第9話 火消し令嬢の覚悟
「えええ.....」
カゼルの悪夢だけで満腹を越えるリリス。しかし、これだけ真っ黒な旗を放置しておくわけにもいかず、彼女は恐る恐るエドワルトのフラグを圧し折った。
そして、再び襲いくる愉悦。
『.....婚約などどうとでもなるわ』
騎士らにカゼルを押さえつけさせ、その前にゆったりと座る王太子。
跪いたカゼルの絶望的な眼差しを心地好さげに見下ろし、彼は一枚の書類をカゼルに投げて渡す。
『それにサインせよ。侯爵家が大事ならな』
投げ渡された書類を見て、愕然と眼を見開く侯爵令息。
その書類は、個人がんじがらめにする誓約を求める書類だった。
つまり、絶対の忠誠を誓わされ、それを反故にすれば命のかかわる代物。魔法によって縛られる、えげつない誓約である。
『侯爵は承諾したぞ? 息子と引き換えに侯爵家の存続を求めてきた。見捨てられたのだよ、そなたは』
正しく王太子となった彼の権力が増し、あらゆる不具合を抑え込んだらしい。しかも、あろうことか己の持つ魔力を悪用する、ふてぶてしさ。
『さあ、どうするね? これにサインするなら、我が妻となるリリスの側に置いてやっても良い。.....足先くらいなら舐めさせてもやるぞ?』
悋気で人が違ったかのようなエドワルトを、ゾッとした眼差しで見つめる護衛ら。
いつもなら軽口を叩きまくっている騎士等をも黙らせる、王太子の邪悪さよ。
淡々と述べられる侮蔑に唇を噛み締めていたカゼルが、意味ありげに、ふっと嗤う。
『.....貴方という人は。これだから、私は罪悪感を感じずに済む。ありがたい』
妖しく光るカゼルの瞳。
そして次の瞬間、数多の落雷が轟き、王太子宮を破壊した。
眼にしたモノが信じられず、リリスは心の中で絶叫をあげる。
超攻撃魔法特化型ぁぁーーっ!!
酷い悪夢に酔う彼女の視界に、瓦礫の山で呆然と立ち竦むカゼルが映る。
『誰にも奪わせるものか..... リリスは私のモノだ』
うっとりと空を仰ぐカゼルの姿を最後に、恐ろしげな悪夢は終わった。
「いや、アタシはアタシのモノだからぁーっ!!」
思わず現実でも絶叫してしまうリリス。
そんな彼女の一人芝居を傍観していた王太子と侯爵令息は、心配げにリリスへ声をかけた。
「大丈夫か? そなた。なんなら、欠席しても良いのだぞ?」
オロオロするエドワルトを見て、リリスの中に、どす黒い殺意が湧く。
そんな人畜無害そうな顔して、あんなことを目論んでいたのですね。カゼル様を隷属させようとか、相手の実力くらい察しなさいよっ! 逆に大爆発の導火線に火種投げてんですよ、アンタっ!!
げっそりとした恨みがましい眼を向けられ、王太子は思わず背筋を凍らせる。
そんなエドワルトを押し退けて、侯爵令息がか細い声で囁いた。
「その..... 良ければ男爵邸に送ります。お手を.....」
心許なげなカゼルの瞳。
彼の悲惨な過去を知ってしまったリリスの胸には、何とも言えない憐憫が沸き起こる。
王太子が魔力持ちだったために潰された彼の人生。恨み辛みが募るのも致し方なし。
誰が悪かったでもなく、ただただタイミングが悪かった。
もし王家の同年代に魔力持ちがいなければ、きっとカゼルは国から歓呼で迎えられただろう。
せめて王太子が複合魔力持ちであったなら、切磋琢磨し、背中を預けあうような仲になったに違いない。
何もかもが噛み合わず、カゼルの不遇を確定させた。
懊悩煩悶するリリスは、ふとカゼルの肩でひらめく旗が眼に入る。
淡い桜色の慎ましやかなフラグ。ぽわぽわした光を溢すソレは、彼の身体中に隠れるよう何本も生えている。
.....なに?
