第6話 作動不能となったオートマタ愛玩物の修理依頼に対する原因解明とその報告について
フィズがブリーズビレッジに来てからおよそ一週間が経った。大地の息吹の名前通り、この村は常にゆったりとした風が吹いている。一日のうちに何度かパラパラと雨が降ることもあるが、高い日差しと止まらない風がすぐにそれを拭ってくれる。そんな爽やかな風目当てにキリノミヤと手分けして洗濯物を干していると、呼び鈴のチリンという音が短く二回、リビングから響いてきた。
「来客っスか?」
手を止めてそう尋ねるとキリノミヤはタオルを留めながら応えた。
「コバコから連絡ですね。これが終わったら一緒に見に行きましょう」
一通り洗濯物を干し終わってリビングに戻ると壁にかけてあった謎の装置が青白いランプを点滅させていた。キリノミヤが装置のボタンを押すとスルスルと装置の下から紙が伸びてきた。
「なんスかこれ」
「見ていればなんとなくわかると思います」
装置が止まったところで紙をちぎると、じわじわと文字が浮かび上がってきた。
「おおー!」
「コバコの書いた文字や絵がそのまま印字される仕組みです。昔は結構どの家庭でも使われていたんですけどね」
「ほへー。今も使えばいいのに」
「このボタンを押してちぎるだけですので、もしランプに気づいたら出しておいてくれると助かります」
「了解っス」
フィズは自分でやってみるのが少し楽しみになった。キリノミヤがテーブルに紙を拡げたので二人で目を通し始めた。
"動作不能となったオートマタ愛玩物の修理依頼
依頼人:オカリナ吹きのオシロ
依頼内容:動かなくなったぬいぐるみの修理。以前は自律的に動き回り、会話に応じていたとのこと。およそ10年前すべての機能が同時に作動しなくなった。破損などの心当たりなし。製造元不明。
備考:依頼人本人が直接現物を工房へ持ち込むとのこと"
読み上げ終わるとフィズはキリノミヤへ目を向けた。
「こういうのってちょいちょいあるんスか?」
「普段から来客があるのならここは片付いていましたよ」
「なるほど」
幸いフィズが工房に来てからまだリビングはさほど散らかっていない。彼女は自身が来る直前の惨状が逆に少し気になった。
程なくして工房の扉を叩いたのは非常に誠実そうな目をした青年だった。ぬいぐるみと聞いていたので勝手に女性の依頼人を想像していたフィズは一瞬だけ目を丸くした。オシロと名乗るこの依頼人は頑丈そうで武骨なアタッシュケースを右手に携えたままリビングで腰を下ろした。
「改めまして、魔導具技師のキリノミヤです」
「その見習いのフィズっス」
「オカリナ吹きのオシロです。急に押しかけてしまい申し訳ありません。ご対応いただきありがとうございます」
オシロは丁寧な言葉で挨拶したが、その声色は期待や喜びの色で気持ちが高ぶっているように聴こえた。特に打ち合わせなどはなかったが、フィズはしばらく師匠の仕事ぶりを隣で見ておくことにした。
「大丈夫ですよ。直接お話をお伺いしたい案件でもありますので。ご依頼のぬいぐるみはそのケースの中ですか?」
「はい」
オシロはケースを膝の上で開けて白ウサギのぬいぐるみを取り出し、テーブルの上に乗せた。大きめのキャベツぐらいの大きさで毛並みは使い古されてペタリとしているが、大事に扱われていた様子が伺えた。しかしあまりに丸っこくて動き回る様子はあまり想像できない。
「白ウサギのぬいぐるみのコットンです。オートマタ職人さんに診てもらってもそういう仕掛けは入っていないと言われてしまって、魔導師さんに診てもらってもそのような魔法はかかっていないと言われてしまい、ずっと直せないまま家で大事に保管しておいたのです。ですが昨年お祭りでオカリナの演奏にこの村を訪れた際、マジックアイテムの工房があると知り、是非診てもらいたいと思い依頼させていただいた次第です」
「ありがとうございます。少し診させてもらいますね」
