『倫理』『道徳』『善悪』は『社会(人間)の都合』で決められた物なので、宇宙万物絶対の価値基準ではありません。
そして『社会の都合に100%完全に合わせなければならない』訳でもありません。子を授からずに一生を終えた夫婦など古今東西いつもどこにでも無数にいらっしゃるでしょう。
『結婚し子を授からなければ犯罪となる』『そんな国にどうしても住みたい』のでなければ。詩一さんの決断と論を誰が否定できましょう。
皆さんも胸張って、私論を語りましょう。誰が相手でも遠慮せず言い放ってやってください。
と、本文へのコメントから自己引用しましたが、本当に一見の価値ありです。視野が広がる方は多いのではないでしょうか。
しかし、感化されて詩一さんに染まり、それまでの人間関係が悪化するようなことがあれば良くないですね。詩一さんもそれを憂いています。
どうか、私論を貫いたまま。『一般的』が『概ね正しい』と理解したままで。
別角度の他人の私論を読んでみてください。面白いですよ。
本作を読んだ人の多くは、筆者は社会と折り合いがついていない、と受け止めるでしょう。
評者は、筆者は社会と折り合いをつけている、と考えています。
本作の特異性を評者なりに説明するために、ルール違反の、もしかしたらカクヨム運営からペナルティを受けるかも知れないレビューを書きます。
人命の価値を否定する論説として、かつて伝説となった、鶴見済「完全自殺マニュアル」があります。
筆者の鶴見済は、自殺が許されない社会は「生き苦しい」と公言し、自殺が許される社会を作ろうと運動を続けました。そして多くの軋轢を生みました。悪く言えば、自分の思想を社会の主流派にしようとしました。
それに比べて、本作は、自らの思想を述べるものの、社会の多数からは反感を持たれることを承知しています。
筆者は自らの思想は変えません。しかし、多数派の思想を変える気もありません。双方が今のままで共存することを目指しています。
自らの思想が理解されないのは苦しいです。しかし社会を簒奪せず反感を受け入れることは、自らを少数派と認めて、そうなるしかなかった社会を受け入れることの一つの形だと評者は考えます。
とても立派なことをしていらっしゃる。評者はそう考えます。
現在マイノリティな価値観や御意見を御持ちのひとの声が段々とあがりはじめ、もちろん微々たるものではありますが、社会にも影響をもたらすようになって参りました。こちらの作家様が綴られる「こどもを授かりたくない」という価値観もまたそうしたマイノリティのひとつであろうと考えられます。
マイノリティの声がマジョリティに制され、なかったものにされる時代は終わりました。いえ、いまこそ、終わるべきです。
賛否両論あるでしょう。わたしもこちらのエッセイすべてを《理解》しているわけではありません。それでも、すべての意見を《理解》はできずとも、多様な価値観に寄り添い、尊重しあうことができるのが、人間の人間たるこころの「力」だとおもっています。
わたしはそれを「社会性」と呼びたい。
なにかを肯定することで、なにかを否定せずともいい、時代がきてほしい。
最後に。こちらのエッセイを投稿された「詩一さん」の勇気に、こころから敬意を表します。
まずこちらのエッセイを読んで、自分を否定されたようで深く傷つき反論したくなる方が多分いらっしゃるのではないかと思います。でもその反面、これを読んで救われた方も絶対にいると思います。
早く結婚しろ、早く孫を見せろ、一人っ子は可哀想だから、男の子は産まなきゃ、次は女の子だといいね、など他人は常にないものねだりです。
でもそれは他人だからこそ、責任感がないからこそ言えるのです。本人の人生設計など微塵も考慮していないからこそ簡単に言えてしまうのです。
本人の人生は本人の自由です。歌を歌う自由も、仕事を選ぶ自由も恋愛する自由もあるように、子供を持つかどうか、結婚するかどうか選ぶ自由があるはずです。それでも日本のみならず世界の出生賛美、結婚観はほぼ発展していません。
そんな中でも反出生主義、DINKsなど多くの考え方を持った方がいらっしゃいます。まだこのような立場は少数派で、理解が得られず苦しんでいる方も多いのではないでしょうか。
