第8話 火消し令嬢


「.....何がどうして、こうなりましたの? 御父様」


「まさか、来るとは思わなかったな」


「「.....強者すぎるね」」


 あまりの頭痛に言葉少なな父親と兄達。


 家族の話によれば、王宮で婚約の許可を頂いた日、兄王子に呼び出されたのだという。

 その内容は、皆様御察しのとおり、リリスの社交界デビューのエスコート。


「なあ、マグダレナ男爵。娘御の新年パーティーのエスコートだが。まだ決まっておらぬよな?」


「は?」


 男爵は言われた意味が分からない。今年の新年パーティーはリリスの社交界デビューだ。そのエスコートをするのはカゼル殿に決まっている。


「いや..... 娘の社交界デビューのエスコートは.....」


 探るような男爵に嫌な笑みを浮かべ、エドワルトは辛辣な眼差しを深めた。


「新年パーティーの話をしておるのだ、男爵」


 悪巧み顔な王子を見つめ、ようやく目の前の御仁が言いたいことを理解したリリスのお父ちゃん。


 あ.....、あーーーっ!


 同席していた兄らも絶句。


 王子は夜会のエスコートをさせろと言っているのである。社交界デビューと重なる新年パーティーで、王への拝謁と夜会を分けて考えろと。


 どんな詭弁だ、それぇぇぇーーーーっ!!


 脳内で満場一致なマグダレナ家。


 新年パーティーの夜会におわす国王に挨拶して、初めて貴族と認められる社交界デビュー。

 これを分けて考えるなど、あり得ない。

 だが、王子の申し込みを断るわけにもいかない。


 しかたなしに男爵は頷き、婚約のカゼルが許すならば、こちらは文句は言わないと答えた。

 カゼルの実家である侯爵家は国の重鎮だ。王家とて無理は云えぬ家柄。だから、まさか本当に王子が迎えに来るなどとは、露ほども思っていなかったマグダレナ家だった。


「どういうことでしょうか? 王太子殿下」


 剣も顕に眼をすがめ、威嚇する侯爵令息。それを事も無げに跳ね退け、挑戦的に笑う王子。


「それな。その御礼もかねてだ。」


「御礼?」


 バチバチと軋轢を構築する二人の間に居たリリスは、エドワルトの言葉を耳にして疑問顔。

 この社交界デビューのドレス一式が御礼だったのではなかろうか?

 そう物語る彼女の顔に頬を緩め、エドワルトはリリスの疑問に答えた。


「王太子の拝命だよ。そなたの活躍によって収束した例の疫病事件が私の功績となってな..... 正しく王太子と認められたのだよ」


 その御礼だと微笑む金髪碧眼の麗人。今まで王太子と呼ばれてはいたものの、実のところ暫定だったらしい。


 よく分からないが、意味は通ってる?


 無知は無敵だ。何が何だか分からないリリスは、チラっと家族を見やった。

 がっくり項垂れる父や、天を仰ぐ双子の兄。

 何とも言えぬ哀愁が漂っているものの、否定している雰囲気ではない。

 そしてリリスはカゼルを見上げた。彼の御仁は、今にも叫びだしそうなほど憤懣やるかたない顔をしている。

 それにニヤリとほくそ笑み、王太子はリリスの手を取った。


 はっと顔を上げる周囲の人々。カゼルも眼を凍らせる。


 前にカゼルから聞いた説明で、リリスの妖馬の力が魔力と同じなことを周囲は思い出したのだろう。エドワルト王子は魔力持ちだ。


 .....触れられて大丈夫か?


