霧宮工房
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第1話 微小魔力波ネットワークを介した第7脳神経信号による超長距離表情検出器の返却について
「うーむ…」
見渡す限りに広がる背の低い草原と青空の中、風を切りわずかに揺れるジープの上で少女はぼんやりと小瓶を見つめていた。
「お嬢ちゃんさっきからずっとそれ眺めてるねー」
ジープを運転していた青年はその唯一の乗客に何気なく声をかけた。
「私フィズっていうんス。止まり木探しのフィズ。お兄さん、これなんだかわかるっスか?」
そう言ってフィズは助手席に身を乗り出して小瓶を差し出した。
「僕はコロ。街渡しのコロさ。よろしくフィズ。これは…小瓶かな?」
「っス。けどたぶん重要なのはその中の光っスね。」
言われるままに見てみると確かに小瓶の中では光がゆらぐように明滅していた。
「本当だ。綺麗だね。魔宝石かな?」
「うーむ。やっぱただの魔宝石なんスかねー」
「というと?」
小瓶を返すとフィズは引き続きその中の光を眺めたまま話しだした。
「これ、去年他界したじっちゃんの遺品なんスけど、しょっちゅう嬉しそうに眺めてたんスよねー」
「大切な人からの贈り物だったのかな」
「いやぁそれが、遺言で持ち主に返してくれってあって。今私がその人に届けがてら放浪中ってわけっスよ」
「なるほどねー。なら持ち主の人がなんか知ってるかもね」
「そうっスねー。でも正解聴く前に当てたいんスよねー」
フィズが照れるように笑みを浮かべてそう話している間にも、小瓶の中の光はちらちらと瞬いてみせた。
「はい、とうちゃーく。東の果ての村ブリーズビレッジだよ」
コロはジープを止めて振り返りフィズにそう告げた。都心を出るときはそこそこ埋まっていた荷台も、今はたった1人フィズが専有している状態。尤もここまで客を乗せることの方が稀だ。
「ありがとうございます。ふいー着いたー」
フィズは荷台から飛び降りると大きく伸びをし、改めて周囲を見回した。
「いやぁ静かなとこっスねー…」
殺風景で人気がない。そう表現するのが的確な村だった。
「のどかでゆったりしたいい村だよ。忘れ物はないかな。荷物はそれだけ?」
「っス。あんま背負い込まない性格なもんで」
そう微笑みを浮かべたフィズの装備は、放浪中にしては小さめのリュックサックとホバーボードのみという驚くほどの軽装だった。
「さっぱりしてるね。僕は7日間ぐらい滞在するつもりだけど、もしこの村から出たくなったら相談してよ。たぶんなんとかできるからさ」
そう言ってコロは連絡先のARタグを飛ばした。
「本当助かるっス。1週間で用事が済むかは謎っスけどねー」
「マジックアイテムの持ち主だっけ?名前とかは?」
「一応手紙と遺書には『魔道具技師キリノミヤ』って書いてあるんスよね」
「へーえ。あの人が誰かにものをねぇ…」
コロはおそらく無意識にぼそりと声を漏らした。
「えっ、お兄さん知り合いなんスか?」
「いやぁ僕は知り合いじゃあないよ。でもあっちの酒場に行けばもうゴールだね」
「ふむほむ?」
飲んだくれで有名なのだろうかと不安になる。
「僕はまだ仕事が残ってるからこのまま村を回るよ。小瓶のことわかったらー僕にも正解を教えてねー」
「っス。また話しましょー」
コロが指さした酒場はすぐ先で、彼と別れてからものの数分で到着してしまった。到着してしまったが急に彼女の鼓動は高鳴りだす。フィズは酒場という単語に対し、少しばかり偏ったイメージを抱いていた。無法者達が昼から暗い場所に集まり、酒を浴びるように飲みながら、賭けごとをしたり悪事を企んだり衝突したり…。しかし彼女の中の少年ハートが創り上げた暴力や欲望の渦巻く大人の世界は比較的早い段階で打ち砕かれた。
「あらお嬢ちゃん見ない顔だねぇ」
「へっ?」
重い扉を開けて出てきたのはエプロンをかけたとてもとてもふくよかな女性だった。
「旅人かい?なんか飲んでいきなよ。タダにしとくからさ」
半ば強引ではあるものの悪い人ではなさそうなので言われるままに店内へと入ると、そこは心地よいほどに明るく爽やかで落ち着いた酒場だった。開け放ったテラスから差すひだまりは年季の入ったフローリングで反射し、カウンター奥のコーヒー豆や酒瓶を柔らかく照らし出している。客層もほとんどが老人に見える。
「はいお待ち。疲れに効く特製レモネードだよ」
「っス。ありがとうございます」
それは確かにおいしかった。しかし目を見開いて絶賛するほどのものでもなく、疲れが吹き飛ぶようなものでもなく、かといって元気がみなぎるようなものでもなかった。フィズはなんともコメントに悩んだ。
「そんで、お嬢ちゃんどっから来たんだい?」
この女性も味とかは別にどうでもいいらしい。
「あっはい。一応首都からっス。そだ、キリノミヤって人に会いに来たんスけどなんか知ってません?」
