第6話 話題の令嬢
「こんなに早く婚約が整ってしまうとは.....」
ギリギリと奥歯を噛み締めるのは、エドワルト王子。場所は王子宮。
彼は疫病の一件からマグダレナ男爵家に興味を持ち調べさせた。その結果、非常に不可思議な事実が浮かび上がってきたのだ。
なんとこのマグダレナ家、数千年前の建国時から存在する。つまり、我が国において最古の家門である。
しかもなかには何人かの御息女が王家に嫁いだ記録もあり、時代を遡れば遡るほど、深く王家に関わっていた。
それが稀薄になり、一家門として埋没したのは数百年前。その頃から一切表舞台には出てこず、辺境の小さな領地を運営する貧乏貴族に成り下がっている。
多分に繁栄した一族にありがちな逸話や伝承も見当たらず、その過去は完全に隠蔽されたままだ。
だが過去に王家へ嫁いだ者がいる家門なら、没落したとしても、その関係は失われない。王家にはマグダレナ家の血が流れている。生家が没落したのなら、新たな縁を王家に求め、復興させるのが普通だった。
それだけの権利がマグダレナ家にはある。なのに何故、没落するに任せ貧乏貴族に甘んじているのか。
尊厳と建前を重視する貴族にあるまじき怠慢だ。家門の繁栄などどうでも良いとでも言うのだろうか。
どこもかしこも、おかしすぎる家である。
調べさせた書類を前に、頭を抱えるエドワルト。
それをチラ見して視線だけで会話する護衛達。
「変ですよねぇ。たしかに」
「御息女が王家に嫁がれた頃は伯爵ですか。何が起きて没落したのかも記載されておりませんし、謎すぎますね」
「ってか、建国から続く家系って、二大公爵家と四大侯爵家くらいなのでは? 今でこそ男爵家ですけど、過去には王家に近しい家門だった可能性ありますよ?」
護衛らの呟きを耳にし、エドワルトも頭の中で同意する。
そうなのだ。我が国が建国され、王家が興されてから三千年近く。建国時あたりから千年ほどの歴史は有耶無耶だ。
そのあとの記録からは、すでにマグダレナ家が伯爵として記載されている。
当時に何があったかは分からない。そこから伯爵家であったマグダレナ家は、何人かの娘を王家に嫁がせたという記録のみが残っていた。
そんな時代が千年ほど続き、さらに何が起きたのかは分からないが、マグダレナ家は降爵され今に至る。
しかも、何が起きても陞爵はしないようにとの、御先祖様からの厳命つき。
全く訳が分からない。
分からなくはあるが、マグダレナ家から過去に王家に嫁いだ娘がいるのは事実だ。ならば、これを逆手に取り、王家側から縁故の復興の手助けという形を取る事も可能である。
王家は恩知らずではないというアピールにもなるし、今回の疫病事件は陞爵するに十分な功績だった。
意味の分からない御先祖様の世迷い言より、今を見てくれというエドワルトの申し立てや、王子が社交界デビューの衣装を贈ったという事実を元に、国王夫妻もマグダレナ家の現状を見直す方に傾いていたのに。
エドワルトが周りを説得し外堀を固めてる隙に、ランカスター侯爵家の令息がリリスと婚約してしまった。
社交界デビューの衣装を贈るというのは特別な事だ。ある意味、マーキング。
この御令嬢に気持ちを寄せていますとの、あからさまな行為。
強引であろうと、王家の者から贈られたとあれば、他の令息らへの牽制となり、良い虫除けになるだろうと目論んでいたのに。
まさか、すでに婚約の話が進んでいたとは。
数日前の国王との謁見を思いだし、エドワルトは忌々しげに眉を寄せる。
「ランカスター侯爵家の子息と婚約っ?!」
驚くエドワルトに、鷹揚に国王が頷いた。
「そのように書類が出されておるな。ちゃんとした双方の申し立てだ。これを受理せぬわけにはいかぬ」
行動が早すぎる。仮にも侯爵家から男爵家に申し込みがあるとは思わなかった。
「御衣装のことは御祝いとして受け取って下さるそうよ? 例の事件の御礼と言ったのでしょう? 貴方。.....詰めが甘かったのね。額面どおりに受け取られたみたいよ?」
多くを語らずとも王妃は息子の気持ちに気づいていたのだろう。ドレスの相談を受け、自身の御針子を総動員してまで最速でドレスを仕立てあげたのに、水の泡だったようだ。
茫然自失なエドワルトを、痛ましそうに見つめる国王夫妻である。
「.....侯爵家の昼行灯と聞いていたのに。存外、仕事が出来るようだな」
エドワルトから見て同学年所属のガゼルには、良くも悪くも地味で控えめな印象しかない。
物静かな御仁で、たまに顔を合わせる図書館でも軽く会釈する程度。言葉を交わした記憶も殆どなかった。
そして、ふとエドワルトは眼を見開く。
そうだ、彼はよく図書館を訪れていた。そこでリリスを見初めていたのかも知れない。リリスもまた、図書館の常連だったから。
忍ぶ恋心の成就か? 仮にも侯爵家の彼が、よくぞ男爵家と婚約出来たものだ。侯爵もよく許したな。
あれやこれやと疑問が浮かぶものの、エドワルトには何もやれない。すでに国王も認めた婚約に物言いは出来ない。
外堀を埋めるなんてまどろこしい事をやってるんじゃなかった。さっさと気持ちを伝えて、周りの説得は、その後からでも良かったのに。
エドワルトの脳裏で、しっとりと艶かしい少女が微笑む。
ああ、あの熱く潤んだ瞳を向けてもらえたら。私だけを見てもらえたら、もう何も要らない。くそっ!!