キリノミヤは用意しておいた道具を手にとって診察を始めた。レンズの抜けた大きな虫眼鏡のような道具をコットンの体にあてがってずらし、ときおり持ち手に着いたダイヤルを回して調整している。道具は細いコードでイヤフォンと繋がっており、おそらく何か音を聞き取っているその様は本当に聴診器で鼓動を確かめているようだった。彼は少し確かめるとすぐに装置を耳から外し、コットンをテーブルに戻した。
「確かに機械的な仕掛けはないようですね」
「では魔法で動いていたということでしょうか」
「おそらくその可能性が高いと思います。ですが、それはそれで不可解なこともありまして。すみませんが、詳しく調べるために一日だけお預かりしてもよろしいでしょうか?」
「もちろんです。お願いします。数日はスケジュールを空けていますし、いつまでかかっても大丈夫ですので何卒お願いします」
「ご了承いただきありがとうございます。そうしましたら、チューナーのIDを交換させてください。明日中にはどのような対応ができそうかお伝えしますので」
「わかりました。こちらこそありがとうございます」
キリノミヤは隣で大人しくしていたフィズの方へ顔を向けた。
「フィズ、お願いしてもいいですか?」
「あっ、はい。もちろんス」
何故そこだけ任されたのかよくわからないままに、フィズはオシロと連絡先のARタグを交換した。インプラント調律デバイスの固有識別コード以外には何らプライベートな情報を持たないが、これさえあれば簡易的なメッセージのやり取りができる。至ってシンプルなコミュニケーションの形だ。
交換が終わるとキリノミヤはバインダーを片手に質問を始めた。
「コバコから引き継いだ情報ですと以前は会話にも応じていたとのことですが、これは挨拶などでしょうか?」
「いえいえ。決まった言葉を返すようなものではありませんでした。いつも私の話し相手になってくれていて、何かあったときも元気付けてくれたりしていました」
「普段からそばに?」
「ええ、それはもう出かけるときも寝るときも、いつだって一緒に過ごしていました」
「ふむ、まるでパートナーですね。それはいつ頃からですか?」
「いつ頃からでしょうか。幼すぎて記憶が曖昧ですね」
「ちなみに今はおいくつで?」
「今年で21になりますね」
「ふむ、コットンが動かなくなる前後で何か出来事はありましたか?例えば、何かショッキングなことだったり、とてもストレスやプレッシャーがかかることだったり、逆に何か嬉しいことやめでたいことなどは?」
「いえ、特にそういうことはなかったと思いますね」
「ふむふむ…。ところで、コットンの声は男性でしたか?それとも女性でしたか?」
「確か男性…いや…どうだったでしょうか、それもちょっとうまく思い出せないですね…」
オシロは拳を口元に当てて、真剣な面持ちでコットンを見つめた。どうやら本気で思い出せないらしい。
「ご家族やご友人に確認はできますか?」
オシロははっとした顔になった。
「いえ、コットンの声は私にしか聴こえなかったものですので。すみません、お伝えしていませんでしたね」
「なるほど。であれば確認はできませんね。会話の内容としてはどの様なことを?」
「本当に他愛もない日常会話ですよ。特別なことは何も」
「ふむ、例えばそうですね…何か相談に乗ってくれたり、励ましてくれたりするようなことは?」
「勿論ありましたよ。あの頃はなかなかオカリナも上達せず悩んでいましたしね」
「そうだったんですね。オカリナを吹くのはストレスでしたか?」
「とんでもないです。始めたきっかけは母の影響ですが、それでも私自身が上達したいと思っていたから続けたんです」
「お母様の影響と言いますと?」
「私の母も昔オカリナ奏者として活躍していました。私の生まれる前に肺を悪くして演奏はできなくなってしまいましたが、私も母のようになりたいと思ったのがきっかけだったと思います」
「あなたにとっての憧れだったのですね」