だからこそ、このようなエッセイを読むことによって救われる方が絶対にいると思いました。
言いたいことがうまくまとまらずただ長文になってしまいましたが…
一つの生き方、一つの価値観。
それが受け入れられるような社会に発展していくといいと思います。
これだけは言っておかねばという使命感にかられました。
詩一さんはいいひとです。
こんな反骨心あふれるエッセイをお書きになり、タグに「滅びよ人類」とつけてしまう。
もしかしたら、初見の方には「怖い人なのでは?」と思われてしまうのでは、と懸念しました。
違うのです。とても知的でやさしい方です。いつも穏やかで感情的になることは少なく、奥様や友達を大事にされている方です。入院した時も励まし続けてくれてたし、お菓子とかくれるし。
そんな紳士の詩一さんが、真摯に語っておられます。
その熱量に圧倒され、そして「これまでどれほど悔しい思いをし、どれほどの怒りをためてこられたのだろう」と想像しました。
マイノリティであることの悔しさ、多数派であるだけで力を持つ人々に虐げられてきた苦しみ、一度はご経験のある方も多いのではないでしょうか。
作者様はその苦しみに目を背けることができない方なのでしょう。
わたしなら、なんとな~く気持ちよく生きられる方を選択してしまうかもしれません。
「命って大切」「出産って尊いね」
あまりよく考えないままそう言うかもしれません。そう言っとけばだいたい世の中うまくいくから。
しかし小説を書きたい者として、「どんな心だろうと真の己の心に向き合う」という態度は持っていたいもの……。
でもでも、世の中から受け入れられないような心を外に出すのは怖い。反社会的なやつと思われたら損だし攻撃されるかもしれない。
内に込めて、なかったことにして、YouTubeでゲーム実況でも見て忘れたい。
うん、そうしよう。
そういう誤魔化しをすることができずに、全身全霊を込めたエッセイに本音を綴ってしまう。そんな作者様は、やはりアーティストだなあと思います。まずその勇気に心打たれます。
子どもや出産に関しては(作者様もおっしゃっているように)各々の考え方があると思います。
わたしはこちらのエッセイに半分は共感、半分は違う考えを持っています。
長くなるので簡単に書きますと、「命」に関しては、自分の体は遺伝子の集合体であると思っていて、「個」や「種族」の子孫を残すことにあまり重きを置いていません。
他者や他の生き物の中にも共通する遺伝子があるのだし、それらが残っていけばそれでいいんじゃないかなと……。
たとえ人が滅びても、人と共通する遺伝子を持った生き物たちが繫栄するのなら、それは負けでも何でもないと思っています。その時代、その場所に適した生き物が繁栄するだけのこと。
もし生き物が絶滅したなら若干凹むけど、なんらかの物質がそこに存在するその世界は、それもまた自然なありようなのかなと。
しかしそんなことは置いておいて、いろいろなマイノリティの苦しみを味わったことのある者として、世間の常識に対して牙を向ける詩一さんという方を、強く応援したくなるのです。
命を重んじて、子どもの一生を真面目に考えたからこそ、子を持たないという選択肢もあるのだと。大切なのは持つ持たないではなく、その人にとって真剣な決断であったのかだと思いました。
どちらの立場もいていいはずなのに、「子を持たない」人にとって逆風にさらされやすい現代ではありますね。
少子高齢化で悩んでいる国なのか、人口爆発で困っている国なのかで、子を持つことの「正義」度も変わるのでしょうし、常に絶対的なものはないのでしょう。
出産や子育て論は糸口にすぎず、これは「自分と異なる意見の人を受け入れる心」の大切さを書いたエッセイなのだと思いました。
作者様の主張したいこと、それは「あなたたちも自由に考え行動していいから、わたしたちの自由を奪うな、押し付けるな」という踏みつけられてきたマイノリティの必死な叫びに他ならないのではないでしょうか。
それにしても、詩一さんは本当に素敵な紳士なのです。