淫魔の誘惑にすっかり取り込まれてしまったエドワルト。彼だけでなく、多くの男性らがリリスの存在に気がついた。
情欲と恋心を取り違えた男達が織り成す喜悲劇が、リリス本人を巻き込み、いたるところで繰り広げられるようになる未来を、今のリリスは知らない。
「.....婚約式も恙無く終わりました。これで後は社交界デビューのみですね」
満面の笑みなガゼルに、リリスは釈然としない顔で首を傾げた。
「本当に兄王子様の御衣装で宜しいのですか?」
リリスはトルソーにかけられたドレスを見て、あからさまな溜め息をつく。
そこにある衣装は見事の一言。侯爵家でも揃えられない高級素材による逸品だった。明らかに男爵家の娘には不釣り合いな衣装である。
真っ正直なリリスの顔に苦笑し、ガゼルはほんのりと笑みを深めた。
「正直に申せば、やや不愉快ではあります。しかし、私達の婚約が整う前の話。ちゃんとした理由もありますし、断るのは角がたつでしょう。仕方がございません。それに.....」
ガゼルは、そっとリリスの手を取り、口づける。
「わたくしの可愛らしい婚約者が王家に目をかけられているのは、嬉しい誤算でもあります」
十把一絡げな御令嬢らの中で、王家に覚えの良い少女は滅多にいない。身分差のある婚約でこの事実は良い潤滑剤となり、ガゼル側としては歓迎すべき事だった。
いくら厄介者な息子でも、それなりの家門を持たせるつもりだった侯爵は、二人の婚約に、一時、難色を示していた。が、色々鑑みた結果、この婚約を許してくれる。
今をときめくマグダレナ家ならば、この先の陞爵も望めるだろうと。
しかし、それを喜ばぬ者もいる。
「はあ? アレが婚約?」
アレって、貴方.....
頼まれていた御令嬢の素行調査を報告にきた側仕えは、あからさまに眉を寄せる第二王子に心の中だけで嘆息する。
「ちっ、兄上が御執心のようだから、かっ浚ってやろうとおもったのに.....」
無意識にハウゼルは親指の爪を噛み締めた。
そういう思惑は心の中にしまっておいてくださいよ。
はあっと白目がちに天を仰ぎ、側仕えはハウゼルの手を掴んで口から指を外させる。
「お止めください。侍女らが泣きますよ?」
王子の手入れをしている侍女達は、彼の爪を噛む癖を心から呪っていた。いくら付け爪で整えようとも、じりじり削られていく元爪。
他の指と比べてどんどん栗爪化していく親指に、毎日悪戦苦闘する健気な侍女らを泣かせたくはない。
「.....何とかならないかな?」
ああ、とにかく兄上にコナをかけたいんですね? その執着を別な方向に向けられませんかねぇ。
忌々しげに眉を寄せるハウゼルをチラ見し、ふと側仕えは前に彼が言っていた計画を思い出す。
「そう言えば良い計画があるとか仰有っておられませんでしたか?」
ハウゼルは少し前に、兄王子を蹴落とす策があるとか言っていた。なんでも伝染病を使った計画だとか。
しばしソレっぽい病が蔓延したが、すぐに終息し事なきを得た。アレがそうだったのだろうかとも思ったが、目の前のハウゼルを見る限り違うようだ。
まあ、やらないならそれに越したこともないですが。疫病とか、失敗しようものなら眼も当てられない大惨事ですし。
そのように呟く側仕えを、ハウゼルは訝しげに見据える。
「なんの話だ? 伝染病? そんな馬鹿な事をやるわけないだろう」
「は?」
如何にも憤懣やる方ない風情のハウゼル。
いや、貴方が仰ってらしたんですよ?
眼をしばたたかせる側仕えは知らない。そのヤバい計画を文字通り根元からへし折った御令嬢がいることを。
おかげでハウゼルの記憶に、その謀略は欠片も存在していない。
こうして無意識に国の危機を救いつつ、リリスは悪夢を求めて学院の図書館へと通う。
「ああ、今日は来たな」
あからさまな安堵を浮かべる兄王子。それに肩を竦める護衛達。人目につかぬ陰から、それとなく視線を巡らせる物静かな婚約者様。
それぞれの意味有りげな視界の中で、リリスは通常運行。何時もどおり編み物の本を手に取ると隅っこのテーブルに座った。
そして今日も悪夢をいただくべく、不器用に指を動かすのである。
彼女の災難は終わらない♪
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