リリスは遠慮がちに、ひとつだけ桜色のフラグを摘み取った。すると広がるパステルカラーの風景。
男爵家を訪れたカゼルが、眼を見張った温かさ。
じゃれあい、微笑みあい、仲睦まじくある家族。彼が心の底から欲した光景。
涙が出そうなほどの感激を胸に抱き、カゼルはリリスをも、より激しく欲するようになった。
この家族の一員に迎えられたくて。この温かな光景に混じりたくて。
何の衒いもなく男爵家は彼を受け入れてくれた。困り顔をしつつも、婚約者となったカゼルを和やかに包んでくれる慈愛。
その中心はリリスだった。リリスが笑えば男爵らも笑う。リリスが怒れば、男爵らは眉毛を下げる。
そんな穏やかな日々を暮し、カゼルの慕情は深まっていく。
いつまでもここに居たい。ぬるま湯のような心地好さに浸りたい。初めての幸せに酔っていたのも束の間。
図書館の片隅で奇妙なことをしているリリス。それを熱心に窺うエドワルト。
......まさか、彼もリリスを?
下世話な想像に血を流すような雄叫びを上げ、カゼルはリリスに執着した。
これを奪おうとする者があれば、容赦なく引き裂く覚悟を決め、彼はリリスに求婚したのである。
カゼルにとって、何物にも代えがたい至福の乙女。
婚約が決まってからこちら、男爵家に入り浸り、恍惚と自分を見つめてくる彼の眼差しの意味を、ようやく知ったリリス。
カゼルは与えられなかった愛情と潰された人生のやり直しをマグダレナ家に求めていたのだ。
幼少期からこれまでに受けた心の傷を、我が家でひっそりと癒していたカゼル。
それを取り上げようとする王太子に、彼が怒り心頭となるのも当たり前だろう。
.....重い。重いよ、侯爵令息様。
あーはーん..... と胡乱げに視線を彷徨わせつつリリスは、油断すれば確定する未来に戦慄した。
カゼルは超攻撃魔法特化型で、いつでも国家転覆出来る実力を持つ時限爆弾なのだという事実に。
ヤバいっしょ、これぇ.....
未だにオロオロする二人をじっと見据え、彼女は決断した。
知ったからには一蓮托生。婚約者でもあることだし、こうなりゃ自棄だ。アタシが幸せにしてみせましょうっ!!
一生、彼に生える悪夢を片っ端から圧し折り、食べてやるわっ!!
むんっと鼻息も荒く胸を張り、リリスはそっとカゼルの手を取る。
「大丈夫です。参りましょう? カゼル様」
「あ.....」
春風のように温かな笑みで手を取られ、カゼルの胸にじわりと沁みる恋情。
恋は盲目ともいうが、彼の場合は切実である。彼の魔力のことを知っても怯まず、無条件で迎えてくれたマグダレナ家。
これ以上の婚家はなく、もし彼女を手放してしまったら、自分はどうなってしまうか分からない。しかし、彼女は自分の手を取ってくれた。
リリスの指の温かさが泣けるほど嬉しいカゼルは知らず顔が緩み、彼もまた蕩けきった微笑みを浮かべる。
「はい..... はい、参りましょう、リリス嬢」
甘やかな二人の雰囲気に圧され、無言で見送ってしまった王太子は、しばらくして我に返り、慌てて王宮へと駆け込んだ。
「いや、待てっ! 夜会のエスコートは私がーっ!!」
などと宣う王太子を、護衛騎士らが剣呑な眼差しで見送る。
その彼等の眼に浮かぶのは、いつもと違う真剣な光。
先ほどまでの侯爵令息を見ていて、護衛騎士達は察したのだ。あれは獰猛な肉食獣だと。
伊達に長々と騎士をつとめてはいない。戦でもお馴染みだった、何かに飢えるケダモノの感触を彼等は覚えていた。忘れられるはずもなかった。
それと同じ匂いを、ぷんぷんさせた侯爵令息。
「.....どうするよ?」
「危険極まりない人物と存じます」
「でも、王太子は御令嬢の側に行くよな?」
う~ん.....と天を仰ぐ護衛騎士達。
これから起きる波乱を予測しつつも、それが斜め上半捻りすることまでは想像出来ない騎士らであった。
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