第9話 精神ノイズ抑制を目的とした理髪用鋏の試作と評価試験について
「どうっスかね師匠」
作業台に工具を置いてフィズが振り向くと、背後で立っていたキリノミヤは腕を組んだまま問いかけを返した。
「今度はどういった回路を?」
「ものを浮かせる回路を考えてみたっス」
「どうやって浮かせる策ですか?」
「えっと、"放ち"で物体の重さと同じ力を加えて、"保ち"でそれを維持するイメージっス」
実験に明け暮れること数日、フィズには少しだけ魔導回路の構築がわかり始めていた。まず引き起こしたい現象をイメージする。なるべく具体的に、抜け漏れなく、順を追って。そしてその現象を属性で言い表す。不思議なもので一見して複雑そうな現象でも分解して考えていくと、たった7つの属性の組み合わせである程度表現できた。そしてあとはその流れに沿って素子を並べていく。
「ん。とりあえずやってみましょう」
キリノミヤはフィズの作った回路というよりもフィズの目を見ているようだった。
フィズが回路を起動するとガントレットの上に置かれたネジがころりと寝返りを打った。そしてそのまま何も起こらなかった。
「力は加わったようですね」
「んー、でも思ってたのと違うっス。もっと宙にプカプカして欲しんスよね」
「思ってた現象との違いを洗い出してみましょう」
「理想は5センチぐらい浮き上がってその高さをキープで。今のはネジが転がって終わったっス」
「そこに違いができる原因はなんでしょうか」
「んー…。バランス?っていうんすかね。力の加わるところが重心を外れてるとかかな」
「ふむ。ではどうすれば解決できそうですか?」
「重心の位置を正確に割り出す?でもそれだとちょっとずれたら使えない魔法になっちゃうっスよね。うーん」
草原でガントレットを拾ってから、工房ではずっとこんな調子だ。実験中キリノミヤはほぼ付きっきりだったが、あれこれと説明したり指示したりすることはあまりなく、問いかけをする他はずっとただ見守るだけだった。それでもフィズにとってはそれが何より心強く、緊張感を持ちながらも失敗を恐れず積極的に実験に挑むことができた。
「少し煮詰まってきたようですね。ネジだと確かにバランスが難しそうですから、最初はもっとシンプルな形状の物体から試してみるのもいいかもしれません」
そういってキリノミヤがフィズに手渡したのは木の板だった。手のひらに収まるぐらいの長方形で、1センチ程度に厚みがある。おそらく何か別の工作をしたときの端材だ。フィズが手渡された木の板を観察しはじめると、ちょうどリビングの方から呼び鈴がなった。コバコからのメッセージを印字する装置だ。
"魔導合金加工依頼完了報告
報告者:鍛冶屋オーダ
報告内容:全て依頼書通り。受け渡し日指定・希望なし。日中は確実に対応可"
「オーダさんに頼んでたやつ終わったんスね。なんか確認とかなければ私受け取り行ってくるっスよ」
「ではせっかくですから受け取りもフィズにお願いしましょう。ついでに気分転換でもして来るといいですよ。考えが煮詰まったときには必要なことです」
「っス」
まだ煮詰まると言うほど考え込んで見たわけではないが、工房とは少し別の風を浴びたいという気持ちはあった。
鍛冶屋に着くと今度はしっかり自転車に鍵をかけてドアを叩いた。
「よぉ嬢ちゃん。早かったな」
「どうもオーダさん。相変わらず最高に鍛冶屋っぽいっス」
「なんだァ急に、照れるじゃあねぇの」
フィズ自身にも説明はできないが、彼女はオーダの性格には妙に親近感を抱いていた。
玄関先のまま一応ということでオーダは封をする前の木箱を開け、出来上がった魔導合金をフィズに見せた。スプーンにでもできそうな長細い板状に加工された魔導合金がいくつかに束ねられて詰まっていた。
「つっても全部依頼書通りだし、まだフィズにはよくわかんねぇだろ!なんてったって俺もよくわかんねぇんだからな!」
ガハハと笑ってみせるオーダには、言ってる内容とは打って変わってどこか頼もしさのようなものがあった。
「いいんスか?そんなの言っちゃって」
「さぁどうだかな!世の中わかんねぇことだらけさ!」
オーダは木箱に蓋をすると釘打ちを始めた。
