第2話 悪食令嬢


「ん~?」


 授業も終わり今日も図書館に向かったリリスは、有り得ないモノを見る。

 図書館の何時もの場所に座る殿下の頭に立つ見事な旗。

 それは仄かな桜色の旗で空気に溶けるように儚く揺れ動いていた。


 旗の色には意味がある。


 青なら憂い。白なら希望。赤なら情欲。黄色なら好奇心。などなど。

 実際には色々な願望が混ざり、橙とか紫とか複雑な彩りを見せるものだが、桃色系統は希望と欲情の混合色。


 つまりは恋である。


 あの殿下が恋っ?!


 恋に恋する御年頃なリリスは、ひゃあぁぁっとガン見したが、それも一瞬。次には赤黒い不気味な旗に眼をつけた。

 赤は情欲。それもあれほど黒々とグラデーションする色は、大抵善からぬ結果をもたらすフラグだ。


 黒は憎悪や殺意、執着などの、おぞましい思考を醸す色。


 昨日の伯爵令嬢の立てた旗も大概だったけど、今回もまた.......... 美味しそう♪


 じゅるりと心の中でだけ涎を垂らし、リリスは指先を操って王子のフラグを外す。

 これは夢魔の能力だ。

 夢を操り食せる夢魔は、遠隔からその夢を手繰り寄せる事も出来る。

 ただこれも慣れが必要で、操作が左右逆になるため手繰り寄せるのに苦労するのだ。

 言うなればラジコンのコントローラーのようなモノ。

 はっ、ほっ、と指をウネウネさせてフラグを手繰るリリスに気づき、王子も護衛達も肩だけで笑う。


 本当に。いったい何をしているのだろう?


 不思議そうな王子だが、その瞳は好奇に輝き愉快そうだ。

 そんな王子に観察されているとも知らず、必死に指を操るリリス。


 彼女の前には編み物の本。指を動かすのをカムフラージュするために、何時もリリスが選んで置いている本だ。


 これなら、編み方をなぞっているように見えるわよね?


 .....確かに見えなくはない。


 夕御飯を確保しようとするリリスは、ようやく手に入れたフラグを嬉しそうに見つめ、一気に吸い込んだ。

 ぞわりと全身を巡る生気。

 身体を維持するのに通常食が必要ではある。しかしそれ以上に必要なのが悪夢。

 心の栄養とでも言おうか、これがないと、彼女は全く動けなくなってしまうのだ。

 指先の毛細血管まで行き渡る愉悦に恍惚とし、リリスは何時ものように小さな舌を出して満足気に唇を舐めた。


 彼女は知らない。夢魔の血脈である己の能力が、実はその生気を糧とする妖馬の血なのだという事を。

 一般にサッキュバスと呼ばれる淫魔の力。

 それがフラグを吸い込み解析するというリリスの御先祖様達の力と合わさり、思わぬ相乗効果を起こした。

 本来なら行為をいたす夢で得るべき生気を、フラグを食べる行為で代替え出来るように変化し、当然、その行為に性的快感を得ている。

 男女のソレを知らぬリリスは、これがそういった愉悦だなどと理解していない。

 食事の満足感とすり変わり、さも嬉しそうに溜め息をつく。


 悪夢の凄惨さによって、得られる満腹度や快感は変わるため、王子に向けられた謀略の数々は、今までの得たこともない美味で甘露な後味を与えてくれ、非常に御満悦なリリス。


 ただし前述にもあったようにその火照った仕種はとてつもなく扇情的。見る者の劣情をコレでもかと刺激する淫らな姿。

 もちろん、意識して観察していた王子も、ドストライクに煽られる。


 なん.....っ、だっ?! あの顔はっ!!


 リリスと違い、そういった事に疎くはない王子は思わず赤面する。

 かぁっと上がった血の気が彼の耳まで染め、咄嗟に王子は口元を押さえて顔を背けた。

 

 編み物の本だよな? なんであんな顔をする理由があるっ?!


 むふーんっ、と満足気に立ち上がったリリスは、狼狽える王子に気づきもせず図書館から出ていった。

 それを呆然と見送り、王子は早鐘を打つ己の心臓を掴んだ。


 ..........君は、いったい?