女性は少し唖然とした様子になった。
「…はあ…。アイツにねえ…。遥々ねえ…」
「えっ?」
「あぁごめんごめん。そんじゃ奥のカウンター席に移ってくれるかい?コバコー。あんたンとこのお客さんだよー」
奥のカウンター内側でコバコと呼ばれた女性は静かにこちらに目を向け、そっと手を添えて席へ誘導した。グラスを持って移動して来て気づいたが、コバコの頭上には最初から「霧宮工房」という看板が吊り下げてあった。
「いらっしゃいませ。私はコバコ。霧宮工房受付係のコバコです。ご用件をお伺いいたします」
コバコは淡々と話した。硬い表情で、姿勢も視線も一切ブレさせずに。
「私はフィズ。止まり木探しのフィズっス。去年他界したじっちゃんの遺言でこれ返しに来たんスよ。あと手紙」
「かしこまりました。お預かり致します。ご返却ありがとうございました」
「いやいやいやいや、ちょ、え?まじスか?」
フィズはあまりにもあっさりと引き取られようとした小瓶と手紙を慌てて掴み直した。放浪がてらといえどここまで何日かかったことか。小瓶の光の正解も知りたいしなんなら手紙の中身だってちょっと気になる。フィズは少し取り乱していた。
「いかがなさいましたか?」
そう言いつつもコバコは微動だにしない。
「えーっと…いや…ここ受付っスよね!私直接キリノミヤさんに渡しに行きますよ」
コバコは微動だにしない。
「ご安心ください。責任を持ってお預かり致します。」
破けないまでも手紙にはそこそこな力が加わっていそうだ。
「いや…でもほら!一応じっちゃんの知り合いみたいだからさ!挨拶とかさ」
フィズだけが鼻息を荒げていた。
「お伝えしておきます」
「そうじゃないんスってぇぇぇぇ」
「なにやってんだいアンタたち…」
呆れ顔で店主らしき女性が割って入ってくれたことにより、大切な手紙は破けずに済んだ。
「つまりお嬢ちゃんはこの小瓶の中の光の正体も楽しみに旅してきたってことだね」
「そっス。すみませんちょっと興奮しちゃって」
「行かせてあげりゃいいじゃないかいコバコ」
「しかし工房はこの村からさらに北へ10km。長旅の末の延長は酷かと思いまして」
「何いってんだいコバコ。首都からわざわざこんな辺境まで来たんだ。今更変わんないよ。それに旅ってなそういうもんだろう?フィズ」
そう言って小瓶と手紙をフィズへ手渡した。フィズにはコバコの表情は読めないが、親切心は知ることができた。
「っス。10kmぐらいならすぐそこっス。ありがとうございましたおばさん」
「あたしゃタンク。酒場のタンクだよ。帰ったらまた寄んな。今度はもっとうまいの用意しとくよ」
手を降って酒場を駆け出すと、フィズはホバーボードに飛び乗った。まだ日は高く、風向きは追い風だ。
雑なフェンスに沿った小道をひたすら北へと突き進む。見渡す限りが背の低い草原でフェンスのはるか先には何か大きな構造物が霞んで見える。風に揺られてうねる草原は、まるで大海原のようだった。フィズは旅のさなか色々な景色を目にしてきたが、これもまた圧巻だった。そうして風を楽しんでいると工房への到着はあっという間だった。小道の先に風車の付いた小さな小屋が見えてきたのだ。
「ごめんくださーい」
フィズが風でボサボサになった髪を直しながら扉を叩くと、程なくして軋んだ扉が開かれた。
「いらっしゃい。止まり木探しのフィズ、であっていますか?」
姿を見せたのは普通に優しそうで爽やかな男性だった。彼を知る人達の微妙なリアクションは何だったのだろうかと、フィズの中には安心と疑問が芽生えた。
「そっス。キリノミヤさんっスね」
「はじめまして。キリノミヤです。コバコから聴いています。どうぞ、あがってください」
身なりもきちんとしているし言葉遣いも丁寧だ。フィズは案内されるままに椅子に腰を掛けた。
「首都から来てくださったそうですね。本当にありがとうございます。どうぞゆっくりしていってください」
「これっス。あと手紙」
フィズがカバンから小瓶と手紙をテーブルに取り出すと、キリノミヤは先に手紙を手にとった。
「少し読んでいてもいいですか?」
「もちろんっス。そのために持ってきたんスから」
キリノミヤが手紙を読み始めたのでフィズは出されていたグラスを手にとって部屋を見回した。魔道具技師の工房と聞いていたが特別変なものは見当たらない。そもそも魔道具というのはなんなのか、フィズはあまりよくわかっていなかった。
「ありがとう。そうですか、トリップは他界してしまったんですね」
「っス。丁度去年の今頃っスね」
「君はトリップのお孫さんになるんでしょうか?」
「いえいえ。じっちゃんの造った施設の生まれなだけっス。」
「施設?」
「あれ、それも聴いてないんスか?なんちゃら人材増産事業所のアミノジェムってのを建てたんスよ。私はそこで生まれたホムンクルスっス」
施設が建てられたのはもう結構昔のはずだが、キリノミヤはそのことを知らない様子だった。