「そりゃあ俺だって小さい頃は、色んなことを知ってきゃあ色んなことがわかるって思ってたけどよォ。この世界は知れば知るほどわかんねぇことだらけさ。ま、だからって知ろうとしねぇ理由にはならねぇけどな」
ハンマーで手際よく蓋を打ちつけながらオーダは続けた。
「前に色々金属のこと話したがよォ、俺みたいのがなんでそんなこまけぇこと知ろうとしたと思う?」
「えっ…仕事のためとかじゃ?」
「もちろんそれもあるが、もっと単純。知らねぇから知りてぇのさ」
「なるほど?」
"知らないから知りたい"。どこまでもオーダらしいわかりやすい答えで、そしてどこまでも本質を貫いた的確な言葉だった。
木箱を自転車にくくりつけ、無事お使いを終えたフィズは酒場に立ち寄った。気分転換と言っても宛がないのである。
「フィズ様、その二席は霧宮工房の受付です。他の席をご利用ください」
宛もなく酒場に来たので面識のあるコバコの前に座ったところ開口一番これである。相変わらず凛とした表情と姿勢はどこか壁を感じる。フィズはどうにも距離感を測りかねていた。元々二人でやっていたところに無理矢理弟子入りさせてもらったのだから気まずさもある。
「コバコ。あんたの工房の関係者なんだから詰めて座っておくれよ」
「失礼いたしました」
「どうもっス…」
タンクが気遣いで言ったのはわかったが、相変わらずコバコの表情と声色は読み取りづらくて店への配慮なのかどうかもわからない。コバコのことをもっと知りたいという気持ちはあるのだが、フィズは聞き出すための言葉を選びきれずにいた。そんな微妙な間の中で先に声をかけてきたのはタンクだった。
「なんかちょっと髪伸びたんじゃないかい?」
「あー昔から伸びるの速いんスよね。確かに前髪がちょっと邪魔になってきたとこっスね」
フィズは前髪を指でつまんで見つめた。元々美容にあまり詳しくはないが、性格的に鬱陶しいのは嫌いだった。
「でしたらミカ様をご紹介してみてはいかがでしょうか」
「そうだね」
「ミカさん?」
「この村の理容師だよ。テラスにいると思うからちょっと声かけて来ようかね」
そういってタンクが連れてきたのはおっとりとした印象の女性だった。ブラウンの長い髪を束ねて左肩から手前に持ってきている。歳はフィズより一回りぐらい上のようだ。
「はじめましてね、フィズちゃん。私はミカ、角砂糖のミカよ。よろしくね」
「はじめましてっス、ミカさん。よろしくっス。……角砂糖?」
「そこはあまり気にしないでいいわ」
ミカはにこやかにフィズの疑問を流した。二つ名は規則や手続きなどは特になく、いつからか皆各々自由気ままに名乗っている。極端なことを言えば"最高の"とか"世界一の"などといった二つ名を名乗っても誰もそれを真に受けないし、誰もそこを批判することもないのだ。ただ、わかりやすく職業や所属をつける者が多い傾向ではあった。つまるところ二つ名というのは名乗る本人が自身をどう捉えてほしいかという願望の現れでもある。
そのままフィズは話の流れで髪を切ってもらえることになった。ミカの店は酒場を出てすぐに指をさせる程度には近くにあった。というよりこの狭い村の商業施設はほとんど酒場の周辺に密集している。
「あの人とはうまくいってるの?」
酒場からずっと何気ない会話を続けていたが、いよいよ髪を切り出した頃にミカはキリノミヤについて尋ねてきた。村の住人には全員に知れ渡っていると思っておいたほうがいいらしい。
「師匠っスか?すごい親切に教えてくれてるっスよ」
「そう。確かにそんな顔してるわね」
ミカは鏡越しにフィズの目を見て微笑んでいた。何か詮索しようという雰囲気ではない。
「ミカさんって師匠のお知り合いなんスか?」
「私もそんなに面識があるわけじゃないわ。強いて言うならこのハサミを作ってくれたぐらいかしら」
ミカは鏡越しに持っていたハサミを見せた。装飾などのない銀一色でしなやかな流線型のフォルム。いかにも職人向けといった風格のハサミだ。
「そのハサミもマジックアイテムなんスか?」
「私も最初はそう思っていたけれど、でもたぶんこれはマジックアイテムじゃないわ。普通のハサミね」
「というと?」
ミカは視線を髪に戻し手慣れた手付きで作業を再開しつつ語り始めた。
