第6話 初めての人助け
私が叫ぶと馬車が止まる。そして私は馬車が止まったことを確認すると扉を開けて外に出る。
「お嬢様!?」
リリーが驚いて呼び止めようとするが、もしあの影が溺れかけた人だったら一刻の猶予もない。私はリリーの声を無視した。
「どうしたどうした?」
私のために付いてきた護衛も、私が突然の馬車から飛びたした行動を見て驚く。私はそんな彼らに一瞥もくれず川に向かって走り出す。今着ている服や履いている靴は走りやすいものではないので、走る速度は遅いし、何度か転びそうになる。だけどなんとか川岸に到着することができた。
川岸に一人の少年が立っていた。今の私より少し年齢が上。リリーと年が近いよう見える。
「イーライ!イーライ!!大丈夫か!」
その少年が川の中にいる人影に向かって叫ぶ。
「あの人!溺れているの!?」
私が川岸で叫んでいる少年にそう質問した。
「え?あなたは?」
「いいから答えて!」
「あ、ああ。イーライが・・・川に入って魚を取ろうと・・・でも、突然イーライが・・・」
「つまり溺れているのね?」
「あ、ああ!俺は泳げなくて・・・」
「わかったわ」
川の中にいるイーライと呼ばれた男を見る。イーライは川の中でもがいている。
まだ死んでない。まだ間に合う。私はネックレスを外し、背中のファスナーに手を伸ばす。だが手が届かず苛立つ。
ああ!なんでこんな服着てるの!?
私が川に入ろうと服を脱いでいる途中で、私に付いてきていた護衛の一人が川岸に到着する。
「一体、どうしたんですか!?」
護衛が質問してきた。
「少年が溺れているの!」
私がそう答えて川の方を指差す。
「たしかに溺れていますね」
護衛は眉をひそめて、首を傾げている。
「今なら助けられる!」
護衛は私の言葉をすぐには理解できなかったようだ。一瞬キョトンとした顔を浮かべた。
「ま、待ってださい!あんなガキを助けるおつもりですか?」
私の言葉を理解すると慌ててそう言った。
「ええそうよ!なにか問題でも?」
護衛の男の言い草に腹を立てて強い口調でそう言った。
「貴族である貴女があんな汚いガキを・・・?」
「手伝う気がないなら黙っていてくださる!?」
再び脱衣作業に戻ろうとすると、もう一人の護衛が走り寄ってきた。
「どうした?」
「ああ、ジャスパーさん。このお嬢さんがあそこの子供を助けようと・・・」
護衛の一人が川で溺れている少年を指を指し、ジャスパーという男に説明している。ジャスパーは驚いていた。
「ええ!?泳いでいくつもりですか?」
「なにか問題でも!?」
2度目の"なにか問題でも"という言葉をジャスパーに投げつけた。早くしないと少年が完全に溺れてしまう。そうなる前に引き上げないと!
私は焦りのあまり苛立っている。
それを見たジャスパーが頷いた。
「ええ。貴女には行かせられません。こういうときの為に我々がいるんですよ!」
ジャスパーはそう言いながら鎧兜を脱ぎ始める。兜を外すと金髪で短髪のさわやかな好青年が現れ、鎧の下はよく鍛えられた筋肉が現れた。
「いいの?」
私は護衛の行動に驚いた。先程の護衛のリアクションの方がまだ理解できる。
「失礼ですがお嬢様は泳ぎは達者ですか?溺れたものを助けた経験は?」
「無いわ」
「だったら、ここは私に任せて引っ込んでてください」
柔らかい口調だが圧のある言葉を突然言われ、少々面食らってしまった。そうしているうちにジャスパーは鎧を脱ぎ終わり、川に入っていく。
「近くまで行ったら、気絶するまで待ちなさい!」
「了解です。メグお嬢様」
私の言葉にジャスパーは返事をして川を泳いでいく。今の川は荒れているわけではないので、すこしでも鍛えた人間なら簡単にたどり着くことはできるだろう。
「そしてあなた!」
私は先程口答えをしていた護衛の一人を呼んだ。
「なにか敷くものを持ってきて。木の板でも布でもいいわ」
「え?あ、はい」
護衛が馬車の方向へ走り出す。
しばらくするとジャスパーが気絶状態の少年を引っ張っりながら川岸に近づく。私と護衛の一人は足元を濡らしながらジャスパーたちを迎える。溺れている少年の服を掴んで引っ張り、護衛が持ってきた木の板の上に寝かせる。
「イーライ!大丈夫か!?」
川岸でイーライと叫んでいた少年が駆け寄って名前を呼ぶ。だがイーライの返事はない。
「駄目だ!心臓が止まっているかもしれん!」
ジャスパーは川岸に這い上がりながらそう言った。私は口元に耳を近づけて呼吸を聞く。呼吸はしていない。
それを確認すると私は素早く少年の隣に移動し、心肺蘇生法を試みる。
「何をしている!?」
イーライの知り合いであろう少年が驚いて私の肩を掴んできた。
「離して!この人を死なせたいの!?」