 つ.....っと冷や汗を流す家族らが見守るなか、エドワルトは彼女を王家の馬車へとエスコートしていく。


「よく似合っています。さすが、王妃直属のお針子達の仕事だけありますね」


「あ..... はい。素敵なお衣装を、ありがとうぞんじます」


 先程までの殺伐とした雰囲気はどこへやら。満面の笑みで頷き、馬車に乗った二人。

 そこで我に返った男爵が、扉が閉まる前に慌てて馬車へと駆け寄る。


「.....手袋は絶対に取るな。肩にも触れさせないように」


「え? あ、はい」


 きょん?と疑問顔な娘を心配しつつも、男爵達へ馬車を見送った。


「我々も向かいますか。.....どうやら手袋などの布ごしなら魔力を感じられないようです」


「心臓が止まるかと思ったよ.....」


「俺、少し止まった.....」


 そうして慌ただしく支度をして、王宮へと向かうマグダレナ家。

 一瞬、惚けたカゼルだが、次の瞬間、彼も烈火の如く駆け出して侯爵家の馬車に飛び込む。


「急げっ! 殿下の馬車より先に王宮に到着するんだっ!!」


 両腕を組んでうつむきがちに歯を食い縛るカゼル。その顔は憤怒に彩られ、まんまと婚約者を拐われた己を心の中で毒づいていた。


 なんたる過誤、なんたるしくじり。あまりのことに我を失ったとはいえ、目の前で彼女を連れていかれるとは。

 己の失態に言葉もない。だが、しかし.....


 カゼルは、にっと不均等に口角を上げる。


 侮りめさるなよ、エドワルト殿下。こちらとて、長々と韜晦してきたわけではないのです。


 悪魔も裸足で逃げ出すような獰猛な笑みを浮かべ、カゼルは先を行く二人を追いかけた。




「..........あの」


「ん?」


 胡散臭そうに自分を見つめるリリスを見て、ついつい笑いが込み上げる王太子。

 彼女の一挙一動が御令嬢らしくなく、愉快で堪らないエドワルト。

 こうしていつも一緒にいられたら、どれだけ楽しいか。

 そんな他愛もないことを考える王太子に、リリスは後ろを気にしながら疑問を呟いた。


「社交界デビューのエスコートはカゼル様に御願いしていたのですが.....」


「知っているよ。王への拝謁のエスコートは彼にしてもらおう。私がするのは夜会のエスコートだ」


 朗らかな笑みでリリスを黙くらかそうとするエドワルト。

 社交界を知らないため、そういうモンなのかな? と黙くらかされるリリス。

 養殖のお惚けと、天然のお惚けを乗せた馬車は王宮外壁のルーフを抜け、正面階段で馬を止めた。

 先に出た王太子がリリスに手を差し出した瞬間、背後から突然現れたカゼルが、その手を掴む。


「そなた.....」


 思わず瞠目したエドワルトを睨みつけるカゼルの炯眼。


「彼女は私の婚約者です。こちらにいただきます」


 どうやら先回りされたらしい。牽制しあう二人から手を差し出され、リリスはオロオロする。


 どういうことなのかしら? なんか険悪なムードよね?


 狼狽える彼女の視界の中に、突然生えた真っ黒なフラグ。それは黒々とした瘴気を醸し、カゼルの掌で不気味にはためいていた。


 えっ? カゼル様っ?


 突如として現れたフラグを掴み、リリスは目の前が真っ赤になる。

 そこは血の海で、折り重なる正装の人々。その間を縫うように歩くカゼルは、王宮広間壇上の国王陛下に狙いを定めて雷の魔法を連発した。


『ふはは..... あーっははははっっ、あー、愉しいっ! これまで我慢を重ねてきたけど、なんで私が私より劣る者のために惨めな人生を送らなきゃならなかったのか.....』