「私ね、小さい頃から母のマネして髪を切らせてもらっていたの。ここに来るのは知り合いのお年寄りばかりだからみんな私に付き合ってくれていたわ。でも大きくなってある日突然、誰かの髪を切るのが怖くなってしまってね。だってそうじゃない?髪はじっくり時間をかけて伸びたものだし、ミスをしてしまったら簡単に修正できるものではないわ。誰かに何かを言われたわけではないのよ。でも、あのときの私は失敗をするのがとても怖くて、気づいたらハサミも持てなくなってしまっていたの」
フィズはそんなに真剣に髪について考えたことがなかった。むしろフィズにとっては勝手に伸びてしまうものだったし、どちらかといえば鬱陶しいものだった。しかし誰かの髪に手を加えて失敗をしてしまうというプレッシャーは少し理解ができた。言われるまで考えたこともなかったが、言われてみればなかなかに恐ろしい話である。道具と違い髪は人の体の一部みたいなものだ。
「そんな日が続いた頃に突然来店したのが、あのキリノミヤさんよ。初対面のはずなのに私のこと指名して、"試作品のハサミ"で自分の髪を切って欲しいって言い出してね。当然最初は断ったけれど、"試作品だから失敗するのが前提だ"ってなかなか引き下がってくれなくて。でもね、返そうと思ってテーブルからそのハサミを手に取ったら、手の震えがピタッと止まったの。本当に魔法みたいな不思議な感覚だったわ。彼はこのハサミのことを"迷いを断ち切るハサミ"だって言っていた。だから使う人の迷いも断ち切ってしまったのかもしれないってね」
フィズにとっては少し意外性のあるエピソードだった。そもそもキリノミヤが村人と話しているところすら直接見たことがない。受付係のコバコとの会話すら文書によるやり取りだった。フィズは自身の師匠と話している中で不都合を感じたことはなかったが、村やこの店に来ていたというイメージが持てなかった。
「たぶん酒場かどこかで私のことを聞きつけて、彼なりにできることをした結果なんだと思うわ。噂通り不器用で変わった人だったけれど、この村のみんなが気にかけている理由は少しだけわかった気がしたわね」
「村の人たちが?」
これも意外だった。どことなく厄介者扱いされているのかと思い込んでいたのだ。
「彼が何か事情を抱えているのはもうみんな察しているし、もう少し頼って欲しいとも思っているわ。でも彼が距離を置こうとするなら、嫌だと言うのなら、その気持は尊重したいのよ」
フィズの脳に"私が嫌なんです"というキリノミヤの台詞がよぎった。
「だからあなたを弟子にしたと聞いたときは私も本当にびっくりしたわ」
「いやぁ、それはちょっと強引に頼み込んだんで…」
「いいえ、それは違うわ。私もそんなには彼のことを知らないけれど、断れずに流されるような人ではないと思うもの。きっとあなたに何か託せるものがあると感じたんじゃないかしら」
「だと嬉しいんスけどね」
流されるような人ではないという言葉には確かに説得力がある。しかしその一方でフィズは自分がかなり無理矢理弟子入りしたことを少し否定的に捉えていた。
「胸を張っていいと思うわ。彼はずっと昔からこの村に住んでいるけれど、誰かと暮らしたことはないはずだってお年寄りのみんなも言っているもの」
「ずっと昔ってそんな」
「本当にずっと昔からよ。少なくとも母が生まれる前よりも。彼ね、全然歳を取らないのよ」
フィズはしばらくぽかんと口を半開きにして唖然としてしまった。人の多い都心に住んでいた頃でもそんな話は聞いたことがなかった。しかし妙に嘘とも思えない。トリップからの手紙を読んだとき、そういった時代のズレを感じたのも覚えている。見た目は20代ぐらいに見えるがどこまでも落ち着いていて博識なのも説明が付きそうではある。
「魔法っスかね?」
「私もわからないけれど、たぶんそうなんじゃないかしら」
「あれ?でもそうするとコバコさんはいつから受付係やってるんスかね」
「あら、それも聞いてないのね」
「ん?」
今度はミカが呆気にとられ手を止めた。
「コバコちゃんは彼が作ったオートマタよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます