第11話 低圧斥力放射ホログラム魔術による浮場形成と力学的平衡状態の検討について
キリノミヤからコバコの生い立ちを聞いたフィズは、腑に落ちない気分を抱えつつも翌日から魔導回路の実験を再開した。
ポケットから木片を取り出し、コバコの引いたブレ1つない対角線とその交点をまじまじと見つめる。確かに1点で物を支えるのは無理がある。2点でも無理だ。3点なら……。
「行ける……けど……」
親指、人差し指、中指の上に木片を乗せてみると安定することは確認できた。しかし、これではこの大きさ、この重さ、この形状の物体を浮かせることしかできない。ならいっそ無数の点を等間隔に配置してしまえば確実だろうか……。
フィズは上体を捻って右手側に置いておいた紙にメモ書きを始めた。まずは図に整理する。100ミリ×100ミリの平面を想定して10ミリ間隔で力の加わる点を発生させる場合、単純計算で今試作している回路を100個作る必要がある。複雑なものではなく使っている素子も多くはないが、それにしたって気が引ける。まして成功するかもわからないのだ。
フィズはさらにスケッチに情報を書き加えていった。"連なり"属性で点ではなく線で力を加えられないだろうか。"放ち"の出力を半減させ格子状に配置すれば、線同士の交わる点に働く力は同じにできそうなイメージにはなる。その場合、線は縦横で計20本。フィズはパラパラと過去の実験のメモ書きを漁った。"連なり"の素子を使って直線を形成するには始点と終点の指定が必要なので概算で計40個の回路を作る必要がある。あくまでも概算なので当然今より複雑な回路になる。半分以下にはなったがまだ多い。
「んー……」
「だいぶイメージができるようになりましたね」
メモ書きを睨み唸っていると背後からキリノミヤが声をかけてきた。
「うーん。そうなんスかね」
「以前、時間をかけ積極的に試すべきとお伝えしたのは覚えていますか?」
「え、あっ」
フィズは言われてハッとした。確かにいつの間にか、実験の手は止まってしまったままだった。
「いえ、それでいいんです。きっと今フィズは、頭の中で色々と試しているのでは?」
「あ、はい。そっス。手は止まってても、それでもいいってことっスか?」
「とても大切なことです。手を動かしていても、頭が止まっていては何も進展はないでしょう。手を動かして経験を積んだからこそ、頭の中でそれが試せるようになったのだと思いますよ」
「なるほど」
ですが、とキリノミヤは続けた。
「逆に言えばまだ知らないことは、頭を動かし考えを巡らせてもなかなか辿り着けないものです」
そう言いつつキリノミヤは1つ素子をフィズに手渡した。
「フィズは今、同じ回路を複数作る必要性に気づき、その代替案に悩んでいるのでは?」
メモ書きが見えているとはいえ、そこまで理解されていることがフィズは嬉しかった。渡された素子に書かれたコードを読み、データシートを漁った。これも工房の棚に紙媒体で詰め込まれているが、チューナーからアクセスできるデータベースの方が検索性も優れている。フィズはデータシートのARウィンドウをメモ書き付近に並べた。
「……"疎ら"?」
7つの属性でも特に実感が湧かず、1番わけのわからなかったものだった。
「"疎ら"とは即ち拡散や分配を司る属性です。魔術では音響や腐食など主に広域の空間に作用する属性ですが、魔導回路では今回のように同一の構成が複数必要な際にも非常に重宝します」
「これは確かに知らなかったっス……」
フィズは黙々と素子のデータシートを読み進めた。数日前までは本当に1つも意味が分からず一生理解できる気さえしなかった。しかし、わからないなりにいくつか眺めていると使われている単語はそう多くないし、フォーマットは統一されているようで注目すべきポイントは絞れてきた。キリノミヤは全てをわかった状態で始める必要はないと言っていたが、確かに全体像が見えていて必要なとき必要な部分だけ読み取ることができればそれで事足りそうだった。
「作ってみたっス……」
ほとんど原型が残っていないが、フィズは小一時間程かけて"疎ら"の素子を主軸とした回路構成を組み上げた。現行の実験にいきなり取り入れるべきではなかったと途中で薄々気づいたが、作ってしまったものは仕方がない。木片をガントレットの上に置き、実験用のスイッチを入れた。
木片はまっすぐスルスルと浮かんでいき、20cmほどの高さまで浮かび上がるとコロリと落下した。
作業台へ落ちた木片に二人分の視線が当てられ、妙な沈黙が流れた。ガントレットの上に手をかがすと軽く均等に押されている感覚があり、少し気流もできているようだった。
「バランスは保てていたようでしたね」
「言われてみればそっスね。落ちるまで回転はしてなかったっス」
「次の課題は何だと思いますか?」
「うーん。どんどん上に浮いて行っちゃったことっスかね。出力はそんなに強くないんで5cmぐらいで留まるイメージだったんスけど。」
「それに関しては……そうですね。昨日確か"保ち"で浮いた状態をキープすると言っていたかと思いますが、今の回路構成で何をキープしているかを考え直してみるといいかもしれません」
「何を?」
フィズは試作した魔導回路を目で追って言葉にした。
「力の加わった状態?ってことでいいんじゃないんスか?」
「ふむ、なるほど」
キリノミヤは話を組み立てるように一呼吸置いて話し始めた。
「運動の第3法則は覚えていますか?」
「初耳っス」
「では作用反作用の法則というのは?」
「それは基礎課程でやったっスね」
「では大丈夫。それのことです。そのときこのような図を見ませんでしたか?」
キリノミヤはフィズのメモ書きの空きスペースに図を書いた。地面に四角形が乗っていて、接地面と四角形の中心から矢印を付け足す。
