第3話 構造物反発式魔術浮遊機関を用いたエクストリームスポーツ用運動用具の分解と動作構造解析について

 多少強引さはあるもののなんとかキリノミヤの元へ弟子入りを果たしたフィズは、その意欲以外知識も技術も何も持たないままスタートを切った。基礎課程を学んでいる頃も別に成績が悪かった方ではない。魔術も人並みには扱える。しかしそれにしたって、マジックアイテムは全く未知の分野だった。まずは学問としての魔術知識を頭に叩き込まなければ話にならない、と彼女は勝手に思い込んでいた。ところがキリノミヤが最初に出した課題は予想と少し違っていた。

「分解しましょう」

「へ?何をっスか?」

「身近なマジックアイテムなら何でもいいのですがー、そうですね。フィズ、ホバーボードは普段自分でチューニングしていますか?」

「そりゃあもちろん。どうしても荷物になるんで、旅を始めてからは最低限のキットとスペアしか使ってないっスけど」

「では丁度いいですね。それを分解しましょう。工具は工房にあるものを何でも使ってもいいですよ」

「えっと、これかなり大切な相棒なんスけど…」

 施設を出る前からも移動から遊びまでずっと使い倒し、自分で整備や改造、調整、修理もやってきた。フィズにとっては最早ただの道具ではない。気づけば無意識に苦い顔でホバーボードを抱きかかえていた。

「壊すわけではなく分解です」

「戻せなくなったら同じことでは?」

「そうですね。ですからしっかりとメモを残し、パーツを管理しましょう」

「ふむむ」

 若干恐ろしい反面、普段から使っているホバーボードであればカスタマイズの経験もあるしある程度までならわかる。入門としてはまるで未知のマジックアイテムを分解するより幾分かマシかもしれない。フィズはドライバーを手に取った。そしてすぐに手元に置いた。

「………念の為キャプチャしとこ」

 フィズは魔術コンソールを開いた。大戦後急速に普及したマジックアイテムである"魔力出力制御補助インプラント調律デバイス"、通称チューナー。後天的に後頭部に埋め込むことで魔術の暴発などを防ぎ、誰でも鍛錬なしに基礎的な魔法が扱えるようになる。チューナーには初期状態で、視覚野にアクセスし捉えた情報を保存しておくキャプチャ機能がプリインストールされている。通常使用者にのみ視認できるこの拡張現実コンソールは理論上脳からの信号だけで操作可能だが、安全性の観点からジェスチャ操作が紐付けられていた。そしてフィズがこの仕草をしていることに気づいたキリノミヤは、すぐにそれを遮った。

「これを使いましょう」

 そう言って作業台に乗せてきたのは紙と鉛筆だった。

「スケッチってことスか?」

「絵は嫌いですか?」

「嫌いじゃないっスけど、あんま自信ないっスね」

「であれば大丈夫です。今はまだ、うまく描く必要はありません」

 言われるままに描き始めると、フィズはずっと何度も見てきたはずの相棒の形が、ほとんど記憶にないことに気づいた。そしてまじまじと見つめていると不思議な出っぱりや不規則な並び、不可解なパーツの分割など気になるポイントがいくつか見つかった。言われるままにそれらもスケッチにメモとして書き込む。

「ふむ、キャプチャしてたら気づかなかったってことっスね?」

「そうですね。それもありますし、スケッチに慣れておくことには他にもいくつかメリットがあります」

「というと?」

「魔導具技師が取り扱うのは基本的には形のある"立体物"です。したがってそれらを一番手速くかつわかりやすく記録に残せるのは、二次元平面へ投影したスケッチなんです。今回はすでに形のあるものの記録ですが、造り手として今後必要になるのは自分の頭の中にしかないイメージを描き出すこと。アイデアはすぐに薄れてしまうものですから、手軽さがとても重要なんです。」

「…すみません。後半の、後半もう一回いいっスか?」

 フィズはキリノミヤの言葉まで記録に残そうと必死にメモしていた。チューナーの録音機能などとうに忘れて。


 分解とスケッチとメモとパーツ整理を繰り返しているとベッド一つ分ぐらいあった作業台があっという間に埋まってしまった。書きなぐりの紙も10枚ぐらいになっているし、気づけば日も登りきってしまったようだった。

「少し休憩しますか?」

「いえ、もうしばらく続けたいっス」

 フィズは目線も逸らさず分解しながら答えた。いつしか完全に没頭していた。そして少しばかり間を置いて続けた。

「……師匠」

「いかがなさいました?」

「……こーれ楽しいっスねー」

 二人分の笑い声が、工房に広がった。

「それはよかったです。であれば今日はもう言うことなしですね」

「というと?」

「もちろん色々な意図はありますが、どんな学びも楽しむことから。それが私の持論です」

 そして、彼自身の師匠からの受け売りでもあった。

「ほおー。師匠も最初は分解を?」

「そうですね。幼い頃から分解も工作も好きでした。学び始めたのはそれからずっと後ですよ。たぶんあなたにとってのホバーボードもそうなのでは?」

 フィズは一瞬考えて「そっか」と声を漏らした。ホバーボードを始めたきっかけもなんかかっこいいという理由だし、最初は何もわからないままに何度も飛び乗って怪我をした。しかしそれがすごく楽しかったのだ。カスタマイズをし始めたのは一通り遊び倒した後だし、何ならどういう魔術の作用で浮いてるのか具体的な説明は今もできない。それでも、楽しいから続けている。フィズは止まっていた手をまた、動かし始めた。


「師匠、一応一通り分解したっス」

「ひとまずお疲れ様です。いい具合にバラバラですね」

 途中から隣の作業台にまで作業スペースが広がり、ホバーボードの原型は跡形もなくなっていた。序盤こそ躊躇していたものの、途中から楽しくなり後先考えずに、それはもう徹底的に分解してしまった。今更ながらに本当に自分に直せるのか疑問になってきた頃合いだった。ボルトの小皿を一つひっくり返すだけでも詰みである。

「ではこの中で知っているパーツがあれば教えてください。当てずっぽうでも構いませんよ」

「えっと…あっちの二つついてた円盤みたいなのがフロートドライヴで、そのそばの細長いカードみたいなのがリデュースカートリッジ、そっちの中央に入ってた分厚いリング型のやつが魔力リアクタ、あとえーっと、あった、あの円柱みたいなのが属性変換モジュールっスね。あとソケットから外したことなかったんスけど、この黒いサイコロみたいなのがなんたら魔導回路。そのぐらいっスかね」

「積層集積魔導回路ですね。驚きました。だいたい知っているんですね」

「いやー、でも塊として付け替えたりしてただけなんで、それぞれの役割とかはわかんないのばっかっスね」

「いえいえ、それでも十分です。では、そうですね、魔力リアクタがどういった役割を持つかご存知で?」

「んー、魔力を作る。みたいなイメージっス」

「ニュアンスが微妙ですが概ね正解ですね」

 キリノミヤは話しつつ背後の木箱を引きずって来て腰を掛けた。両手に持っていた金属製のボトルの一つをフィズに手渡すと、話しながらもジェスチャで椅子に座るよう促した。ボトル自体は常温だが、中の水は程よく冷えている。

「遥か昔、質量とエネルギーが等価であると発見されたのはご存知ですか?」

「知らないっスね」

「平たく言ってしまえば、重さを持つ物体はその存在自体が高いエネルギーを持っているんです。しかし面白いのは等価という点ですね」

「ふむ?」

「質量を消失させれば膨大なエネルギーが得られ、逆にエネルギーを利用すれば質量が作れるんです」

「木を燃やして水を沸かすようなものっスか?」

「その理屈の延長ですね。質量保存の法則というのは基礎課程で習いましたか?」

「やりましたね。もの燃やしても煙とかひっくるめた重さは変わらないってやつっスよね」

「はい。ですが、厳密にはエネルギーを取り出すと質量は変化しています。物質の燃焼反応は原子のやり取りの際にエネルギーが出る程度ですので、質量は観測不可能なほど極々わずかにしか変化しません。したがって、そういう法則が今でもまかり通っているわけですね」

「ふむ」

「ですが、もし完全に物質を消失させたとしたら、燃焼とは全く比べ物にならないエネルギーが取り出せます。理論上1gの木片があれば首都をまるごと消し炭にできる計算になります」

「こわっ」

「そして更にその後の研究で、この世界のあらゆる物質は極めて長い時間、それこそ天文学的なレベルの年月をかけてゆっくりと自己消失していて、絶えず微量のエネルギーを放出していることがわかりました」

「勝手にものが消えるんスか?」

「途方もなく長い年月をかけて、本当に僅かずつですけどね。ですが実はそれによって発生したエネルギーを無意識に感じ取ることのできる者が、そんな発見や実証よりもずっと前の時代、遥か太古にすでに存在していました。彼らはいつしか、大地や大気の自己消失によって発生し周囲に満ちるそのエネルギーをコントロールし、意図的に現象を引き起こすすべを持ち始めました。それこそが魔法使いという存在であり、彼らは物質の消失によって発生する最も純粋な状態のエネルギーを魔力と呼称していました」

