き起こしてきたのだと。

 それぞれは何故か隠蔽され、詳細は残されていない。

 しかしその理由から、マグタレナ家の爵位を上げてはならないとの不文律が王家には残されているのだという。

 

「そんな理由で?」


 呆れたような顔の王子に、国王も頷いた。

 

「わしにも良くは分からん。だがどうやら、我が王家の先人は、かなりマグタレナ家を恐れていたようだの。爵位を上げさせないのは、暗に王家で飼い殺しにするためだろうて」


 つまり力はつけさせたくないが、無くしたくもない?


 不可思議な疑問を王子の胸に投げ込み、マグタレナ男爵は娘の社交界デビューを周囲に触れ回った。

 あわよくば、エスコートしてくれる御子息を探すためだろう。

 まだ十二、十三歳くらいなら婚約者もおらず家族がエスコートするのも良くあること。しかし十五歳にもなった御令嬢に婚約者がおらず、エスコートもないのは、やや外聞が悪い。

 その年齢まで社交界デビューしていないのが、そもそもの間違いなのだが。


 貧相な男爵家と婚姻を結ぼうという奇特な貴族は少なかろう。

 ここは病から救ってもらった自分が、御礼代わりにエスコートを買ってみてはどうか。


 王子は名分を胸に、リリスへ声をかけようと待ち構えていたのに、この肩透かしである。




 ジリジリとした焦燥感に炙られる王子を余所に、リリスは目の前の男性をどうしようか悩んでいた。


「だからさ、社交界デビューにエスコートが必要だろ? 私がしてやるよ」


 にんまりと歪に口角を上げるのはハウゼル王子。

 どこから聞き付けたのか、リリスの社交界デビューを知り、そのパートナーにしろと詰め寄っていた。


 いや、王子をパートナーにとか、有り得ないよね? 何とち狂ってるの、この坊っちゃん。


 リリスより一つ上のハウゼル王子は確か婚約者が居たはずだ。隣国の王女殿下。

 自国の新年祝いのため、こちらには来られないが、だからと言って別な御令嬢をエスコートして良いことにはならないのでは?


 そういった貴族の倣いに疎いリリスは、何とも返事が出来ない。それを別にしても、王子殿下がエスコートなど御免被りたい。

 彼女は社交界の片隅でひっそりと棲息出来れば良いのだ。注目も称賛も何にもいらない。


「家を通して頂けますか? 父を通さないと私には御返事が出来ません」


 真っ当な御令嬢の受け答え。それに眉を跳ね上げてハウゼルはリリスを睨み付ける。


「私に不満があるとでも? お前が首を縦に振るなら申し込んでやるよ」


 ほに? と首を傾げる少女。


 社交界に疎い彼女には、貴族のやり取りが分からない。

 王子から申し込みがあれば、低位貴族な男爵家が断れるわけはないのだ。

 さらに万一断ったとすれば、それは汚名となり一生リリスの評判につきまとう。王子の評判にもキズがつく。

 なので、まずはその気があるか無いかが重要。万一を犯さないために、ハウゼル王子はこうして彼女の元へ足を運んだのである。

 

 基本的な淑女教育は学園で受けてきたものの、これは母から娘に伝わるような貴族の機微に対する処世術だ。早くに母親を失ったリリスが知らなくても仕方がない。

 父親や兄には教えられない淑女の韻を含んだ嗜み。

 家庭教師からでも教われるモノだが、生憎貧乏男爵家にそのような者を雇う余裕もない。


 だから、彼女はあるがままに答えてしまう。


「王子殿下にエスコートなどしてもらったら、わたくし、他の御令嬢達に殺されてしまいますわ。比喩でなく物理で」


 思わず眼を見張るハウゼル王子。そこへさらにたたみかけるようリリスは口を開いた。


「ご自分の人気は御存じでしょう? 婚約者がおられても構わないと秋波を送られる方の如何に多いことか」


「あ、ああ。まあ.....」


 ハウゼルは微かにたじろぐ。


「ならば御理解いただけると思います。周りに無いこと無いことアレコレ噂され、わたくしのデビューを台無しになさるおつもりですか?」


 絶句する王子をキッと睨み付け、またもやリリスは一礼して踵を返す。

 それを、またもや呆然と見送り、ハウゼルは然も嬉しそうに口角を歪めた。


「.....ありえねぇ。面白い女だ」


 面と向かって王子を一刀両断。


 くつくつと腹の底から湧き上がる笑いを噛み殺し、ハウゼルは王宮へと帰っていった。




「王子の誘いを断ったぁぁぁーーーっ?!」


「うん」


 けろっと答えるリリスに、マグタレナ男爵家が阿鼻叫喚の嵐に見舞われたのは言うまでもない。


 そして事態は斜め上半捻りを見せる。


 嵐の前の静けさを漂わせる王宮に、大きな災いが近づいていた。

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