「ええ、そうですね。他界してしまったので、母のようになれたかは、わからないままですが…」
オシロは口元を微笑ませつつもしんみりと言い放った。
「では最後に一つお訊きします。もしコットンがまた元通りになったら、最初に何をしたいですか?」
「えっ…」
オシロのつぶやきを後に、ほんの少しだけ、静寂が部屋の中を包み込んだ。
「…えっと…そうですね…。また一緒に暮らしたりとか…すみません、ずっと元通りになってほしいと思ってきただけで、特に、その…何をしたいとかは、考えていませんでしたね」
オシロはおぼつかない口調で言葉を練りつつ発していた。
「何も謝ることではないでしょう。突然固まってしまったら、誰だってとにかく取り戻したいと思うものですから」
キリノミヤは急にあやふやになるオシロにも動じず緩やかな言葉で返した。
「…うーん、そう…です。そう、突然だったので、あまりにも。だからもっと…お別れとかをちゃんと、お礼とかがちゃんと言いたかった、のかも、しれないです」
「なるほど、ありがとうございます。では明日また連絡致しますので、村でお過ごしください」
「はい…。何卒、よろしくお願いします」
オシロはキリノミヤと硬く握手を交わして村の方へと飛んでいった。パーソナルスカイクラフトと呼ばれる一人用の飛空艇だ。どうやらブリーズビレッジにも自分で飛んできたらしい。フィズはホバーボードが好きだがそれとは別にパーソナルスカイクラフトのかっこよさはよく理解できた。
「さて、と」
オシロを見送った二人は改めて工房へ戻り向かい合うようにコットんを挟んで椅子へ深く腰を降ろした。キリノミヤは少々困ったような口ぶりだった。
「もしかしてちょっと厄介なマジックアイテムだったりするんスか?」
キリノミヤは少しだけ間を置いてこれに返した。
「…そもそもこのぬいぐるみはマジックアイテムではありませんね」
「えっ?」
フィズにとってこの言葉は意外だった。であればコットンはどうやって動き回っていたのか、何を根拠に結論づけたのか、何故依頼を受けたのか、何故それを伝えなかったのか、いや何よりも…
「それっていつ気づいたんスか?さっきのやり取りの間にもう気づいてたんスか?」
「彼がフィズと連絡先を交換したあたりですね」
フィズは記憶を辿った。連絡先を交換したのはキリノミヤが質問を始める前だったはずだ。
「…つまり…どういうことっスか?」
「フィズはまだ知らないことが多いですからね、一つずつ順を追ってお話しましょう」
「ありがとうございます」
「まず、魔術には記述型と詠唱型の二つの発動形式があります」
「ふむ?」
「詠唱と聞いてイメージするものはなんですか?」
「やっぱ呪文とかっスかね?」
「ですね。重要なのは術者がアクティブな状態であることです。ここから転じてリアルタイムに術者のコントロールによって発動している形式の魔術を詠唱型と呼んでいます。呪文を唱えている必要はありません」
「ふーむ…」
フィズがあまり実感が湧いていない様子を見つつも、キリノミヤは続けた。
「一方で術者の制御が必要ない発動形式の魔術を記述型と呼んでいます。封印術や結界術、呪術などがこれに当たります。勿論例外はありますけどね」
「じゃあ例えば、この色覚補正メガネは記述型ってことっスか?」
「いい例ですね。そういうことです。予め設定されただけの魔術を術者に関係なく発動し続けるので典型的な記述型ですね」
「そうすると微笑みの小瓶も?」
「はい。あれも特殊なネットワークから検知した信号をもとに発光するように記述されたアイテムです」
ここでフィズは気づいた。
「あれ、てことは大抵のマジックアイテムって記述型なんでは?」
「そういうことです。ただ、機能の複雑なものは例外になることもあります」
「複雑な機能…?」
「フィズの詳しいホバーボードがいい例ですね。あれも基本的には浮遊する機能だけですが、本格的にやっているような人はもっと色々自分で制御していたと思います」