 明らかに挙動不審になった王子を訝る護衛騎士や周囲の御令嬢達。


 絡まる謎を王子の胸にブチ込みつつ、リリスは御満悦で家路についた。




「御機嫌だね? 良い悪夢でも食べたのかい?」


 良い悪夢と言うのも変だが、間違ってはいない。

 リリスは苦笑して兄達をみあげる。

 見事な黒髪の双子の兄は、右の長兄がリデル。左の次兄がリルト。

 癖っ毛な黒髪のリリスと違い、兄達はさらっさらで鉄壁のキューティクルを持つ髪である。


 妬ましい。まあ、アタシは御父様似だしなぁ。仕方無いかぁ。


 リリスの死んだ母親はサラサラな茶色い髪の女性だった。癖っ毛で黒髪な父親似という事は、正しくマグタレナ家の血筋という事なのだが、何故か釈然としないリリスである。


 長いソファーの左右に座る兄達に頷き、彼女は可愛らしく微笑んだ。


「今日も殿下は物騒な未来を生やしてましたの。会食で個室に刺客が仕込まれてて、それに気づいた護衛が返り討ちにあって殺される未来でしたわ」


「へえ? .....それで?」


 サラサラとヤバい話を口にする妹を乾いた眼で見つめ、兄達は先を促す。


「個室での会食だったので、王子は捕らわれ..... どなたからしら? 綺麗な御夫人と寝所で睦んでおられました。王子ともなるとモテモテですわね」


 そんなモテ方は嫌だ。


 無邪気な妹を挟み、胡乱な顔を見合わせる兄二人。


 こうして、リリスは自覚なく王子の危機を救い続けている。

 最近、揉め事が減ったなぁと、王子が空を仰ぐのは、もうしばらくしてからの事だった。





「流行り病?」


 ある日、学園で教室移動をしていると、友人はリリスに領地の話をした。


「ええ。なんでも拡がりつつあるらしいの。我が家の領地に近くて心配だわ」


 彼女はカタリナ・ブラウン子爵令嬢。リリスと同級生で似たような貧乏貴族である。

 貴族街の外れ、隣り合わせで屋敷を持ち、幼いころから仲の良い友人だった。

 猫の額のように小さな領地を持つのも同じで、その領地も隣り合わせ。ブラウン家の領地に病が蔓延すれば、マグタレナ家の領地もただでは済まないだろう。

 

「私も御父様に聞いてみるわ。他人事ではないもの」


「酷い事にならなければ良いのだけれど.....」


 不安げなカタリナと別れ、リリスは何時もどおり食事に向かう。

 しかし図書館に王子の姿はなかった。


 え? なんで?


 思わず狼狽するリリスに誰かが声をかける。


「殿下なら今日は欠席しておられるよ?」


 言われてハッと振り返った彼女の視界に見事な金髪の少年が映った。

 殿下とは違う、やんちゃな感じの青い瞳。


「流行り病の噂は聞いた? それの事実確認に視察へ行ったらしいよ」


「えっと.....?」


 見慣れない男性。金髪という事は王族か王家に近い方だろう。

 一応の礼をとり、リリスは胡散臭そうに相手を見つめる。

 それに気づいたのか、少年はにこやかな笑みを浮かべて、礼に答えた。


「名乗りもせずに失礼を。わたくし、ハウゼル・フォン・デカダンと申します。以後お見知りおきを」


 ..........デカダン?


 リリスの眼が驚愕に見開いた。

 

 この国の名前はデカダン王国。その国名を名字に名乗る者と言えば、直径の王族しかいない。

 つまり何番目かは分からないが、目の前の男性は王子という事になる。


「大変失礼を。わたくし、マグタレナ男爵が娘、リリスと申します。以後よしなに」


「うん、知ってる。何時も図書館で編み物の本を読んでるよね?」


 ぎくっとリリスは肩を揺らした。


 なんで知ってるの? あんな片隅で座ってるだけなのに。


 片隅で座ってるだけだが、その怪しい動きと、妖しい艶姿は、密かに男子生徒の注目の的だったのだとは想像もしないリリス。


 知らぬは本人ばかりなり。


 王子の心臓を鷲掴み、盛大に撃ち抜いた淫靡な恥態は、知る人ぞ知るという噂を呼んでいたのだ。

 王子のファンの他に、彼女を見るためだけのギャラリーも存在していたのだとは夢にも思わないリリスである。


 護衛騎士が言っていた、彼女の人気急上昇の理由が、コレだった。


 そして彼女は貧乏貴族。兄達のデビューを優先して、本人は社交界デビューもしておらず王家の方々を眼にした事もない。

 美味しそうなフラグを乱立させる図書館の麗人が王子だと気づいたのだって、単に金髪だったからだ。

 金髪碧眼は王族の証。

 その程度の認識しかないリリスである。もちろん名前も知らない。知らなくても困らないのが貧乏貴族の良いところ。


 恐縮して縮こまるリリスを楽しそうに見つめ、ハウゼルは口を開いた。


「ふうん。兄上が御茶に誘ったというから、どんな御令嬢かと思えば。普通だね」


 そりゃもう。平々凡々を絵に描いたような平民寄りの貴族でございますとも。


 にへっと困ったように笑うリリス。

 だが、次の瞬間、ハッと瞠目する。

 ハウゼルの肩に黒々としたフラグを見つけたのだ。

 これ以上ないくらい真っ黒で不気味な旗。


 これはヤバい。


 しばし凝視し、リリスは思いきってハウゼルを見る。


「殿下、少々触れても宜しいですか?」


「触れる? 握手とか?」


 首を捻るハウゼルを余所に、リリスは彼の肩を払うよう指で撫で、さりげなくフラグを圧し折った。

 真っ黒な旗は触れたリリス指に溶かされ、ボロボロと原型を失っていく。


 途端、リリスの身体が硬直した。

 