「なるほど。彼は。トリップは笑って過ごしていましたか?」
「はい。あ、そうだった。特になにもないときでも、その小瓶眺めて笑ってたんス。その小瓶も、やっぱりマジックアイテムなんですか?」
そう訊いてフィズは小瓶に目を向けた。ちょうどちらりと中の光が瞬く。
「はい。これはこの世界の笑顔を検知するマジックアイテムです。ずっと昔私が作ってトリップにプレゼントしたのですが、律儀に返却してくれましたね」
「笑顔で…光る…???」
「はい。より正確には半径4,000km以内の笑顔に反応し発光します」
フィズにはまるで意味がわからなかった。マジックアイテムと言えばもっとこう、魔法を使うための道具で、人の役に立ったり、ないと困るような必要なものという勝手なイメージを持っていた。亡き創設者は何故そんな生産性も実用性もないよくわからないものを大切そうにしていて、嬉しそうに持っていて、律儀に持ち主に返そうとしたのか。
「それって何の役に立つんスか?」
「何の役にも立ちません」
「なんでじっちゃんはそんなものを…?」
この旅は楽しかったし損した気分ではないが、フィズは純粋に気になった。気になって尋ねた。
「そうですね。この手紙を読んでみれば少しは何かわかるかもしれませんね」
人の手紙に目を通すのは少しはばかられたが、それでもフィズは気になって読み始めた。
”親愛なるキリノミヤ様
いえ、手紙の中でならミスト様とお呼びしても許されるでしょうか。荷物持ちのトリップです。大戦の際の魔女討伐チームも、今では私が最後の生き残りとなってしまいました。ご安心を。皆笑顔で眠りにつきました。すべてあなたのおかげです。本当にありがとうございました。
あなたから頂いた『微笑みの小瓶』をお返しいたします。私はあなたの作ったこのマジックアイテムに本当に救われました。当時雑用ばかりを押し付けられていた私は、見える世界がとても狭くなっていました。自分の苦労が何に繋がっているのか、自分が何のために辛い思いをしているのか、わからなくなっていました。長旅に疲弊したチームのメンバーもずっと愚痴を吐き捨て、私自身ただの坂道にさえ苛立ちを感じるほどでした。しかしこの『微笑みの小瓶』を持ち始めてから少しずつそれが変わっていきました。私が考えていたよりもずっと、この世界は見えない笑顔に溢れている。大戦中の時代でもどこかで誰かが笑っている。私はその事実に気づくことができました。そしてそんな世界を守っていきたいと思えるようになりました。だからこそ辛いときでも、チームを支える力が湧いてきました。だからこそ苦しいときでも、人に優しくすることができるようになりました。だからこそ、チームは再び笑顔を取り戻しました。
笑顔には大きな力があるといいますが、私はあなたの作ったこの『微笑みの小瓶』で、遠くにいながらに顔も名前も知らない誰かのその力を授かることができました。重ねて感謝を申し上げます。ミスト様、私に笑顔の力をありがとうございました。
荷物持ちのトリップより”
フィズが手紙を折りたたみ、改めて小瓶に目を向けたのを見て、キリノミヤはゆっくりと尋ねた。
「何かわかりましたか?」
正直なところ、フィズにはこの手紙の中身はわからないことだらけだった。しかしこれまでトリップが、自分が眺めていた瞬きが、どこかの誰かの笑顔だったとわかると、確かになんとも言い表せない嬉しい気持ちが込み上げてきた。
「そっスね…。キリノミヤさんはなんで…その…こういうの作ろうと思ったんスか?」
「さぁ、どうだったでしょうか。あまり覚えていないですね」
ですが、と彼は続けた。
「きっと彼に気づきを与えたかったのだと思います。人の心を揺さぶる魔法はあっても、人の感情を惑わす魔法はあっても、人の考え方そのものを変えてしまう魔術はありません。それはその人自身にしか変えることができないんです。そしてそれは意識して変えていくより、身近な人の或いは自身の経験から学習して自ずと変わっていくのが近道なんだと思います」
「…だから、この小瓶を作ってプレゼントした…」
「はい。彼の疲れを癒やすことも、彼を説得して元気づけることもできたでしょう。でもそんなことよりもまず気づいてほしかったし、思い出してほしかったんです。この世界が眩しいぐらいに笑っていることを。…この小瓶は私の想像以上に、効果を発揮してくれたみたいですけどね」
気づきを与える。キリノミヤの出したそのフレーズがフィズの頭の中に妙に残った。旅の間ずっと持ち歩いて眺めていた小瓶が手紙を読む前と後でなんだか違って見える。それどころか、今まで何気なく使ってきたマジックアイテムもすべてそれぞれに造り手の想いが込められていたりするような気がしてくる。
きっとこれもまた、1つの気づきということなのだろう。
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