確かに人生を注ぐほどにやり込んでいるホバーボーダーはコンディションに合わせたチューニングだけでなく、リアルタイムで出力制御をしているとフィズも聞いたことがあった。
「その場合は詠唱型になるんスか?」
「その場合は詠唱型の魔術で記述型の魔術に干渉しコントロールしていると言えますね」
「ふむむ…」
キリノミヤは続けた。
「さて、ではコットンはどちらの形式の魔術で機能していたと思いますか?」
「え、普通に記述型じゃないんスか?」
ここまでの話を聞く限り記述型にしか思えなかったが、言った直後にフィズは何か意図があることに気づいた。
「じゃないんスね?」
「ええ。最初に彼が話していたようにこのぬいぐるみには魔法がかかっていません。また、動くための関節や動力、会話に必要なセンサや自然言語処理に必要な魔導回路も何も入っていません」
「えぇ…でも、だとしたら、誰かが腹話術みたいにコットンをコントロールしてたってことっスか?」
「そういうことになります」
「そんな、誰がそんなこと…」
フィズは少しだけゾッとした。語りかけている相手が実は他の誰かで、しかもパッタリとそのごっこ遊びをやめてしまったなんて、嫌な話だ。例え親しい仲や家族だったとしても…家族…?
「そういえばオシロさん…お母さんはもう亡くなったって…」
フィズは突然、なんだかとても嫌な予感がしてきた。しかしキリノミヤは冷静に返した。
「あなたが今予想していることはきっと違うと思いますよ。彼はコットンが動かなくなる前後で特に大きな出来事はなかったと言っていましたから」
確かにそんな質問もしていた。しかしそうすると一体誰がコットンを動かしていたのか、フィズは本当にわからなかった。
「キリノミヤさんは誰が動かしていたかもうわかってるんスよね?」
「はい」
キリノミヤはにこやかに答えた。
「私にはさっぱりっス。教えてください」
「まぁ無理もないでしょう。私の見解ではコットンを動かしていたのはオシロ自身です」
「むむむ?…でもオシロさんは…」
フィズは少し混乱した。オシロの声色は本気でコットンとの再開を期待していたし、嘘をついているものではなかった。
「ええ、彼は嘘をついていないですよ。言うなれば無意識というやつですね。魔力適性のある者は無意識に魔術を行使してしまうことがある、という話は覚えていますか?」
「師匠が自転車に魔法をかけてしまったって話っスよね。覚えてるっス。じゃあ今回のもオシロさんが無自覚にコットンに魔法を?」
「端的に言ってしまえばそういうことになります。しかし彼の場合は自然言語にも対応できる詠唱型の魔術だった。そしてその詠唱型魔法の暴発は満十歳で利用が認められる魔力出力制御補助インプラント調律デバイスの埋め込みにより抑制されるようになった」
「結果、突然コットンは動けなくなった…」
確かに辻褄は合うしフィズにも納得できるメカニズムだった。しかしどうにもスッキリとはしない。心の真ん中にもやもやしたものが残る気分だった。
「オシロさんは…なんで無意識にコットンを生み出したんでしょうか…」
「それ自体はさほど珍しいことではないんですよ」
「と、いいますと?」
キリノミヤはコットンを見つめて続けた。
「あまり実感が沸かないかもしれませんが、人間は幼い段階では空想と現実の区別が付きません。その区別が付き始めるのは凡そ六歳前後と言われています」
「そんなに長く?」
「まぁ諸説ありますけどね。そして彼らにとってぬいぐるみや人形が空想と現実の仲介役となることもよくあります」
「仲介役、ですか?」
「ぬいぐるみは物理的に現実に実在していますが、幼児にとっては意識の宿る空想の世界の住人でもあるという中間的な存在として認識されるんです」
「正直なんだかよくわかんないっス」
「平たく言うと、ぬいぐるみが喋っているように感じることは誰にでもありえるという話です」
「ふーむ」