 雷の魔法で黒焦げな国王を凍えた眼差しで凝視し、エドワルトはカゼルを振り返る。


『貴様.....っ!』


 戦慄く王太子の瞳に燃え上がる怒り。それを皮肉げに一瞥し、カゼルは彼の胸ぐらを掴み、睨め下ろした。


『貴方がいけないのだよ。私から婚約者を奪おうとするから。.....彼女に手を出さなかったら、私だって大人しくしていたのに』


 悪夢を食むリリスの脳裏に、カゼルの想いが流れ込んでくる。


 心底愛する妻と可愛い子供ら。とりたてて特別なこともなく流れる穏やかな時間。

 それが彼の望み。切望する願いだった。


 そしてその間隙をついて、刺さるように飛び出してくるカゼルの悲惨な過去。


『お父さま、僕、今日は沢山勉強しました』


『.....そうか』


『お母さま.....?』


 カゼルの両親の眼に温かさはなく、むしろ煩わしげに二人は彼を眺める。

 使用人らも同じだ。まるでカゼルがいないかのように最低限の世話しかせず、それでも両親に振り向いてもらおうと必死に頑張ったカゼル。

 しかし十二歳のある夜。たまたま両親の話を立ち聞きしてしまったカゼル。


『なんでカゼルは雷の魔力などを覚醒したのだ..... 厄介な。王家の不興を買ったら、侯爵家も御仕舞いだぞ』


 忌々しげに眼をすがめて吐き捨てるのは父侯爵。


『.....致し方ありませんわ。幽閉でもするしか。最悪、死んだことにいたしましょう』


 胡乱げな眼差して溜め息をつく侯爵夫人。


『せめて愚かであれば..... 何も出来ない役立たずなら、ここまで心労を重ねなくて済むものを』


『王家から御学友の打診が来てしまいましたものね。断ることも出来ないし、どうしたら.....』


 頑張ったカゼルの優秀さは王宮にまで届き、第一王子の御学友にと話が来たらしい。

 第一王子は魔力持ちだ。下手に触れたらカゼルが魔力を持っていることがバレる。

 未登録の魔力持ちは第一級犯罪。それも雷の魔力だと知れようものなら、侯爵家のお先は真っ暗である。


 ここで初めてカゼルは、己の存在が危険なことを自覚した。


 そうか..... 僕は要らない子。.....いや、いてはならない人間なんだ。


 そこから何もかもやる気がなくなり、精彩が消え失せたカゼル。しかしその彼の無気力さを侯爵家は歓迎した。

 目立たず、騒がず、影の薄い人生。これを維持する限り、カゼルは疎まれない。


 .....僕の努力は、全て無駄だったんだな。僕は死んだような生き方をしなくてはならなかったんだ。


 カゼルの優秀さと努力を呪う彼の両親。だから.....


『私はねぇ..... ずっと己を殺して生きてきたんだよっ! なのに.....っ!! 全て貴様のせいだ、愚かな第一王子っ!!』


 溶岩のように渦巻き、真っ赤に爆ぜるカゼルの魔力。それは全ての貴族に向かい、国王に向かい、今、王太子に向けられていた。

 どどろく爆雷。その光の逆光でシルエットだけになった二人。力を込めたカゼルの手の中で、エドワルトのシルエットが頭を破裂される。


 高笑いするカゼルの姿を最後に、悪夢は終わった。


 リリスの顔を滴る滝のような冷や汗。パタパタと落ちる雫を拭い、彼女は呆然とする二人を見上げた。


 フラグを折られたせいか、カゼルの顔に怒りはない。パチクリと眼をしばたたかせ、己の手を不思議そうに見つめている。

 だがあれは、間違いなく起きる近未来。カゼルの中には、王家を不倶戴天の如く恨み抜く理由と経緯があった。

 今回は圧し折れたが、いつ、どのような切っ掛けで再燃するか分からない時限爆弾な人物。

 そして、たぶんだが、悪夢の中の状況を現実にするだけの力を持つのだろう。


 ああ、良かったわ、間に合って。


 大仰に溜め息をついたリリスの眼が、ぎょっと見開いて凍りつく。


 なんと、エドワルトの手にも、カゼルのフラグに勝るとも劣らぬ真っ黒な旗が靡いていたのだ。


 今夜の悪夢は、まだ終わらない。

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