お年を召したひとたちの住む家から、盆や年末年始に、やわらかな賑やかさが、漏れ聞こえてくることがある。
私がまだ子どもだった頃、私もその賑やかさの中にいた。
騒がしくもあり、慌ただしくもあり、広くはない家の中にひとがぎゅうぎゅうで窮屈でもあったけれど、暖かかった家族たちの団らん。
私の場合もやっぱり、その中心にいたのはおばあちゃんだった。
中心にいるのにどこか控えめで、騒ぐ孫たちを穏やかに笑んで見つめるおばあちゃんが、家族と家族をつないでくれていた。
私の場合、そんなおばあちゃんの思い出すきっかけは、赤いきつねでも緑のたぬきでもなくて、いつもおばあちゃんが食べさせてくれた甘納豆だけれど、同じ想い出を持つ人たちもきっと、そんな大切な思い出をつなぐものを、きっと持っている。
それを気づかせてくれる、暖かい作品。
主人公は専業主婦で、めまいの持病がある。そんなことを知らなかった夫は、選択肢を示す。緑と赤、どっちがいい?
それは、主人公をかつて思いやってくれた義母さんと同じ選択肢だった。
人は誰かに選択を迫る時、やや強めに出ることがしばしばある。そして、選択肢と言うからには、悪い方と良い方があると思ってしまう。しかし、この作品の中に出てくる選択肢は、人を思いやり、どちらを選んでも良い方しかない。それはとても素敵なことだ。
思いやりの連鎖。人々の想い。そして巡ってくる優しさ。
赤と緑の選択肢の温かな可能性に気付かせてくれる一作でした。
是非、御一読下さい。