フィズにはまるで実感が沸かなかったが、確かに施設にいた頃にも、ずっと人形を抱きかかえて生活する子や会話するように話しかけている子は記憶にあった。
「でもそうすると魔力適正ある人はみんな幼い頃人形を動かしているんでは?」
「いい着眼点ですね。ですが、魔術を行使するためには明確で論理的な命令をイメージする必要があります。これが無意識にできる頃には、普通は空想の世界や住人を忘れているんです。六歳を超えても空想に逃げ続けるのは現実で何か精神的ストレスになる要因がある方ぐらいでしょうね」
フィズはオシロが当時オカリナが上達しないことに悩んでいたと話していたことを思い出した。彼自身は好きでオカリナを練習していると言っていたしそれは嘘ではなかったようだが、きっと母親のことなどを無意識に背負い込んでしまっていたのだろう。
「つまり、それぞれはよくあるケースでも重なって作用し合ったことでレアケースになったってことっスかね」
「つまりそういうことですね」
「ふむ…」
フィズは何故キリノミヤが気が重そうにしているのか理解し始めていた。
「でもそれって、どう伝えるのがいいんスかね…」
幼い頃の親友が、自分を励まし支えてくれた親友が、ただの個人的妄想だったと言われたら、どんな気持ちになるだろうか…。
「そこが難しいところですね。最後にした質問を覚えていますか?」
「なんでしたっけ」
「もしまた会えたら何をしたいか?という質問です」
「あー、してたっスね。お別れとかお礼が言いたいみたいに言ってたっスね」
「はい。つまるところ彼の依頼の先にある希望はそこにあります。ですから、代わりを用意したり、細工をしてまた動くようにしても意味がないのだと思います」
「ふむ確かに」
フィズは言われるまでそんな発想はなかったが、確かに純粋に依頼内容だけ見れば新しく動く仕組みを作ってしまったり、チューナーの設定を変えてしまったりすればなんとでも対応はできそうだった。しかしそれはおそらくオシロの望みではない。
「ひとまず明日は動いていた原理の説明と可能な対応をいくつか提案しましょう」
「言っちゃうんスね。オシロさんが自分で動かしてたって」
フィズはやっぱり気が引けた。
「私は彼がそれを受け止められない方のようには見えませんでした」
「それはそうっスけど…」
「人を思いやる気持ちは大切ですが、それは人を見下さない範囲であるべきだと思います。嘘や誤魔化しはむしろ失礼でしょう」
フィズはキリノミヤの言葉がすぐには飲み込めなかった。失礼という意味もピンとこなかったし、見下しているつもりもなかった。
翌日、オシロは指定した時間ぴったりに工房にやってきた。うまく言葉が選べず、結局フィズは時間の連絡しかメッセージに書けなかった。オシロは昨日と変わらず、期待の色を声に宿したままだった。テーブルにコットンを置いたまま、キリノミヤは話を切り出した。
「まずコットンに関していくつかわかったことからお伝えします」
「お願いします」
「結論から言いますと、コットンはオシロさんの魔術により動いていました」
「私の魔術?」
オシロはまるで話がつかめなかった。
「魔力適正のある方は無意識に魔術を行使してしまうことがあります。コットンに関しても、あなたが自覚のないまま魔術で動かしていたようです」
「そんな…何年も、ずっと…?」
「はい」
オシロは目を丸くしてキリノミヤやコットンに目を泳がせた。
「何か、根拠のようなものは、ありますか?」
「はい。まずコットンには技術的にも魔術的にもなんの仕掛けもありません。したがって常にそばにいた何者かが魔術によって操っていたことになります」
オシロが真剣な面持ちでうなずくのを見つつ、キリノミヤは続けた。
「次にコットンは音声などは出さず、あなたとだけ会話をしていました。つまりあなたの頭の中でのみ受け答えが構築されていたとすればとても自然です。そして最後に、動かなくなったタイミングです」
「タイミング…」
「おそらくチューナーの埋め込みの後から、コットンは動かなくなってしまったのでは?」
「そう言えば…確かにそうです!隣町の総合病院でチューナーの埋め込み施術をしてから、その後からでした!でも、どうして…」
「チューナーは今でこそ便利な通信用インプラントとして認識されていますが、本来の役割は魔術の暴発の抑制です」
「魔術の…暴発…?」
「無意識に魔術を使ってしまうことです。何も家を燃やしたり誰かを吹き飛ばしたりするような魔法に限りません。ぬいぐるみを動かす魔術も当てはまります」
「なるほど…」
オシロはショックで落ち込むというより、ただただ唖然としていた。その様子を見つつもキリノミヤは話を続けた。
「そしてもう一つわかったのは、コットンの製作者です」
「え、はぁ…」
オシロに悪気はなかったが、気の抜けた返答しかできなかった。この魔導具技師には悪いが、正直なところ誰が作ったなんて全く興味が持てないし、どうでもいいことだった。特に何も細工もないのであれば尚更だ。
「念のため中を確認してみたところ、この様な布が入っていました」
隣にいたフィズがテーブルに取り出したのは小さな白い布片で、そこには赤い糸で短く文字が縫い付けられていた。
"あなたの音を奏でなさい ビブロ"
「母さんだ…」
オシロは急に、胸の奥が締め付けられるような感覚に襲われた。まさかここで亡き母親からのメッセージが出てくるとは思っていなかった。
「ビブロというのはあなたのお母様なのですね」
「はい…」
オシロは震える声で短く答えた。短い言葉だが、それでも彼にはとても深く響くものがあった。ずっとずっと、母親のようになりたいと思っていた。ずっとずっと、母親のようにならなくてはと、思い続けてきた。そんな風に自分を責め、追い込んでいたことを、母は最初から知っていたのだ。
「母は…」
オシロは布片を見つめつつ、自分に言い聞かせるように語りだした。
「母は、いつも私に、優しかったんです。でも、当時の私にはそれが辛くて、悔しかったんです。このメモみたいな言葉だって、生前も言ってくれていました。でも、私はそれが見放されているように、諦められているように聴こえてしまって、素直に母の言葉を受け取ることができなくなっていました…」
キリノミヤとフィズはただただ静かにオシロの言葉を待ち、聞き届けていた。彼は次第に落ち着きを取り戻し、再び目に活力を蘇らせていた。
「コットンの魂は幻でしたけど、母が私に当てていた優しさは、本心だったみたいですね」
オシロは大事そうにコットンをアタッシュケースに戻すと、深々と感謝を述べた。
「本当に、ありがとうございました!とりあえずこれからすぐ母の墓参りに行こうと思います」
「なんだかあれでよかったみたいっスね」
後半勝手に元気になり颯爽と去っていったオシロが晴れ渡った青空に小さく消えてゆくのを、フィズとキリノミヤはぼんやりと立ち尽くして見守っていた。本当はいくつか対応を提案するつもりだったが、そのタイミングすらなかった。
「完全にお母様のメモに救われましたね」
「アレ出す直前の表情、虚無感の塊でしたもんね」
引き受けたのは修理依頼なのに何一つ修理はしていないが、それでもオシロの顔つきを見ていると、重要なところはそこではないということが、フィズにも理解できた。結局、オシロを追い込んでいたのは彼自身で、母親からの愛を捻じ曲げてしまっていたのも彼自身だった。彼は母親からのメモ一つでそれに気づき、勝手に救われて帰っていった。彼の意志も聴かず、何かしてあげようとか、何がしてあげられるかとかいう発想は、その時点でおこがましかったのかもしれない。フィズにはキリノミヤの言った"見下す"という言葉の意味が少しだけわかった気がして、少し自分に嫌気が差した。
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