第5話 過失による小動物の霊体形成及び未浄霊自転車の運用課題の検討について

 鍛冶屋オーダに無事依頼を預けたフィズは、彼に礼を告げ作業場を後にした。しかし外に出てみると置いてあったはずの自転車が姿を消していた。チェーンロックのことをすっかり忘れてしまっていたのだ。彼女はしばらく自転車のあった場所に立ち尽くし、周囲を見回し、考えを巡らせ、やっと盗難の被害にあったということに気づいた。大戦が終わり平和になったこの世界で、自分の都合だけで人のものを盗むような罪を犯す者は滅多にいなかった。ましてこんな人気のない田舎の村である。彼女は急いでいる誰かが無断で借りていったという可能性をまだ捨てられずにいた。そして途方に暮れつつ村の酒場へと足を運んだ。

「いらっしゃい。あぁこないだのお嬢ちゃんじゃないかい」

「どうもタンクおばさん。フィズっス」

「おかえりフィズ。キリノミヤとは話せたかい?」

「っス。弟子入りしたっス」

「はぁっ?」

 タンクのリアクションとほぼ同時に、「メシリ」という地味な音とともに木片がフィズの足元に転がってきた。音のした方に目をやると以前と変わらないカウンター奥のポジションからコバコが見つめていた。凛とした姿勢も以前と変わらない。

「失礼しました。ペンを壊してしまいました」

「っス。そういうわけなんで、コバコさんもよろしくっス…」

「こちらこそ、改めましてよろしくおねがいします」

 フィズはコバコの声色にも少し違和感を覚えていた。

「弟子入りってあんた…何があったんだい?どうも浮かない顔してるし…」

「いえいえ!それは私から頼み込んだんスけど。実は師匠の自転車が誰かに持っていかれちゃったみたいで…」

「あれま、そんなことするようなのはこのブリーズビレッジにはいないと思うけどねぇ。だいたいが杖ついたじーさんばーさんだし」

 背後からケラケラと老人達の笑い声が聴こえてきた。しかし一切顔を緩めずにコバコが問いかけてきた。

「鍵をつけていなかったのでは?」

 フィズにとっては痛いところだ。

「うぅ…そうなんスよ。完全に私の不覚っス」

「であれば、飽きて先に帰ってしまっただけだと思います」

「えっ?」

「気分屋ですから。あの自転車は」

 コバコの言葉を聞いて初めて、あの自転車がただの自転車ではない可能性に思い至った。しかし考えてみればありうる話だった。マジックアイテムの工房にあった魔導具技師の自転車があんなにペダルが重くなるほど整備不良なのは妙だ。思い起こしてみればキリノミヤの「懐けば」という発言も少し変だった。フィズは足早に酒場を出た。


 二時間近く草原の中の一本道を歩き続け、やっとの思いで工房に戻ると、自転車は何事もなかったかのように工房の前に停めてあった。

「本当に先に帰ってた…」

 中へ入りキリノミヤに事の顛末を話すと、彼は平謝りをしながら自転車について説明を始めた。

「あれは猫なんです」

「猫」

「昔私がまだ魔法使いの見習いだったころ、道端で重傷を負った猫をみつけました。何が原因かはわかりません。ですがとにかくひどい状態でした。何かしてあげなくてはと思うものの、当時の私には何ができるのかすらわかりませんでした。そこで師匠に処置を頼もうと、あの自転車のカゴに乗せて帰ったんです」

「ふむ」

「しかし師匠のアトリエに到着したときにはもう、その猫は死んでしまっていました」

 すっと涼しい風が優しく工房の中を通り抜けていった。今この瞬間だけ、キリノミヤの声色は表情と大きな乖離がなかった。

「つまり、あの自転車にはそのときの猫の霊が?」

「簡単に言うとそうなりますね。ですがあの猫自身は何ら恨みも憎しみも持っていません。あぁなった原因は私です」

「霊になった原因ってことっスか?」

「はい。当時は私も未熟でしたから、自分の持つ能力もよく知らず、無意識に魔術を発動させてしまうようなこともありました。あの猫に関しても、私の救いたいという強い願いと、救えないかもしれないという強い不安が作用しました」

「そんなことが…じゃあそれってつまり、魔術を使えば生き物の意識を物に移すことができるんスか?」

 魔法使いにはそんなことまで、許されているのだろうか。フィズは訊いてしまった後で、少しだけ答えを聴くのが怖くなった。

「できませんよ。そんなことは」

 キリノミヤは遠くを見ているような目で続けた。

「あれは当時の私の持つ猫というイメージが焼き付いてしまっただけです。だから、あの日救えなかった猫ではないんです」

 フィズにとって疑問の耐えない話だったが、どうしてか深く掘り下げる気にはなれなかった。


 翌日、フィズは自転車を使って村へ買い出しにでかけた。荷台には何も乗っていないのに昨日と変わらずペダルは重い。村に着くと、今度はちゃんと降りる度にチェーンロックをかけた。どうやらチェーンさえかけていれば、それを振り切るほどの力はないらしい。一通りの買い物を終えると、彼女は改めて酒場に顔を出した。

「いらっしゃい。あぁフィズ。昨日ぶりだね」

 タンクには名前を覚えてもらえたらしい。

「どーも。昨日はお騒がせしました」

「そりゃあもう大騒ぎさね」

「そんなにっスか?」

「あのキリノミヤが弟子をとったってね」

「そっちっスか」

 村人たちのリアクションといい、キリノミヤ自身の下手くそな拒絶といい、おそらく世間との間に何かがあるのはとっくにフィズにも予想はできていた。ただ、それは本人の口から聴くべきだという妙なこだわりが彼女の中には芽生えていた。

「あ、それはさて置きなんスけど、皆さん猫の好物って知ってます?」

「マタタビじゃないのかい?」「そりゃ食いもんじゃねぇだろ」「魚だろ」「焼き魚!」「生魚!」「ねずみ!」「あぁうちにもこのとこねずみが増えてなぁ」…。

 露骨な話題逸しにも関わらず酒場の客は皆妙にノリがよく、すぐにねずみ談義や焼き魚vs生魚論争が発展していた。そんな賑やかな空間の壁際で一人、コバコがそっと手を上げた。

「猫はチーズも好みます」

 意外なところから意外な知識が流れてきた。

「えー?そりゃ本当かい?コバコ」

「タンクおばさん。もしチーズ余ってたら買い取ってもいいっスか?」

「そりゃ別に構わないけどもさ…」

 酒場を出ると、フィズは自転車のカゴにチーズの入った紙袋を乗せて袋の口を開いた。微かにだがチーズの香りが昇ってきた。そのまま手で押して草原の小道を歩き始めた。風に煽られながらも小石を避けるように進んでいると、ほんの少しだけ握っているハンドルが前に引っ張られるような感覚を覚えた。追い風もぐいぐいと背中を押している。思い切ってサドルに乗りペダルを踏み込んでみると、まるでタイヤが宙に浮いているぐらい、軽く回り始めた。

「ありがとう。これからよろしくっス」

 軽くカゴに向かってささやくと、ふわふわの風が頬をなでていった。そう振る舞うように魔法がかかっただけの、ただの自転車のはずなのに、フィズはなんだか、懐いてもらえた気がした。

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