「あー、やったっス」
「この図は物体が重力で下向きに引かれる力と地面が物体を支える力の釣り合いを示しています。さて、この釣り合いが崩れた場合をイメージしましょう。物体を上向きに押し上げる矢印のほうが大きくなったら物体はどうなると思いますか?」
「浮き上がる?」
「どこまで?」
「……どこまで???」
フィズは眉間にしわを寄せて図を見つめた。上に押し続けるというのは要するに、手のひらに木片を置いてどんどん高さを上げていくだけのこと、つまり……。
「ずっと!?」
「ずっとですね」
フィズはなんとなく加える力が弱ければ適当なところで止まると思い込んでいた。魔法以前の話である。
「もちろん現実には永久に力が働き続けるわけではないのですが、諸々を省いた力学的な話をするとそういうことになります。では5cm程度で留めるにはどんな改良が考えられますか?」
「んー……有効距離を設定するとかっスかね」
「試してみましょう」
有効距離の設定は以前に別の実験で使ったことがあった。こういう場合にも"連なり"を活用するのがセオリーだそうだ。曰く、束ね紡ぎ手繰り寄せる属性らしい。
改良を施し終わったフィズは早速スイッチを入れた。
木片は計算通り5cm程度でバランスを保ち浮遊した。が、徐々に横へと滑るように動いていき落下した。
「高さの調整はうまく行ったようですね」
「でもなんかすっごい滑るんスけど……」
「摩擦力という話も覚えていますか?」
「あ、あー……なるほど。うーむ……」
キリノミヤは再びガントレットの中央に木片を置き、傾けてみせた。木片はスルスルと滑っていく。浮いているのだから摩擦はないのだ。当初の目標としては達成しているのだからここで切り上げてしまうのもありだろう。細かいことを言い出せば際限がない気もしている。ただ、根拠はないがあとほんのもう一歩というところまで来ている感覚が、フィズにはあった。
頭の中で氷の土台をイメージする。止まっていればそれでいい。しかし少し風が吹いただけで上に立つフィズは滑り始めてしまう。向かう先は変えられない……。
「……いや、違う」
フィズが今作りだしているのは土台だ。さっきキリノミヤは土台を傾けて意図的に木片を滑らせてみせた。つまり向かう先は制御できる。中央に滑らせれば、安定する。
「平面じゃなくて曲面。つまりあえて"歪み"を付与する……とか」
言ってから振り向くと、背後で見守っていたキリノミヤは柔らかい表情で静かにうなずいた。「試してみましょう」と言っているように、フィズには思えた。どこまでも先が見えていても、たぶんこの師匠はそう言うのだ。
スイッチを入れると木片は浮かび上がり、そして安定した。
「……っス!」
「上出来です。よくそこに思い当たりましたね。」
「もっと知識あったら、動きを検知して出力を制御したりってできると思うんスけど。今の私にはこれが妥協点っス」
「いえ、複雑で手が込んでいて、難しい技術を使っているほどいいマジックアイテムかと言うと、そういうものではないんですよ」
「そうなんスか?」
「はい。細かく状態を測定しそれに応じて出力を制御することももちろん可能です。しかし、扱う情報が増え複雑になるほど、考慮すべきことも膨れ上がり、設計での抜け漏れや見落としもでやすくなるものです。また一般に、使うパーツが増えるほど故障の確率も上がります」
「ふーむ、なるほど」
「今はまだあまり実感の湧く話ではないかもしれませんが、細かいことに頭を悩ませているとなかなか気づけないことも多いんです。法則性に気づき活用することで仕組みをシンプルにできるというケースは、今後もたくさん出てきます。何事も安定した落とし所があり、落ち着くべくして落ち着く。そういった自然の摂理のようなものを意識していけるといいでしょう」
確かに逐一様子をうかがって調整するより、大雑把で捉えやすいというのはフィズにも実感が湧いた。
「少し補足をしておくと、今回試作したメカニズムをそのままひっくり返せば、フィズのホバーボードにも使われているフロートドライヴと同じものが出来上がります」
「エッ!」
「もちろん安定性能や積載量に応じた制御などそう単純なものではないですけどね。一方で先日乗った装甲ホバークラフトは有効距離ではなく、高周波の斥力放射で悪路走破性能と推進効率を向上させています。また、オシロの乗っていたパーソナルスカイクラフトでは、重力そのものに直接作用する全く仕組みの異なる魔導機関が使われています」
「そんなに色々あるんスか」
「伝えておきたいのはそこです。実現したいことが同じでも、そのための魔術は人の数だけあります。最適解はあっても、正解はないと、私はそう考えています」
実験に区切りがついたフィズは、1人作業台を整理し、ゆったりと実験のメモ書きを見返し始めた。
"落ち着くべくして落ち着く、落とし所"。こんな残し方ではまるで放っておけば勝手にいい感じになるみたいじゃないか。"法則性を活用→仕組みをシンプルに"と書き加えてふと、タンクの言った「あんたが来てくれた」という言葉を思い出した。それはつまり、状況が流れるままに流れ着いて、落ち着いてしまった。ということなのだろうか。誰かが何かアクションを起こさない限り、ずっとこのままの状況が続くような気はする。誰一人腑に落ちていないこの状況が。確かに落とし所というのはあるのだろうが、それが誰かにとって都合がいいかはまた別の話なのかもしれない。しかしだとすると、目指すべき理想的な状態ってなんだろうか。
フィズは無意識に、木片をポケットに戻した。
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