私は少年を睨みつける。すると少年は驚いて後ずさりをした。私はそのまま胸骨圧迫を行った。
「起きろ!起きろ!」
30回程度の胸骨圧迫を行ったが息を吹き返す様子はない。これでは心臓が動かせても酸素が・・・。そう思った直後、私は人工呼吸をしていた。
「お嬢様!」
「なにやって!?」
貴族が平民の子供にキスをした。人工呼吸を知らない人間からすればそう見えてもしょうがない。だが、私にそんなことを考えている余裕はない。
「どうだ!」
まだ、少年の意識は戻らない。再び胸骨圧迫を行う。
「戻ってこい!戻ってこい!」
私はまた30回行ったあと、人工呼吸をした。
「ゴホッ!ゴホッ!」
イーライと呼ばれる少年は突然咳をして、意識を取り戻す。その光景に一番驚いていたのは、川岸で叫んでいた男。
「イーライ!」
男はイーライのもとへ駆け寄った
「驚きました。これが魔術ですか・・・」
ジャスパーが思わずそう呟いた。
「いいえ。これはただの心肺蘇生法。まだ私は魔術がほとんど使えないから」
「しんぱい・・・?」
ジャスパーが頭をかしげている。心肺蘇生法はこの世界にはないようだ。まぁ私も講習で練習したことしかなく、実践はこれが初めてだったけど運良く成功してよかった。
「息を吹き返してくれて良かった」
「そうですね。私も溺れたものを助けるのは初めてだったんで緊張しました」
「え?初めてだったの?私にやったことはあるかと聞いたじゃない。てっきり私は経験があるのかと」
「別に私がやったことがあるとは言ってないですよ。でも少なくとも貴女には行かせられませんでしたから」
ジャスパーはそう言って笑った。その笑顔はにっこりと爽やかだった。
「この男・・・」
よく見るとイケメンだし、この人懐っこいような笑顔。前世の私だったら一瞬で惚れていたわ。よかったわ。今生の私はイケメン耐性があって。じゃないと絶対この男に騙される。
「お嬢様!」
リリーが走り寄ってくる。
「その少年に・・・せ、せ、せっ・・・」
「いえ、接吻ではないわ。人命救助よ」
「え?」
「私とジャスパーでこの少年の生命を救ったの」
「そ、そうなんですか?」
リリーは状況が飲み込めていない様子だった。
「あの・・・」
リリーを丸め込もうとしている途中で声をかけられた。
「ジェフから聞きました。この度は助けていただいてありがとうございます」
そこに立っていたのは川にいた少年2人。なるほど、川岸で叫んでいたのはジェフという名前か。
「なんとお礼を言っていいか・・・」
「私にお礼はいらないわ。助けたのはそこのジャスパーだもの。それより貴方は病み上がりなんだから、すぐに家に帰って休むのよ」
「はい……。でも、家は遠いのでそのへんの木陰で一休みしていきます」
「いや、この辺は魔物が出るかもしれないから、せめて近くの村で・・・」
「村には入れないんです。よそ者だから」
よく見るとイーライもジェフも布切れのようなボロボロの服を着ている。肌は日に焼けて浅黒く、髪の毛はボサボサ。近くの村の子供かと思ったが、なにやら訳ありの少年たちのようだ。
「あなた達の住んでいるところまでは距離があるの?」
「歩いて3、4時間程です」
「結構遠いわね」
少年の姿を見る。意識を取り戻したとはいえ、まだ濡れていて体力も戻っていないだろう。骨折もしているかもしれない。そんな少年が4時間程の道を歩くとなると、とても危険だ。
そう感じたのでジャスパーを呼んで質問する。
「どうする?ジャスパー」
「助けといて放置というのは無責任かと」
「そうよね。その村まで送り届けましょう」
私とジャスパーですぐさま結論が出た。
「な、お嬢様!?」
リリーとジャスパー以外の護衛は驚きの表情を浮かべる。
「ちょっとした寄り道よ。あなた達もいるんだし心配ないわ」
私はリリーと護衛たちにそう言った。
「でも・・・」
リリーが心配そうな表情をする。その様子を見てジャスパーが優しく声をかける。
「リリー様。私が命をかけてお守りいたします。どうか安心なさってください」
微笑みとともに放たれた言葉は、リリーの顔を真赤にした。私はジャスパーの顔を見る。
「どうかしましたか?」
「いえ。一体何人の女を泣かせてきたのかと疑問に思っただけよ」
「私は女性を泣かせるような真似はしませんよ」
「でしょうね」
私は立ち上がって、馬車の方に歩き出す。
「馬車は4人乗れるから、私とリリー、イーライとジャスパーで乗る。他の人は今まで通り付いてきて」
私がそう指示すると護衛は頷いた。
「かしこまりました」
その声でその場に居た全員が動き出す。
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