 今までの悪夢とは比べ物にならない悪意。純粋な殺意に満ちたソレが与える凄まじい愉悦にリリスは腰を抜かして崩折れる。

 

「どうしたっ?!」


 ガクガクと痙攣しながらへたり込んだリリスを支え、ハウゼルは思わず大きく喉を鳴らした。


 上気し潤んだ黒い瞳。蕩けるような吐息をもらす肉厚な唇。

 男の劣情をダイレクトに直撃する悩ましい顔に、ハウゼルは言葉もない。

 彼女から漏れた熱い吐息が、自分の肺にまで染み渡り、深く蝕まれるような感覚に侵された。

 支えてくれた彼の腕にすがり体勢を直したリリスは、力ない四肢を踏ん張ってカーテシーをする。


「.....大丈夫です。御前、失礼いたします」


 噛み締めるように小さく呟き、リリスは踵を返して図書館を後にした。

 とろりと溶けた眼差しのハウゼルが、呆然とそれを見送っていたとも知らずに。




 ふらふらと家まで辿り着いたリリスは、叫びだしたいような身体の疼きに愕然とする。


 なにこれっ、なによ、これぇぇぇっっ?!


 知らぬが仏とはよく言ったもの。

 無垢で知らないがゆえに、絶叫を上げる程度で済んでいる幸運なリリス。

 これが、そういった行為を知る年相応の女性ならば、こんな程度では済まないだろう。


 己の身体の変化にわちゃわちゃしつつ、リリスはハウゼルから食べた悪夢を思い出していた。


 病で死に絶える村や街。


 それを呆然と見渡して慟哭する兄王子。

 絶望に打ちひしがれ頽れる兄を見て、ほくそ笑むハウゼル。


 これって..........?


 蔓延した病に手の打ちようもなく、頭を抱えてテーブルに座る王宮の人々。

 そこにハウゼルが持ってきた薬。病の特効薬。

 たちどころに国中を襲った流行り病は終息し、その功績から王太子に任命されたハウゼルが.......... 兄王子を冤罪で投獄、獄死させる。


 これは..........っ!


 流行り病はハウゼルの仕業だ。ここらでは見ない病気だが、名前も聞かないくらい遠い遠国ではよくある病らしい。

 正しい処方をすれば簡単に完治する。だがその薬に必要な薬草が、デカダンでは薬草と認知されていない。香草の一種とされている。

 それを逆手に取った策略だ。いつでも作れる薬を、大量の死者が出るまでハウゼルは秘匿した。


「.....どうしよう?」


 兄王子投獄までのフラグは圧し折った。そうなれば当然、ハウゼルの中から謀略に関する記憶は消えてしまう。

 病はすでに撒き散らかされた後である。このままでは、多くの死者が出るだろう。

 だが、当のハウゼルが忘れてしまっていては、薬が作られることもない。


 またもやリリスがフラグを圧し折った事で起きたパラドックス。

 

 いやぁぁぁっ! なんで、こうなるのぉぉぉっ!!


 消えて僥倖な未来だが、放たれた病まで消えるわけではない。

 わちゃわちゃしつつ、リリスは家族に泣きついた。




「マジかぁぁ.....」


「なんで、そんなもの拾ってくるの、お前は..........」


「だあってぇぇぇっ!!」


 うんざりと天を仰ぐ兄と、しとどに泣き濡れるリリス。

 しかし父男爵はリリスの頭をくしゃくしゃと撫で回し、にかっと快活に笑った。


「よくやった! これで病を終息に向かわせられるな」


 そう。リリスは件の香草を知っている。つまり、薬を作れるのだ。

 そのレシピはハウゼルからリリスが読み取っていた。


 ブラウン子爵の相談を受けていた男爵は、すぐさま事態の鎮圧に向かい、娘がたまたま知っていた遠国の病だと説明すると、即座に特効薬の生産に乗り出した。


 嘘は言っていない。実際にハウゼルの悪夢を解析したリリスは、その国の名前も、病が記載された本の題名も知っている。

 ハウゼルの行程を逆から辿り、リリスは大勢の人々から感謝と称賛を受ける事になった。

 こうして流行り病は早期に終息し大きな混乱も起こさず、リリスは安堵に熱を出して寝込んだのである。


 やだぁ、もうぅぅぅ。御先祖様のバカぁぁぁっ!


 けったいな能力を遺した御先祖らを毒づくリリスだが、今回の功績で父男爵が褒美を賜り、貧乏暮らしを脱却する未来が用意されているとは思いもしない。


 二度と王子らの悪夢なんか食べるものかと固く誓うリリス。

 しかし他の人の悪夢は薄く物足りなく、極上の悪夢を与えてくれる王子達に仕方無しに食事に赴く未来の自分を、今の彼女は知らない。


 御愁傷様♪

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