「えっと、じゃあつまり、最初に魔法使いが魔力を使えるようになって、そのずっと後にメカニズムが解明されたってことっスか?」

「つまりそういうことです。それ故に人類史のうちでもあまりに長い期間、魔法というものはその存在自体がデタラメな空想とされていました」

「ほおー。いやでも、仕組みがわかっても結局使える人しか魔力は使えないんでは?」

「とても鋭い視点ですね。そうなんです。魔力を扱える人は感覚的なことしか説明できないですし、魔力を扱えない人はそもそも魔力を感じ取ることすらできません。そこで長い歴史をかけてまず開発されたものの一つが、物質の消失速度を極わずかに加速させ安定して適度な魔力を取り出す装置です。実験が最初に成功した当時は直径5mほどあったと言われる装置も、研究が進み今ではあんなに小さくなってしまいました」

 フィズはキリノミヤの視線の先を追った。

「魔力リアクタ…」

「はい。魔力リアクタの開発により、魔力適性のない人間でもひとまず魔力を得ることができるようになりました。ついでにこのときエネルギー問題も解決しました」

「なんスかそれ」

「まぁ古代の人類は色々課題を抱えていたんです」

「へぇ」

「さて、抽出に成功した魔力ですが、利用できなくては意味がありません。研究者たちはまず魔法使いがどうやって魔力を扱っているのかを探りました。フィズ、あなたはどうやって魔術を行使していたと思いますか?」

「んー、やっぱ呪文とか魔法陣とかっスかねー」

「よくご存知ですね」

「いや、あてずっぽっス」

「他にも杖を振ったり、楽器を奏でたり、ダンスを踊ったり、儀式をしたり。同じ魔法を起こすためにも、地域や人によって様々でした」

「でもそんなのって研究のしようがないんじゃないんスか?」

「ええ。ですが共通している部分もありました。まず、魔術を行使する際、共通して脳内の特定の領域が活発になっていました。現在では魔術野と呼ばれています。そしてもう一つは証言によるものですが、皆なるべく具体的で明確なイメージを持って行使するとのことでした」

「それってつまり強く願えば叶うみたいな話っスか?」

「安っぽく言ってしまうとそうなりますね。当時の研究者たちはある仮説を立てました。それは魔術野が周囲の魔力に何らかの形で干渉することができ、魔力はそれに応じて属性バランスの遷移を起こすのではないか、というものでした」

「属性の遷移?」

 フィズはちらりと属性変換モジュールに目をやった。

「魔力というのは先程も話した通り最も純粋な状態のエネルギーです。どのような力にもなれますし、どのような力でもありません。どれかの力に特化しバランスを崩すことではじめて、実世界に影響を及ぼします。」

「属性って火とか風とかってやつっスよね?」

「それは恐ろしく古典的な定義ですね。まだまだ研究は続いていて時代によって入れ替わり立ち替わりすることもありますが、現在は"流れ"、"歪み"、"疎ら"、"揺らぎ"、"保ち"、"放ち"、"連なり"の七属性が定義されています。」

「全然思ってたんと違うっス…」

「それぞれを今ここで語ると混乱すると思いますので一旦保留としますが、そういった力の特性を遷移させることで実世界へ現象を引き起こす手段が魔術であり、発生した現象が魔法ということは覚えておくといいですね」

「したら、あの属性変換モジュールってその属性のバランスの遷移をやってくれる装置ってことっスか?」

「察しがよくて嬉しいですね。その通りです。ホバーボードの場合は基本的に浮遊魔法が使えればいいわけですから、それに必要な属性変換モジュールが一つあればいいわけですね」

「ふむほむ」

「疲れましたか?少し濃い話になってしまいましたね」

「いやいや、難しいけどすごい面白いっス」

「本当はまだまだ、マナのことや詠唱型と記述型の魔術のことなど、知っていて欲しいことはたくさんあるのですが、一度に話しても残りませんからね。今日はここまでにしておきましょう」

「いや、私全然疲れてないっス。聴かせてください!」

 フィズの熱心な姿勢に動じず、キリノミヤはかすかにニヤリとして言った。

「私が嫌なんです。ただそれだけです」

「なら仕方ないっスね」

 聞き覚えのある彼のその言葉は不思議と、昨日感じたような冷たさはなかった。

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