第7話 指定聖域区画内における流星群観測直後の低マナ隕石の捜索及び回収作業について
草原の夜はよく冷え込む。冷たく吹き続ける風に体温を持っていかれないように、フィズとキリノミヤは肩から毛布を被ってテラスの椅子に腰を掛けていた。隣り合って見つめるのは夜空を刹那に描く数多の流れ星。夜空というスケールのキャンバスを次々に輝いては消えてゆく。フィズも流星群という言葉は聴いたことがあったが、眺めるのは初めてだし仕組みも言葉の意味もよくわからなかった。ただ綺麗だということはとてもよくわかったし、それで十分だった。
「綺麗なもんっスね」
フィズは目をなるべく夜空に向けたままテーブルのタンブラーに手を伸ばした。
「フィズは流星が何故光るかはご存知ですか?」
「宇宙から飛んできた小さい石とかが空気とぶつかって光ってるんスよね?」
「そうですね。では何故こんなにたくさん落ちてきているかはわかりますか?」
「それがわからないっス。あとなんで今日ってわかってたのかも謎っス」
「実は流星群には彗星という天体が関係しています」
「それも聴いたことはあるっスね。そのぐらいなんスけど」
キリノミヤはタンブラーを手に取ると彗星の説明を始めた。
「天体にもいくつも種類があって、我々が住んでいるのが惑星です。惑星は公転運動と言って、太陽のような恒星の周りを円軌道で回っています。」
縁の円形を指でなぞりながらキリノミヤは説明を続けた。
「一方で彗星というのはこの外から飛んできて楕円軌道を描くように中心へ近づいたり遠ざかったりする天体のことです」
今度はタンブラーの斜め上から指を近づけターンするようにまた元の方向へ指先で軌道を描いた。
「彗星は大小様々な岩石を撒きながら飛んでいるので、彗星独自の楕円軌道とこの惑星の公転軌道とが交わるタイミングで、毎年たくさんの塵や岩石がこの惑星とぶつかるというわけです」
「………???」
暗がりの中でも話について来れていないフィズの表情は伝わってきた。
「例えを変えましょう。フィズは今工房の作業台の周りをぐるぐる歩いているとします」
「ふむ?」
「たまに私が外から出入りする付近だけ砂が散らばっている状態です。そうすると作業台の周りを歩き続けているフィズは、毎回同じ出入り口付近で砂を踏むことになりますね」
「ふーむ。つまり、まさに今この星はたくさん砂が落ちてる場所を踏みながら歩いてて、その場所を通り過ぎる時期もわかってたってことっスね」
「そういうことです」
フィズはズビズビと小さく音を立ててココアを口に流し込んだ。淹れてからしばらく経つのに程よい温度で保たれている。きっとこのタンブラーにも何か魔術的細工があるのだろう。
「何か言いたげですね」
言いかけて開いた口をココア塞いだのは、キリノミヤには見透かされたようだった。
「…師匠ってなんでそんな色々知ってるんスか?」
「そうですね…」
暗がりの中でも、キリノミヤの口元がわずかにほころんだのがフィズには伝わった。
「おしゃべりで物知りな師匠と、長く一緒にいたせいですかね」
「ほへー…」
自分の師匠のさらに師匠という存在を、フィズはこれまであまり意識したことはなかった。キリノミヤに色々なことを話して教えたのは、一体どんな人だったのだろう。彼がフィズに流星群について教えてくれたように、彼の師匠も彼に流星群の話をしたのだろうか。昔どこかで、こうして隣り合って、星降る夜空を見上げていたのだろうか…。
「さて、いつまでも見ていたいところですが、そろそろ明日に備えましょう」
「明日?」
「はい。運が良ければ明日、あれを回収しに行きます」
フィズは何も聞かされていなかったが、キリノミヤの言い出す突拍子もない事には少しづつ、胸が躍るようになっていた。
『コレヨリ先 指定聖域区画ニツキ 立入禁止』
村の中心部からずっと続くフェンスには、定期的にそんな文言の書かれたプレートが括り付けられていた。気になってはいたものの特に誰かに訊いたりせずにいたフィズだが、その内側へ装甲ホバークラフトで乗り込むとあっては尋ねずにはいられない。その荷台に連装ミサイルランチャー地味た装置が載っていれば尚更だ。
「これって、入って大丈夫なんスか?」
すでに指定聖域区画と呼ばれるエリアを滑るように進むホバークラフトの車内で、フィズは一応訊いておいた。魔術式の浮遊機関はとても静かで揺れも少なく、ゴツい見た目に反し思いの外快適だった。
「実のところ、このあたりはもう浄化作業が完了しています。目的地周辺まで行くと危険な領域もありますが、すでに安全なルートを作ってあります」
「危険?なんか掟的なもので入れないんだと思ってたっス」
「それも間違いではありませんね。危険だったので閉鎖し、立入禁止にしました。」
フィズは危険と言われて改めて外を見回してみたが、やはり一面に背の低い草原が広がるだけだった。
「…危険そうなものは見えないでしょう?」
キリノミヤはフィズの様子を見て声をかけ、そして続けた。
「見えないからこそ厄介なんです。例えるなら地雷のようなものですね」
「えっ…」
地雷というキーワードが頭に入った途端に、フィズはこの草原の上にいることがとてつもなく怖ろしくなった。
「爆発物が地面に埋まっているわけではないのでそこはご安心を。ただこの区画内ではその危機感を忘れないでください」
「っス…」
「少し具体的な話をしておくと、この区画にはネガアーティファクトという魔力的変質座標が点在しています。これは不規則な精神干渉魔力波を発生させていて、主に思考力や認知機能を阻害します」
「ふむ…?」
聞き慣れない単語がなだれ込んできてフィズの頭は少しばかり混乱した。
「平たく言うと幻覚を見やすくなります」
「ふむふむ…それって危険っスか?」
それのどこが危険なのか、フィズにはあまり実感がわかなかった。実際に幻覚を見たことはないが、地雷で足が吹き飛ぶよりずっとマシなはずだ。
「とても危険です。幻覚と聴くと現実にはありえない異常なものを見るようなイメージを持つかもしれませんが、何もそれに限った話ではありません。例えば今こうして突き進んでいる草原も、本当は雪原かもしれません」
「それは…うーむ、なるほど…」
フィズはやっと意味がわかってきた。
「つまり、もし私の見ている景色とか肌で感じる温度とかが幻だとしたら、雪原の上にいるわけがないって言えなくなってくるんスね」
「そういうことになります。基本的に人間は認知を通して実世界に暮らしています。その認知機能が狂うということは現実から追放されるも同然なんです」
広大すぎる草原の中で幻の世界に引き寄せられてしまったらと考えると、このエリアを封鎖する必要性はフィズにも納得がいった。
「ところで、隕石なんて拾ってどうするんスか?確かに珍しそうっスけど」
「希少価値も高いですが、マジックアイテムの材料としても非常に高い利用価値があります。いい機会ですのでその所以であるマナについてもお伝えしておきましょう」
「ふむ」
キリノミヤは言葉の順を組み立てるように一呼吸おいて、それから話し始めた。
「先日魔力についてお話しましたが、質量がエネルギーと等価とお伝えしたのを覚えていますか?」
「覚えてるっス。えっと確か質量が消失してできたエネルギーを魔力って呼んでたんスよね」
「はい。よく覚えていますね。しかし実のところこれは厳密に言うと少し誤った表現になります」
「むむ」
「研究が進むに連れて同じ質量でも取り出せるエネルギーが異なるケースが確認されたんです。当然ながら当時の研究者たちにはさっぱりでした。そこである仮説を立てます。それが先程名前を出したマナです。ちなみにフィズはマナがどんなものだと予想しますか?」
「うえっ、流石にわかんないっスけど」
急な無茶振りに驚きつつも真剣に話を聴いていて考えを巡らせているフィズのことを、キリノミヤは見守った。
「…質量が当てにならないから代わりに作ったポイント?的なやつっスかね」
「ほぼ正解です。フィズは自分なりに考えつつ話を聴いてくれるところがいいですね」
「っス」
いつだって褒めてくれていたはずなのに、フィズは照れくさそうに生返事をこぼした。
「マナとは物質の持つ残り時間のようなものです。同じ質量でもマナが少なければ完全消失までの時間は短く、取り出せるエネルギーも少なくなります」
「ふむふむ。てことはえーっと、ん?…でも消失しかけてたら重さも軽くなるんじゃないんスか?」
「そこがイメージしづらいところなのですが、消失寸前でも消失まで程遠くても質量は変わらないんです」
「ほおー」
フィズは勝手にだんだん透明になっていくようなイメージを頭に描いていた。
「だいたいみなさん薄くなっていくイメージを抱いていますね。ただ実際には物体ではなく原子レベルの消失ですのでイメージしろという方が無理になります」
「そんで、そのマナと隕石にどういう関係が?」
「そこですね。実は物質の消失速度は周囲に物質のない環境のほうが速くなる傾向があります。つまり大気圏内より宇宙空間の方が急速にマナが低下していくんです」
「そうすると、これから拾う隕石は普通の石よりマナが少ないってことっスか?」
「そういうことです」
「でもそんな死にかけみたいな石何に使えるんスか?普通よりマナが多いならまだ使い道ありそうっスけど」
「死にかけというのは面白い表現ですね。使い道というのは人間が生み出すものです。どんなものにも、とまでは言いませんがこの世界の大体のものには使い道を与えることができます。活かすも殺すも人間次第ですし、それすら人間にとっての価値観でしかありません」
「ふーむ」
「まぁ今はまだ実感の沸かない話かもしれませんね」
魔導具技師という仕事は本当に奥深い。昨晩の時点では何故キリノミヤが天体にまで知識を持っているのか疑問だったフィズも、あらゆる知識がマジックアイテムの制作に活用できることに気づき始めていた。
「魔導具技師って色々知っとくこと多いっスねー」
「マジックアイテムは基本的に魔術を扱うもので、魔術は魔力を扱うものです。そして魔力は物質から得られるもので、実世界は物質で構成されています。したがって極端なことを言うと、マジックアイテムを考えることは実世界を考えることに繋がってくるんです」
「ふむー。色々知っておきたいっスけど私の頭じゃ時間かかりそうっスねー」
「最初からすべてを知った上で取り掛かる必要はありませんよ。むしろ何も知らずにトライするべきです」
「それって結構危ないんでは?」
キリノミヤはちらりとフィズに顔を向けて言った。
「そのために私がいます」
「なるほど」
キリノミヤのセリフには強い自信を感じたし、それがフィズには何より心強かった。
「生物の脳は自身の経験から学習します。文明の発達により人間は記録からの追体験も可能になりましたが、それでも経験から学ぶというその根本は揺るぎません。したがって自身で体感し、観察し、考察し、発見することが何よりの近道なのだと思います。そして、そうして蓄積された知識は決して裏切りません。今はピンとこない話かもしれませんが、是非ためらいなく色々なことにトライしてみてください」
「ふむほむ…。でもそれって、すごく時間かかりません?」
「時間をかけるんです。いくらでも時間をかけていいんです。魔導具技師というのは時間をかけて手に入れた知識はすべて活かせるのですから」
「なるほど」
"時間をかける"という言葉は少しずつ、本当に少しずつ反響して、フィズの頭の中に小さく残った。
工房を出発してから2時間ほど経った頃、キリノミヤはホバークラフトを地に降ろした。途中迂回ルートを辿ったとはいえそれなりの距離を進んだはずなのに、遥か遠くにそびえる建造物は霞んだままで、見える大きさの変化はまるでわからない。
「このあたりですね」
何がこのあたりなのかさっぱりわからないままフィズはホバークラフトを降りて大きく伸びをした。例え話と説明を受けても、地雷というワードはどうしても頭をよぎる。そんなフィズを横目に、キリノミヤは荷台の木箱に梱包してあった機材を手早く組み立て始めていた。
「ここを中心に手分けして探査して行きましょう。機材の説明をします。こちらへ」
キリノミヤが用意していたのは先端に白いリングの付いた棒状の機材で、腕にあてがってグリップを持つと丁度リングが地面を撫でるような角度に調整されていた。機材からは一本のケーブルが伸びていてヘッドフォンに繋がっている。
「これはマルチ探知器。設定次第で色々なものを触れずに探知することができます。今回は隕石の回収が目的なので主に磁界の干渉、硬度、魔力の強さを設定してあります。先日ぬいぐるみに使っていた魔導具のしっかりしたものになりますね」
フィズはコットンを調べるときにキリノミヤがリング状の道具をあてがっているのを思い出した。
「ふむ。こっちのヘッドフォンで知らせてくれるってことッスか?」
「そういうことです。試してみましょう。耳につけたら左側についてるボタンを押してみてください」
フィズが手探りでボタンを押すとそれまで聞こえていた風の音や草のざわめきがぱったりと一切何も聞こえなくなった。代わりに何やら低くて小さな音がずっと鳴り続けている。目の前にしゃがんでいたキリノミヤが足元に探知機をかざすようにジェスチャで伝えている。指差す先へ探知機をかざすとすぐに音は大きくなり少し高い音に変化した。何となく理解したフィズはボタンを押してヘッドフォンを外した。
「大体わかったッス。音を聞きながら草原を歩いて探せばいいんスね」
「はい。今のはただの金属ですので、実際はもう少し波打つようなうねる音になると思います。とはいえ何か見つけ次第これを吹いてください。私が向かいます」
そう言ってキリノミヤが首にかけてきたのは厚みのある四角いプレート状の笛だった。
「その笛は私にだけ聴こえる音を鳴らします。どんなに離れていても届きます」
「ッス。了解ッス師匠」
無限にも思えるほど広大な草原で、フィズにとってこの笛の存在は大きかった。
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